09 エンジョイ下僕ライフ
朝食を取っている時、きらきらとした目でお嬢様がそう言った。
今日はいつもより早いな。なんて思っていたが、どうにもお嬢様が早起きしたのは登校中の三村君と曲がり角でごっつんこ☆する為であるらしい。随分古典的な技を使うもんだ。
まぁお嬢様の提案に逆らえる訳もなく、俺たちは見通しの悪い曲がり角で、三村君がやってくるのを今か今かを待っていた。
「あ! 三村君だ!」
「三村君登校早くないですか」
「三村君は毎朝早く学校に行って学校でハーモニカを吹くのが日課なの」
「さすらいの詩人かよ」
お嬢様は、自分の左肩、右肩、頭、胸の真ん中いう順番でとんとんと指で叩いた。
なに十字架切ってんのこの人。
そしてはむとパンを口に挟むとぴっと俺に敬礼をし、勢いよく曲がり角から飛び出した。
「い、いったーい!」(棒読み)
演技力皆無なお嬢様はさておき、ごつんという音の曲がり角には後に尻もちをついたお嬢様と、三村君……?
俺が三村君……?と眉を寄せてしまったのには訳がある。
お嬢様がぶつかった三村君(仮)は、俺の知っている三村君と髪色が違うのだ。顔付きはほぼ一緒だけれど。
黒髪の三村君と違ってこちらは金髪。どうにも三村君が一日でブリーチをキメてくるなんていうファンキーな人には思えないし。……まぁ喋った事ないけど。
「ったくなんだよ、前見ろよな」
ち、っと舌打ちをした後に三村君(仮)はさっと立ち上がりすたすたと歩いて行ってしまった。
お嬢様に手を差し伸べすらしないなんて。
去っていく背中を2人で見ていたらお嬢様が「ちぃっ」とわざとらしく舌打ちをした。
「……お嬢様なに三村君にキレてるんですか」
「キレてないっすよ」
「古いです」
お嬢様のクソしょうもないボケを「は」と鼻で笑った後に、とりあえず地面に尻もちをついたままのお嬢様に手を差し伸べる。
お嬢様は「どうも」と言った後立ち上がって、ぱんぱんとスカートに付いた土を払っていた。
「三村くん、イメチェンですかね」
「違うわよ。アレ三村君の双子の弟。間違えちゃったの」
お嬢様が呆れたようにそう言った。
弟?と俺が眉を寄せたのに気づいたらしい。お嬢様はカバンからおまじないBOOKを取り出すと、俺に登場人物がまとめてあるページを見せてくる。
「ほら、これが三村くん。で、さっきのがこの三村弟」
お嬢様がぴっと指さすそこには、桜庭さんをセンターに、二人の三村君が。
なるほど。そう言えばお嬢様が黒髪の方の三村君の話ばかりするから気づいていなかったけど、三村君の弟もこの乙女ゲーのキャラなのか。
「あ、お嬢様! 俺分かりました! 『ふた☆プリ』の『ふた』って双子の意味なんですね!」
今さら?なんて鼻で笑ってきたお嬢様に若干のムカつきを感じながらも、ぐっと抑える。
この三村兄弟に取り合われる。それがこのふた☆プリのシナリオって感じなのだろう。
ページの片隅でどや顔をキメる悪役令嬢蓮見千秋の姿をこれまたわざとらしく、鼻で笑った後に口を開く。
「三村君がダメなら、三村弟狙ってきましょう」
「和泉、あんた正気……? あいつのどこが良いのよ……」
お嬢様が俺を憐れみの目で見る。なんで。
どう考えても、三村君と三村弟の違いなんて髪色だけである。なのになんで急にトチ狂った疑惑をお嬢様なんかにかけられないといけないのか。不本意にも程がある。
「いや、双子だし別にどっちでも良いじゃないですか」
「許さない、あんた三村君を侮辱したわね」
「どっちの」
「兄に決まってるでしょ! 三村弟なんかと違って三村君は超カッコイイじゃない!」
「髪色違うだけですけど、お嬢様の目と脳みそはどうなってるんですかね」
お嬢様のあまりの三村君厨っぷりにため息が漏れる。
しかもお嬢様、何気に三村弟をかなり侮辱してるし。三村君と髪色しか変わらないのに。
「ああ、せっかく三村君にぶつかれると思ったのに……!」
お嬢様は地面に情けなく落ちたパンを見つめながらそう言った。パンも地面とキスするために生まれてきたのではないだろうよ。
*
夜の蓮見家は勿論電気が落とされている。
自分の部屋からこっそり廊下に出て、壁に手を当てながらキッチンまで足を進める。
もう夜中だけど、かなりお腹が減っていたのだ。適当にキッチンから何か盗もう。そう思ってキッチンに向かえば、何故か明かりが付いていた。
やば、夢丘さんとかに会えば怒られるかも。なんて思いながらもキッチンを覗けば、そこには呑気に鍋を使ってココアを作っているお嬢様が居た。何で。
「あら、和泉。なにやってるのこんな夜中に」
「あんたもな」
お嬢様は鍋に入ったココアをへらでゆっくり混ぜている。
相変わらず寝間着はジャージという本当にお金持ちのお嬢様なのか。と首を傾けたくなるような格好。
「私はお腹すいたからココア飲もうと思って。一杯作ったから和泉も飲む?」
「……はい、俺もお腹すいてたんで」
お嬢様は少し笑った後に、鍋からゆっくりと二つのマグカップにココアを注ぐ。
ココアって粉にお湯入れて牛乳ぶち込むだけのものだと思ってたんだけど。
お嬢様お手製の本格ココアの入ったコップを持つ。食卓で飲めば良いんじゃないか。と思ったがお嬢様は「自分の部屋で本を読んでるから」という理由で俺に二つのマグカップを持たせて自分の部屋まで持っていかせた。
お嬢様の部屋に入って、いつもの通り椅子に腰掛ければお嬢様もベッドの端に腰かける。
もう秋も近いからかやはり夜は冷える。温かいマグカップから熱を貰うように側面に手を添わせた。じんわりと温かくなってゆく手が心地良い。
お嬢様は本を読んでいるから。なんて格好つけて言っていたけれど、いつも通りおまじないBOOKを読んでいるだけであった。そんなお嬢様をぼんやりと見ていると、お嬢様は俺を見て眉を寄せた。
「あんたって、適応能力高いわね」
「どういう意味です」
「私だったら、ここが乙女ゲームの世界だとか何とか。そんな事言われてもすぐに適応なんかできないわ」
お嬢様がふたプリおまじないBOOKに目線を落としながらそう言う。
いや、俺も適応したくなかったけど、あんたがいつもおまじないBOOKで脅してくるから適応せざるをえなかっただけなんだけれど。
「……あんたは私と違うのね」
ぼそ、とお嬢様が呟く。
その言葉に「え?」と問い返してみるが、お嬢様はずずっとココアをすするのみだった。
「ごめんなさい」
お嬢様がぽつりと呟く。
俺がまた「え」と聞き返せばお嬢様は、次はまじまじと俺の目を見て「ごめんなさいね」と言った。
「きっと、あっちの世界では沢山の人が和泉の意識を戻るのを待っているんでしょう」
「……そうですかね」
「私は、本当に悪人ね」
人間誰でも夜にセンチメンタルになるのは、乙女ゲームの世界でも変わらないらしい。
お嬢様が悲し気に目線を落とす、そんな姿をただ黙って見ていた。
「……まぁ下僕ライフもちょっとなら良いですよ……お嬢様、いつかは俺の事帰してくれるんでしょう」
「帰す! 絶対帰す! 神に誓える! アーメン!」
ア、アーメン……?
まるで神に祈るように、自分の手をぱちんと合わせるお嬢様。
それで神様に誓ってるつもりなんだろうか。なんて暖かくて甘いココアを飲みながら笑う。
「和泉、私頑張るから。絶対絶対頑張るから!」
まぁ、下僕ライフも悪くない。そう思えるのはお嬢様の笑顔のお陰であるような気がする。