07 ちょっとかわいい
やばい、これはやばい。
一体これがどういう状況なのか俺には分からない。
今日はお嬢様が体調不良という名の仮病で早退をした。
俺も帰ろうかと思ったが変に真面目なお嬢様にノートを取るのを頼まれたから最後まで授業を受けたって訳だ。
今日はお嬢様もいない事だし。なんて校内をブラブラとしていたのが完全に敗因だった。
ちなみに今居るのは、木が多く生い茂っている謎の場所だ。なぜ校内にライク森な場所があるのか。いやここ普通の私立高校じゃないのか?なんて思いつつも足を進めていくと、その先には湖があった。夕焼けが水に反射していてキラキラと光っている。
……なるほど。これは綺麗だ。なんて思っていた時に聞こえてきたのだ。謎の歌声が。
湖畔で、桜庭ララさんが歌っている。
ちょっと待ってもうなんなのコレ。いや本音言うと、普通に引く。
こんな校内でよく分からない歌を堂々と歌っている桜庭さんのメンタル鋼過ぎるだろ。食堂ぼっち飯を今までキメていたお嬢様といい、この世界の皆さんのメンタルの強さはどうなっているのか。
されども彼女はメインヒロイン。ちらりと横を見ると、少し遠くに三村くんの姿が見えた。
……これは、なにかイベントが起こりそうな予感。三村くんはカブトムシごとく桜庭さんの歌声に引き寄せられてきたのだろう。
桜庭さんの歌声をバックミュージックに考えを巡らせる。今から多分桜庭さんと三村君の恋愛ワンチャンイベントが発生するに違いない。
ぶっちゃけイベントが起ころうが、起こらまいが、どうでも良い。だけどお嬢様と三村君がくっ付いてもらわないと困る。
とりあえずこの起こりそうなイベントを阻止すべきか?
いや、でもそうすれば俺もお嬢様と同じ邪魔キャラに……いや、でももう蓮見千秋の下僕って時点でお邪魔キャラ界には参入してるか……。
とりあえず、色々悩むのが面倒になってきたのでとりあえず、自分が元の世界に帰る為にもこのイベントを阻止する事に。
「桜庭さん!」
三村君がいざ桜庭さんの元に行かん、とした時に俺はばっと先に桜庭さんの所まで駆けた。
桜庭さんは俺を見て小さく「恵谷くん」と零す。
星治君は俺が現れた事で身を引いたようで、くるりと振り返り校舎の方へと歩いていった。……作戦成功。
「恵谷くん、もしかして今の聞いてましたか?」
「あ、ええ……うん」
ぶっちゃけ、三村くんとのイベントを回避できただろうしもう俺的にはこれで満足なんだけれど、この世界がそれを許してくれるはずもない。
「さっきの曲……母に教えてもらった思い出の曲なんです……」
ぽた、と桜庭さんの目から涙が落ちた。
一度落ちればそれを止めるのは難しいらしく、すぅっと涙が桜庭さんの頬を伝っているのを俺は一体どうすれば、という気持ちで見ていた。こんな面倒な事になるならば、黙って三村君にお任せしておけば良かった。
「あ、ああそうなんだ。上手かったけど」
「母の方がもっと上手でしたよ、……母はもうこの世には居ませんが」
待って、一体なんだこのイベントは本当に。三村くんなら一体この重すぎるカミングアウトにどのように対処したのだろうか。
俺も「違う世界から来てるんスよ」なんてカミングアウト決戦に持ち込むべきなのか。
座っている桜庭さんの横に腰を落ろすと、桜庭さんは泣いているくせに、俺に向かってにこりと笑いかけた。
「恵谷くん、私の歌を褒めて下さってありがとうございます」
「……どうも」
「そういえば、今日千秋ちゃんはどうなさったんですか」
桜庭さんがそう言う。その時に初めて気が付いた。桜庭さんはお嬢様の事を「千秋ちゃん」と呼ぶという事に。
お嬢様は桜庭さんの事を「桜庭」と呼び捨てにしているけれども。
「ああ、なんか体調悪いらしくて」
「大丈夫ですか?」
ああ、多分。と適当にあしらっておく。……本当は仮病だけど。
お嬢様の事をわざわざ気にかけてくれるなんて、桜庭さんは本当にいい人だ。
「桜庭さんは、お嬢様の事を『千秋ちゃん』って呼ぶんですね」
何だか、あの人「千秋ちゃん」ってイメージないけど。どっちかというと「千秋さま」という感じだろう。なんて一人で思っていると、桜庭さんは垂れてきた横髪をすっと耳に掛けた。
「私と千秋ちゃんは中等部の頃までは、とても仲が良かったんです」
憂いを含んだ桜庭さんの表情。
俺は、お嬢様と桜庭さんはほぼ接点なんかなくお嬢様が一方的に敵対視しているだけだと思っていたので、少し拍子抜けしてしまった。
それでも、高等部に入ってから何があったんですか。と質問する気にはなれなかった。
お嬢様は桜庭さんと昔仲が良かった、という事を俺に言っていない。
おそらく、踏み入ってほしくない事情なんだろう。俺にはよく分からないけど。
*
「桜庭さんと三村君って、付き合ってないんですか」
「付き合ってない!!!!」
お風呂上り、自分の部屋のベッドの上でふた☆プリおまじないBOOKを読んでいたお嬢様が若干キレ気味にそう答えた。
俺はお嬢様の勉強椅子に座りながら、あんなにラブラブっぽいのになぁ。なんて思っていた。
でもお嬢様の言っていた通り「乙女ゲーム」とやらは付き合うまでの過程を楽しむものであるらしいから、付き合っていなくて当たり前か。
お嬢様の下僕として、登校して思った事は「お嬢様入る隙ないじゃん」という事。本当にお嬢様の「三村君と付き合いたい」なんていう願いは叶うのだろうか。
「だいたい、何なのよお邪魔キャラって……」
お嬢様がぼそっとそう言った。
見れば不機嫌そうに口を尖らせている。
「……まぁ理不尽ではありますよね」
ゲームとしては、二人の仲を深める為に必要なキャラであるとは思うけれど。
実際その人の下僕となってみれば「可哀想だな」としか思えなかった。
お嬢様はそれ以上何を言う事もなく、ただおまじないBOOKに目をやっていた。
「和泉、髪の毛くれない?」
「何ですか急に……」
俺がドン引きしているのに気づいたらしい。お嬢様は顔を赤くしてふた☆プリおまじないBOOKから目を離した後に「おまじないに使うのよ!!」とこれまたキレ気味に答えた。
「何のおまじないですか」
「秘密」
別に秘密にしなくても。
そう思って椅子から立ち上がり、ベッドに座っているお嬢様の膝の上に開けてあったふた☆プリおまじないBOOKを覗きこむ。そこには「可愛くなる為のおまじない」とでかでかと書かれていた。
お嬢様は今さらながらばっとおまじないBOOKを閉じる。
「なに! 勝手に見ないでよ! 変態!」
「可愛くなる為のおまじないですか」
「なによ! バカにしないで!」
にやにやしている俺を見て、お嬢様がこれまた顔を赤くした。
そして膝をぐっと抱きかかえ、赤くなった顔を隠すように膝と膝の間に自分の顔を埋める。
「……ちょっとでも可愛くなりたい、って思って何悪いのよ……」
急にしおらしい声でそう呟くお嬢様に拍子抜けしてしまう。
「おまじない頼り、そろそろやめてくださいよ」なんて言えばお嬢様は耳まで赤くしたまま「うるさい」と言った。
まぁおまじないに頼らなくても、可愛いと思うけど。なんて言葉は言えば調子に乗りそうだからその言葉は胸の中にしまっておく。