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23 ボーダーライン

 どんどん、という激しいノックの音で目を覚ました。

 やべぇ!起きたらもうこんな時間!妖怪のせい!なんて思ってお嬢様への言い訳を考える。

 そしてドアをぱっと開けると、俺の上から下までをじいっと見た後に夢丘さんが「お嬢様は一人でお出かけなさいました」といつも通りの無表情でそう言ってくれた。


 そして夢丘さんは「お嬢様が『私を歩いて迎えにこい』とおっしゃっていました」と言う。

 ぱっと時間を見ればもう夕方である。え、今から?なんて思っていれば夢丘さんはまた無表情で「早くしてください」とだけ俺に言う。


 お嬢様からの指令は何故か「歩いて迎えにこい」という謎極まりないものであった。お嬢様は近くのショッピングモールに一人で買い物に行った様子。車を使わないなんて珍しい。












 *

 お嬢様はショッピングモールの南出口の前で不機嫌そうに腕を組んで待っていた。

 俺がぱっと手を挙げれば「遅い」の一言のみである。



「和泉、あんた髪の毛がはねてるけど、もしかして今まで寝てたの」

「……良く分かりましたね……」


 そう言えば、お嬢様は「ほんっとバカね!」と俺に買った服の入ったショッピングバックを押し付けて、ずんずん俺の前を歩いて行った。

 それでもお嬢様が俺の前を歩けていたのはほんの少しの間だけで、次第に歩くスピードが遅くなってきた。



 ショッピングモールから蓮見家まではゆるやかな坂が延々と続く。

 もうかなり暗くなってきた辺りに少しため息をつけば、横を歩いて居たお嬢様がきっと俺を睨んだ。



「なによ、ため息なんかついて」

「いや、何でお嬢様わざわざ俺を歩いて迎えにこさせたんだろうって……」


 そう言えば、俺の横のお嬢様はまた、きっと俺を睨む。

 なんでさっきから俺を何度も睨むのだろう。



「しかも、一人で買い物なんて珍しい……」


 そう言えば、お嬢様は俺をちらと見て何か言いたげに口を開いた。

 しかしその口から言葉が紡がれる事はなく、もごと少し動くだけだ。



 俺とお嬢様の間に会話はなくなってしまって、二人してぽけぇっと歩きながら下に見える団地の光を見ていた。



「和泉」


 お嬢様がそう言って、俺の持っているショッピングバックのうちの一つを指さした。

 ん?と思ってその袋を見れば、お嬢様は「それあんたにあげる」と言う。



「何ですかこれ」

「時計、あげる。あんたにあげる」


 お嬢様はそう言ったきり俺の方を見るのを止めた。

 この緩やかな坂道は、車道と歩道の間に仕切りのガードレールもなく、ただ白線が続いているだけだ。上にのぼる車は少ないから、この白線だけでいいのだろうけど。


 お嬢様は、その両手を横にぴんと伸ばしてふらふらとした足取りで白線の上を歩く。白線から足が出れば死ぬゲームでもしているのだろうか。



「お嬢様、危ないですよ」

「別に、車来ないから大丈夫よ」


 お嬢様が、よく分からない曲を口ずさむ。

 その曲なんですか、と言えばお嬢様は思いっきり顔を歪めた後俺を見た。



「この曲知らないの? 大ヒット曲よ!?」

「知りませんよ……」


 俺とあんた、生きてきた世界が違うし。

 そう言いかけて、口をつぐんだ。


 そうか、ここは乙女ゲームの世界。

 俺とお嬢様は、生きている世界が違う。

 そんな事を改めて実感したようで、何ともいえない気持ちになってしまう。



 まるで綱渡りでもしているように、白線の上を歩いていくお嬢様。

 ふらふらと揺れるその姿に、胸が痛くなった。


 横を見れば、俺達はだいぶこの坂を上がってきたようで、綺麗な団地の光が見えた。

 お嬢様もそれを見ながら、鼻歌交じりでごきげんに白線の上を歩いて行く。



「お嬢様、そういえば何で、俺に時計なんか」


 俺がそう言うと、お嬢様は歩みを止めず少し振り返った後「別にーなんとなくー」と言った。

 袋に書いてあるメーカー名は知らないし、高いのか高くないのか。よく分からないけれどお嬢様がくれるものなのだからそれなりに値段はするのだろう。



「別に俺、誕生日でもないのに」

「うるっさいわね、良いから黙って受け取りなさいよ!」


 もう受け取ってるけど。なんていうツッコミは心の中だけにしておき、ありがとうございます。と感謝の言葉を述べる。

 お嬢様は、よろしい。とわざとらしく笑った。


 綱渡りの時、バランスを取る為に持つ棒の役目を果たしているらしい、お嬢様のぴんと伸ばされた両手。

 その左手はちょいと俺の服の裾を掴んだ。


 お嬢様を見れば、足を止めて少し笑っている。

 俺の右手を、まるでエスコートするかのごとくお嬢様の手に添えると、お嬢様は満足げに笑った。


 左手にある、お嬢様の買った服たちの重みにため息をつきながら、お嬢様の白線綱渡りに協力していると、後ろからやってきた車のライトがお嬢様の背中を照らした。

 そんな時に限ってわわ、とバランスを崩してしまうアホなお嬢様。


 そんなお嬢様の手をぐっと引っ張れば、お嬢様は俺の胸にぽすんと着地した。




 ぶうんと、去っていく車の光を後ろから見る。

 お嬢様は、和泉。と名前を呼んだ後に、俺のシャツをぎゅうっと掴んだ。


 お嬢様の温かさに、少し泣きそうになる。

 するとお嬢様がこつんとおでこを俺の首元にやった。


 俺は何も言わずにお嬢様の背中に腕を回す。



 この世界は乙女ゲームの世界で、蓮見千秋は悪役令嬢。

 俺は悪役令嬢の下僕で、お嬢様が三村君とくっ付かないと元の世界に帰れない。



 お嬢様の涙が、俺のシャツを少し濡らしていた。





 この人と同じ世界に生きれるなら、もう元の世界に帰れなくても良い。

 腕の中にある暖かみにそう思ってしまったこの日、俺の中に微かにあったお嬢様への恋心は本格的なものへと変貌した。


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