22 おはようからおやすみまで
「夢丘さん、お嬢様を見てませんか」
濡れた髪をタオルで拭きながらそう言うと夢丘さんは「さぁ」と答えた。
お風呂に上がったら、いつも何かのゲームをして就寝までの退屈な時間を潰すのがお嬢様の日課であるというのに。
お嬢様のおはようからおやすみまでを見守らなければならない立場な俺には、お嬢様が自分の部屋にいないという事はなかなかの問題である。
まだお風呂なのか。でももう使用人の入る時間だからそれは無い。
厨房でお菓子でも作っているのか。さっきクッキーをバカ食いしてたからそれも無い。
どこに居るのだろう、なんて思いつつぶらぶら屋敷を歩いていると、庭に目が行った。
「この家の庭って、花壇とか特に無いんですね」
近くにたまたま居たメイドさんにそう話しかけると、メイドさんは丁寧に説明をしてくれた。
奥様がアレルギーが酷いので、木や花などは植えていないらしい。 その代わりに千秋お嬢様が遊べるように一面を芝生にしたようだ。
そのメイドさんは、お嬢様が小さい時からこの家に仕えているらしく、小さい頃お嬢様がよくこの庭で遊んでいた話をしてくれた。
「千秋お嬢様がお庭でお遊びになられる姿を拝見するのは、随分久しぶりですね」
そのメイドさんは俺と一緒に窓の外を見ながら、嬉しそうに笑った。
庭ではお嬢様が、置いてあるバスケットゴールをめがけてボールを投げている。
俺はそのメイドさんに一礼をすると、玄関まで向かい靴をさっと履いて、家の裏にあたる庭まで歩いた。
お風呂から上がったばかりで少し火照っていた体が夜風にひんやりと冷やされて気持ちが良い。
「千秋お嬢様」
そう言うと、ボールを持ったお嬢様がくるりと振り返り「和泉」と俺の名前を呼んだ。
お嬢様は俺がお風呂に入っている間ずっとシュートの練習をしていたのだろうか。後ろで束ねられた髪まで届かなかったであろう横髪がほんの少しだけ濡れていた。
「バスケの練習ですか?」
「和泉もやる?」
「良いです。俺別にバスケ得意じゃないし」
近くに置いてあった椅子に腰かけるとお嬢様は「ふうん」と言った後に、リングをめがけてぴっとシュートを打った。
ボールは吸い込まれるようにリングの中を通る。
ぽてと俺の足元まで転がってきたボールを拾いお嬢様に渡せば、お嬢様は何も言わずにそれを受け取った。
「……お嬢様、バスケ上手いですね」
「前からやってたの。和泉はなにかスポーツやってた?」
「ああ、サッカーをちょっと」
「サッカーかぁ……あんまりルール分からないなぁ」
お嬢様がそう言い、またボールを投げた。
がこん、という音と共にまたボールは綺麗にリングの中に入る。
お嬢様は今度は自分でボールを拾うと何かを考えているようでくるくるとボールを見ながらぼんやりとしていた。
「私、一人になりたかったのよ」
お嬢様がころころと転がるボールを拾ったままそう言った。
そっか、だから俺に何も言わずにこんな所でシュートの練習してたのか。なんて反省。
「お嬢様でも一人になりたい時とかあるんですね」
だっていつも夜は俺と一緒に勉強したり、人生ゲームをしたりしているし。
お嬢様は俺に背を向けたままだった。
「和泉、バカなの? 私は元々ぼっちのパイオニア的存在よ」
……まぁな。お嬢様は俺を下僕として呼び出すまでは本気でずっとぼっちだったらしいし。でもいつもならこんな冗談を言う時お嬢様は、ドヤ顔で言ってくるのに。
俺に背を向けたまま、ゴールに向かってまたシュートを打つお嬢様に違和感を感じた。
「何で一人になりたかったんですか? というより俺、今いない方がいいですか?」
「少しね、考え事をしていたの」
俺、今いない方がいいですか。という質問に対する返答は無かった。
とりあえず居ていい。という事なんだろうか。そう思って浮かしかけていた尻をまたどんと戻す。
「……何考えてたんですか?」
俺がそう言っても、お嬢様はぴっとゴールに向かってボールを打つだけだった。
明確な「その質問には答えたくない」という意思表示に俺も黙ってしまう。
「私、別にぼっちでも大丈夫だったのよ」
お嬢様はそう言う。よく分からない返答だったが声が震えているのに気づいてしまって、何も言えなくなってしまった。
「和泉と一緒に居ると、とっても楽しい。でも同じくらい苦しい」
お嬢様の声が震えていた。
お嬢様は俺に背を向けていたままなので、どんな表情をしているのかは分からなかった。
「お嬢様の言いたい事が分かりません」
「私、別に今まで一人でも大丈夫だったの」
お嬢様がもう一度そう言う。
お嬢様は本当に俺に何を言いたいんだろう。
お嬢様がぐると振り返って俺の方を見る。お嬢様の目からは涙が溢れていた。
「和泉と一緒に居ると気づいてしまうの。私はひとりぼっちなんだって」
「……どうしてですか、お嬢様には俺がいるのに」
俺はこんなセリフをさらりというような男だったろうか。
そう改めて思うと、今さら羞恥心がこみ上げてきたので顔に手をやって少しお嬢様から目を離す。
「あなたは、いつか元の世界に帰ってしまうじゃない」
お嬢様が涙をすうっと零しながらそう言った。
そんなお嬢様の言葉に俺は何も言えずにいた。そうだ、俺はお嬢様の恋が叶えば、元の世界に戻れる。でもそれは、お嬢様を独りにしてしまうという事でもあって。
お嬢様はくるりとバスケットゴールの方を向き直す。
そして落ちていたボールを拾い上げて、ゴールに向かってシュートを打つ。
そのシュートは決まらずに、リングにがこんと当たった。
だんだん、と音を立ててボールが地面に跳ねた後転がる。お嬢様はそれを拾わずにただ、
黙ってうつむいている。
お嬢様がすんすんと鼻をすする音だけが、やけに響くそんな夜だった。




