猫年
新年明けましておめでとうございます。
今年は「猫年」ですね。
……え、違うって?
それならある男のお話をしましょう。
「猫年」を迎えてしまったある青年のお話です。
「明けましておめでとうございます。」
何がおめでたいものか、馬鹿馬鹿しい。
私は昨日の夜にコンビニで買った缶コーヒーを口にする。
買った当初それは暖かく冬の寒さを紛らわしてくれていたが今はそのツケとでも言わんばかりに私の体温を奪っていた。
新年を迎えた今日、私は一人家にいた。
家と言っても一人暮らしの安っぽいアパートだ、部屋と呼ぶ方が正しいのだろう。
部屋の大半を占めるベットの上で三枚重ねにした毛布にくるまりながら、冷たい黒い液体を飲んでいたのだ。
いつもなら実家に帰って家族と暖かに過ごすものだが、……もうそれは叶わぬ夢かもしれない。
「今年は猫年ということで沢山の猫達を会場に迎えています。」
テレビからその奇妙なナレーションを聞き取るとすぐさまそれを消した。
何が猫年だ。
この異常は他のやつにはわからない。
この異常を目にしているのは、……恐らく世界で私だけなのだ。
これは呪いだ。
去年の春から大学に通い始めて初めての夏、親友と自動車の免許獲得のため車校の短期講習を受けた。
免許を取るのは将来履歴書に書ける資格を獲得するためだった。
短期と言うこともあって同じく受講生の可愛い女性陣と話すことも出来て、……親友は楽しそうにしていた、……私はそうではなかったが。
私は我ながら気難しい性分だ、初対面の相手と楽しく会話する術を持たなかった。
……それはいいんだ。
私は親友よりも技術習得の速度が速かった。
鼻ッ面伸ばしたあいつをギャフンと言わせるために必死だったからな。
だから卒業試験を失敗した親友と違って、私は最短で普通自動車免許を獲得できた。
それでようやく念願のマイカーを買うことが出来たんだ。
正確には親の貯めた金で買ったものだから「買って貰った」が正しいんだろう。
……今大事なのはそこじゃない。
安い軽自動車だったが私にとってそれは上等なものだった。
私は車を手に入れて活き勇んで運転した。
親友のように彼女を連れてドライブとやらがしたかったからだ。
まだ彼女はいないがきっと作れる。
その自信を私は運転免許と同時に収得した。
問題はあの日の出来事だ。
十一月の末、私は一人狭い山道を運転していた。
私の住む町は全国平均からして比較的南西にあり、冬用タイヤなどは必要なかった。
この頃になると私も運転に手慣れてきて車は体の一部とも感じるようになっていた。
ただ残念なことに未だ隣に乗せる相手は親友の一人だけで、……私は虚しさを噛み締める羽目になっていた。
それはそうと山道の運転中にだ、後ろからかなりの速さで私をまくり立てる車がいた。
何もかもあの車が始まりだ。
派手な装飾、いかにも若者といったステッカーを貼り付けられたそれは、私を駆り立てるように追ってきた。
私も所謂若者な訳だが後ろから迫るそれの存在は熊と対峙するかのような威圧感をはなっていた。
勿論熊なんて動物園で見たくらいで対面などしたことはないが正直に言おう、……そのぐらい怖かった。
必死にそれから逃れようとハンドルをきり道を譲った。
それでそいつは私を置き去りにして新しい標的を探しにかっ飛ばしていった訳だ。
本来ならば私はここで安堵するはずだった。
私が避けた先道端には猫がいた。
正確には猫だったものだろうか。
口から赤い液体を流すそれが私の車の前にあった。
後ろから迫っていた脅威に気をとられ、直前までそれに気付かなかったのだ。
ブレーキを踏むこともハンドルを切ることも出来ずそれの上を直進した。
グリュ、リュ。
私の愛車のエンジン音の中に断末魔の様なその音を聞いた。
タイヤが何かを踏み潰す感触をハンドル越しに確かに感じ取った。
言いようのない罪悪感を感じたまますぐにでもこの場を去ろうとした。
どうせ山道なのだ。自然のものは自然に任せるのが一番なはずだ。
……そう自分に言い聞かせた。
しかし私は見てしまった。
バックミラーに映ったそれを。
先程は猫とわかっていたそれが……。
……赤色の朧気な輪郭に変わってしまったのを。
私は見てしまった。
その日から私の呪いは始まった。
呪いの内容だけ端的に言えば、全ての「生物」が「猫」に見えて聞こえるんだ。
実物も、画像も、動画の、イラストも、文章も、そこに映る全ての動物を私は猫として認識してしまう。
それぞれ猫の姿形は多様だ。
大きさや個体ごとの特徴は恐らく本来の動物の姿に合わせているんだろう、象を見たら見たことのない大きな化け猫を見ることになった。
しかし想像してみてくれ、猫しかいない動物園を。
一部の人間はそれを喜ぶんだろう、猫カフェってやつがはやったしな。
けどこれは私には耐えられない。
スーパーの食品コーナーにある豚や牛のイラストが全て猫になるんだ。
タイムセールに張られる鶏肉のラベルが猫肉に見えるんだ。
私には耐えられない。
病院にいけよってやつもいるだろう。
私もそうしたさ、頭がおかしくなったんだってな。
でもそうじゃない、……病院は私が一番避けなければいけない場所だった。
気付いている人もいるとは思うが、……あの日から全ての動物が私には猫に見える。
それは当然人間もだ。
山道から町中に戻った時は心底驚いた、違う世界に迷い込んだんじゃないかってな。
町中二足歩行の猫だらけだ。
猿の惑星じゃあなくて、ここは猫の惑星なんじゃないかって思ったよ。
夢であって欲しいと願うばっかりに手の甲を薄皮がめくれる程にはつねった。
でも私はこの呪いから逃げられなかった。
……あぁそれでも私はその生活をひとまずは受け入れることが出来た。
見た目が猫になってしまっても中身は人間なんだ。
会話も出来るし、表情もなんとなくわかる。
親友のことも服装から大体察しがついて、ちゃんと彼の声と会話が出来た。
恐らく「猫」になっているのは私の中の「生物」という概念なんだろう。
難しいことはわからないが深く考えられる余裕が私にはなかった。
一週間ほど家に引きこもった後で、病院にいっておかしくなった私の頭を治して貰おうと決意した。
それで私は病院にいったよ、勿論精神科にだ。
受付でいままで精神科に来たことはあるかと訊ねられて、言い様のない不快感を感じたことを未だに覚えている。
受付の猫はつぶらな瞳をしていて可愛かったし先生の猫は毛並みもよく上品な雌だった。
それについてもどうでもいいんだ。
私は待合室でポスターを見てしまった。
きっとそれはメタボ対策とかの注意喚起のポスターだったんだろう。
今になって考えればいつもは気にかけないような、ありきたりなポスターだったんだと思う。
それにはエコーかなんかでとった中年男性の皮下脂肪の断面図がのっていた。
私には中年男性のイラストも猫に見えていた。
そして私はそのポスターをぼんやり見つめて再び気付いてしまった。
その断面図が人間のそれでないことに。
私自身医学に精通しているわけではない、寧ろ大学は文学部に所属している。
でも今まで受けていた義務教育の断片的な記憶からそれが人間のそれでないことに思い至ったんだ。
確かに猫も哺乳類で人間も哺乳類だ。体の作りは似通っているはずだ。
でもそこに映る臓器は私の知る人間のそれではなかった。
その時初めて全ての生物の中身も猫になっていることに気付いた。
私はそれを確かめるため道端にいた小さな猫を捕まえて解体した。
大きさからしてカエルかなにかだったのだろう。
ばらしたそれから出てきたものは病院でみたそれと同じで、それでいてスーパーでタイムセールをしていた「猫肉」と同じようなみためだった。
私はこの状態で新年を迎えた。
未だこの呪いは続いている。
だから今年は実家に帰らずに一人で過ごしている。
……家族に会うのは正直怖い。
もう写真で見ているからどんな姿をしているかわかってるのだが。
しかしそれでも前向きに、新年の抱負をあげるとするならば、鏡に映る私の姿に怯えないようになりたい。
画面の消えたテレビの黒いスクリーンに赤色の何かがいた。
ご一読いただきありがとうございました。
ここからは作者の小言でございますので、心に余裕のある方のみご覧ください。
ぶっちゃけこのお話を考えた際に大きく影響をうけてしまっている物語があります。
それはSCP財団日本支部の収容するオブジェクト、SCP-40-JP「ねこですよろしくおねがいします」とSCP-298-JP「バベルの剥製」です。
ご存じない方の為に簡潔に説明させていただきますと「SCP財団」とは怪奇創作をまとめたサイト「The SCP Foundation」という都市伝説を作っているサイトにあたります。
僕はにわかファンとして彼らの活動を応援しています。
先に紹介させていただきました二つの物語ですがどちらもとても印象深い作品ですのでまだみたことのない方は是非一度ご覧ください。
以上作者の小言でした!また別の作品でお会いしましょう!