ウサギ堂こんぺいとう
11月1日
お友達に添削をしていただきました。大きな流れは変わっていません。
けれど、矛盾点がなくなったり、もう少し文章が分かりやすくなっていると思います。
この作品では、文章を書く練習も兼ねており、感想やご指摘等を参考に修正していきたいと思っています。良いアイデアがございましたら、是非ご教授お願いします。
両手で持ち上げれば、掌の上にこんもりと小山になる、大きな花だ。でもその塊はいくつもの小さな花が重なって出来ている、梅雨の定番の植物。綺麗な半円を描く、丸みを帯びた全体のフォルムは、ふわふわした見た目をしているのに、指先で触れたらサクッと紙を寄せ集めた様な感触を受けた。予想していたとはいえ、思わず躊躇う。
そのほんの少しの間の後、小さな花の群集から一つだけ選び、ガクから伸びた、糸の様に細い茎を、指先で手折った。ぷちっと呆気なく解けた小花を、そのまま眺める。中心部に行くほど平たい花弁であるのに、手折った外側のモノは形が違った。先の尖ったダイヤ型の花びらが八重になって、モチーフとしては可愛い。でも、これを今から飲みこむのだと考えると、ちっとも可愛らしくないし、ピンク色なのに苦そうだ。
思わず顰めた顔で、振り返る。
「本当に、これ、食べっと?」
否定して欲しいと読める声音を、多分に織り込んで出た言葉に、応えた足音は気軽く返事をした。
「大丈夫。それは『金平糖』だから」
小学生の子ども程の背丈に、服を着た、奇妙なウサギが、もう一度しゃべる。
先程と同じ、繰り返された「大丈夫」にがっかりして、くんっと嗅いでみるも花の香りはせず、青草の臭いに似たものを微かに受け取った。花に近づけた顔を離すが、事態は一向に進展しない。あまりにウサギにじろじろ見られるので、少しだけ試してみようという気になり、花弁の先を舌先で舐める。当然のように、無味。
当たり前だ。私には、これが紫陽花の、寄り集まった花の一つにしか見えないのだから。
☆★☆
「うさぎ堂のお菓子を、買って来てちょうだい」
梅雨入り宣言があったのに、ずっと降ったりやんだり、はっきりしない曇り空の空梅雨が続く、六月。多忙な学生生活の、六日ぶりの休日の昼下がりに、そう、祖母から電話があった。
家でのんびり過ごす事で、私に予定がないと受け取られるのは、遺憾である。遺憾ではあるが、さっぱりした性格の祖母が我儘を言うなんて珍しい事でもあって、おばあちゃんっ子の私は、面倒だと言う思いを呑み込んで「良かよ」と返事をした。
そうして、うさぎ堂なんてお菓子屋さんは知らないから、用事の電話を切らずに、すかさず店の概要を尋ねる。祖母からは簡潔に、昔からある老舗と教えられたが、本店はもっと関東の方にあるらしい。さて、地元では、地元民で知らない人はいない亀屋の、デパ地下に店舗が入っているとの事。
「ばあちゃん餡子好きやったね。粒あんやろ? きんつば? どら焼き? それとも月餅なん?」
「確かに、きんつばは好きだけれどね。うさぎ堂は特別なのよ」
――飴なら瑛太郎、月餅なら中村屋。
そんな風に、彼女から老舗の有名な品を教えてもらう事が多いので、祖母の返事を待つ。彼女の、“特別”の声音に何の疑問も持たなかった私は、続けられた『金平糖』に答えを見出し、頷いた。
「わかった。どのぐらい要るん?」
「そんなに多くなくていいよ」
私と違い、少食な祖母の言葉に納得して、「すぐに行ってくんね」と電話を切る。
その勢いで、財布や手帳、物書きが突飛でしたくなった時の為の筆記用具、それら全てが纏めて入っている大きめの鞄を手に掴んだ。反対の手では点けっぱだった冷房を消して、リモコンをベッドの上に放り投げると、自室の扉を開ける。瞬間、私の顔は歪んだ。
二階は、家屋の熱気が集まっていて、むわっとする。冷房に慣れた身体は途端に汗を滲ませ、頬と首と露出した肌にかかる生温かさが冷気を奪っていく感覚はとても不愉快だ。シャツの襟元を大きく数回引っ張ってやり過ごそうとするが、この気温では扇がれた風も温風にしかならない。
ふと真横に視線を向ければ、全開にされた窓から外が見えた。空梅雨ではあるのだが、湿度は十分に感じられるし、毛布みたいな厚い黒雲が空を覆い、どよんとしている。さらに、雲の切れ間に鈍い光を見た私は、これからさらに気温が上がるのだろうと予感して、苦い顔をする。ともすれば、家前の道路のアスファルトが揺らぐように見え、陽炎を思わせて長い憂鬱を吐き出す。
しかし、祖母の頼み事を引き受けたのだからと、怠け心を追い出す。それでも不愉快ではあるから、私はドタドタと階段を下りた。最後の一段を踏むと、吹き抜け仕様のそこからリビングと和室が見えるのだが、母もこの熱気に降参している様だと気付く。彼女は扇風機前に寝そべり、テレビの番をしていた。無性に堪らなくなり、深く息を吐くと、そこへ一声投げつける。
「行ってきまぁす」
いつもと同じ様に、2分で行ける駅へ走って、噴き出す汗をタオルで拭いた。拭いたそばから、じわりと湿る肌が、汗と布の摩擦で赤く発疹が出来ていく。首が特に酷い。早く電車が来ないかと、天井にぶら下がっている時計を見れば、18分とか26分とか、微妙に切りが悪い時間に出る電車がやって来て、乗り込んだ。
電車の中での私は、内部の冷房に少しだけ機嫌を直して、気取った態度を取り戻した。途端に姿勢を伸ばし、ガラガラと空いている席に気付かない振りをして、ドア前に立つ。これだけ空いているのだから座れば良いと、自分でも思う。けれど、まだ若い自分が座るのは何だかいけない気がする、変な見栄がむくむく湧いて、気だるげにドア横のポールに体重をかけるのだ。実際、町までは数駅越せば良いだけだから、体力に問題はない。そこまで考えて、何で座らない理由を探しているのかと、首を傾げた。
無駄な思考に、止め止めと首を振ると、丁度橋にかかり、下の川に自然と目が向く。ぬめった抹茶色が、一瞬キラリと翡翠色に変化した。上から圧迫をかけてくる黒雲に、一時、穴が空いた様だ。雲に隠れていたギラギラした日差しが水面に映り、途端に涼やかに輝く。ほんの数十秒の眺めに、内部冷房の冷たさが合わさって、一時、水の心持がした。ずっと眺めていたい程であったが、涼を得たものの、すぐに抹茶色に戻った流れが消える。
川の両脇にある林に突入した電車からの景色は、次の駅で人工物の景色に戻り、部活道具を持った学生たちが乗り込んできた。一時的に周囲がざわつくのだが、他に何も関心が持てない私は静かなものだ。何を考えているかといえば、次の次が目的の駅だと、ぼんやり目的地に思いを馳せているだけで、実のある事は何にも考えていない。ただぼうっと二駅越して、町に続く路面電車との接続駅に下りた。
即座に走り出すが、これは気持ちの問題。最近は切符を買わなくても、カードでピッピッで済んでしまうから、これまたギリッギリの路面電車の発車時間にも間に合う。
――チン。
鈴が鳴って、路面電車が出発すると、よくよく通う町までの見慣れた景色が続く。路面電車のすぐ横は、地元で珍しい両側二車線、三車線で、通勤時間にない現在、まばらに車が流れていた。凄く小さい神社前、交通局のビル、上り丘のような橋の上。何かしら新しい発見があれば楽しいモノだが、この景色は退屈だ。そんないつも通りの光景に運ばれて、中心区を流れる川を横切れば、町中、繁華街である。
路面電車を降りてすぐに、デンっと、亀屋。
私は、じめりとする熱気から逃れるため、大きなガラスの、重いドアにタックルした。瞬間、足元にすっと冷たい風が通る。目一杯の冷気を期待して、一歩踏み出した私は、しかし、かくっとバランスを崩した。
ぎょっと目を見開き、慌てて手足をばたつかせるが、この広いエントランスに掴まれる場所なんてない。そのまま落ちる。文字通り、足元の床が無くなって、落ちた。落下する感覚は体感で捉える前に消えたが、階段二段ぐらいを落ちた、あの衝撃が足に伝わる。
――おい、亀屋。一昨年の地震にも負けずに営業していると思っていたのに、欠陥工事とは何事だ!
足首を挫かなかった代わりに、どたっと尻餅をついた私の心は、叫んだ。
うっかりしていて階段を落ちたのだろう。考えた私はすぐに立ち上がったが、周囲を見渡しても人影がない。それどころか、周囲が薄ら霧がかり、よく見えない状況だと気付いた。そもそも今日は休日で、地元で有名な亀屋に、全く人がいないのはおかしい。
私は飛び起きる勢いで立ち上がり、大げさに口を開いた。
「なんねぇ、もう!」
鋭く叫んだつもりだが、語尾の「もう!」だけが続々と反響するだけ。周囲から失笑の一つでもあればまだ良かったのだろうが、辺りは人工灯の反射で明るいのに、シーンとしていて、飾り付けた冷蔵庫の内部みたいな印象を抱く。少しだけ打った右膝を気になって撫でていれば、私に声をかけてくる人物がいた。
「いらっしゃいませ」
声はかけられたが、さっと振り返った所、私よりも随分小さい。140cmぐらいの子どもではないかと、ぎょっとした私は、影形も人と違うと気付いて、半歩下がった。
「な、なななな、なんね、アンタっ」
大きいと言われた私の足よりもっと大きな靴に、不釣り合いな短い手足。全身は白い毛皮で、オーダーメイドしたかの様な、ぴったりした燕尾服を着た、大きなウサギが立っていた。長い耳が天に向かってぴんと立っていて、大きく響いた私の声を避けるように、ひゃっと動く。
「うさぎ堂の店主にございます」
きぐるみには絶対に思えない、大ウサギの登場に大慌てする私と違い、二足歩行の彼は、そう静かに頭を下げた。日本人の特性か何かなのか、お辞儀をされると、相手が奇想天外な存在でも何かしら親近感が湧いてくる。ちゃんと言葉をしゃべっているし、大丈夫だろうか。それに、周囲は亀屋の慣れた雰囲気だし、今言われた“うさぎ堂”は今日の目的地だし、混乱する頭のまま、私も繰り返す。
「う、うう、うさぎ堂!?」
今まで生きていて、しゃべる動物に出会った事もなければ、服を着た動物にも、こんなに大きなウサギに会った事もない私だ。明らかにおかしな状況なのに、外見が人でないだけではないかと、どちらがおかしいのかわからないまま、そう認識を始めた。
「はい。何をお求めでしょう」
大ウサギの声は、物凄く落ち着いていて、対応も丁寧だと見てわかる。私は明らかに相手に不信感を持っていたし、半分逃げ腰だったが、そう言われてぽろっと「金平糖ぉ」と答えたのは、この変な状況に頭が考えるのを止めたからかもしれない。
「承りました。少々お待ち下さい」
言って大ウサギは、いつのまにあったのか、背後の暖簾の、奥へ引っ込む。それまで亀屋のツルツルの床と、照明明りでビカビカしていた周囲が、手前ショーケース、奥が暖簾の掛かる棚壁と変化して、私は「えぇ!?」とまた大声を出した。亀屋のエントランスは広いから、よくよく声が響く。けれど、いつの間にか目の前に展開された店舗以外に変化はなく、当然、周囲に人影もない。
あぁ、私は、さっきの段差で転んだ時、頭でも打ってしまったのだろうと、漸く考えついた。これは、夢だ。だが、こんな深く体感してしまうような夢というのは、昏睡状態に見る、臨死体験の様なものではないのだろうかとも考え、一気に不安感と恐怖感が襲ってくる。とすると、このウサギとのやり取りで、今後が決まるのではないかと強迫観念に駆られて、私は押し黙った。
「お待たせいたしました」
そんな折、大ウサギが戻ってきたのを見て、私はまた混乱した。
「紫陽花?」
「『こんぺいとう』でございます」
「いや、紫陽花やん」
大ウサギが持っていたのは、鉢植えに入った紫陽花だった。普段見る四つの花弁がついた小さい花の集まりの奴ではなくて、花弁が八重になっていて、花火みたいに外側の花の茎が少しだけ長く外に出ている、最近花屋で見かけるようになった、シャレオツな感じのモノ。"隅田の花火"と言う種だと、どっかの爺さんが教えてくれた記憶がある。
あぁ、これは夢だと、私は確信した。しゃべるウサギに、お花がお菓子とか、不思議の国のアリスも真っ青の、おかしな夢だ。
「お味見されてみますか」
「はぁ」
きっとコレを食べないと夢が終わらないのではないかと、天啓のような考えが閃いた私は、曖昧に言って手を伸ばした。恐る恐る花を触るが、サクッと本物のような質感を受ける。とりあえず一つ手折れば、やっぱり植物を摘んだような感触を受けたし、匂いも何だか青臭い。大ウサギに促されるまま、舌先で突いたが、全く味はしなかった。
本当に、何て夢だろう!
大きなリボンとか、お花のレースとか、そういう少女趣味な気があると、我ながら感じてはいたものの、自分で身につける程こだわっていないし、何より似合わない。そう考えて気持ちの均衡を図っていたというのに、こんなファンシーな夢を見るだなんて、深層心理では求めていたのか。もしかすれば、瀕死の身かもしれないのに、随分と呑気なのかもしれない。
本当に、本当に、何て夢だろう!
「本当に、これ、食べっと?」
正直、夢ならば青臭い花ではなくて、バニラの匂いの砂糖花なら良いのに、私の脳の作る幻想は、これが限界なのかもしれない。戻ったら、脳の記憶を増やすべく、ばあちゃんに買って帰る金平糖を少し分けてもらおう、そうしよう。
「大丈夫です。それは『こんぺいとう』ですから」
ただ繰り返され、早く食えと言わんばかりの催促が入る。
少し待っても周囲に他に変化はないし、これはフラグだと自己暗示を繰り返す。大体、私は短気だし、私の帰りを待ってるばあちゃんなんかは、もっと短気だ。待たせたら不機嫌になるのだ。だから、と、私は手を合わせた。
「いただきます」
そこから、夢の中の私は、花を食べたのか、食べなかったのか、記憶にない。手を合わせて目を開けた時、私は亀屋のエントランスと外界とを隔てる、二重玄関の中、それも傘置きやら雑誌立てがある端の方に立っていて、はっと自我を取り戻したからだ。あまりに急に、再び状況が変化したものだから、重いドアを開けて、慌てて外界に出ると、ぶっと熱気を感じて引っ込んだ。
「はぁ?」
どうなっているんだこれはと、私が変な声を上げても仕方がないだろう。ただ、私が亀屋のドアを開けた時間からそれほど経っていなくて、ばあちゃんが不機嫌にならずに済みそうだと考えたのは、長年の癖だと思う。私は白昼夢に首を傾げて、もう一度、ガラス扉の外を見た。
「あ」
薄暗さに慣れた目が、ビカっと光の攻撃を受ける。あんなに分厚かった黒雲が細切れにされて、そこから溢れた強い日差しがアスファルトを燃やし始めた。私が目を向けたのは、15分越しに来る路面電車から人が下りたタイミングだったようで、私の目の前で、スーツ姿のお姉さんが、折り畳み傘を鞄に入れる。
瞬間、現実を確かめたい気分は持っていたが、それよりわざわざ暑い思いをする事の方が無駄に思えて、私は再び亀屋に入り、今度はきちんとエスカレーターを下って、地下のお菓子売り場に歩いて行った。祖母の話通り、ちゃんとうさぎ堂と看板のある店舗があり、ちゃんと人間の店員さんとやり取りをして、金平糖を手に入れたのである。
「何やったんやろ」
帰り道、夢での宣言通り、自分用の金平糖も買った私はそう言った。待ちきれなくて、一個だけ口に含む。鞄の中には、ばあちゃんに頼まれた分の金平糖の紙袋を入れて、大事に持っているが、自分のは別個にビニル袋に入れてもらったから、行儀悪くも、そこから取り出したのだ。
甘い、美味いと舌で転がしていると、何処かに反射した日差しが目にかかった。そして、ふと、足を止めたそこが、花屋の前だと気がつく。小さなバラや観葉植物に混じり、時期の紫陽花も並んでおり、「ふーむ」と眺めた私は、紫陽花の中に、シャレオツなそれを見つけて変な顔をした。
「『こんぺいとう』…」
植木鉢の根本のタグには、可愛い手書きの丸文字でそう書いてある。
「あのウサギ、嘘はついとらんかったんねぇ」
変な所を感心しながら、さらに視線を下に下げると、姫リンゴの隣に、緑のウサギ型のコケ玉を発見した。ますます私は変な顔をしたと思う。
「しばらく、ウサギは見とぅなか、かも…」
それとも、あの不思議な白昼夢は、熱中症一歩手前だったのだろうか。大きなガラスの、大変重たい亀屋のドアの内側から、ビカビカ眩しい太陽を窺い、私はもう少しだけ寄り道しようと決めた。
「きっと熱中症よ。マルカフェのコーヒー飲もっ」
そうして再び日差しに向かい、亀屋のドアにタックルする。むっとくる町の、沼の底の様な空気を吸い、私はタイミング良く青になった、横断歩道を走った。