第10話 魔王と娘
「ユーキよ、先ほどの活躍は見事であったな」
魔王が普通の言葉で喋った。
平常時の魔王はちゃんとしゃべることができるらしい。
玉座の間の中は松明やガス式ライトにより程良い明るさが保たれている。ゆらゆらと揺れるオレンジ色の照明を浴びて、魔王の表情は戦闘時とはうって変わって優しさにあふれているように感じられる。
魔王が僕を呼んだ理由はだいたい想像できる。しかし、僕はすぐにでも城を出て、妹の安否を確かめに交易都市マリールに戻らなければならない。どんなに説得されても折れるものか――と身構えていたのだが。
「ユーキよ、お前は人間。我ら魔族とは根本的に異なる相容れぬ存在。今すぐ城を出て人間の村へ降りろ。その間、我ら魔族はお前に手出しをしないと約束しよう。それが我が命と娘を救ってくれたせめてもの礼だ。」
「そんな、お父様……」
「アリシア、お前が魔族のことをそして私を心配してくれることは嬉しい。しかしアリシアよ……お前が我らが悪魔ルルシェに頼んだことは卑怯な天使のやり口と同じこと……天使の奴らは節操もなく異国から勇者を召喚し、使い捨てにしておる。そのような非道を我らが崇拝する悪魔ルルシェにやらせてしまったお前の罪は重いぞ!」
「で、でもお父様……」
「でもではない! まだ分からないのかアリ――ゴホッゴホッ」
「お父様――!」
魔王は咳き込み、アリシアは魔王のすねの部分に手を当てて心配している。
僕よりも一回り背が低いアリシアと、人間の倍ほどもある魔王では身長差があり過ぎる。
「何をしているユーキよ、早く行かぬか――ゴホッ!」
「ダメよユーキ、行ってはダメだからぁー!」
「ゆけ、行くのだユ――ゴホッゴホッ!」
「行っちゃダメなんだからぁぁぁー!」
「ゆくのだ――ゴホゴホゴホッ!」
なんだか低レベルな親子げんかみたいなものを見せられ、僕はげんなりとしている。そしてちょっと頭にきていた。
「僕を差し置いて勝手に話を進めないでくれよ!」
思わず出た言葉がそれ。
僕は機嫌が悪くなるとすぐに余計な一言が出てしまう。
「――なに!?」
「ご、ごめんなさいお父様、ユーキはちょっと混乱しているんです! ねえユーキ、今は少し黙っていてよ、お願い!」
何とか場を繕おうとするアリシアを無視して僕は言う――
「いーやーだー! 天使だの悪魔だの、そんなの僕には関係ないよ。そもそも僕は妹と一緒にここからずっと離れた交易都市マリールにいたんだ。でも気付いたら僕一人がここに飛ばされていて妹はいなくて……まったく訳が分からないんだけど!」
僕はこれまでの鬱憤を晴らすが如く、一気に不満をぶちまけた。
魔王とアリシアはなにやらひそひそ話を始めている。そして、
「あのねユーキ……あなたは悪魔と契約したことになっているのだけれど、覚えていないの?」
アリシアは困惑したような表情で言った。
そう言えば、マリーが男達に襲われかけていたあのとき、妹が助かるのなら悪魔に魂を売ってもいいと答えたような気がする。あれがもしかして……
「僕は本物の悪魔と契約していたのか!?」
「そうよ。あなたは悪魔ルルシェと契約してアタシたちの元へ召喚された救世主。あなたはルルシェ様に選ばれた勇者なのよ」
「はぁーっ!? 僕が勇者だって? 僕には何の力も無いというのに?」
「ユーキは大いなる力を授かったはずよ? 先ほどの戦いでもユーキは極悪非道で凶暴な人間からアタシ達を救ってくれたわ!」
「あれはたまたま偶然、ミュータスさんの聖剣に力が無くなって……」
「ユーキが剣を交えた瞬間に、たまたま偶然に、聖剣の力が無くなった――それ自体が大いなる奇跡だとは思わない? アタシはユーキに大いなる能力を感じたの。この気持ちはもう止められないの……」
この気持ちって、どんな気持ちなんだろう。
祈りを捧げるように手を組んだアリシアが、1歩、2歩……と僕に近づいてくる。
ワインレッドの瞳を潤ませて……
な、なにこの展開は? 僕、いま告白されているのー!?
『いい加減にせぬか、アリシアよ!!』
「ひいぃぃぃ――!」
アリシアのお父様がご立腹である。戦闘モードのときのように激しい空気の振動と共にうなり声を発し、僕の脳に直接メッセージが聞こえてきた。それにしてもアリシアは僕よりも大きな悲鳴を上げていたけれど、この二人は一体どんな親子関係なんだろうか。
「良いかアリシア、この男は人間だ。たとえ今は良くても必ず我らを裏切るに決まっているのだ。たとえ悪魔ルルシェの導きだとしてもこの私が許さん! 今すぐ――ゴホゴホゴホッ!」
「お、お父様ぁぁぁ――!」
魔王が血を吐き、アリシアが駆け寄る。
僕がこれまで懐いていた魔王のイメージとはいささか異なる魔王とその娘――
「僕は一体、何をしているんでしょうか……」
独り言を呟きながら天井を見上げると、中から見える塔の先端部は真っ暗だった。
陽はすっかり落ち、波乱の1日が終わろうとしていた。




