始まりは突然に
少年は固いものを下に感じて目を覚ました。
そこは廃墟の中。ひび割れた石造りの壁の隙間から差す光に思わず目を細める。少年は立ち上がり、ぐっと背中を伸ばすと節々が小気味いい音を立てた。
ここは魔物によって滅びた国の跡。かつては栄えていたのだろう、所々にそびえる傾いた建造物が当時の繁栄を窺わせる。しかし長い間雨風に曝され傾いたそれらには蔓が絡み、まるで締め上げるかのように巻き付いている。
壊れ、寂れ、温度のない人工物の衰微に反比例するように植物の繁茂する土地。そんな死んだ場所に人々は身を寄せ合い、魔物の襲撃に怯えながら細々と生活していた。
そして暗い茶色の髪に薄青の瞳をした少年、フィム・フィリカはこの未来の無い土地で生まれ育った。フィンは親の顔を覚えてはいない。彼がまだ小さい頃、大規模な魔物の襲撃の際に両親は魔物から自分を庇って死んだのだ。彼はそのことを引き取ってくれた老爺から聞き及んでいた。だがその老爺も数年前に病で逝った。
それからというもの、文字通り一人になったフィンは住んでいた家も追われ、こうして誰も使っていない廃墟で暮らしている。
――さて、今日はどこから貰おうかな。
ガラスだけ抜け落ちた窓から見える外に目を向けながらフィンは考える。
もちろん今のフィンに食料を買う金があるはずもなく、毎日店先から少しだけ頂戴するのが彼の日課になっていた。
フィンはけして気が強いほうではない。それでもやるのは、やらなければ生きていけないから。
今にも崩れそうな廃墟から出てフィンは露店が並ぶ場所へ向かう。
行き交う人々の表情に明るいものは一つも無い。露店に活気があるはずもなく、店先に並ぶ品も粗末なものばかり。
フィンはここ数日の間、食べ物にありつけていない。そもそも店で買い物をする者が少ないのだから、盗もうとすればどうしても目立ってしまう。だが今日こそは腹の虫を黙らせることができそうだった。
なぜならこの村に珍しく冒険者が立ち寄っていたからだ。
フィンは冒険者たちが買い物をする時を窺いながら後を付いていく。そんな彼の耳に冒険者たちの会話が届いた。
「やっぱ冒険者になって正解だな」
「あぁ、弱い魔物を選んで倒すだけで金が貰えるんだ。こんなところで金を使えるくらいには余裕があるもんな」
「手強いのはだいたいあいつが倒してくれるしよ」
「良いじゃねえか。おかげで強い魔物に出くわすこともないんだし」
「それもそうだな」
ガハハ、と冒険者たちが大きな笑い声をあげる。
――衣食住完備の上に報酬もある?
その言葉が聞こえたとき、フィンの足は止まっていた。
近くに交易の中継地として栄えている国がある事、その国では冒険者という職業があるという事はフィンも風の噂で聞いたことがある。
――あの人たちに付いて行こう。
そう判断するまでにあまり時間はかからなかった。フィンは来た道を引き返す。腹の虫にはもう少し我慢してもらうことにした。
――国に行こう。冒険者になろう。ふかふかのベットで寝るために。美味しいご飯をたらふく食べるために。お金を得るために。
フィンはこの日、冒険者になる決意をした。そして同時に村を出る決意もする。家もなければ身寄りもいない彼にすれば即決なのも当然であった。そしてフィンは冒険者と共に村を出た。そして無事、数日後に国に着く。
だが国に着き、そのまま冒険者になれる――はずもない。短絡的かつ不純な動機で冒険者を志したフィンが壁にぶち当たるのはそう先のことではなかった。
*****
――僕は何をしているのだろう。
フィンがこの国に何の考えもなしに来て三日経った。元いた場所とは比べ物にならないほどの活気、人、物に初めは圧倒されていたフィンであったが、それにも徐々に慣れつつあった。
フィンは薄暗い路地に座り込み、通りを行く人々を目で追いながら考える。
――この国に来て分かったことは三つ。一つ、冒険者になるためには試験に合格する必要があるという事。二つ、その試験が一ヶ月後にあるという事。そして三つ……。
「その試験が終わったら、次の試験は一年後……」
道端で拾った冒険者採用試験について書かれたチラシを見つめながらフィンはうなだれる。
――はは……そりゃそうだ。報酬が出るってことは、冒険者にはそれなりの実力を求めるのが普通だよね……。
独り言つフィンに腹の虫が返事をする。別れ際に冒険者から分けてもらった食料も昨日で尽きた。
どうしたものか、とフィンは考える。試験が一ヶ月後ということは、それまでこの国で生活しなければならず、一ヶ月も腹の虫を鳴かせっ放しという訳にもいかない。
雨風を凌げそうな場所はとりあえず確保したから、あとは水と食べ物の問題。さらには相応の実力を身につける必要がある。やることは山積みだ。
フィンは自分でも決して気が強くないと思っている。だが今までの生活の影響なのか、ここぞという時の行動力だけは無駄にあることも分かっていた。
――じっとしていても始まらない。食べ物を探しに行こう。
フィンが腰を上げると日の出から三回目の鐘が鳴った。最初に聴いた時は何事か、魔物が来たのかと慌てたが、三日も経てば慣れた。しかもどうやら一定の間隔でなっているらしい。この鐘にしろ、夜の明るさや道行く人々の多様な姿、何もかもがフィンには新鮮だった。
狭い路地から出て様々な種族が行き交う通りに出る。ただこの光景に慣れるにはもう少し時間がかかるかな、とフィンは思った。
この国には中心から伸びる大きな通りが八つある。通りは北から順に時計回りで一番通り、二番通り……となっていた。
フィンは食べ物を求めてぶらぶらと六番通りを歩く。この通りでは右にも左にも村では見たことの無い物ばかりが並んでいた。
右には老父の狼人族の肉屋。左は巨人族がとかく巨大な食料を売っている。
――さすがにあの辺からはもらえないな。捕まったら逆にこっちが取って食われそうだ。
自分が食い物にされる光景を想像してフィンは身震いする。
目ぼしい店を探している内に一つの惣菜店がフィンの目に入った。店主は人族のようである。
フィンは人ごみに紛れて店に近づくと、他の人の陰に隠れて商品を手に取り、店主が目を離した隙に逃げ……。
「うわっ」
……ようと、走り出そうとした瞬間、固い何かにぶつかってフィンは尻餅をついた。
尻餅をついたフィンにヌッと影が落ちる。フィンがイタタと尻をさすりながら目を開けた先には布を纏った壁があった。それが何なのか考える前にフィンは首根っこを掴まれて持ち上げられる。
「え、ちょ……うわぁぁあ!」
「よぉ坊主。面白そうなことしてんじゃねぇか」
独特の訛りがあるしゃがれた声。シュルルと細長い舌を出し入れしながら不敵に微笑むトカゲ顔。フィンの背丈の倍はありそうなほどの巨躯。
何を隠そう、フィンを軽々と持ち上げたのは彼だった。
「さっき何しようとしてたかちょぉっと教えてくんねぇかな?」
――あ……食われる……。
縦長の瞳孔に映る自分を見た瞬間、フィンはそう確信した。
そしてフィンの意識はそこで途切てしまった。
「お、おい坊主!」
持ち上げた少年が気絶してしまったことに彼は驚きの声を上げる。
通りのど真ん中で大柄な男が少年を揺さぶる姿は、さながら少年を脅しているようにも見えた。
周囲の視線に居心地の悪さを感じた彼はたまらず細い舌で器用に舌打ちをする。ここに置いておくわけにもいかず、彼はその少年を肩に担いで連れて行くことした。
*****
「んんっ……」
「おう起きたか」
――……できるならばもう一回気を失いたい。
目を覚ましたら目の前には大トカゲがこちらを見ているという状況に、フィンは現実逃避をしたい気分になる。
「あの……ここは……?」
フィンは体を起こしてあたりを見回しながら聞く。
フィンが寝かされていたのは狭い室内だった。寝かせる場所を作るために書類や栓の開いた酒瓶などが雑多に転がっている。壁には大振りの槍が一本、立てかけられていた。
「ここは門番の詰め所だ。まぁ詰め所って言っても俺の小屋みてぇなもんだがな。
お前を持ち上げたら急に気ぃ失いやがって、仕方なくここに運んでやったんだよ」
椅子にドカッと腰を下ろして大トカゲが言う。どう見ても彼の体格に合ってない木製の椅子が悲鳴を上げた。
「で、だ。話を聞かせてもらうぞ。ま、何をしようとしてたかはお前の身なりで察しがつくがな。
間違ってたらいけねぇから、一応話は聞いておこう」
フィンは諦めたのか、「察しのとおりです」と言う。
「なんだ言い訳しねぇのか」
フィンは黙って首肯した。
「カカカ、いいねぇ。正直な奴は嫌いじゃない。困ってることがあんなら聞くぜ?
っと、その前にまずは自己紹介か。俺はゴート。この国の門番だ」
ゴートに続きフィンも名乗る。
「僕はフィム・フィリカ。『フィン』でいいです。それで、えぇとですね……」
フィンは自分はこの国に来たばかりだという事、一か月後に控えた試験に合格して冒険者になりたいのだという事、そして食べ物に困っていう事などをつらつらと語った。
「……という訳です」
フィンの話が終わると、ゴートは身を揺すりながら笑った。
「ふ、ふははは……はははははは……こんな面白い話は、くく……久しぶりだははは」
狭い小屋にゴートの笑い声が響き渡る。体の大きさに同じく、笑い声も大きい。フィンはたまらず耳をふさいだ。
「それじゃお前は何だ、冒険者になるためにこの一ヶ月で実力をつけなきゃいけないが、まずは腹の虫も黙らせなきゃいけねぇと。
くく……いやぁ笑えるぜ。
よし、気に入った。試験までの一ヶ月、俺が稽古をつけてやるよ。この詰め所もお前が好きに使え。食料は俺が持ってきてやる。あとは……その身なりをどうにかしねえとな」
目尻に溜まった涙を拭いながらゴートは言う。
「服はソーサリーから適当に持ってくるとして……あぁそれと得物も必要だな。扱いやすい短剣でも持ってくるか。
フィン、俺は着替えとかいろいろ持ってくっからお前はその間にシャワーでも浴びとけ」
「え、あ、はい……」
とんとん拍子で話を進めるゴートにフィンは置いてけぼりにされる。
「そんじゃ俺はちょっくら行ってくるからな」
「あ、ありがとうございます。でもなんでこんな良くしてくれるんですか?」
「んーまぁなんだ、俺の気まぐれだ。けど時間は限られてんだ、ビシバシやるからな?」
「は、はいっ!」
何度も頭を下げてお礼をするフィンをゴートは軽くあしらって出ていく。
――人生、何があるか分からないもんだな……あとは僕の頑張り次第か……。
巨漢がいなくなり広く感じられる部屋でフィンは思う。
――朝には問題が山積みで、盗みを働こうとしたら大トカゲに捕まり、食べられると思って気を失ったらそのトカゲが助けてくれて、果てには彼が山積みの問題を解決してくれた。
ゴートの恩に報いるためにも、何としても合格しなければ。そう思うフィンの拳には自然と力が入っていた。
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