望みと願い(3)
「エイファ! エイファ!」
フィンは声を荒げて駆け寄る。
「うっ……ぐぁ……ぁァアア!」
エイファは頭を抱えて身を捩り、歯を食いしばって耐えていた。
「エイファ! しっかり!」
「それよりも……今はあいつを……」
赤く充血した眼は炎に囚われた獣へと向けられ、震える白い手は対魔特化剣を掴む。
「それは僕がやる。少しなら対魔特化剣を持てるから。だからエイファはそこで安静にしていて」
フィンはエイファの手からそっと鈍剣を奪い取る。手にした瞬間に魔力が吸われ力が抜けるが、フィンは残りの魔力回復薬を飲むことで何とか持ちこたえた。
「すぐに戻るからね」
そう言ってフィンは対魔特化剣を持って灼熱の牢へ近づく。一歩、二歩と足を動かしやがて走り出した。
「はぁああっ!」
身を低くしながら一直線に駆け、フィンは獣に肉薄する。近づくにつれて高温の熱風がフィンの皮膚を舐めた。
フィンは迷う事無く燃え盛る炎に身を投じ獣の顔面に対魔特化剣を突き立てる。
「うぉぉおお!」
「グァァアア!」
雄叫びと断末魔が重なる。体が爛れていく感覚に襲われながらもフィンは剣を押し込んだ。
キンッとした感触が切っ先から手に伝わる。すると獣はその姿を見る見るうちに灰へと変えていく。魔物の体内にある魔導石を直接破壊したのだろう。それと同時に周囲を囲んでいた炎も消えさった。
「ガ……グォ……」
醜く膨れた体躯は灰となり、声を上げただけでボロリと崩れていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
剣から手を離しフィンは肩で息をする。気管も火傷を負ったのか、なかなか酸素を取り込めなかった。フィンは回復薬を浴びるようにして全身に掛け、もう一本を一息で飲み下してエイファの下へ急いで戻る。
地面に横になった彼女はいくらか落ち着いた様子であった。
「フィン……」
エイファは戻ってきたフィンを見て弱々しい声を出した。
「エイファ。大丈夫? 急いで――」
――戻ろう、とフィンは言えなかった。
エイファを連れ戻すという事は、すなわちエイファをソーサリーに明け渡すことに他ならない。
「見苦しい所を見せたわね。たぶん魔力の急激な減少と増加の繰り返しに体が耐えられなかったんでしょう」
「そんな……それじゃあ……」
「いいえ、フィンは悪くないわ。私はフィンに助けられたんだし、フィンのおかげで強化種は倒せたんだもの。フィンのせいなんかじゃない」
エイファはそう言うと、くいくいとフィンを手招く。
「どうしたの?」
「ちょっと起こしてくれない?」
「あ、あぁ」
「んっ……ありがとう」
フィンの手を借りてエイファは上半身を起こす。フィンはその隣に胡坐をかいて座った。
「ちょっとの間、こうさせて」
エイファは隣に座るフィンの肩に頭を預ける。
「ねぇフィン」
「ん?」
「戻りましょうか」
「え?」
「国に戻りましょう。ソーサリーが帰りを待ちわびてるわ」
エイファは皮肉たっぷりに言った。
「帰りましょ?」
「…………」
フィンは押し黙る。どう応えるのが正解なのかわからなかった。
「私は人間じゃない。魔物を倒すためだけに生み出された兵器。
遅かれ早かれソーサリーに利用される運命だったのよ」
フィンの肩に頭を預けたまま、エイファは遠い目をする。
エイファが魔法の扱いに長け、歳に見合わぬ強さを誇っていたのは、対魔物の最終兵器として開発されたから。好奇心が旺盛でいろんなものに興味を示したのは、多くの情報を効率よく集めるための副次的なものに過ぎない。
「だから私は戻らなきゃいけないの。私の前に死んでいった二人のためにも」
テーレムとリルカの死。それを元にエイファは造られている。
「お願い。私を連れてって」
荒原には二人の影。魔物の残骸が灰となって少しづつ動いていく。
「今日は随分と濃い一日だったね」
「え?」
「野宿していたら強化種と遭遇して、逃げ切ったと思ったら獣型の大群に足止めされて、なんとか切り抜けたと思ったらエイファが意識を失って。
それでソーサリーに戻ったらエイファが兵器だって教えられて、それだけでも頭がどうにかなりそうだったのにテーレムもリルカも兵器だって知って……」
「そうね」
「……エイファは戻りたいの?」
フィンも遠くに目をやりながら聞く。
「戻りたい、戻りたくないじゃない。戻らなきゃいけないの」
「……そうか……エイファは強いんだね」
エイファは顔を涙で濡らしていた。フィンの肩に縋るようにして嗚咽を堪えている。
「そうなる運命だったとか、そうしなくちゃいけないだとかは関係ない。エイファはどうしたいの?」
「ひっぐ……そんなのっ……決まってるじゃない……。んっ……兵器に何かなりたくないわよぉ……」
年端もいかぬ、普通の少女の願いだった。
「兵器として戦うためだけに生きるなんて嫌だ……ぐすっ……そうしたら、今までの記憶は消される……。
フィンと一緒に冒険したことも、フィンと一緒に戦ったことも……フィンを好きだって気持ちも……」
堰を切ったように言葉と涙があふれ出す。
「そんなの嫌だ……でも私はもうすぐ死ぬ……背中の痣はもう全面に広がってると思うし、さっきだって私が私じゃなくなるみたいだった……転化までの猶予がもうないのは自分でもわかる……」
一度あふれだしたものは止める事が難しい。
「……ねぇフィン、うぐっ……私……魔物になんかなりたくない……なりたくないよぉ……」
少女は今までため込んでいたものを全部吐き出すようにして泣く。青年はそんな少女の頭を優しく撫でることしかできなかった。
*****
どれくらいの時間が経っただろうか。どれくらいの時間、涙を流していただろうか。どれくらいの時間、頭に手をやっていただろうか。
「フィン」
「なに?」
「私、いい事思いついたの」
フィンは無言で続きを促す。
「私は兵器にもなりたくないし、ましてや転化なんてしたくない。私が私でいる内に、フィンへの好意を持ったまま死ぬのが一番なんじゃないかって」
エイファは泣き疲れたのか、目を半開きにしながらそう言った。
「他の選択肢はないのかな……」
「もし仮にあったとしても時間が無いわ。だってもう転化の症状が出てるんだもの」
「え?」
「設定されている昔の記憶が思い出せなくなってるの。どんどん記憶が消えていってる」
転化の症状、それは記憶の喪失から始まる。次いで自我、人格の崩壊が起こる。
「私、痛いのは嫌いだから」
体が異形のそれとなる際には激しい痛みを伴うとされている。骨という骨が軋み、形を変え、時には肉を突き破って骨が出てくる。
フィンもそんな姿のエイファは見たくない。
「だから、フィン。
――私を殺して」
フィンの手に、隣に座るエイファの手が重ねられる。武骨な手の上に置かれた手は蒼白だった。
「僕は……僕には……」
フィンはエイファが出した答えに頷くことも、否定することもできない。改めてエイファの置かれた状況は酷いものだと認識する。
――進むも地獄、退くも地獄。僕は一体どうするのが正解なんだ……。
「はは……」
自分に呆れたような、そんな笑い方だった。
「僕はエイファを助けるなんて言っておきながら、結局助ける事なんてできなかった。
エイファを殺すために来たんじゃないのにな……」
すでにフィンの中でも答えは出ていた。自分が取るべき行動は何なのか、意識の底ではわかっていたのだ。しかしフィンのエイファに対する感情が、それを認める事を拒んでいた。
「フィン、お願い。私が貴方の事を覚えている内に、私を殺して」
「エイファ……」
細い腕がフィンの腰から短剣を抜き取った。かつて愛するものを殺めた短剣はどす黒い赤で染まっている。
――あの時の絶望は今でも忘れない。
隣を歩いていた女性はいきなり苦しみだし、ぼこぼこと体が作り変えられていく光景をただただ眺める事しかできなかった自分。
――もっと早くリルカの異変に気づいていれば救えたかもしれないのに。
大切な人の命を奪った剣で、またしても大切な人の命を奪う事になろうとは。
「フィン……こっち向いて」
小さな手がフィンの頬に添えられ動かされる。
目の前には目を瞑ったエイファ。長い睫はふるふると震えている。そして唇に伝わる柔らかな、それでいて弾力のある感触。
「んんっ……」
「ん!?」
陥没し、焼け焦げ、そこらじゅうに灰が舞う大地はここで起きた戦いの激しさを雄弁に物語っている。そんな戦場に映るのは二人の影のみ。しかし頭部は触れるように重なっていた。
今回も読んでいただきありがとうございます。
次回が最終回になるかと思います。最期まで見届けていただけたら幸いです。
それでは。




