事情
朝日が昇るとともに街の中央にある白塔の鐘が鳴った。お飾りの低い外壁から太陽がすぐに顔を出す。
この国は塔を中心に八方向に伸びた大通りがあり、それらを繋ぐように路地がめぐらされている。上から見るとあみだのようであった。
「ちちち……」
「ん……」
小鳥のさえずりと窓から差し込む光で暗茶色の髪をした青年が目を覚ます。
「ここは……」
木の板を張り付けただけの床と壁。ほとんど空のクローゼット、申し訳程度の机と鏡。白で統一された寝具。簡素な部屋であった。
部屋の中にほとんど物が無いせいで実際以上に広く感じられる。
「僕の部屋……」
ぼやける視界を治すように目をこすり、青年は寝台からはい出る。そこで青年は机の上に一通の手紙があることに気づいた。さらに手紙の傍にはきれいになった衣服とポーチ、刃が赤く染まった短剣が丁寧に置いてあった。
その短剣を視認した途端、青年は激しい眩暈に襲われた。思考の回路に激しく電気が流れ視界が明滅する。慌てて手紙を取り便箋を抜き出した。
――フィム・フィリカ殿
お目覚めになられましたら「ソーサリー本部」までお越し下さい。
また勝手ながら昨日の衣服は洗濯させていただきました。
「ウッ……」
羊皮紙に綴られた文字を見て青年の脳裏に昨日の出来事が蘇る。たまらず吐き気を催すが、何とかこらえた。しかしその間も頭の中ではガンガンと音が鳴っていた。
――とにかく急いで行かなきゃ……。
ただそれだけの思いに突き動かされて、青年は急いで支度をする。机の上に置いてあった衣服を手に取り着替え、ポーチと短剣も装備しつつ頭の中に地図を描く。
ソーサリー本部は街の中心から少し西の所、この冒険者用の宿舎は街の東側。ちょうど反対側である。
青年は着替え終わると同時に言葉を唱える。
「風よ」
そう呟くと勢いよく窓を開ける。朝の風がフィンの髪とカーテンを揺らす。そのまま窓の冊子に足を掛け、彼は躊躇いなく飛び降りた。
*****
この施設は冒険者用の宿舎。施設は五階建てで、個別のシャワールームやちょっとした娯楽施設や酒場も中にある。施設の管理、運営はソーサリーが行っていた。
追加情報として青年の部屋は四階。並の者が飛び降りればただでは済まない高さだ。
青年の髪が風に流され逆立つ。視界が急速に降下する中、青年は隣の建物の高さを見極めて壁を蹴った。
無事に屋根の上に着地。そしてそのままの勢いを殺すことなく屋根を踏み抜く。
朝から大通りは賑わっていた。その上を青年はしなやかに、素早く、なるたけ目立たないように走る。
屋根の上で羽休みしていた鳥が青年に驚き飛び立っていく。四歩で一つの屋根を渡り切り次の屋根へと移る。目の前の壁を超えるため、青年は脚に力を溜め上に飛んだ。見える景色が一段高くなった後、体の中が持ち上げられたような浮遊感を覚える。
そして地面に着地。と同時に膝を曲げて前に転がりながら、運動エネルギーのベクトルを転換して路地に入った。
――曲がり角は壁を蹴って。
――そのままジャンプでまた屋根に。
――飛び越えられないなら手前の路地の塀を伝って。
青年は一度も止まることなく早朝の街を風の様に走り抜けていく。部屋を出る前は混乱していた頭も今は冴えていた。走っている間は昨日の事について考えなくて良かったからだろう。
そしてものの五分ほどでソーサリーに着いた。
それはそれなりに高さのある建物。度重なる爆発により様々な物で修復、補強されたため、本来は灰色だったはずが赤や黄、オレンジやピンクといった色で継ぎはぎされたような奇抜な外見をしていた。
そんな奇天烈な建物の入り口には軍服姿の爬虫類人族が立っていた。
「よぉフィン。体は大丈夫そうだな」
「おはようゴート。昨日はありがとう」
目を細めて挨拶してくる爬虫類人族――ゴートにフィンと呼ばれた青年はいつものように返す。
「なんだ覚えてんのか」
「なんとなくね」
「まぁ積もる話は後だ。ソーサリーの上の連中が昨日の事を聴きたいそうだから」
ゴートは顎で建物を指すと中に入っていった。
フィンも黙ってゴートについて行く。気が滅入りそうな自分を叱咤するように頬を叩き、フィンはソーサリーの中に足を踏み入れた。
*****
中は閑散としていた。石でできた壁や床には石独特の模様が浮かんでいる。正面奥には窓口と受付嬢がいた。ゴートはそれらを無視して通り過ぎ、上へ続く階段を登っていった。フィンも黙ってゴートについていく。小さな足音でも石造りの建物の中では良く響いた。
二階には、一階とは違い部屋の中央に大きな半円のテーブルがあった。円の弧は部屋の奥側へ向き、そこにソーサリーの役員と思しき人達が五人座っている。
「ほら、お前の出番だ」
ゴートの言葉にフィンは頷きテーブルに近づく。
好奇を隠そうともしない視線にフィンは居心地の悪さを感じる。
「フィム・フィリカです。部屋に手紙があったんですが……」
フィンはそれだけ言うと、他に何を言ったらいいかわからず黙ってしまう。
呼び出されて来たのだから当然と言えば当然だ。
「わざわざ朝早くからすみません。私はソーサリー冒険者管轄代表のシルビィです。そして残りの方々はソーサリーの役員になります」
そう挨拶したのは五人の真ん中に座っている女性。彼女は申し訳なさそうに微笑んでいた。
背中の中ほどまである金髪とエメラルドの瞳。彼女は五人の中で唯一の女性だった。そのためか彼女の美しさがより際立っているようにフィンは思った。自然、フィンの視線は彼女の特徴的な部分へ向かう。
「あぁ私、ハーフエルフなんです」
「あっ! いえ! すみません……」
フィンは彼女の耳を注視してしまったことを恥じて謝った。
エルフと人の混血――ハーフエルフ。
魔物によって森が荒らされ、エルフという種族は住処を失った。
本来、エルフという種族は他種族との交流を避けるが、子孫を残すため仕方なく人と交わったことで生まれた種族。それがハーフエルフという種族である。それに伴い、今では純粋なエルフはほとんどいなくなってしまった。
しかし半分とは言ってもその特徴は色濃く受け継がれている。容姿端麗で聡明なものが多く、特徴的な長い耳を持っている。また、他種族に比べて長寿なのも特徴の一つであった。
「気にしないでください。慣れていますから」
その手の事に慣れているのだろう。シルビィは寛容な笑みを浮かべた。
「それでは本題に入りましょう」
一変、さっきまでの緩やかな雰囲気は消え去り、彼女の表情は冷たささえ感じるものになる。
その変わりようにフィンも気が引き締まり、表情を固くする。ゴートは壁に寄りかかって成り行きを見守っていた。
「貴方は昨日、冒険者――リルカ・ファルネルと外に出ましたね?」
凍えるような声音でシルビィが聞いた。
「はい」
フィンは迷うことなく答える。
「彼女が未だに帰ってきていません。そうですね? ゴート」
「あぁ」
事実確認をするようにシルビィがゴートに問う。ゴートはそれに短く答えた。
「なぜ彼女が帰ってきていないのか、貴方なら分かるはずです。外で何があったのか教えてください」
「……」
「どうして黙る。何か言えない事情でもあるのかね? ん?」
黙るフィンにここぞとばかりに髭を蓄えた男が問い詰めてくる。同様に他の役員も疑惑と疑念の視線を容赦なくフィンに向ける。
「……」
それでもフィンが黙っているとシルビィはため息をついた。
「それでは質問を変えます。単刀直入に、リルカ・ファルネルを殺したのは貴方ですか?」
もはやそれは質問ではなかった。答えを知っていて、ただ相手を頷かせるためだけの言葉だった。フィンは痛みに耐えるように顔をしかめ、静かに答える。
「……そうです。僕が……リルカを殺しました」
腹の底から絞り出すような声だった。その返答に役員たちはどよめき、ゴートも苦い表情をする。
「なぜ……と聞いてもいいですか?」
「答えたくありません」
「そうですか……」
フィンは床の一点に視線を固定して言う。
――答えられない。答えられる訳がない……。
「分かりました。それでは今日は帰っていただいて結構です。後日また呼び出しますので頭に入れておいてください。
因みに次に呼び出すまでの間、監視を付けますからくれぐれもおかしな行動は取らないように」
シルビィは目を瞑りながらそう言い放つ。
「ゴート、彼を送ってください」
「あいよ。行くぞフィン」
シルビィの指示にゴートは素直に従う。
ゴートはその場から動かないフィンを引っ張って部屋を出ていった。
*****
「シルビィ殿。彼を拘束しなくて良いのですか?」
二人が出て行ったあと、部屋にはシルビィを含んだ役員たちが残っていた。
「えぇ。監視も付けますし大丈夫でしょう。それにあの様子なら何かしようとも思わないでしょうし」
「監視は誰を?」
「そうですね……私の部下にやらせましょう。今日はお疲れ様でした。解散とします」
そう言うと役員たちは部屋を出ていく。照明が消え、薄暗い部屋にはシルビィだけが残った。
「そういうことだからお願いね」
彼女は虚空に向かってそう伝える。エイファの座っていたテーブルの下には幾何学的な模様をした円が浮かび上がっていた。遠隔地において同様の魔法を使っている者との通信魔法である。この魔法はフィンへの質問が始める時から発動していた。もちろんこのような行為は処罰の対象になる。
魔法の向こうにいる相手もそれを咎めるように何か言った。しかし、シルビィは「見つからなければいいのよ」と軽やかに言い、部屋を後にした。
……はい。続きです。
何とか書けました。といっても話が大きく進んでいる訳ではないですが……。
頑張ります。
今回も読んでいただきありがとうございました。
それでは失礼します。