望みと願い(2)
――あれは……獣型の群れ?
走るフィンの目に黒一色が飛び込んできた。そしてその奥に漆黒の獅子と、それに一人で立ち向かう少女の背を捉える。
しかし様子がおかしい。エイファは片腕を力なく下げ、肩口から血を流していた。それを見たフィンは激情に駆られる。走りながら短剣を右手に、スペアの銀のダガーを左手に持つ。
獅子が大口を開けてエイファに迫る。エイファは腕一本で対魔特化剣を構えようとする。世界の流れる時間が緩やかになったようにフィンには思えた。
獅子の動きに合わせて収縮する肥大化した筋肉、揺れるエイファの真紅の髪、有象無象の獣型の呼吸の動き。そのどれもが鮮明に映り、次の行動が読めるほど。
そしてフィンは、激情から来る集中力が見せる世界の中で唱える。
「風よ」
ごく僅かな言葉の詠唱。使う魔法を限定した上での詠唱は少ない魔力量での魔法発動を可能にする。強くなるため、共に戦うために編み出したフィンだけの技術。
風を纏い跳躍。獣型の垣を超えて獅子とエイファの間に割って入る。着地と共に振るった二つの剣閃は完全な奇襲となった。
意識の外から刻まれる裂傷は、さながら鎌鼬の如く。
「間に合った……」
そこで世界は速さを取り戻した。
「グォァアアア!」
不意打ちで顔を切り込まれた獅子は動きを止め、天に向かって吠えた。その隙を逃すはずもなく、フィンは追撃を仕掛ける。
息つく間もなく赤と銀の斬撃を叩き込む。風を纏った二振りの得物は分分厚い筋肉に引けを取らなかった。獅子がフィンを止めようと無造作に爪を振り下ろす。
――片目が潰れてる……なら!
フィンは爪を避けながら獅子の死角に回り込み、流れるような連撃を打ち込む。一つ、二つと獅子の体に傷が増えていく。再生が追い付かないほどの斬撃の嵐。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
裂帛の声と共に剣は加速する。
――もっと、もっと、もっと速く!
避けざまに逆手に持ったダガーで斬りつけ、常に死角に入るように立ち回り、止まることなく斬撃を放つ。と、獅子が抵抗を止めて息を吐き始めた。深呼吸の前にするように、体の中の空気を出し切っている。
「まずいっ!」
フィンは攻撃の手を止め、すぐさまエイファの下へ戻る。
「エイファっ!」
フィンはポーチから取り出した回復薬をエイファに投げ渡し、自分も魔力回復薬を喉に流し込む。
エイファはそれをキャッチすると傷口にかける。傷口は徐々に塞がっていくが、エイファは激痛に顔をしかめた。
「フィン……」
「いろいろ話したいけど今は伏せて! あれが――」
――来る。
フィンが言い終える前に獅子が吼えた。
いや、吼えるなど生ぬるい。もはやそれは爆弾だった。音など感じない、単純な衝撃。
「ぐぁぁぁぁっ!」
「きゃぁぁぁっ!」
フィンはエイファに覆いかぶさるようにして地面に伏せるが、地面を砕くほどの衝撃に二人は呆気なく吹き飛ばされてしまった。周りを囲っていた獣型魔物も吹き飛ばされ、衝撃の直撃を受けた個体は歪にひしゃげて灰へと姿を変えていく。
「エイファ、大丈夫?」
衝撃が行き去った後、フィンは自分の下にいるエイファに尋ねた。
「なんで……なんでなんでなんで来るのよ!」
エイファは激昂した。
「私の帰りを待っててって言ったでしょ!? なんで来たのよ! 私はフィンを守るために戦うって言ったのに、なんでその貴方が来るのよ……そんなことしたら――」
――決めた心が揺らぐじゃない……。
目に溜まった熱いものを見られないように、エイファは腕で顔を隠す。
「ごめん……だけど居ても立ってもいられなくて」
フィンは困ったように笑いながら言った。
「それにエイファは僕を助けてくれた。命を救ってもらった。生きる理由を与えてくれた。……僕がエイファを追いかける理由はそれで充分だ」
フィンはエイファの腕を静かにはがす。その下には濡れた瞳と火照った頬があった。
「なにより泣きそうな顔をして飛び出してったら、追わない訳にはいかないでしょ?」
「またそういう事を平気で言う……」
エイファは腕で顔をごしごしと擦りながら言う。
「この女たらし! それといい加減どきなさいよ!」
「あ、あぁごめん」
フィンは思い出したように慌てて上から退き、手を引いてエイファの体を起こす。
「まぁ一応ありがとうって言っておくわ。実際、危ない所だったし」
「どういたしまして……で、どうするかだね」
フィンは言葉と共に獅子へ目を向ける。そこには醜く膨れた漆黒の獣がいた。フィンの連撃で再生機能に異常をきたしたのか、体中に瘤が出来たような様相だ。
――あれなら素早く動くことは出来ないかな。だったら魔法で動きを封じて対魔特化剣を突き刺せばいい。
そしてフィンはエイファに視線を戻した。
――正直エイファが押されているとは思わなかった。なんでだ?
フィンはその疑問をエイファに投げかけた。
「エイファ、どこか調子が悪かったりする?」
「魔法を使いすぎたんでしょうね。ちょっと胸の辺りが痛くて……それで集中が途切れて魔法が使えないの」
あまりにも分が悪い。これも転化の症状なのだろうか。
しかしエイファはなんてことないというように笑ってみせる。
「大丈夫よ。フィンから貰った回復薬で痛みはだいぶ引いたから」
本当だろうか。いや嘘に決まっている。
――この笑顔はそういう笑顔だ。
エイファとは対照的にフィンの表情は曇る。確かに良くはなったのだろう。しかし間を開けずに魔法を使えば痛みが再燃するのは目に見えていた。
「そんな顔しないの。倒さなくちゃいけないんだから」
エイファは眉を下げてフィンに言った。
「そうだね。今はどうやって倒すか考えよう」
二人はぶくぶくと膨張した獣に目を向ける。獅子と形容するのが間違っているほど姿を変えた強化種は瘤が増えるたびに体を痙攣させていた。
「あれじゃ素早い動きは出来ないだろうね」
「足止めしたところに対魔特化剣を突き立てるのが確実かしら」
「なら僕があいつを陽動する。その間にエイファは魔法の準備をしてくれ」
「わかったわ」
フィンはポーチから取り出した魔力回復薬を一気に二本、喉の奥に流し込み口元を腕で拭う。
「いくよ」
「えぇ」
短剣とダガーを手にしてフィンは駆け出す。その後方でエイファは魔力を起こし始める。
「ふっ!」
一閃、二閃。フィンは独楽のように回りながら二つの得物でもって攻撃する。
「グォァァァアア!」
獣は痛みに耐えるように吠え、力任せに爪牙を振り回した。フィンは鋭爪を剣で流しながら前足を切りつける。彼の役割はあくまで陽動。なるべく獣の意識を引き付けるように動かなければならない。
そのため常に獣に張り付き、攻撃をすれすれで躱すことが要求される。
エイファはその様子を見ながら魔法を想起する。彼女が言った通り胸の痛みはだいぶ和らいでいたが、それでも魔力が高まるにつれ痛みも増してきていた。
「四肢を縛るは焔の鎖。胸を貫くは獄炎の杭。籠の内は煉獄なり」
言の葉を紡ぐほどに心臓は締め付けられる。
「囚われ焼かれ絶えるまで、その身は永劫、内にあり」
掌から血が出るほどに拳を固くしながらもエイファは詠唱を終わらせた。これで魔法発動の準備は整った。あとはフィンが離脱して魔法を放つだけである。
「フィン!」
エイファが名前を呼ぶとフィンは頷いて後退する。そして魔法が発動し、詠唱の通りの事象が起こる。獣は燃え盛る炎の中で拘束され自由を奪われた。
「ァァァァァアアアアア!」
絶叫。しかしそれは獣のものではない。
「アァァァ……ァァアア!」
それはフィンの隣にいた少女が発していた。もはやそれは声ではなく音。声帯の機能を無視したような音。
エイファは両手で顔を覆ってうずくまる。指の隙間から覗く眼は血走っている。
発狂。そう表現して差し支えないような様子であった。
今回も読んでいただきありがとうございます。
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