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逃走劇

 ずり……ずり……と、なにかを引きずるような音が近づいてくるのを感じてフィンの意識は覚醒した。

 フィンは焚火が消えていないことを確認して右目を閉じ、向かいで寝ているエイファを揺さぶる。


「……っん、どうしたのフィン?」

「起きて。何か来る」


 フィンは静かな声でエイファに伝えると右目を開き、闇の中に目を凝らす。僅かな時間だが目を閉じることで暗順応した右目は暗闇を捉えることができた。


「たすけ……てく……れ……」


 音に混じる濁った声がフィンとエイファの耳に届く。


「……冒険者?」


 フィンの疑問に答えるように、濁った声は一層強くなる。


「たすけてくれ……」


 引きずるような音も次第に大きくなる。


「う……ぐぁ……たすけ……」


 闇の中から姿を現し、光の下に晒されたのは血まみれになって地面を這いずる男の冒険者。

 二人はそれに瞠目し、驚愕の表情を浮かべる。


「なっ……!?」

「きゃっ……」


 しかし、それ以上の衝撃に二人は言葉を失う。

 地を這う彼の下半身が欠落していたのだ。


 腰から下は何かに食いちぎられたような有様。雑な傷の断面からは主要な内臓がこぼれている。よくよく見れば彼が這って来た地面には血の痕がべったりと残っていた。


 目を極限まで見開き灯りに向かって手を伸ばす。


「た……すけ……」


 しかしそれは届くことなく事切れた。フィンは彼に近づき鼓動が止まっているのを確認する。エイファは口を両手で覆い、飛び出しそうな悲鳴を必死で抑えているようだった。


「魔物にやられたのかな……それでもこんな風に食いちぎられるのは珍しい」


 腕や足を食われて失くす冒険者はフィンも見てきたが、下半身を丸ごとというのは初めて見た。さすがのフィンも驚きを隠せずにいた。


「……なんでここに来たの?」


 冷静さを取り戻したエイファが尋ねる。


「たぶん明かりを頼りに来たんじゃないかな。それよりまずはここを離れ……」


 離れよう、と言おうとしてフィンは言葉を止めた。ゆっくりと男が来た方へ目を向ける。エイファもフィンの視線を追って顔を向けた。

 闇にまぎれるようにして近づいてくる巨躯。それは『獅子』だった。通常の獣型ベスティアとは一線を画す大きさの魔物。暗闇に光る二つの眼は体が硬直してしまうほどの威圧感を放っている。


「……エイファ」


 フィンは魔物から目を逸らさず言葉少なにエイファへ手を差し出す。


「……えぇ」


 その意を汲んだのかエイファは差し出された手をしっかりと握った。

 獅子は泰然とした足取りで近づいてくる。二人の頭の中では絶えず警鐘が鳴っていた。冒険者としてではなく、生ける者として生命の本能が訴えている。


風よアネモス


 一刻も早く逃げろと。


*****


「エイファ、追ってきてる?」

「大丈夫みたい」


 その言葉を聞いたフィンは魔法を解く。なんとか離脱することに成功した二人は小高い丘の上でへたり込んだ。


「いやぁ焦ったね」

「なによあれ。あれも獣型ベスティアなの!?」

「わからない。ただ、あいつが関わってることは確かだと思う。あの冒険者もあいつにやられたんだろうね……」


 エイファは衝撃的な光景を思い出したのか、ぶるっと体を震わせた。


「どうする? 一旦戻ってシルビィさんに報告する?」

「……いや、それは後回しにしましょう。直に夜も明けるし、あいつが近くにいるなら叩いた方がいいと思うの」

「うーん……またいつ現れるかわからないし……そうしようか。

 ただ少しでも不利だと思ったら迷わず撤退、いいね?」


 エイファがこくりと頷く。


「グオォォォォォ!」


 咆哮が荒野に響く。二人は立ち上がり漆黒の獅子の姿を視界に収めた。


「探す手間が省けたみたいだね」

「親切で助かるわね」


 東の空が白み始める。暗く荒んだ丘陵にゆっくりと光が広がり、起伏にとんだ大地に段々と陰影がついていく。漆黒の獅子は悠然とした足取りで二つの餌を見据え、一方のフィンとエイファはそれぞれの得物を構える。


 呟きと同時にフィンは駆けた。電光石火の刺突が獅子の眼球を狙って繰り出される。しかし獅子はそれを横に動いて易々と躱した。

 ――避けた!?

 先制攻撃が不発に終わり、フィンはすぐさま距離を取る。後方から放たれる魔法に巻き込まれないために。


「くらえぇぇ!」


 エイファが照準を合わせるように片手を突き出し焔を放つ。フィンに気を取られていた獅子は魔法の直撃を受ける。着弾と同時に爆発が起こった。


「どんなもんよ!」


 エイファはしてやったりと胸を張る。しかしフィンの表情は曇ったままだった。それを怪訝に思ったエイファも煙の中に目を凝らす。

 煙が徐々に晴れるにつれてエイファの顔に驚愕の色が浮かぶ。


「な、なんで無傷なのよ!?」


 そこには漆黒の獅子が何一つ変わらぬ様子で立っていた。エイファの魔法の威力が低いわけではない。その証拠に獅子の周りの地面は爆発で吹き飛ばされている。

 獅子は傷一つない体のまま頤を上げる。そして短く吼えた。ただそれだけだった。


「ぐっ……!」

「きゃあ……!」


 それだけで衝撃波が生まれた。獅子を中心として同心円状に衝撃が放たれ、地面の表面を捲りながら二人を襲った。後方へ吹っ飛ばされながらもなんとか受け身を取り、ダメージは最小限に抑えようだ。


「このぉぉおお!」


 エイファが起き上りざまに再び魔法を放つが、今度は躱されてしまう。


「エイファ! 撤退だ!」

「……っ、わかったわ」


 そう判断したフィンはエイファの下へ駆け寄り彼女を抱きかかえる。


「えっ……きゃあ!」


 いわゆるお姫様抱っこされたエイファは驚きの声を上げる。こんな状況でもドキドキしてしまう自分に不甲斐無さを感じずにはいられなかった。


「ごめん、ちょっと我慢して。それとあいつが追ってきたら魔法で迎撃してほしい。

 本体を狙わなくても足止めしてくれると助かる」

「え……あ、うん」


 エイファは拍子抜けしたような返事をする。理由があってこの格好になったのだと思うと、さらに自分が恥ずかしくなった。

 ――でも今はそれどころじゃないんだから。しっかりしなさい私!


「行くよ。風よアネモス


 フィンの呟きに呼応して風が生まれる。フィンと獅子が地を蹴ったのは同時だった。


「きゃああああああ!」


 大口を開けて迫ってくる獅子に絶叫しながらもエイファは魔法を発動する。獅子の半歩先の地面が隆起して獅子の動きを止める。が、それも束の間。獅子は凹凸のある壁を蹴り登って頂点まで登り切った。


「上々だ」


 しかしその間にもフィンは駆け、かなり差をつけることができた。エイファも抱かれながらほっと胸を撫で下ろす。

 後ろから獅子の遠吠えが聞こえる。二人には餌を取り逃がして悔しがるような声に聞こえた。

 フィンは草木も生えない荒れた大地を駆ける。東の空から昇った太陽は地平線の少し上に浮かんでいた。小さな丘を登り切り、あとは同じ色の平野が続く。


「なっ…………」

「嘘…………」


 はずだった。

 フィンの足が丘の頂で止まる。眼下は茶色の大地ではない。


「どっから湧いて出た!?」


 大地を埋め尽くさんばかりの黒。獣型魔物ベスティアの大群。まるで二人を待ち構えて集まったかのような光景だった。


「グルァアア!」


 群れの一匹が気づいたのか丘を駆け登ってくる。エイファはすぐさま魔法で打ち抜くが、それは他の魔物に自分たちの存在を気づかせることに他ならない。


「エイファ、このままじゃ追い付かれる。全力全開で頼む。一気に駆け抜けるよ」

「了解!」


 フィンは再びエイファを抱きかかえ、エイファは深く息を吐いて集中力を高める。ありったけの魔力を使い、それを手に収束させる。

 より高火力、広範囲に魔法を放つために言葉を紡ぐ。


「我が願い。それは我が力によって成就する。我が力。それは燦爛なる光」


 エイファの手の先に大きな幾何学模様が浮かび、紡がれる言葉に反応するように輝きが増していく。


「我が手に宿るは滅魔の閃光。放ち駆けるは数多の光芒。幾千の矢となり敵を穿たん」

「エイファ、しっかり掴まってね」


 エイファはこくりと頷きしがみつく。それを確認したフィンはエイファを安心させるように笑い、いつもの言葉を口にした。


「ルミナス・アロー」

風よアネモス


 二人の言葉が重なり、二つの魔法が発動する。宙に浮かぶ幾何学模様から魔法が放たれ、光の雨のように魔物の群れへ降り注ぐ。それと同時に風を宿したフィンが地を蹴り、断末魔の中へと飛び込んだ。

今回も読んでいただきありがとうございます。


感想、意見、指摘、お待ちしております。


それでは次回もよろしくお願いします。

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