わがまま少女は異形と踊る
目を開けると黄昏の残光が染みた。
緑の匂いを近くに感じ、フィンは今自分が草原に寝転がっているのだと認識する。背中に当たる柔らかな草が心地いい。
「あ、起きた。今日はよく寝てたね」
フィンの頭上から声が降ってきた。薄紅の瞳が向けられ、黒髪は風を孕んで踊る。
「今日の練習はこれでおしまい」
冒険者、リルカ・ファルネルは快活に笑った。
フィンはその笑顔に性懲りも無く胸の高鳴りを覚える。そのことを彼女に悟られないよう、フィンは体についた草を払ってみたりした。
「また今日も気を失ったのか……」
情けない、と言って苦笑を浮かべる。
国からほど近い草原。そこで二人は外から帰る前に剣を交わすのが決まりになっていた。しかし練習とは言うものの、毎回毎回フィンが一方的に打ちのめされるだけである。
「でもフィン、毎回あたしにやられるだけで嫌になんないの?」
「嫌じゃないよ。むしろご褒……強くなりたいから。リルカは嫌じゃないの?」
「あたし? 全然嫌じゃないよ。だんだん成長していくフィンを見るのは楽しいし、何よりコンビだもん。相棒が強くなりたいって言うなら付き合うに決まってるでしょ?
なによりあたし、フィンの事が好きだから」
リルカの曇り気のない笑顔がフィンには眩しい。ついと目を反らしたフィンを見てリルカはくすりと笑った。
フィンとリルカが冒険を共にするようになってそれなりの時間が経つ。二人だって子供ではない。互いが互いの気持ちに気づかないほど鈍感ではないし、好意を確かめ合うに至るまでそう時間はかからなかった。
――昔と全然変わらないなぁ。
リルカはフィンを横目で見やりながら思う。
出会った頃より背も伸び、体も引き締まった。剣捌きも着実に良くなっている。それなのにこの反応は変わらないままだった。
「……それじゃ帰ろうか」
「ちょっとフィンー? あたしはフィンに気持ちを伝えたのにフィンは何も言わないの? それともフィンはあたしの事嫌い?」
――だからついつい苛めたくなるのよね。
しかしフィンはリルカを半目で見る。
「自分から言っておいて、そうやって僕にも求めるのはずるいと思うんだけど……」
「いいのいいの。ほら、どうなのよ」
「そんなの……好きに決まってるじゃないか……」
「うーん、声が小さいけどまぁ良し!」
二人は肩を並べて帰路に着く。
「そういえばリルカってどうして冒険者になったの?」
「どうしたの藪から棒に」
「いや、なんか聞いてみたくなって」
そうだなぁとリルカは呟く。
「あたしは知りたかったんだ。外の世界がどんな風なのか、魔物っていうのはどんなものなのか。
本とか人から聞いた話とかで知識だけはあったけど自分の目で確かめたかった。
だからあたしは冒険者になった。フィンは?」
「え、僕?」
フィンは別の意味でドキッとした。
――こんな立派な理由の後に言えるわけないじゃないか。
内心フィンは焦る。
「僕はまぁ、その、成り行きというかなんというか……」
「そうなの? ふーん。じゃぁゴートに聞いてみようかな。色々お世話になったんでしょ?」
リルカがニヤニヤと笑う。この国の門番であるゴートの事を知らない冒険者はいない。フィンとゴートは昔の事もあり話すことが多いので、自然とリルカもゴートと仲良くなっていた。
「え? いやまぁそれはそうだけど……」
「ほら、ちょうど着いた。ただいまー」
リルカが手を振りながらゴートに声をかける。声に反応してゴートも軽く手を挙げた。
「おう、無事に戻ったな。今日の調子はどうだった……って聞くまでもないか」
ゴートは二人の姿を見てくつくつと笑う。
二人の実力はゴートも把握している。傷一つないリルカとボロボロのフィンの対照的な姿はいつも通りの光景だった。
「ねぇ、ゴート。ゴートってフィンのこと冒険者になる前から知ってるんでしょ?
その時の話とか聞かせてよ」
「どうしたんだ藪から棒に」
「さっきまでお互いの冒険者になった理由とか話してたから、その流れで」
フィンが苦笑いしながら話の流れを説明する。
「なるほど。でも話せば長くなるぞ?」
「いいから!」
「よーしお前ら、宿舎の酒場に集合だ。もう少ししたら交代だから先行って待っててくれ」
「了解!」
リルカは威勢のいい返事をし、二人はその場を後にする。そしてゴートが宿舎の酒場に到着して酒盛りは始まった。
やがて酔いの回ったゴートは昔のフィンについてリルカにべらべらと喋っていく。リルカはそれを聞いて大爆笑し、フィンをつついて遊ぶ。恥ずかしくてやってられなくなったのか、フィンも葡萄酒を一気飲みするという暴挙に出た。
そして完全に出来上がった三人は気の済むまで飲み、笑い、語り合った。フィンは混濁した頭の片隅でこんな日常がいつまでも続くことを願っていた。
*****
五感の全てが遠く感じる。ゆっくりと沈んでいくような感覚。眠たいと言ってもいいかもしれない。
――あれ? 僕はどうしていたんだっけ……。
「……ン……フィン……」
誰かの声がフィンの耳にぼんやりと届く。
「……フィン……フィン!」
その声に引き上げられるようにしてフィンに五感が戻ってきた。薄ら開けた目に黄昏の残光が染みる。
「フィン! しっかりして!」
声がフィンの脳にはっきりと届くとフィンの意識は徐々に覚醒し、体には熱と痛みも戻ってきた。
いきなり回復した痛覚に神経を焼かれそうになりながら、フィンは声の主を認識する。
真紅の髪を二つに縛り、小豆色の瞳をした少女が悲壮な表情でこちらを見ていた。
「エイ……ファ……なんでここに……」
喉の奥に血がこびりついているのか掠れた声しか出なかった。
「今はそんなことどうでもいい!」
怒鳴りながらエイファはフィンの腹に突き刺さった触手を切り落とし、フィンを横にする。
「ちょっと我慢してね」
そう言ってエイファは力いっぱいに触手を引き抜いた。フィンは眉間にしわを寄せ苦悶の表情を浮かべる。痛みを噛み殺すように唸るフィンの額には脂汗が滲んでいた。
エイファは腰から取り出したポーションを三本すべてフィンの傷口にかけた。青色の液体がフィンの傷口に溜まっていく。
――駄目、これだけじゃ足りない。何よりフィンの魔力量が少なすぎる。
これでは生命力が維持できず、命が尽きるのは時間の問題だろう。魔力を回復させるには自然回復か魔力回復薬の服用しか手段がないのだ。
「そして一番の問題が……」
エイファが周囲を確認する。彼女が登ってきた時には生えていなかった触手が、二人を逃がすまいと頭部全体をドーム状に覆っていた。
完全に退路を断たれてしまっている。
「この触手よね……」
「エイファ……」
フィンが片膝を立てながら起き上がろうとしていた。
「動かないで! 死にたいの!?」
「……あぁ、そうだよ」
「なに馬鹿なこと言ってるの。フィンはそこで大人しく寝ててよ!」
そうは言ったものの、エイファにはこの状況を打開できる策など思いついていない。
「エイファには……関係のないことだ……僕はここを死に場所として選んだし……エイファはこれからいっぱい冒険するんだろ? 外を知りたくて冒険者になったんだろ?
……だったら今すぐ帰るべきだ。大丈夫……帰り道は作ってあげるから……」
フィンは落ちている対魔特化剣を拾い上げながら呻くように言う。
エイファはもう泣きそうだった。
「なに勝手に死のうとしてんのよ! 帰り道を作ってあげる? ふざけんじゃないわよ……。
私は貴方を助ける! 助けてみせる!」
「僕には生きる資格も……意味も理由もない。……お願いだから死なせてくれ……」
「そんな事私には関係ない! 勝手に死んだら許さないんだから!」
「ふふっ……まるで子供じゃないか……」
フィンの口が歪められる。エイファが来たところで状況は好転しない。それはエイファも承知の上だろう。
それでもエイファは、フィンを助けたい、居なくならないでほしいという一心で衝動のままに、突き動かされるようにしてここまで来たのだった。
――これは私の我儘。フィンの事なんてまるで考えていない。おそらく今までで一番の我儘。
だから相手のことなんてどうでもいい。生きる資格だとか意味だとかは知った事ではない。エイファがそうしたいからそうするだけ。フィンに死んでほしくないという思いだけが全てだった。
そんなエイファの胸中が言葉になって溢れ出る。
「フィンの事が、好きだから」
不意をついて出た言葉は熱いものと共に滑らかに流れた。こんな状況にも関わらずエイファはフィンへの想いを自覚し、そしてそれを言葉にした。
「私、フィンの事が好きなの」
八重歯を覗かせながら涙で顔をぐちゃぐちゃにしたエイファ。驚いた顔で固まる血まみれのフィン。互いの視線が密に絡む。エイファはフィンに近寄り、彼の頭をそっと胸に抱き寄せた。
「私は貴方のことが好き。貴方に死んでほしくない。だから今だけ……今だけは私の我儘を聞いて」
エイファはフィンの手から対魔特化剣をそっと奪う。
「少し待ってて」
フィンに背を向けエイファは触手と対峙する。
エイファは身丈と同じくらいの剣を携えて走り出す。その顔には涙の痕と笑顔が浮かんでいた。
今回もお読みいただきありがとうございます。
告白まで書くつもりじゃなかったんだけどなぁ……。
まぁいいでしょう。それでは次回もよろしくお願いします。




