死を賭して
太陽はすでに高く昇っている。
乾燥した地面から昇る熱気と盛んに照り付ける日差しで、三人の体は容赦なく焼かれていた。
会話はもう何時間もない。開いた口から逃れる水分でさえ惜しかった。
フィンはだいぶ軽くなった木の水筒を取り出し、口をつける。すぐには呑み込まず口に含ませてからゆっくりと嚥下した。
「ゴート、ノルテ湖まであとどのくらい?」
先頭を行く爬虫類人族のゴートに問いかける。
「そうだな……あと二時間も歩けば着くだろう。それより」
そう言ってゴートは歩みを止めた。フィンとテーレムも止まる。
「どうしたの、ゴート?」
「なんかおかしくねぇか? はっきりとはわからねぇが」
「そう? 僕は暑くておかしくなりそうだけど」
周りを見渡していたテーレムがぼそりと言う。
「静かだ」
「魔物が……いない。ゴート、この辺りの魔物の数は少ないの?」
「確かに他の場所に比べたら少ないほうだが、全くいないなんてことはねぇ。なにより今日はまだ魔物に会ってすらいないんだ」
そう、三人は至って順調に進んでいた。魔物に出くわして足止めを食らうことなく。
「魔物がいなくなった? 触手型から逃げたのか? いや、だとしたら道中で遭遇するはずだ」
テーレムが一人考え込んでいる。
「おいテーレム、ソーサリーの発生探知の誤差は?」
「なんだ、ソーサリーに難癖着けるつもりか? 生憎だが間違えるはずがない」
フィンは考え込み地面に目を向けた。ふと地面にできたひびに違和感を覚える。
――ん? なんかこれだけ変じゃないか? ひびというより細い穴みたいな……。
「そうか、悪かったな。とにかく進むか」
「ふん」
気づいてみれば、その穴は三人の周囲にも無数にあった。
「ゴート、テーレム、下がって!」
フィンが声を飛ばすと同時に地面から緑の触手が突き出てきた。
「なんだぁ!?」
「ちっ……」
紙一重のところで二人が避ける。
「なんで地面から出てきやがる?」
二人の体を貫こうとした触手は様子を窺うように留まっている。
三人は一旦下がって体勢を立て直し臨戦態勢を取るが触手は追撃せず、スルスルと穴の中に消えていった。
「相手も偵察として触手を寄越したのか。それとも既に奴のテリトリーなのか。
どちらにせよ本体もそう遠くないところにいるだろう」
「ゴートはすぐ帰るんだからね」
「んなこたぁわかってる」
目と鼻の先で突如、地面が隆起した。轟音が鳴り響き持ち上げられた土塊が降り注ぐ。
舞い上がる土煙の中から触手型魔物は現れた。
緑の触手は枯れた大地に根付いた大きな植物の様であり、一つ一つの触手が意志を持っているかのように蠢いている。
「大きいね……」
「今回はかなりの大きさだ。それがわかったのだからお前はもう帰れ」
テーレムがゴートに対して言うと、テーレムは触手型に向けて走り出した。
「だぁー! わかってらぁ!」
「ゴート、気を付けてね」
「お前が言うセリフじゃねえだろ、それ。……死ぬなよ」
――ゴート、ごめん。それは守れそうにないや。
フィンはかつての師に向かって心の中で呟いた。
*****
フィンは急いでテーレムを追いかける。近づくにつれ触手型のシルエットはさらに大きくなっていった。
テーレムが黒衣をはためかせて立ち止まっているのを見てフィンは声をかけた。
「ごめん、待った?」
フィンは足を止める。
「何度お前を殺そうと思ったことか」
フィンの喉元に銀の細剣が突きつけられた。フィンかテーレムのどちらかがあと一歩踏み込んでいれば確実に刺さっていただろう。
「お前がリルカを殺したと知り、私がお前を監視し始めてから殺す機会はごまんとあった。
エイファに感謝するんだな」
中性的な声が冷たく響く。表情はローブに覆われていて見えない。
「リルカの事を知ってるの?」
「知っているも何も私とリルカ、エイファは同じだ」
切っ先は動かない。
――同じ? どういう事? テーレムとリルカが? いやエイファも? ならリルカとエイファも同じなのか?
突然出てきた「同じ」という言葉が頭の中にいくつも疑問を生み出す。
「あの日、お前がソーサリーを出てからずっと監視していた。エイファとの様子も見ていた。
気づかないのも無理はない。見えないのではなく、認識できないんだからな」
――エイファに感謝する? どういう事だ? エイファが何か働きかけたのか?
銀の刀身にはフィンの姿が歪んで映っていた。
「そしてお前に悪い報告が二つある」
「いい報告も聞きたいな」
「無いものは無い。諦めろ。
まず一つ、今回の試作型の結果報告は私とシルビィの通信魔法を介して行われる。リアルタイムで、だ」
「……つまり帰る必要はないと。ってちょっと待って。僕は帰るつもりは無いけれど貴方は?」
「私も帰るつもりは無い。どちらにせよ今日が期限リミットだ。
そして二つ目、このセリフが終わったら私はお前に八つ当たりをする」
言うが早いか右から上段の蹴りがフィンに向かって飛んでくる。
「え、うわっ、なにするのさ!」
フィンは上体を反らして何とか避ける。脚が風を切って目の前を通過した。
「言っただろう。八つ当たりだ」
「八つ当たり?」
「お前はリルカを殺したが、それはリルカが転化したからだ。それは仕方のないことで、どうしようもないこと。
だからあいつにとって、愛する者の手で殺されたことは幸いだったのかもしれない。転化して魔物として生きていく前に、他ならぬお前に殺されてよかったのではないかとな」
言い終わるとテーレムは頭を下げた。
「リルカを殺してくれてありがとう」
「……貴方は一体誰なんですか?」
告げられた言葉の衝撃が強すぎたのかフィンの声はかすれていた。
「ふっ、このローブも必要ないな」
テーレムは黒衣を剥ぎ取り投げ捨てた。
「私はミルカスフィ・テーレム。
リルカ、エイファと同じ生まれの死に損ないだ」
肩のあたりで切り揃えた浅紫の髪が揺れる。小豆色の瞳と血色のいい唇が虚無的に歪められた。軍服を動きやすいように改造したのか袖はなく、下もスカートとスパッツといった装いである。
「お前には辛いかもしれないが、無理してでも呑み込むことだ。
さて、行くぞ」
テーレムは対魔特化剣を覆っていた布を取り払う。フィンも同様にした。
「まずは私が使い方を見せる。お前は魔力量が少ないんだ。むやみに魔法を使うな」
そう言ってテーレムは駆け出す。フィンも動こうとするが足にうまく力が入らなかった。
原因は明らかである。柄を握る彼の手から剣に魔力を吸われていく。フィンは、生命力を根こそぎ奪われるような錯覚を覚えた。
「このっ」
自分の体に喝を入れどうにか走り出す。頭の中でテーレムの言葉が反芻するがフィンはそれらを振り払う。
――……もういい事だ。僕はここで死ぬんだから。
行きつく先は死だけ。生きて帰る考えは捨ている。
死のみを賭した戦いが始まった。
今回もお読みいただきありがとうございます。
バトルシーン一歩手前でございます。
テーレムちゃんはクーデレです。嘘です。
それでは次回もお願いします。




