無様にもがいたその先で
「それじゃ明日は休みってことで」
「わかったわ。それじゃぁね」
宿舎に戻って報酬を等分し、二人は解散する。フィンはそのまま自室に戻り、エイファはシャワールームに足を運んだ。
エイファは脱衣所で防具とボロボロのインナーを手早く脱いでまとめる。
――これはもう着れないなぁ……。明日にでも新のを買って来よう。
蛇口をひねる。勢いよく出てきた湯がエイファを頭から濡らしていった。
――今日のフィン、すごかったなぁ……。いつもは頼りなさそうなのに……。
そう考えるエイファの表情は緩んだものになっていた。と、自分の口元が緩んでいることに気が付いたエイファはギュッと目と口を閉じて頭を勢いよく洗っていく。
しかしその手はすぐに止まってしまう。エイファの頭からフィンの後ろ姿が離れず、そのたびにエイファは表情をだらしないものにする。
エイファはしばらくにやけて洗って、にやけて洗ってを繰り返していた。
濡れた髪を布でふき取りながらエイファは寝台に横になる。ごろごろと転がったのち、枕に抱きついて動きを止めた。
――はぁ……なんか私、バカみたい。部屋に戻ってきてからフィンの事しか考えてないじゃない。
エイファは枕に顔をうずめ、くぐもった声を出す。湯上りのうなじには仄かに朱が差し、瞳は熱に浮かされたように潤んでいた。
――これはあれだ。助けられてちょっと意識しているだけだ。普段とのギャップを見たせいだ。
エイファは自分に必死に言い聞かせて目を瞑るがなかなか寝付けない。体は疲れているというのに長湯のせいだろうか、火照った体はなかなか冷めなかった。
*****
朝が来た。フィンは一人で朝食を取り、エイファは朝早くから買い物に出かけている。
フィンは焼きすぎて固くなったパンを齧りながら思いを巡らす。
『君、大丈夫?』
まだ駆け出しの冒険者だった頃、獣型魔物に囲まれていたところをリルカに助けられた。
『まぁ初心者がこれだけ戦えれば大したものよ。ちょーっと待っててね』
腰まで垂れた黒髪に、朗らかに微笑む薄紅色の瞳。軽い調子でリルカは言うと、言葉通り僅かな時間で灰の山を築いていく。
僕はその戦いぶりに憧憬を抱き、そして同時に惚れた。一目惚れとはまさにこのことだと実感した。
『いやー間に合ってよかった。あたしはリルカ・ファルネル。よろしく』
差し出された手は冒険者には似つかない、白くてしなやかな指と手だった。
彼女に見惚れ、茫然としながら手を握ったのを覚えている。
『なるほど、君も単独の冒険者か。……そうだ、これから一緒に冒険しない? あたしもソロで心細いと思ってたんだよ』
間を開けず、二つ返事で了承した。願ってもみない提案だった。
これがリルカとの出会いであり、始まりだった。
歳もさほど変わらないのに彼女はでたらめに強く、どんどんと先に行ってしまうから追い付くのに必死だった。
隣に立ちたい。共に歩んでいきたい。少しは頼られたい。愚かしく、浅ましい理由で強くなろうとした。
顎がつかれるほどに咀嚼したパンをフィンはやっと呑み込む。
で、だ。
シルビィは新米冒険者の生存率を上げるために僕とエイファを組ませた。しかしエイファは強い。さらに経験も着実に積んでいる。
もうここまでくれば中堅の冒険者と呼んでもいいのではないか、とフィンは考えていた。
*****
ソーサリーでは稀に、研究材料が足りないからどこそこの鉱石を取ってきて欲しいだとか、やれそれの植物を採取してきてくれといった任務が出ることがある。
任務はソーサリーの一階にある掲示板に張り出されるからそれを確認すればいい。
「ねぇフィン、なんか様子がおかしくない?」
ソーサリーに足を運んだ二人だったが、何やら様子が変だった。
「なにかあったのかな。あ、シルビィさん良い所に」
ちょうどよくシルビィが金髪を揺らして一階に下りてきた。書類を抱えて忙しそうな風である。
「シルビィ、なにかあったの?」
それに構わずエイファは声をかける。
「あら、お二人とも。どうしたんですか?」
「ちょっと任務がないか見に来たんだけど、どうしたの? やけに忙しそうだけど?」
「まぁ直に発表されるでしょうし、二人なら問題ないでしょう。ついて来てください」
そう言って連れられたのは狭い個室。小さな机が置かれているのみである。
「ここならば、誰かに聞かれる心配もないでしょう」
シルビィが一拍おいて。
「実は先ほど、触手型魔物の発生が検知されました」
そう言った。フィンとエイファは驚愕の表情を浮かべる。
触手型魔物はこの世界における最大の脅威である。一人や二人の冒険者でどうにかできる相手ではなく、国の総力を賭して迎え撃たなければ滅亡の二文字が待っている。
その巨体はこの国の外壁ほどの高さにもなり、移動するだけでも周囲に被害をもたらすほど。
さらに厄介なのがその触手を用いた攻撃。鞭のようにしなやかかと思えば、槍のように突き刺してくることもある。射程も長く本体に近づくだけでも一苦労である。
また、いくら触手を倒しても本体を攻撃しなければ意味はない。
「場所はどこなの?」
「深緑の罠迷路のその先、ノルテ湖付近です」
「かなり近いですね……」
「また、これは正式に決まった訳ではありませんが今回の迎撃には実験的に新型兵器が導入されると思います。それに伴って先発隊が組まれるでしょう。
さすがに正念場で実験機を使うほどの余裕はないですし」
触手型魔物の厄介さから、討伐の際には遠距離から高出力の魔法を打ち込んで討伐することが多い。この国では魔導石を用いた魔法兵器が開発され、比較的安全に討伐できるようになっていた。しかし魔法の発動には大量の魔力を擁するため、再度の使用には時間がかかることが難点であった。
「という訳で直に公式の発表があるでしょう。既存の兵器の戦力で十分かとは思いますが、冒険者の方々には安全のため待機命令が出ると思います」
「なんだ、任務を受けようと思ってたのに」
口をとがらせてエイファが不満を漏らす。
「まぁこんな状況なら仕方ないよ。今日はおとなしく戻ろう。
それで悪いんだけどエイファは先に行っててくれないかな? ちょっと用事があるから」
「わかったわ。シルビィもお仕事頑張ってね」
エイファは手を振りながら出ていく。部屋にはフィンと不思議そうな顔をしたシルビィが残った。
「シルビィさん、もう少しだけ時間をください」
「はい、大丈夫ですが……」
「取り引きのことで話があります。
シルビィさんはエイファが新米の内は教育係として組んでほしいと言ってましたが、エイファはもう十分な実力があると思います。それに冒険者としての経験は十分積んだと思います。
エイファはもう中堅の冒険者と言ってもいいと思います」
「つまり貴方は、エイファはもう初心者ではないから取り引きでこちらが提示した条件は満たされたと」
しばしの沈黙。
「……近くで見ていた貴方が言うのならそうなのでしょう。
わかりました。ではもう貴方は自由です。リルカさんのことを掘り返す気もないですから安心してください」
その言葉にフィンは安堵する。
「ただ一つ。貴方はそのあとどうするんですか?」
フィンに翠玉が真っ直ぐ向けられる。
「どうする、というのは?」
「貴方は件の日からリルカさんの名誉を守るために今日まで生きてきたことと思います。
ですがそれは無事に果たされた。とするとあなたには生きる理由がなくなってしまいます。
生きることに理由が必要かどうかは置いておくにして、貴方を縛る枷が無くなった今、この先どうするのかと思いまして」
「そうですね……魔物を狩れるだけ狩ってみるとかどうでしょう?。
あ、それなら僕も先発隊に入れてください。試験機を使うならなおさら人数は必要ですよね?」
名案だとばかりにフィンは明るい声でそう言った。
「そうですか……。私は止めませんし、何も言いません。先発隊の提案も上に掛け合ってみます。
サンプルが増えるのは非常に助かりますから」
「よかったです。それでは僕はこれで失礼します。
あ、この事はエイファには秘密ですよ?」
この数時間後、触手型魔物の発生が公式に発表された。
いつもの賑やかな通りは少しだけ勢いがなくなり、かわりに物々しい装備の冒険者が目につくようになる。フィンには準備を整え、三日後の日の出の刻にソーサリーに来るよう伝えられた。
今回もお読みいただきありがとうございます。
エイファの可愛さ……皆に届け……!
ということで次回もよろしくお願いします。




