第2話 編入生、サボる
朝6時、ニュージーランドとオーストラリアのマーケットがオープンする。翔はパソコンの画面を切り替えて素早く対応。
(あと1時間でNYがクローズだから、NZとAUの値動きに集中していかなきゃな)
猫耳ヘッドホンをつけてるお陰か、調子はいい。
(NYは指値と逆指値で取引させて、NZとAUは成行でいくか)
一瞬の操作が損得を決めるため、画面に最大限注意する。取引を続けているうちに気付いたことがあった。
(ここ、回線いいんだな…すべらないし)
インターネット環境の改善はありがたい。
朝7時、NYマーケットはクローズする。
(しばらく手が空くから…指値と逆指値で取引させてる間に…)
指値と逆指値を使うと、パソコンに張り付いていなくても取引ができる。この間に朝風呂に入ったり、朝食などを済ませる。朝のニュースをテレビでチェックし、経済新聞も目を通す。
朝8時50分、日銀短観やGDPなどを確認。日本の経済状況を把握する。
朝9時丁度、東京市場がオープン。
(さてさて、本気で行くぜ!)
翔の得意市場だ。気合いを入れて画面を見る。目薬もさしておいた。
ちょうど、その少し前…学園の2年1組教室では、
「おかしいな…樟葉君来ない…」
寮長かつクラス委員長のカナは心配になる。
(ひょっとして迷ったのかな…でも地図は渡してあるはずだし…まさか風邪…?)
色々な可能性がよぎる。
「編入生、来ないわね…」
そう声を掛けたのは桜木レイカ。
「レイカ…」
「昨日何か変わった事、なかった…?」
「いや…特に何も?」
「そう…」
レイカとカナは考え込む。すると、担任の三島サキが入ってきた。
「みなさーん…!静かにして席についてくださーい!」
全員、黙って席についた。
「えーとですね…今日からこのクラスに編入するはずの樟葉翔君が、来ていません…」
肩を落として報告する。
「先生、私探してきます!」
カナが名乗りあげる。
「もうすぐ1限目ですから、ダメです。お昼休みに行ってもらえますか?」
教師としても授業を投げ出されては困る。
「はい…分かりました…」
渋々従う。こうして編入生不在のまま授業は始まっていった。
午前11時半、東京市場前場がクローズ。1時間あるので、この時間に昼食をとる。
(寮の部屋なのに、システムキッチンとはな…流石というか…まぁ女子しか居ないからこういう所には拘ったのか…)
食堂まで行くとパソコンが見られないので、部屋で手早く調理する。テレビのニュースを流し聞きしておく事も忘れない。
その頃、学園も昼休みに入るのでカナはすぐに弁当を食べ始める。
「カナ、慌てないの…」
レイカが心配する。
「そうは言ってもね…」
普段の3倍は早く食べ終える。
「じゃあ、探してくるね!」
「待って、私も行く」
レイカも立ち上がる。
「いや…レイカは…」
「大丈夫だから、ね?」
「わかった…」
二人は教室を出て、寮棟へ向かった。
「まずは部屋に行ってみなきゃね」
「そうね」
翔の部屋の前に立つ。ノックしてみるが返事がない。
「居ないのかな…」
「いや…」
レイカが猫耳をドアにくっつける。
「テレビの音が僅かに聞こえるわ…居るんじゃないかしら…」
猫耳だけあって微かな音でも捉える。
「しょうがないなぁ…会長に言って、マスターキー借りてこなきゃ…」
「でも今から行ってたら、午後の授業間に合わないわ。放課後にしましょ?」
レイカが時間を見ながら言う。
「うん…」
二人はその場を後にした。
午後12時半、東京市場後場オープン。
(さて後半戦だな。今日は結構稼いでるから、少しハイリターンにチャレンジするか!)
コーヒー片手にパソコンの画面に目を落とす。
午後3時、東京オプションカット判定。
(ここで大逆転や大損が起きる重要局面!!)
気合い十分でチャートに注意を払う。ミスすれば儲けが消えるかもしれないからだ。
午後5時、東京市場クローズと共にEU市場オープン。
(ふーっ…やっと一息つけるな)
東京市場がクローズしたので少し余裕を見せる。
その頃、授業が終わり後片付けを済ませたカナはレイカと共に生徒会室へ向かっていた。
「編入生君、あんまり案件増やして欲しくないんだけどなぁ…」
レイカがぼやく。編入生がいきなり不登校では洒落にならない。生徒会長も無視できない問題になる。
「ハルカ会長、無理し過ぎるから心配になっちゃう…」
カナもため息交じり。二人は生徒会室へ入り、レイカが会長室のドアをノックした。
「どうぞー」
穏やかなハルカの返事が聞こえる。
「入るわね、ハルカ。」
「失礼しますっ」
「あら、レイカ。あと、カナちゃんも。どうしたの?」
「えーと…実は、今日…樟葉君が登校して来なかったんです…」
「あらあら…困ったわね…」
ハルカが苦笑する。
「だから寮のマスターキーを借りに来たのよ…」
レイカが補足する。
「なるほどね…分かったわ。レイカ、付いていってあげて」
そう言いながらマスターキーをカナに渡す。
「任せて」
レイカがそう返事して、二人は寮へ向かった。
その頃、翔はくつろいでいた。取引は勝手に行うように設定してある。
(ヨーロッパは今日は微妙かもな…)
そう思い、積極的に参加はしない。夕方のニュースを確認して、夕飯の準備をする。24時間取引はできるが、開いてる市場があまり稼げないと思ったときなどは食事や睡眠など自由時間に充てている。
(部屋は広いからパソコンも使いやすいし、テレビは備え付けのが良いやつだし、台所も申し分ない。学園様様だな)
そう思いつつ、夕飯を食べる。当然、授業に出ようなどという発想はない。卒業さえできれば良いと思っているので出席日数を計算し、必要日数分だけ出るつもりだ。その時…
ガチャッ…
鍵が開く音がした。
(誰だ…?)
「樟葉君!大丈夫?!」
カナの声がする。
「ん…?なんだ、橘か。俺は大丈夫だけど?」
カナが見たのは、一体何があったんだ、とでも言いたげな翔だ。
「心配させないでよね!なんで授業出なかったの?」
「その様子だと、大丈夫みたいね。」
そう言いながらレイカも入ってきた。
「何をそんなに血相変えてんだか…ところであんたは?」
「私は桜木レイカ、同じクラスよ。生徒会専務をやっているわ」
そう名乗った女子は東雲色の髪をポニテにしている。後、猫耳と尻尾。
「桜木って…まさか…」
翔がまさかまさか、という顔をしている。
「ええ。桜木重工の娘よ?お父さんがCEOなの」
「やっぱりか…この学園、金持ちお嬢様ばっかじゃないって聞いたが本当なのか…」
「私は普通の家だからっ…!お父さん、普通の会社員で、お母さんは専業主婦だし!」
カナが無邪気に突っ込む。
「それはそうと…カナがさっき聞いてたけど、なんで授業出なかったの?」
「なんだ、そんな事か。」
「そんな事って言うけど…生徒会としても見過ごせないわよ?」
レイカが反論する。
「深い理由はない。単に行く暇がないんだ。」
「いや、行く暇ないってどういう意味よ!?」
尻尾を振っているカナが聞き返す。
「そりゃこれを見れば分かるだろ?」
翔が指差したのは、10台もあるディスプレイ。
「ネトゲで行く暇ないなんて言ったら怒るよ!」
「ネトゲの為にパソコンをここまで強化しようとはさすがに思えないな。」
翔は動じていない。
「まさか…FX?」
画面を見ながらレイカが答える。
「流石、大企業の娘だな。正解だよ」
「お小遣い稼ぎ、にしてはパソコンも映ってる情報量も…普通じゃないわ。あなた…プロ?」
「え…えふえっくすって何…?」
カナが尋ねる。
「FXっていうのは外国為替証拠金取引の事。いわゆる通貨の両替を行うことで儲ける取引ね…」
「でも両替なんかで儲かるの…?」
「1ドル100円の時に100円を1ドルに換えて、1ドル120円になったときにドルから円に換えれば…20円儲かるでしょ?」
「なるほど…で、プロって言うのは?」
「この取引だけで生計を立てるレベルの稼ぎをしてる人のことよ」
その言葉にカナは驚いた。
「へぇー、結構知ってるんだな。」
翔は感心していた。
「大企業の娘だからね。これでも」
「まぁ、想像通りだ。俺はFXだけで生計立ててるからな。」
「何時からなの…?」
「高1の時からだな。」
「そっか…参ったわね…」
猫耳を少し畳むレイカ。
「どうして…レイカ…」
「生計立ててるのに、それを止めて授業に出ろとは言えないし…FXは1秒でその日の稼いだお金が無くなることもある位シビアな世界なの。だから、私は知ってるからこそ、言えないわね…」
「よく分かってるな、桜木。今は取引止めてるけどチャート見てると、この10分で軽く20万は稼げた。もっと金増やして取引してれば100万単位で動いたかもしれない。そういう世界なんだよ」
「私は…帰るわね。樟葉君とは教室で会えたら嬉しいのだけど…」
そう言い残してレイカは帰った。猫耳はペタンと畳んで、尻尾も下がっていた。
「樟葉君…なんでそんな事やってるの…?」
カナは真剣に尋ねる。
「生計のためだって。さっきも桜木が言っただろ?」
「両親は…?生活費とか出して貰えないの?」
「そりゃ無理な相談だな」
「どうして…?」
「亡くなってるからな」
それが事実なので淡々と答える。
「ご…ごめんなさい…」
猫耳を畳んですぐ謝る。
「別にいい。気にしてないからな。中学の時からずっと1人だから」
「中学ではどうやって…?」
「…えーとな…宝くじが当たってたまたま、まとまった金手に入ってそれで。あの頃は増やす方法も分からなかったし」
「じゃあもし外れてたら…」
「野垂れ死にだろうな。実際覚悟してたぞ」
「でも、生活保護申請が…」
「考えたけどな。親の遺した遺産の類、全部売り払えって言われて蹴られたんだよ」
「…酷い…住んでた家とかって大切な思い出なのに…」
「まあ、宝くじで金が入ったけど、節約の為にも、売り払えるものは全部売った。おかげで高校にも進学できたが、高校は卒業だけできりゃいいって思ってる。生きるのに必要な金は全部自分で稼がなきゃならないからな。」
「でも…学校での生活も大事だと思う…」
「綺麗事だな。橘は両親がいるから生活費も学費も困らないだろうが、俺は違う。学費は会長のおかげでタダだがそうじゃなきゃ稼ぐ必要がある。それに二十歳になれば年金も払わなきゃいけないんだぞ?しかも日本は年金制度がバグってるせいで払い損になるって言われている。」
「…」
あまりにも生々しく突きつけられる現実と自分の考えの甘さで何も言い返せないカナ。
「もう17だからな。今から貯めるだけ貯めて、老後は安泰。これが理想だな。」
「私とは比べものにならない位、大変な思いしてるのがよく分かった…それでもね…私さ、クラス委員長だから欠席は出したくないんだ」
自分の甘さは分かっていて尚、食い下がる。
「出席日数必要分だけは行くぞ?」
「それって、ただテストだけ受けるようなものでしょ?…ダメだよ、そんなの」
「大したクラス委員長だな…折れてくれない感じがぷんぷんだ。」
「アストレアの未来がかかってるの…!」
「アストレアとか委員長だとか、そんな大義名分は今はどうでもいい。お前はどう考えてるんだ?俺は今まで自分で考えて自分で生きてきた。FXなんかまさにそれだ。自分の意志で初め、自分の責任で続けてきた。自分の本心に従って稼いできた。」
凛とした口調で、真剣に話す翔。
「私は…樟葉君とも仲良くしたい…!せっかく来てくれた編入生だもん!一緒に楽しい時間過ごしたい!学生なんて一生の内で今しかないんだよ!?お金なんていつでも稼げるじゃん!それとも樟葉君の腕はちょっと学生生活楽しんだらダメになるほど鈍らなの!?今しか過ごせない時間を一緒に過ごしたいって…そんなに変…?」
「…そういう本音を可愛らしい橘に言われると、どうしようもないな…全く」
「樟葉君…?」
カナは泣いていた。
「そんなに泣いたら、可愛い顔が台無しだぞ?」
そう言いながら、涙を拭いてあげる。
「ば…ばか…」
「かわいいは正義、プライスレスって思ってるんだが、可愛い子と過ごす時間は…プライスレスどころじゃないな」
「なんでそんな軽々と可愛いなんて言えるの…?猫耳と尻尾あるから?」
「そうだけど?」
「猫耳と尻尾あればいいんだ…」
ちょっと意地悪になるカナ。
「違うな。猫耳と尻尾という普通の女性にない魅力を持っている。しかも後付けっていう偽物じゃない。一人一人が持って生まれる個性として猫耳と尻尾がある。それを可愛いと言わずして何て言えばいいんだ?」
「な…なにいってるの…」
顔が赤い。
「橘はかわいいっていうシンプルな事しか言ってないぞ?」
「恥ずかしいけど…ありがとう…」
カナは俯きながら答える。
「明日からちゃんと登校するから」
「うん…それと…樟葉君…」
「なんだ?金くれって頼みは聞かないぞ」
「違うってば…私の事はカナって呼んで…?」
「なら、俺のことは翔って呼んでくれ」
「ふにゃっ…!?」
驚いてつい猫声が出てしまう。
(この声の為に貯金全部捧げてもいいんじゃないか…俺)
そんな事を思った翔だが…
「取引ってのは、お互いの条件を出して合意しなきゃダメなんだぞ?」
「わ…わかった…その…翔…」
「ああ、これからよろしくな?カナ」
名前で呼ばれてドキドキが止まらない。
(すごく嬉しい…心臓ドキドキ言ってる…にゃ)
恥ずかしさを抑えようとしていると…
グルル…
お腹が鳴ってしまった。
「なんだ?腹減ってたのか?」
「お昼の後、何も食べてないから…アストレアは普通の女性よりも消費カロリーも多いの…」
「そうなのか…何か作るから食ってけよ」
「いいの…?」
「俺のせいで迷惑かけたしな。椅子に座って待っててくれ」
そう言って翔はキッチンに立つ。
(何か…流れでこうなったけど恥ずかしい…)
顔を赤くしたまま、テーブルを見つめる。程なくして、
「お待たせ。好みが分からないからあるもので作った。口に合うといいんだが」
とは言っているが、見るからに美味しそうなカルボナーラである。
「頂きますっ…」
冷ましながらゆっくり口に運ぶ。
「…!美味しいよ!すごく!」
美味し過ぎる。ほっぺが落ちるとはこのことだ。思わず尻尾が立ってしまう。
「口に合って良かった」
一安心の翔。
「どうやったらこんな美味しくできるの!?食堂よか美味しいし!私のお母さんと同じくらい美味しいよ!」
「まぁ…それはだな、学生が料理対決する漫画があって取引の少ない時間とかに読んでたらいつの間にかこうなってたな」
「す…すごい…それにお店で食べるのより少しだけ温度低め…?」
「出す前に少し冷ましたんだ。言うだろ?猫舌って」
「あ…ありがとう…アストレアはみんな熱いの苦手だから…」
(そういう気遣いできるんだ…翔って…)
翔の気遣いに心あったまる。
「そうだ、メアドと電番交換するか?」
翔が唐突に切り出す。
「え…?いいの?」
「勿論。メール送るからアドレス見せて」
「う…うん」
(こういうとこは古いんだ…ていうか…ガラケーなんだ…)
翔の事を知る事ができる上に、一番最初に連絡先の交換もできた。
(なんか、こういうのって嬉しいよねっ)
カナの心が躍る。
「ありがとな。俺の友人連絡先第一号はカナだ。」
「え…!?第一号…!?」
「そうだぞ?ほれ」
見せられた携帯の連絡先の一番上にカナの名前がある。
「友達とか居なかったんだ…」
「そりゃこんな生活してりゃな。前の学校じゃ、試験だけ受けて出席ギリギリだったから」
「…うん」
翔は両親がいない。その上、友人もいないとなると当然ながら連絡先は空っぽだ。自分が一番最初という事の重大さを認識する。
「スマホやタブレットも持ってるけど、こっちは取引専用だからな。もしかしたら必要だろうと思った知人用のガラケーが無駄にならずに済んだ。」
「ありがとね…私が最初で良かった…?」
「当然だろ?俺の部屋まで来て飯まで食ってくれたんだ。」
「えへへ…」
照れ笑いするカナはとても可愛らしい。
「それに、俺に向かって本音ぶちまけてくれた。FXやり始めて生活自体は安定したけど、金しかない生活ってのも味気なかったしな。そこに風穴開けてくれた気がした。」
「翔…口説いてるの…?」
「まさか。思った通りの事言ってるだけだぞ」
「そっか…じゃあ、そろそろ時間も時間だし、部屋戻るね?」
「ああ。お休み。」
「お休みっ…それとごちそうさま♪」
カナは笑顔で部屋に帰った。
(さて…これからが本番だぞ…)
取引するため、パソコンに向かう。すると携帯が鳴った。
(メール…?カナか…?)
開くと、
『私の部屋は、101だからっ☆彡』
と書かれていた。
(ありがとな…)
了解、と返事して直ぐにチャートとにらめっこし始める。勿論、猫耳ヘッドホン付きだ。
『さぁ…取引開始!』