第11話 お犬様、ピンチに乱入す(1
アシューネ・ルラ・ニビオはチュニボ国の第2王女である。
家族構成は父王、王妃、側室1(母)、長兄(次王)、次兄、姉(嫁入り済み)となっている。家族仲は悪くないと自負しているが、ここ最近は兄2人が父の仕事を手伝うようになり、その過程で何かを企んでいるらしい。
会話をするときに矢鱈と楽しそうな笑顔を向けてくることが気になっていた。
それ故に何か仕掛けてくるのではないかと警戒はしていたのだ。……警戒は、だ。
「だからといって有無を言わさずにこれはないだろう!」
振るった拳が馬車の壁に当たってガシャンと音を立てた。
前方を隔てる覗き穴が開き、御者が「何かありましたか?」的な視線を向けてくる。同乗していた騎士が「ああ平気平気」と手を振って何もない風をアピールした。
「いや姫様、これで何回目ですか。ヒスったって現状が変わるわけないじゃないですか。落ち着きましょうよ」
「だがなダグラス! いくら私が王女だからといって、いきなり国外へ出さなくてもいいだろう! 国があんなことになっているというのにだっ!」
憤懣やるかたないといった表情で何度目になるか分からない愚痴を垂れ流すアシューネである。
いなすダグラスと呼ばれた騎士も慣れたもので「はいはい」とここに居ない者への罵詈雑言を捌いていく。
チュニボ国の情勢が不安定になったのは少し前のこと。
別に飢饉が起きたとか疫病が流行ったとか、戦争になったとかではない。きっかけはホンの些細な事だったが、その結果が国家の一大事になる騒動を巻き起こしたのである。
発端はある女性が寝言で勇者の名前を呟いたことが始まりだ。
これがその辺の街娘や村娘であれば、憧れとか妄想のたぐいで終わる。だがその女性は近衛騎士団に所属する者の奥方であった。
後の聞き取り調査によると本人は夢の中だったので記憶はない。勇者が彼女の元へ通っていた事実もない。だが運悪くその呟きを夫が聞き、魔が差したとも云える嫉妬に駆られ凶行に走ってしまったのが問題だった。
これも後日の聞き取り調査によると、本人もどうしてあのような狂気に駆られたのか判らないとのことである。悪神が囁いたとも噂されて神殿から司祭が派遣されたが、原因の発見には至らなかった。
ともあれ狂気に駆られた騎士はこともあろうか勇者に毒を盛って殺害してしまったのである。
勇者というのは称号である。
本人は貴族などではなく、平民出身の冒険者でしかない。ただちょーっと女神の声を神殿の巫女以外に聞き、女神からの恩恵により身体能力が常人を上回っているだけに過ぎない。
根本的にはどこにでもいる人間だ。
加害者の騎士は聞き取り調査の後に晒し首となった。
今も城脇の処刑場で無惨な姿を晒している。時折勇者を慕っていた者たちに石を投げられたり、魔法をぶつけられたりしているので、原形が分からなくなってきたほどだ。
更には間の悪いことが重なるもので。風の噂によると、北方国家の魔族領で魔王が(経緯は不明だが)自分の娘に毒殺されてしまったらしい。
この話が南方国家に伝わるや否や異変が各国から次々に報告されていた。
井戸から黒い触手のようなものが伸びてきて村人が一晩で誰も居なくなっただとか。
街道馬車や商人たちが異形の獣たちに襲われて、骨までしゃぶり尽くされただとか。
女神の力の大地に届ける役目の石神さまの波動が感じられなくなっただとか。
神殿の巫女にすら女神様の信託が聞こえなくなっただとか。
そして極めつけは女神の妹により巫女へ『女神は汝等の所業にお怒りになり隠れた』とのお言葉を最後に神界との交信が完全に途切れてしまったのである。
以上の結果をもたらされたチュニボの上層部は、上へ下への大騒ぎとなった。
近衛騎士の団長は責任を取って辞任するわ。
直属の上司である王の発言力まで弱くなるわ。
国内外からの苦情が天井知らずとなって積み上がるわ。
その影響はアシューネの現状に行き着いているといっても過言ではない。
普段の彼女はドレスを纏い、貴族子女たちとのお茶会に飛び回るなどのイベントとは無縁である。生来のおてんばさが進化して騎士を勤めていた。
それも『麗しのお姉様』やら『男装の麗人』と呼ばれ、国内の子女憧れの女騎士として君臨していた。
破天荒な前国王からの手解きも受け、剣の技量も高く立ち振る舞いも申し分ない。
が、両親が勧める縁談を悉く突っぱねた挙げ句、22歳にして行き遅れの称号を頂戴した。
そんな妹を気遣ったのか兄2人が画策したのがつい先日のこと。
朝からめったに着ないドレスに着替えさせられ困惑したアシューネは、一通の手紙と幾ばくかの荷物と騎士1人をお供にチュニボの城を追い出されたのである。
手紙には『アスエイクの国王の側室に決まったからよろしくね〜』という次兄の一言だけ。
父の発言力が弱まった分だけ次代の発言力がアップし、今や政治の半分程度は彼らの管轄になりつつある。
アシューネに宛てられた手紙もおふざけが過分にあるようだが、ほぼ王命に等しい。なので出発してから今に至るまで彼女の愚痴は止まらないのであった。
愚痴が彼女に出来る最後の自由のようなものであるし。
「お前はいいのか? 私などのお付きとして、たった1人で祖国を追い出された形になっているんだぞ」
アシューネの口を尖らせた不満に、柔和な笑みを顔に貼り付けたダグラスは「実はですね……」と申告する。
「このお付きの権利もかなりの数の希望者が殺到したんですよ」
「はあぁ?!」
「姫様はもっとご自分が部下に慕われていると理解しましょうや。最終的には勝ち抜き戦になりましたがね。姫様のこの先が見れるなら、国を出た甲斐もありますよ」
楽しそうに経緯を語る元部下にアシューネは苦虫を噛み潰したような顔で頭を抱えた。やはり厳しく指導したせいで苦境に陥れば陥っただけ喜びを覚える体質になったようだ。
実際のところ、中隊を率いていた彼女の指導には厳しいところもあった。
その分きちんとケアにも気を使うことで知られていた。
怪我や病気の者にはその手の技量に長ける神殿の者へ働きかけたり、皆が敬遠する嫌な仕事も積極的に行い、悪いと思ったら頭を下げるのも厭わない。こ
んな上司が慕われない訳がなかろう。知らぬは本人ばかりなりということである。
暇で順調な旅に見えたアスエイクまでの行程だった。
森を抜け山を越え長閑な風景に飽きて来た頃に国境を抜け、王都まで残り4日といった時であった。
街道に倒木があったため、ダグラスが馬車を降りようとしたその時のことである。
ひょうっとどこからか射掛けられた矢が、御者の喉に突き刺さった。呻いた彼が席から滑り落ちる音が馬車内の2人に届く。
ダグラスは険しい表情で剣を抜き「何かあったようです! 中から出ないでくださいよ」と、声を掛けて外へ飛びだした。
アシューネは何時もの癖で腰に手をやり、今の自分の格好を思い出してハッとなった。
最低限の荷物しか持たされてないため、愛用の剣や鎧もひと纏めにされて荷物の中だ。手持ちにあるのは儀礼用の短剣のみ。こんなもので戦闘しようものならすぐに砕け散ってしまうだろう。
馬車を出たダグラスを待っていたのは8人の男たちである。
彼らの装備を見たダグラスは、相手が盗賊などではないことを確信した。ほぼ全員が腰に剣を差し、先が四角く広がったスパイクのような物を構えていたからだ。
盗賊は身軽さを理由に革鎧などを纏うが、彼らはチェインメイルやブレストプレートで固めている。
その中の1人が頭目らしく、チェインメイルの上に赤い外套を羽織っていた。
顔にニヤニヤ笑いを貼り付けながら一歩前に進み出る。ダグラスを値踏みするように、上から下まで眺めてから口を開く。
「よう、ニイチャン。この国のモンじゃねえみてえだが、どっから来た?」
「……」
「だんまりか? まあ構わんがな」
四方から斬り掛かられても対処出来るよう無言で剣を構えるダグラスに、盗賊たちは嘲るような笑みを浮かべた。
「オレたちゃあニイチャンたちが何処から来て何処へ行くのに興味はねえ。ちぃーとばかしオレたちのおマンマのために協力して貰うぜ」
頭目が言った直後、周囲を囲む7人が一斉に襲いかかって来る。その動きは盗賊などにはない統制のとれた的確な攻撃であった。
「ぐはっっ!?」
1人はダグラスの武器を、1人は腕を下からカチ上げる型で。頭や首、鎧の弱点や体の急所を金属の塊で殴打されれば、いかな騎士と言えど耐えられるものではない。
上半身に集中した攻撃に気を取られたところに、遠心力の乗った横からの一撃を膝に喰らい、ダグラスは呆気なく地面に転がった。あとは上から打撃や刺突でボコボコにされるだけである。
金属鎧を打つ音に肉を叩く調理じみた音が混ざるのに時間はかからない。
さすがにその過程に辿り着く前に「ダグラスッ!?」と悲痛な叫び声と共にアシューネが飛び出して来たので、作業は一旦中断された。
「ホウ、こりゃ上玉だ」
頭目が顎を撫でながら目を細めて現れた女を値踏みする。
情欲の含まれた冷たい視線に、背筋に薄ら寒いものを感じたアシューネは体を強ばらせた。ご丁寧にも盗賊たちが道を開けてくれたので、うずくまったダグラスに駆け寄ることは出来た。
「……、ひ……さ、ま……」
「しっかりしろっ!」
ダグラスはというと、まだ息があるのが不思議なくらい痛々しい姿へ変えられていた。
全身滅茶苦茶に殴打され、手足があらぬ方向に曲がっている。
鎧もひしゃげ、あちこちが骨ごと凹んでいるのか身動きすらもままならないようだ。無事な部分を探す方が難しいくらいボロボロにされている。
「いったい、私たちが何をしたって言うんだ!」
目尻に涙を溜めて、キッと睨み付けるアシューネを面白そうに見詰めていた頭目はギリギリまで顔を近付けてくる。その嗜虐の笑みを浮かべる瞳には狂気の色が見え隠れしていた。
「オレたちの目的はひとつさ。戦争を起こすことだ」
「……戦、争?」
「あんたらがどこの誰だか知らねえが、他国でお偉いさんが無惨な屍を晒せば、そりゃ戦争の火種にゃあなんだろう? そうすればオレたちのような傭兵は引っ張りだこってもんよ。ついでに高慢チキにお高くとまってる騎士連中を肉塊になるまでぶっ叩くことも出来て万々歳さ、へへっ」
どうやら盗賊などではなく傭兵ということらしいが、思想とやってることは狂人の類いである。
心底楽しそうな頭目が合図を部下に送り、一斉にスパイクが自分たちに振り下ろされた。ダグラスを庇うように覆い被さったアシューネも固く目を瞑り死を覚悟したが、一向に衝撃はやって来ない。
「なっ!? なんだこりゃっっ!」
頭目や部下が動揺する気配に顔を上げてみれば、アシューネたちを囲むように輝く光の繭が形成されていた。傭兵たちのスパイクは繭に阻まれた上に甲高い音を立てて砕け散ってしまう。
慌てた傭兵たちが伏兵の存在を視野に入れ、態勢を立て直すべく距離を取ろうとした。が、一歩遅かった。
彼らの頭上から落下してきた巨大な白いモノが、着陸と同時に地面を爆発させる。
噴き上がった土砂諸共傭兵たちは宙を舞った。
『『ウオオオオオオッッ!?!』』
驚愕しながら空中を舞い、受け身も取れずにドサドサドサッと落下する。
呻き声や痛みを訴える声がその場に満ちるが、土埃が止んで落ちてきたものが露わになった瞬間、更なる衝撃が全員を襲った。
深みを湛えた視線で人間たちを睥睨するのは巨大な白い獣だったからだ。
誰もが一度は目にしたこともあり、寝物語に聞いたこともある女神に仕える石神の話を。まさにそれそのものが眼前を占めているのを全員が理解し、畏怖に膝が落ちる。
「なっ!? あ、あああっ!!」
「ああっ!?」
「あっ、うぐっ!?」
ジロリと睨まれ、威圧感により蛇の前の蛙と化した傭兵たちは悟った。白い獣が終わりを告げるものだと。
白い獣が何事かを呟くと空中に煌めきが集まり30本以上の光の槍が出現して、傭兵たちへと降り注ぐ。
「ぎゃっ!?」
「あががっ!?」
「がっ!?」
肩の付け根と足の付け根に2本ずつ。
計4本の槍を受けた者は、手足の自由を奪われた。
5本目を受けた者は股間のモノを不能にされる。しかし部下たちはまだ命があった方だ。
頭目には20本もの光の十字架が降り注いだ。
彼は白目を剥き、声無き絶叫を振り絞って魂への痛みに苦しんだ。そして十字架と共に光の塵となってそよ風に溶けていった。
「ひっ!?」
「ひいいいいっ!?」
「たっ、助けてくれえええっ!!」
「死にたくねええっ!?」
残った部下たちは悲鳴を上げて、その場から散り散りに逃げ出して行く。
ふらふらよたよたと不自由となった手足を一生懸命動かして。
転んだり、四つん這いになりながら。
白い獣の視線を一生背中に感じつつ、この先を生きていくのが彼らに与えられた罰である。
呆然とそれらの断罪を見ていたアシューネは自分たちの方に向き直る白い獣を見て息を飲む。
精神的に押し潰されるような感覚に自然と頭が垂れる。だが、頭上から「無事なようだな」との言葉を聞き、包まれるような安心感に気を失うのだった。
意識を失う直前に「あ、あれ?」と戸惑う声を聞いたような気もするが、暗闇の中で疑問符は沈んでいった。
次回、ディラニィ側視点。思ったより長くなったので切ります。