第1話 お犬様、再誕す
ある異なる世界。
そこの田舎ならこの辺りだろうと言われる地方に、ひとつの村があった。
だからと言ってその村が有名な訳ではなく。その近くにあるものが人の噂に囁かれていた。
それは村から離れた小高い丘の上にひっそりと存在していた。
「いつ、誰が、何のために?」といったことは伝えられておらず。人々が気が付いた時にはそこにあった、というものだ。
ひとことで言えば祭壇、それか神殿とも言えるもの。直径10メートル程の白石を敷き詰めた円形舞台。屋根は無く、それを囲む6本の石柱、こちらも白石で出来ている。そして極めつけは、舞台の中央に鎮座する巨大な石像。
それは人型ではなく、獣の姿をしていた。前足を伸ばし、後ろ脚を折り畳み、俗にいうお座りの姿勢を取っていた。像は成人男性3人分の高さがあり、如何なる材質によるものか、青みのかかった白い表面は風雨に晒されるこの場所に於いて、ヒビひとつ、くすみひとつ見当たらない。
不思議と周囲の雑草は自己主張が慎ましげで、台座や石柱は蔦に絡まれることなく神秘的な趣を保っていた。
長い年月で不変の存在とくれば、人の信仰が向くものである。その石像は麓の村人から『石神さま』と呼ばれて敬まれていた。
基本的にこの世界の信仰はある女神に集中していたため、その『石神さま』も女神の眷属と考えられていた。実際のところ祭壇は女神の波動を届け、周囲の清浄化を行うためのものであったが、人々はそこまで知る由もない。
しかしそこに続く道のりは決して安全なものではなく、肉食の獣も出るために村から拝みに来る者は少ない。
時折、遠い街から巡礼としてやって来る神官や、信心深い只人が訪れるくらいだ。それらの者には護衛となるものが必ず付いているのが定石である。
だが、ある時を境に普段は見られぬ魔物が目撃されるようになっていた。驚いたのは村の人々や巡礼者たちである。ある者は信仰が足りなくなったと言い。またある者は贄が必要なのかもと苦悩した。いろいろ手を尽くした者たちをあざ笑うかのように、世界には少しずつ魔物が増えていった。
殆ど訪れぬ人の代わり、定期的に『石神さま』にお供えものをするモノたちがいた。
人の生活圏を支える周囲の自然、そこの丘陵地帯に住む動物たちである。
コマザルと呼ばれる小さな猿は、高い枝に生る赤く熟れた実を。
ハネネズミと呼ばれる小さな鼠はドングリやキノコを。
ロフウルと呼ばれる大きなトカゲは地面の中に生る紫の芋を。
灰色熊は蜂の巣のひとかけらを。
動物たちは『石神さま』の供え物が途切れることの無いように、自分たちの食事から少しずつ置いていった。
ある日、『石神さま』のお蔭か比較的温暖な気候が続くその地は、突然の大嵐に見舞われた。
稲妻は激しい瞬きと爆音を轟かせ、村人たちを震え上がらせた。雨は誰もが遭遇したことの無い一寸先も見えないような滝となり、山肌の木々を押し流した。
人々は女神の怒りと思い込み、固く家に閉じこもりながら天に向かって祈りを捧げた。動物たちも巣穴の奥に引っ込み、怯えた瞳で天候を凝視する。
突然の大嵐は発生した時と同じように突然に終わりを告げた。最後に一本の雷を落として。
それは『石神さま』に向かって、不自然なほど真っ直ぐに天から地上への落雷であった。
雷が落ちた石像はそれ自体が太陽のような、朝日のような輝きを内部から迸らせる。森の一画に輝かしい巨大な半球ドーム状の白光が出現したが、嵐の前後であったため誰にも目撃されることはなかった。
白色に輝く石像は、さらについでとばかりに一つの塊を内部から外へ押し出した。それは石像とほぼ同等の大きさを持つ白い獣だ。
白い獣は池のような水溜りに浸る草地の上にべしゃり、と放り出された。それを見届けた石像は、満足したかのように光の放出を止める。天はあっという間に吹き散らされた雲がなくなり、透き通るような晴天が広がっていた。嵐の去った森には、水分をたっぷり含んだ青々とした緑の匂いが緩やかな風に乗る。
鼻をひくひくさせた白い獣は、身じろぎをしたのちにうっすらと目を開けた。