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 夜露は樹の匂いがして、気になる人のことを思い出す。

「糞みたいな服着てんな。まじでお前のとなり歩くの嫌だわ。お前も笑えるわ、よくそんなんで平気で生きているなあ」

 横から嘲弄の言葉で傷つけられても、イルマは頭の片隅でケイトやカイルと過ごした去年を思い出していた。

 イルマは憂鬱だった。身を覆うような閉塞感が、わずかに道にけぶる霧のようにおもえた。

 押し黙るイルマにヒントンは視線を向けて、にやにやと悪趣味に笑った。

「おまえ、俺のこと嫌いだろ」

 イルマは内心を言い当てられて、首をカメのように水平にした。

 ではどうして、私を誘ったのだろう? そんな疑問も抱いたが、心底からの厭う気持ちで考える気も失せた。

 祭りはにぎわっていた。ヒントんが誘いに来たのは、遅かったのでもう村の男と女の踊りが始まっていた。

 ヒントンは何も言うことなく、円状のそこに滑り込んだ。イルマの肩と、村の女の肩がぶつかって女がちたりとイルマを見た。

「あっ」

 と驚きの声が上がり、ヒントンの様子を認めた、ほかの人間も軽いざわめきを起こしている。

 イルマの針の筵、汗まで緊張を強いられるように硬直した。ヒントンは逆に楽しみを濃くしたようで、口元のにやにやとした笑いがほほまで広がっている。

 仲間に冷やかされて、ヒントンはイルマの体を異様に動かすようにエスコートし、そのたびにイルマの足が周囲に見えて、一層の喚声を読んだ。

 イルマは途中から、自分がどんどんとかけていくような感覚に囚われた。くるりとまわるたびに、ひとつ人間の大切なものが地面にこぼれるのだ。

 やっと踊り終わったと思ったとたん、ヒントンはイルマの腰に手をまわし「帰るぞ」と横柄に言い放った。

 イルマはほっとしたが、同時に背中に回る手を意識せずにはいられなかった。その手は意地悪く、凶暴に思えた。

 橙色の光が篝火からはじけるように周囲に広がり、人の間を舞い暗紫色の空にゆっくり溶けていく。そしてそれが人の熱になっていくかのように、場はあつかった。

 イルマとヒントンはくっつきあいながら、その場を後にしたが、二人の間には何かしらの特別なものを見て取ることはできなかっただろう。

「あれでいいだろ? めんどくせえ、女とダンスなんて」

 イルマの忌避をあざ笑うかのような感じで、ダンスをもあざ笑う。

 帰路で、針葉樹のさむざむしい景色を遠くに見ながらイルマはぐったりと疲労していた。何も考えることができなかったし、隣の男に意識を払うことも疲労がさせなかった。

 だからか、唐突にイルマは蹴躓いた。はっとしながら、ひざから崩れ落ちる。痛い、というより先にヒントンの手を借りなければいけない不快感にむっと眉を寄せた。

 しかしそれより一泊置いて、それがヒントンによるものだと気づいた。

 なぜならヒントンはイルマの右肩を片手で強くつかみ、そのまま茂みに引きずり込むように引き倒した。

 ぎょっと目を見開いたイルマは、凶暴に輝く瞳と出会った。

 あっ、何もかもこの先怒ることを予感したのは遅かった。

 イルマはあきらめたのか、自分のうかつさと運命に感じいったのかはよくわからなかった。

 ことはイルマのぼんやりした瞳のうちに進んだ。その間もヒントンは何かしらイルマの尊厳を傷つける言葉を絶え間なく発していた。

「おっおい」

 ぼんやりしているイルマにしばらく言葉は耳に入らなかった。けれど肩を揺さぶられ、叫びながら同じ方向を指さされれば、いやでも気付く。

 ヒントンの黒い汚れが詰まった爪はあきらかにイルマの家の方向を向いていて座位になってその方向を見ると、ばちばちとした光が見えた。いや激しい光で、炎の灯りだった。

「燃えてる……」

 つぶやいてが、自分でも信じがたかった。

 あれほど大規模に燃えているのだ。全く非現実の光景だった。

 ヒントンも流石にその光景を無視したまま行為に及ぶのはよしたらしい、「行けよ」といった。

 そこでイルマはやっと、それが自分の家の方向で、家がっ燃えている可能性があることを思い出した。

 ほのかに左ほほを照らす灯りだけを頼りに、乾いた土をけりながら進み続けた。つま先は地面をけり、そのたびに自分は走っていると、自覚した。

 家が遠目に目視できる位置でイルマは立ち尽くした。

 燃えているのが自分の家だったからだ。


 八四六年 一季


 ケイトの輿入れは年が変わってすぐに決まった。ケイトは十五になり、イルマは十三、カイルは七つになった。

 そしてその輿入れにイルマは付いていくことになった。

 四季の祭りの日に、イルマの家と母親はすべてなくなり、茫然としていたイルマにケイトはこともなげに「これで着いてくるしかないでしょう」とほほ笑んだ。その悲しさや同情を含まない態度に、怒れそうなものだったがイルマは少しほほ笑んだ。

 らしい、と思ったのだった。

 それに、イルマは感謝していた。家が燃え、どこにも行かれなくなったイルマを唯一喜んで引き受けてくれたのだから。

 愛した母親が死んだショックは相当なものだったが、じっとうちにこめて泣くことで耐えられた。人に自分の悲しみのせいで、迷惑をかけないのはよかった。

 またカイルもよくしてくれた。自分を盲目的に信頼してくれる存在がいたことで、強くなれた。

 だから年をまたぎ、ケイトの輿入れが決まったときに「ついていきたい」と自分から言った。

 ケイトはそのときカイルの髪の毛を整えているところで、一瞬遅れで「侍女としてだったらついてきてもいいわよ」と言ってにやりと笑った。

 カイルは鼻歌を歌った。軽やかなメロディー、素朴でかわいらしい歌だった。

 イルマはほぼ二週間で多くのことを覚えなければいけなかった。先方にはケイトの侍女兼ご友人、そしてカイルの家庭教師だと位置づけられていた。そしてカイルにはあの褐色の召使がついていくらしかった。その褐色のバダリという女にイルマは教育された。コルセットなどといううものの付け方。紅茶の入れ方。知らないことばかりで、別世界過ぎてめまいがした。


 ケイトは意外にできないことばかりのイルマに優しかった。

「こんな七面倒くさいことをありがたがってる。どこもかしこも、くだらないわ。適当でいいわよ」

 カイルはといえば、イルマのベッドで毎日寝た。だからかカイルの寝癖を直す方法だけは上手になった。

「そんなことなら、私もあんたのベッドで寝ようかしら」

 ケイトはよくそんな冗談を言った。上機嫌だった。けれどそれはどこか自分をごまかしているような陽気さのようにイルマは思えた。だからといって、イルマは指摘しなかった。

 なぜならイルマは表面にあらわさないだけで、自分がケイトの臣下になったと自覚しているからだった。決してもう本来からただの友達と言えないところがあった。

「ねえ、どう思うコレ」

 輿入れからもう一週間と差し迫った日、カイルの部屋で、飾り椅子に腰を下ろしてケイトは言った。

 手には白いレース衣装があった。領主の使いが、花嫁衣装として持ってきたものだ。

 イルマはそれを見て、感心した。とても清楚で品があり、ケイトの癖のある顔をよく中和している。

 けれどケイトの衣装の持ち方ははまるで汚いものを触るような手つきで、その顔には不満があった。

「それに不満があるんでしょう」

 イルマが苦笑いすると、カイルが「見せて」とイルマの書いた問題用紙から顔を上げた。

 ケイトはそれを無視して、その花嫁衣装を「趣味が悪いと思わない?」と床に投げ捨てた。カイルが立ってその花嫁衣装を広げた。

「う~ん」

 イルマは淡い黄色の絨毯の上の衣装をまじまじと見た。

「きれいだと思うけど」

「虫唾が走る。この衣装は、私に物を要求してるのよ。従順な初々しい花嫁をね」

「でも、それが期待されてるんでしょ」

 イルマが尋ねると、ケイトの顔が笑みを浮かべようとして崩れた。

「そうね……」

 それから初めてといっていいほどの、不安が浮かぶ。

「ねえ、イルマ。私は第二夫人になるのよ」

 イルマは沈黙した。領主には夫人がいたのだった。

「たぶん、手ぐすねを引いて私を押さえつけて躾けようという輩がいっぱいいるわ。この私を、ただ有象無象の礼儀や親せきやらで、頭を下げさせようとするのよ。そして私をバカにしようとする」

「そうね」

 イルマは優しくうなずいた。

「そうよ」

 ケイトは挑むように顔を上げた。

「でもケイト、貴女は決してそういう人たちに大きな顔をさせないつもりなんでしょう?」

「ええ、絶対に。だけど、最初からは無理だわ。私はもっともっと、権力を持たなければならない。そしてそれは、あのどうでもいい男の関心をより得なくてはいけない。媚びるのよ、これから私は」


 イルマは考えないようにしていたことをケイトから告白され、黙った。イルマはケイトの完全な美しさを信奉し、ケイトの精神の疵のない華麗さを誇っていた。

 けれどケイトはそれだけでは立ち行かぬことを知っていた。領主の関心と愛情を得るためにはおそらくケイトは計算しなければいけないのだった。

 イルマはケイトを抱きしめたかったが、それは拒否されるだろう。

「カイル」

 イルマはカイルを呼び寄せ、「ケイトお姉ちゃんのために、頑張ろうね」といった。カイルは丸々とした紅色の頬をイルマに寄せた。

「イルマおねえちゃんとだったら、頑張る」

 偉いね、イルマは赤毛を撫でた。ケイトはなぜか顔をそらしていて、こちらを見ていない風だった。

 その夜、イルマはカイルが寝台に入ってきたとき「カイル、領主様のお家へ行ったら、もう一緒に寝れなくなるのよ。だから明日からは一人で寝なくちゃいけないよ」といった。

 カイルは不思議そうに瞳をまんま悪くさせて、「どうして? 二人で寝ちゃダメなの?」と聞いた。

「カイルはもう、7つだから、みんな大人らしさを求めるんだよ。だから、二人で寝ると、子供だって軽んじられちゃうの」

「ふうん。くだらないね」

 無邪気な顔でそんなことを言うものだから、イルマは驚いてしまった。それから噴き出して、

「ケイトもカイルも大変だね」

 とつぶやいた。

「二人は心が人と違うから、合わせさせるか、合わすしかないもの」

 そのつぶやきにカイルはふっと顔を大人のようなものにして、「イルマは? 合わせてくれるの?」

 と聞いてきた。

「ふふ、カイルは何も心配しなくてもいいよ。私は二人のことが大好きだから、変わったことなんて何の関係もないんだよ」

 カイルは無言でイルマに寄り添った。

「大好き」

 イルマはほほ笑んだ。けれど確かにそこには、カイルの不断の無邪気さではなく、どこか異常な部分の言わせる響きがあった。

 それからあっというまに、婚礼当日がやってきた。イルマはケイトのおさがりの服を着て、一応髪の毛を飾った。カイルはといえば、どこから出してきたのか、立派な服があった。

 ケイトは気に入らない衣装を着たが、髪の毛を貞淑にまくことはしなかった。そのまま背に流した。

 そしてイルマは初めて領主を見たが、ずいぶん意外な気がした。領主は灰色の瞳の生真面目そうな40代の男だった。

 容姿のいい男というわけではないが、品があり、流石に領主と思えるところがあった。彼は一瞬花嫁姿のケイトに感嘆のまなざしを向け、そしてカイルによく話しかけて遊んでいた。イルマは気をもんだが、カイルは子供らしく受け答えした。

 イルマには遠目から会釈しただけだった。

 ケイトと領主は同じ馬車に乗り、領主の住むハイ・キークに入った。イルマとカイルも後に続いた。





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