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 ケイトは足でカイルを転がしていた。

 いつもなら、ケイトを窘めるが、気分が悪く疲れていたため声が出ない。


 立ちすくむイルマをケイトは訝し気に見て、足を止めた。


「ほら、カイル。イルマが来たから、あっちへいって」

 追い払う仕草が堂に入っている。可笑しくて小さく笑う。

 カイルは小さな体で駆け寄ってきて、「どうだった?」と尋ねてくる。

「うん。ありがとうって言われた」

 そういって、ぼんやりしたままカイルの頭をなでた。

「ねぇ司祭様はどういう方なの?」

 そうポツンと聞けば、答えは明確にかえってきた。

「真面目」

 ケイトだった。髪を手櫛で整えながら、歌うように言う。

「凄く、真面目」

 

 

 夕食の席に並べられたのは豪勢な食事だった。イルマは無意識に喉が鳴る。

 見たことがない、とてもおいしそう。

 焼き立てのパンには乾いた果物の粒が練りこまれ、小麦の柔らかな香ばしさと弾けるような甘い匂いが交わってお腹に来る。大きな肉の塊は香り葉が使われて、塩焼にされている。

 喉が猫のようにごろごろなりそうだった。


 イルマは無神教の習慣に詳しくないので、様子をうかがっていたが、食事前には特別変わった儀式は無いようで、すぐに食事を始めることができた。


 イルマは一口最初にサラダを口にして目を見開いた。

 新鮮で、歯ごたえが素晴らしくいい。

 イルマは他のものも口に運ぶ。

 そのすべてが、本当に腹がごろごろ鳴るほど、美味しいのだ。今まで嫌いだった肉も、どうしてこんなにも違うのか、臭みはなく歯ごたえはしっかりしているがちゃんとかみ切れる。

 奥歯で肉をかむと、ジュワッと口内にむき出しの野生の味と、塩の香ばしい匂いと、ほのかな甘みが広がった。

 イルマは自制をしながらも、食事に全神経を傾けていた。

 それに気づいたのは、パンを賞味しているときで、勿論イルマは困惑した。

 食事の配膳をしている奴隷たちが、カイルの前に色々と料理を並べているのだ。

 ふいと気になって窺っていると、それが明らかに高級料理であることに気づかされた。自分の周辺の食料しか把握していなかったのだが、それも憧れの食卓だとすると、カイルの目の前のものは、物語の中の豪勢な食事そのものだった。

 ケイトの食事は司祭や妻に比べると、豪勢だったが、カイルほどの露骨さはない。

 不自然だ、凄く。

 食事の手を弛めて、得体の知れない気持ちの悪さを噛み砕く。

 イルマは一歩踏み込めば、そこから違う倫理と常識が支配する世界だと薄く予測してしまって、見渡される背後に一歩下がることを考えた。

 いや、でも、イルマはじっとカイルの食事風景を眺めて、決意した。

 後で聞こう。無神教のこと、司祭のこと、そしてケイト、カイルのこと。


 帰り道、暗い夜道を歩きながらイルマは尋ねた。

「今更だけど、無神教というのはどういうものなの?」

 ケイトの一際強く輝く瞳は不思議な色があった。

「今更、というわけでもないでしょ。気になるの?」

「うん」

「創神教の信者にはあまり馴染めないわよ、きっと」

 カイルは先に走って木を見たりしている。

 イルマは声を立てて笑った。

「私は創神教なんか本当は嫌いだよ。ナイショだけどね」

「そう……」

 ケイトは意外そうに片眉を上げて、迷った風にしばらく黙っていたが、口を開いた。

「『何をも理解せず、興味を抱かず、人生を歩めば、世界唯一の価値を持つものが見えくる。無である。』

 無神教は生きていることにも人生にも何の価値もないとして、けれどそういう人生でたった一つ価値あるものが、人生を無くし無意味に生きていることを自覚してやっと得られる、底なしの絶望――虚無――という至高の真理、と言う教えよ。冷たくて凍るような『すべてが無意味』と言う自覚によって、人間は死ぬべきなのだというものだけど。

 ただこの教えは大まかに理解されているだけで、結構誤解の種になるのよ。無神教は、簡単にいうと、神がいないと『仮定』して人生を歩む、という教えなの。神はいないし、人生も無意味である。だからこそ、自分らしく生きていこう、というね。その場の楽しみや苦しみ、無意味とされながらも、その場ではすべてを支配する感覚、生きて生じる様々な痛み、それを無意味とわかりながらも、受け続ける。神はいないから、全ては人間によって創られたもの。それを人間として受け止める」

「それじゃあ……神様はいないという教えなの?」

 余りにも突飛な教えにイルマは愕然として問いかける。

「いいえ、説明したじゃない。無神教の神は無よ。何もないもの――全ての事柄に、それを虚無という――無が神よ」

「無が何もないこと?」

 イルマは眉を寄せる。説明では不十分だった。けれど、分かったことはケイトはこの教えを完璧に理解しているということだった。なじみがなく、まったく教えとも思えない発想だけれど、ケイトはこの教えの真理を一部感じ取っている。

「ケイトは、ケイトは、この考えを信奉しているの?」

 震える声で、ケイトを見上げた。

 ケイトは不思議なまなざしをしていた。何かを考えるような。

「イルマ、貴女はどう――神はいると思う?」

「いる、と思う」

「私はこの質問にいつもこう答える。神はいない、けれど自分で作り出すことができる。多くの宗教はそうして、神を作っていった。そしてね概念が巨大化して、実現してしまったの、神が。

 多くの人間は神が存在すると思っている。正しい、正しい、実際今はいる。けれど昔はいなかった。

 私はね、宗教が嫌いよ。この世界には宗教が多すぎる」

 イルマは息を吸った。まったく、違う世界に放り込まれている。先ほど感じた予感は、どうやら正解だったらしい。けれど予想外だったことが一つ、イルマはゆっくり暗い空を見上げ、道の先でくるくると駆け回っているカイルを見た。


 ――――恐らく私は違う世界でも生きていける。


 この価値観にはなじみがある。

 私が奴隷時代にしていたような目を、ケイトはしている。完全に世界から隔絶したところから見ている。

「ケイト」

 声をかけると、笑い声が耳朶に響いた。

「どう? 引いた? 理解できない?」

 笑い声が続いたが、それを意に介さない。

「面白いと、思う。その考え。この世界には神が多すぎる」




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