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 それから数日して、ケイトは祭りに行かないことにしたらしい。


「あんなふうに纏わりつかれるのは鬱陶しいから」

「それで、提案なんだけど、あんた祭りの日、私の家に来ない? お父様がお礼を言いたいって。カイル、大分読み書きができるようになったし」

 ばつが悪そうだった。いや、よく見ると照れている風に見えた。イルマはなんだかうれしくて、自然と口が緩むのを抑えられなかった。

 すぐに同意しようとして、はっと気づいた。


「お母さんを一人きりにはできないよ。お母さんも一緒には駄目?」

「駄目。あんまり家に人を招くの嫌なの」

「それじゃあ」

「ねえ、あんたの母親はもう、十分大人よ。いくら盲人だからって奴隷みたいに働くことないの。あんた頭いいんだから、分かるでしょ?」

 イルマは沈黙した。奴隷みたい。率直な感想が堪えた。やはりそういう風に見えるのだろうか。

 見る人が見れば、分かってしまうのか。


 感情は怒りに変わった。


「勝手なこと言わないで」

 吐き捨てるように言い、顔をそむけた。向けた先にはカイルがきょとんと怒ったイルマを見ていた。その表情が面白くて、少し笑った後、「さあ勉強しようか」といった。


 そしてすぐに今自分がしたのは八つ当たりだと気づいた。



 帰り際、いつもなら玄関でわかれるが、途中まで送っていくことにした。

 ケイトは無言で、カイルはイルマと手をつないでいた。


「ケイト、ごめん。ひどいこと言って」

「別にひどいことでもなかったじゃない。事実よ、私は勝手なことしか言わないし、それが悪いとも思わないから」

 即座に帰ってきた返事。イルマはそれを怒っているのだと思って、気分が暗く沈み込んだ。

 ケイトは言い方は率直で明け透けだから、悪意があるように聞こえてしまう。だけれど、彼女は物事をはっきり言う性質というだけなのだ。確かに彼女の理論はあっさりしすぎているし、言い方というものがないけれど、素直な正直な意見なのだ。イルマはそれをよく知っていた。けれど、それに対して苛立ち、当たった。


「ごめんね」

 繰り返すと、ケイトはふと気づいたように立ち止まった。木柵を過ぎ、いくらかの田が並んでいる場所で、二三の木が連なっているところだ。


「ねぇ、あなたのそういうところが奴隷根性だというのよ。勝手なこと言わないで。そう確かに私は勝手なことを言ったの。あなたの指摘は事実。私はあなたが傷つこうが、しまいがどうでもいいと思ったからいったわ。その会話にあなたの謝る点などないし、そんな自分自身を下に置いた関係性をする必要はない。見てると、吐き気がする」


 二人の間に風が吹きぬけ、木がさわさわと音を立てた。先ほどまで心地よかった鼻の奥を擽る青々とした草木と濡れた泥の甘い匂い――それがツンとした、じめじめとした感触を持って迫る。

 イルマは口を微々と動かした。


「違う」

 突然、幼い声が割って入った。舌足らずな言葉だったが、断言するような口調だった。

 二人は声の方向に視線を向けた。

 カイルは澄み渡るような目でケイトを見上げていた。何が写っているのか判然としない、深い深いまなざしだった。


「イルマおねえちゃんは、やさしいから。それ、だから。ごめんね、するんだよ」

 どれいこんじょう、じゃない。

 奴隷根性の意味が理解できているのか、その部分に一際力が入っていた。


 黙りこむ二人の大人にカイルは微笑む。


「なかよくしよ」

 それがまたイルマそっくりの口調で、二人は少しの間を空けて、笑い出した。


 ああ可愛い。イルマは屈んで、カイルの小さな体を強く抱すくめた。



 次の日、夕方に来たカイルはイルマの母に直接交渉していた。

 やっぱり、とイルマは自身の見る目が少し誇らしかった。カイルはとびきり頭がよく、柔軟な思考で、周りのどんな人間よりもよっぽど大人だった。


 カイルを目に入れても痛くないとばかりに可愛がっている母は、それにすぐさま同意した。


 そして祭りの日、イルマは初めて『友達』と過ごすことになった。その胸をざわめかせる響き。恥ずかしいような、くすぐったいような、胸を満たす充足感。

 うれしかった。とても楽しみだった。

 明言されたことはないけれど、ケイトは、そう――友達と思ってくれているだろうから。

 そして私も……。



 うそつきな女の子

 彼女はいつも 本当のことに気づかないのさ

 だからいっつも うそばかり


 友だちなんていやしない

 つけるうそは 寂しいものばかり

 彼女は温かい経験なんてないんだから

 寂しいうそつく 彼女は 相手にされやしない


 村にやってきた ひょうきんな男は

 可笑しな可笑しな うそをつく

 

 すぐにみんなの人気者


 男に習おうとする 彼女は

 いっしょうけんめい


 いっしょうけんめい……



 朝まだき、まだ青紫のゆらめきが空に写るより先に、イルマは寝床からおきだした。母を起こさないようにそっと朝食の下準備を済ませる。

 招かれたのは夕食だが、それよりも先に来てほしいとカイルが甘えたので昼前には、向こうにつこうと思っていた。


 何か手土産を買いに、少し遠いが村の真ん中の市場まで行こう。何を喜ぶだろうか。

 イルマは口元を弛めて、さまざまな思案に暮れる。

 果物は森で取れるけれど、売っているものは実が大きく綺麗だ。喜ぶかもしれない。しかし夕食は用意されているのだから、食べ物を追加で持っていくのは無粋な気がする。

 

 使うこともないので、コツコツと貯めていた小遣いは銅貨十二枚。きっちり銀貨二枚に換えられる。大人からすればたいした金額ではないが、子供からすれば十分な金額だ。

 イルマは市場についてから買うものを決めようと、巾着に銅貨をつめて出発することにした。


 家は村の外れにあるが、市場までの行き道は苦にならなかった。

 

 結局イルマが足を止めたのは、新鮮な果物を売っている露店だった。小さな売店で不愛想な女店主の視線に眺め回される。

 カイルの好きな果物を買おうと思い、籠に詰められているものを指さして「これを十つください」といった。柔らかそうな赤い果実が籠にギッシリと詰められ、その皮の中には仄かに赤みがかかった白い果肉がはちきれんばかりに入っているのだろうと容易に想像できた。

 喜ぶだろうな。イルマは口の端を上げる。そうして巾着から銅貨を取り出そうとすると、硬質な声が耳朶に響いた。

「これは売れないよ」

 女店主は黒い瞳をイルマに向ける。イルマは何度か瞬きした。

「さあ帰りな。あんたの家に」

「おい、ババア。それ一つ!」

 後ろから近所の悪童が銅貨を一枚投げた。女店主は「ババアとはなんだい! あいよ」と、赤い果実を投げ渡した。

 なんで……、か細い声が喉から絞り出される。


「悔い改めなさいな。思い上がりも甚だしいよ。易者の私生児の身の上で、学んだり、モノを教えたりね、傲慢というものだよ。村のみんなはそう思ってるんだ。ジェームズに学ぶのはやめて、今まで通り母親に尽くすんだ。それがあんたが生まれてきたことに対する一番の償いだよ。さあ、帰った帰った」

 

 イルマは茶色い染みが斑点になり、大きな破れ目がついた革靴で、トボトボと行き道を辿っていた。心は完全にへしゃげ、意気はひどく消沈していた。

 女店主の言は客観的な村の認識で、そしてそれに対抗するものはイルマの心の中にはなかった。あるとすればそれはケイトの言だけだったのだ。

 

 間違っていない、とケイトに行ってもらったから?

 だから私は――――調子に乗ったの?


 じゃあもしケイトがいなかったら?


 その仮定に呆然と、往来の真ん中で立ちすくんだ。

 

 そうきっと、今まで通り。同じように、毎日母親の為に働き、時間が余れば近所の手伝いに行き、ずっと村の全員の気に障らないように従順に生きているはずだ。

 

 私が自信を持ったのは、外的影響だ。自分自身が変わったわけじゃない。それなのに勘違いしたのだ。



 イルマはもう先ほどまでの解き放たれた感覚を持つことはできない。倨傲という言葉に雁字搦めにされ、頭上に乗る二文字が無理やりに頭を下げさせる。


 気づくと、家へ戻ってきていた。この先はジェームズの家で、柵を越えて森に差し掛かったところが司祭の家だ。

 イルマの足が覚束ないままに、家の方へ曲がろうとする。


 しかし、イルマはもう一度足を止めた。このまままた元の生活に戻る? 


 違う、それはいやだ。


 でも……あんな風に言われた。誰かにああいう風に言われるのは恥ずかしい。自分のやっていることが間違っていると指摘されるのは怖い。

 だって私は自分の行動に確信を持てているわけではないから。


 ケイト、ケイト。瞼の奥で、悪魔の金瞳が、迫ってくる。耳元ではあの耳触りのいい低い落ち着いた声が、奴隷、と何度も言っている。

 イルマは幻想にそうよ、と返した。根性だけじゃない。私は本当に奴隷だった。


 イルマが生まれたとき、村長が母から自分を取り上げた。占い師だから、子供なんていてはいけないから。

 村長の家で5年間育てられた。そして安く売られた。


 思い出す。嫌なところだった。売られた先は貧しい貧しい村だった。ほとんどの村人は農奴で、一方的な搾取に苦しんでいた。そこは一般的な村とは仕組みが異なっていた。領主公認の奴隷農園だった。そこの――――村長と一般的に言われる存在に売られた。


 村長の子息は同年の少年だった。人として可笑しいと思わせる乱暴さと残忍さを備えていた。粗相をした召使いの女性に癇癪をおこして、顔面を何度も何度も殴りつける。家庭教師が気に入らないからと、自分の手にちょっとした傷を作ったうえで、領主裁判に訴える。家庭教師は結局多額の賠償金を命じられた。

 イルマは少年が怖かった。時折哀れに思うこともあった。なぜそんなに人を虐められるのか。少年の母親が愛情を与えなかったから。十分に躾けなかったから。そういう部分はあったのだろうと思う。蚊帳の外、一枚の壁を挟んだ上でその状況に接していたわけではないから、あまり冷静に観察できなかったけれど。

 少年の性質がもう変わることがないことはイルマにはわかった。

 イルマもその少年に苛められていた。


 たぶん少年にとっては息抜きのようなものだった。


 だから9歳の時、どういう事情だったのか母に引き取られたとき、イルマはうれしかった。幸せだった。四年の奴隷生活で、幼少の五年間は幸せな時代と認識されていて、もう決して売られまいと誓った。


 

 イルマは道の端に座り込んで、膝を抱えた。


 だって、そうするほかなかった。進む勇気も後退する勇気もなかったのだから。

 



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