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エピローグ


 855年2季

 

 第4王子イスマールはいつも傷だらけだった。

 母親が娼婦だったからだ。そしてイスマールが醜い容姿だったから。


 イスマールが周囲から軽んじられる理由はその二つで十分だった。


 ただ一人だけ、イスマールを人間として扱ってくれるのは教育係の男一人だった。しかし、その男は元々冷淡なたちで傷だらけのイスマールに同情心をよせたり、特別気を配ったりすることは無かった。ただ業務を当たり前にこなした。


 その日の城内は朝から騒がしかったから、イスマールはずっと原因を考えていた。

 召使いは忙しそうだが、どこか好奇心で目がぐるぐると動いていく。ときおりひそひそ話をしている。


 政治に関与している貴族達は難しい顔で何やら話し、ため息をつき首を振っている。

 他の王子や王女は自分たちもその話が分かるともいいたげに、難しい顔で何やら話し合っている。


 一人はじかれたイスマールは誰にも聞けず、その日授業が終わった後やっと教育係の男に尋ねた。

「ドーン卿、今日は何かあるのか?」

 男は面倒くさげな表情を浮かべたが、

「今日はハイ・キークの領主の任命式があるのですよ」

 と簡単に答えた。

「任命式ごときでなぜ、皆がこうまで騒いでいる?」

 男はイスマールを見下ろし、

「ハイ・キークの領主は任命式と同時に叙爵します。そして加えて婚姻します。

 婚姻する女は、ハイ・キークの宗教的指導者なのですよ。この宗教はまだ名も無き教えに過ぎませんが、おそらくこの任命式の際に正式に宗教として認めるように国王に奏上するつもりだと言われています」


 男はいったん言葉を止め、わずかに遠い目をした。何かを考えるような、イスマールが見たこともない人間味あふれる表情だった。


「…………そして、この教えは弱き民の間に広がるでしょう」


 何かを振り切るように男は首を振った。

 それからいつものような色のない瞳をして「以降は、質問を定められた授業時間内でしてください」といって部屋から出て行った。



 任命式、イスマールは玉座の左側、一番外側に座っていた。

 王はまだ来ていない。玉座の両横に王族が並び、金糸で編まれた絨毯が王座の間の入り口までひかれている。


 絨毯に横には騎士や貴族が並んでいた。


 王が入ってきたと同時に貴族、王族が拝礼する。


 王が座った瞬間、地響きのような男が王座の間に響いた。騎士達に動揺はないが、イスマールは心臓が止まるほど驚いた。


 何が起こったのだろう、とイスマールがおびえていると、入り口が大きく開いた。

 

 イスマールが最初に見たのは真っ赤な髪だった。入ってきたのは男だった。その男は光っているように見えた。顔立ちはまごうことも無く美しく、肌は白絹のように艶やかだ。目には光が閉じ込められたように輝いている。


 一目見ただけでも心酔しそうな、完璧な男だった。しかし異様なのは男が手に鎖をもっていることだった。手首に鎖の端を絡めしっかりと握っている。一歩後ろからついてきていた女性も鎖をもっていた。その女性も男と釣り合うほど美しかった。茶色い巻き毛が床につきそうな程伸びている。髪には美しい宝石が絡み、瞳は獣のような黄金色。


 貴族達の間から、やっと息の音が漏れた。息を止めるほど二人は美しかった。

 二人が玉座の前に跪くと、


「カイル・ローデンス、そなたをハイ・キーク領主とする。そして、伯爵に叙爵する」

 宰相が羊皮紙を捧げ持ちながら高らかに言う。


 イスマールが領主を見ると、領主はまるで子供のように開けっぴろげな笑顔を浮かべていた。

 なにかイスマールは背筋がざわつくような感覚に襲われた。


 なににこんなに違和感を覚えるのだ、とイスマールは思った瞬間気づいた。領主はちっとも宰相の方など見ていないのだ。見ているのはずっと王だけ。

 領主は躊躇も無く「陛下」と呼びかけた。


 イスマールは背筋が凍った。このような場で許可無く、王に声をかけるなど打ち首ものだ。


 しかし誰も何も動かない。イスマールは動揺して横に座る第3王子に「兄上、なぜ騎士達は動かないのです!?」

 と小さく叫んでいた。

 第3王子はひどく冷たい顔で「あの鎖が見えないのか。鎖の先にいるのは竜だ。あの領主は領地から竜にのって王都まできたのだ。もしあの領主に害でもあたえよう物なら、あの凶暴な生物がどうするかくらい分かるだろう」と吐き捨てた。


「陛下、叙爵は終わりました。お約束の件ですが」

「カイル焦らないの」


 横の女性が、笑顔の領主を小さくとがめた。領主は笑顔を崩さず「だって、やっと僕のお嫁さんを迎えられるんだよ」


 王はその皺の刻まれた顔に何の表情も乗せず「ローデンス伯爵は今年で成人し、叙爵と同時に妻を娶る許可を申請していた。この場を借りて、許可をあたえよう」


「では、僕の妻を」

 領主は王座の間の入り口に立っていた片腕のない騎士に合図した。その騎士は領主の護衛騎士なのか、近衛騎士団とは違った制服を身につけていた。


 入り口から黒髪の女が姿を現した。黒い髪がきれいに編み込まれ、やや丸い瞳がまっすぐ前を見ている。女は緊張した顔をしていたが、領主の満面の笑みを受けて、少し微笑んだ。


 女が近づくたび領主の瞳は熱に浮かされたようになっていく。不思議なことに横の女性もうっとりと領主の妻を眺めていた。


 領主の妻は黄金の瞳の女のように髪に宝石をつけているわけでは無かったが、白い花を髪に挿し清楚な美しさがあった。


 しかしイスマール以外の王族や貴族達は、領主に比べ平凡な容貌の妻にやや見下した視線をおくった。


「お前の名は?」

 領主の妻は領主の横に膝をつき、王を見上げた。そして王の問いに対し「イルマと申します」とはっきりと告げた。


 姓がないということは平民だということだ。イスマールは驚いて、イルマという女を凝視した。

 しかし、王の顔に驚きは無かった。


「ではイルマ、お前とローデンス伯爵の婚姻を許可する。そしてそれと同時に、お前の教えを正式な宗教として認めよう」


 王の言葉に、三人は平伏した。




 イスマールは任命式が終わった後、第三王子に殴られていた。

 理由は任命式で話しかけたという理由だった。


 中庭でぼこぼこと殴られ、唾を吐きかけられた。イスマールは誰もいないところで休もうと、中庭の東屋の陰に横たわった。


 ぼんやりと横たわっていると、歌が聞こえてきた。


 音がきこえる 

 童子が無垢に笑うような

 女がさめざめ泣くような

 男が囃し立てるような


 音と同時に あたたかなにおいが透明なまわりから 

 遠いはなし声がきこえる

 黒い森は碧い

 森は夜 足は土にのみこまれる 


 夜がふけると みんないう


 あああそこは遠いところで 美しいところ だからみんないきたがる


 でもとても怖いところ 美しいものの奥底には 闇がある


 闇はあなたをとらえて 離したがらない



 歌が終わった。茫洋とした歌だった。詩のようでもあるし、独白でもあるように聞こえた。


 

 歌の主の足が止まる。

 まるでイスマールの存在に気づいたように、東屋に近づいてくる。


 イスマールが身体を縮こめていると、さっと影が差して、


「酷いわ。今助けるからね」


 と声をかけられた。


 そこにいたのはイルマという女だった。女は先ほどと同じ格好でそこにいた。イスマールを痛ましそうに見ている。


 女は屈み「今はハンカチをもっていないの」

 そう言ってから、自分のドレスを破き、イスマールの出血を一つ一つ拭っている。


「よかった。出血は止まってるわ。貴方のお名前は? どうしてこんなところで、こんな傷を? 

 とにかく、私があたえて貰った休憩室があるから、そこで手当をするわ」


 イスマールは自分の身体に触れる女の手の優しさにほとんど呆然として言葉が出なかった。

 女はイスマールがどういう存在か全く気づいていない。ただの優しさでそこにいて、その言葉をイスマールにかけているのだ。


 そのありえない現実にイスマールは声が出なかった。


 女はイスマールの手を握り「歩ける?」と声をかけ、ゆっくりと自分の休憩室に戻った。


「今はね私の夫がいないから。今のうちに手当てするわ」


 女はイスマールをベッドに座らせ、ひざまずいてイスマールの脚の傷の処置をしている。女は一通り処置が終わった後真剣な顔で「こんなこといつもされているの?」と尋ねてきた。


「いつもではない」

 女には嘘をつきたくなかったが、それよりもなぜだか女には自分の現状を知られたくなかった。


「そう。私は貴方のお名前も知らないし、今日在ったばかりだけど、貴方のために力になれると思う。

 私の名前はイルマ。ハイ・キーク領主の妻なの。何か困ったことがあれば、手助けする」


 イスマールはそのとき、はじめて人を、まじまじと眺めた。イルマは自分が特別なことを言ったという意識もなければ、気負いもなさそうだった。

 ただ自然と、他人のために何かをしてあげるという心があった。


 イスマールは人の心の美しさを見た気がした。それはとくに特別な物には見えない凡庸なものだった。だけども何よりも大切にしなければならないもののように感じた。


 イルマはじっとイスマールの顔を見ていたが、何かに気づいたのか、はっとイスマールの身体から離れた。


 扉が開き、先ほどの領主が入ってきた。領主は上機嫌で「イルマ疲れたね」といい、女をだきしめ、口づけしている。


 イルマは身じろぎしていたが、しばらくすると静かになった。


 領主はやっとイルマを離し、はじめてイスマールの存在に気づいた。


 ぞっとするような冷たい瞳で「これは?」とイルマに尋ねている。


 イルマは領主の手を握って、「彼がけがをしてたから、手当てしていたのよ。カイルがいなくてすごく寂しかったから」


「カイル、早く二人っきりになりたいね。この子を送ってくるからすこしまってて」


「いやだ。ロビーに頼もうよ」


 イルマは一瞬顔を引きつらせたが、「“誓った”でしょう?」と言うと領主はやっと静かになった。



 イルマはイスマールの手を差し出した。領主の視線が怖く、イスマールは女の人差し指だけ握った。



 中庭まで来てイスマールは足を止めた。


「ここまででいい」


 女も足を止めた。


「気をつけてね」

 女は屈んでイスマールに声をかけた。


 イスマールは2,3歩進んで振り返った。

 

「私は、私は第4王子のイスマール。伯爵夫人、その文通しないか?」


 イルマは驚いたように目を身を見開き、次の瞬間笑った。


 そして近づいて、


「イルマでいいですよ、殿下」


「わっ、私もイスマールでいい」


「じゃあ、文通の中だけはそう呼び合いましょう」


 イルマはそう言って、ふと思いついたように髪に挿してあった白い花をとった。不思議なことに花をとった瞬間イルマの髪はほどけ肩に掛かった。


「ではイスマール。これを私たちの友情の証として」


 女は白い花をイスマールに渡した。


 イスマールは女の美しさに見惚れた。女はぼんやりと自分に見入るイスマールに手を振り、ゆったりと戻っていく。


 黒い髪が揺れている。


 そのときなぜかイスマールは先ほど女が歌っていた歌が自分の口からこぼれているのに気づいた。







最後まで読んでくださった方ありがとうございます。感想やコメントなどくださった方も本当にありがとうございました。

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