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「イルマ疲れてるでしょ」

 というカイルの声で、イルマとカイルは二人で先に執務室を出た。

 手をつなぎながら廊下を歩いていたが、意を決して口を開いた。


「ねえ、あのね、ナナに合わせてくれない?」

 言葉は不思議なほど響いた。カイルは足を止めて顔を上げた。茶色い澄んだ瞳が疑問を呈している。


「どうして、“あれ”もうお話もできないよ?」


 話ができない? 単純な疑問が頭をかすめた。


「いいけど。危ないから、外から話すんだよ」


 カイルは一人頷いてイルマの手を引っ張った。本館の東側にある小さな部屋の前でカイルは足を止めた。


 扉は閉ざされており、扉の下には食事だけ入れられるような小窓がつけてあった。

 座敷牢のようなそれに、息をのんだ。


 小窓のノブを開けると、中は真っ暗だった。


 今はまだ夕方にもなっていないのに、その異常な暗さに驚く。


 後ろに無言で立っている少年に気をとられながら、なるべく穏やかに呼びかけた。


「奥様、いらっしゃいますか」

 声は小窓に吸い寄せられるように消える。何度か呼びかけるが、応答はなかった。


 イルマは迷ったが、意を決してカイルを振り返り、


「中に入らせて」

 と言った。


 カイルはちょっとの間イルマの顔を見ていたが、「話せないよ」と困ったように言う。


「いいの。奥様が心配だから。中で何かあったのかもしれないし」


「ふーん。わかった」

 あっさりとカイルはそう言い、ポケットから鍵を取り出した。


 カイルがそれを持っている異常に気をとられながら、扉が開くのを見ていた。


 とくに恐れる様子もなく、カイルは無造作に中に入る。

 扉をあけたとき、中の様子が見えた。


 部屋の中には、何もなかった。

 普通ならひかれている絨毯もなければ、机や椅子もない。あるのは床にひかれた布だけだった。部屋には窓は無く、その中でナナはぼんやりと壁にもたれかかっていた。


 ナナの顔は青白く、まるで背後が透けそうな有様だった。目線は動いておらず、まったく違う方向に視線を固定させている。目に光はなく、そこにいるのはもはや何も考えない“なにか”だった。


 糞便の臭い、尿臭は部屋全体に漂っている。ナナの着ている服は服とも言えないずた袋のようなものだった。


 絶句して、呆けるイルマにカイルは「もういいでしょ」とつまらなさそうに言う。


「……なにが……どうして」


「危なかったんだよ。この部屋に最初に入って貰ったときに、ベッドの端に頭を打ち付けて死のうとしたり。だから何もない部屋にいてもらって、刺激しないように部屋もずっと真っ暗にしてたんだよ。

 部屋に極力なにもおかないようにして、服も最初ははかせないで裸で過ごして貰ってたんだ。だけど最近はあんな風に落ち着いてたから、おむつもはいってもらって、服も渡してあげたんだ」


 最初、この部屋に入った経緯はよく分からないが、それ以降の経緯を聞くにつれ、イルマは胃から何かせり上がってくるような気がした。


 真っ暗な何もない部屋で何の刺激もなく過ごせば、こんな状態になるんじゃないだろうか?


 もしかして、最初ナナは正気だったのではないか?


 頭に浮かんだ懸念のまま、カイルを見た。カイルの瞳はいつもとまったく変わらず無邪気できれいな美しいものだった。

 悪意や、邪念など持っているはずがない、きれいな瞳。


 無理だ、と思った瞬間。イルマの口からは嘔吐く音と共に、酸っぱい味が口に広がった。

 口を押さえるイルマにカイルは目を見開いて、近づいた。

 必死で首を振り、口の中の物を飲み込む。


「カイル、ナナをこの人をもう少し良い環境においてあげよう。ここは暗すぎるし、何もないし、臭いがすごいから」


 カイルは心配してイルマの背中をなでている。


「そんなことどうでもいいけど。イルマ、大丈夫? 駄目だよ休まなくちゃ。一生懸命ここまで戻ってきたから、きっと疲れてるんだよ」


「私は大丈夫。ナナをここから出してあげよう」


 カイルはうんうん、と頷いて「でも、もうこれ、何も分からないと思うけど。どこでも変わらないと思うんだけどな」


「でも、イルマのお願いを聞くよ」


 その後イルマはカイルの部屋まで戻った。ベッドに押し込まれた後、しばらくはナナのことについて考えたが、まともに頭が回らず気づいたら寝ていた。 



起きると、もう朝だった。横ではカイルがほっぺをぺちゃっと潰してすやすやと寝ていた。

 その顔を見ながらカイルはもう10歳なのだ、とイルマはため息をついた。このままの状態で行くのはケイトやカイル、そしてイルマにとってよくない。

 カイルの異端性を矯正することは難しいだろう。だから、私たちの関係だけでも、まともにしていく必要がある。

 二人が不思議なほどイルマに友情と愛情をかけてくれることはうれしいが、最近では三人で一つの存在の様に錯覚することがある。

 そして二人の本性はまぎれもなく冷酷で非道だ。


 イルマはもう、16歳だ。自分の性根は分かっている。臆病者で流されやすい。

 正しいことを志す気持ちもあるが、それを成す力はもっていない。


 この二人の異端者から周囲の人間を守る、という義務感と二人への愛情でつながっていたが、もうイルマの手には負えない状況になっていた。


 二人から離れようか?

 胃がきりきりと痛んだ。


 私は離れたくない、この二人と。


 ロビーとの会話が思い出された。そうだ、私はこの二人に救われたのだ。

 でもこの二人は私以外の“人を救わない”


 ベッドから起き上がり、素足で絨毯を踏んだ。

 こわばった顔でうろうろと歩き回る。


 カイルの部屋には勉強道具や木の人形、そしてイルマが昔作ってあげた花冠が枯れ果てておいてあった。


 ここにあるどれもこれもが、イルマが何かしら関わった物だ。



 窓辺におかれた籐の椅子に座り、部屋をじっと見ていると、カイルが目をこすりながら起きた。


「おはよう、イルマ」


 うれしそうにそういい、朝が弱いのに素早く身を起こしてイルマに近づいてくる。


 近づいたカイルを膝の上にのせて、イルマは質問した。


「ねえ、カイル。もしね、カイルが領主の後継と認められて、後継人がついて、ここの実権を握ることになったとして、どういう風にしようと思ってるの?」


 膝の上に座るカイルは重かった。表情は見えない。


「イルマはどう思ってるの? 僕が何をしようと思ってるのか」

「分からないから」


 イルマがぽつりと言うと、カイルは面白そうに笑った。


「ケイトは言ったと思う。僕たちは選ばれた使徒、預言者」

 

「ええ」


「僕には力がある。権能は支配と崇拝。ケイトの魅了。

 でも僕には特に目的がないんだ。支配のための支配。

 僕はただ、イルマとケイトとずっと暮らすだけでいいんだ。他の人はね、正直いらないんだよ」


 カイルは首を軽くひねって振り返った。真っ暗な瞳だった。ナナとそう変わらないくらいに。


 そのときになってイルマはようやく、二人について理解した。


 二人はただの、自我のある機能、装置なのだ。


 ケイトはそれを意識的にか無意識にか理解していた。だからあんなにも空虚な気持ちを持っていたのだ。


「イルマが僕の全てなんだよ」


 カイルの黒々とした瞳は瞬き一つせず、こちらを見つめている。


 カイルの言動を一つ一つ思い返した。カイルは異常だった。けれど、それは当たり前だったのかもしれない。


 カイルは何にも意味を見いだせなかったのだ。愛情や、命、真実それらに。


 そしてなぜだがイルマだけに意味を見いだしているのだ。


 イルマは自分の手が震えていることに気づいた。


 震えを止めようとしてもとめられない。振戦は身体全体にまで広がっていた。今まで頭の端にあったこと、自分の役割、自分の目的、そしてこの二人に会った意味。


 口が震えて言葉は出なかった。


 カイルはイルマの膝からどき、先ほどまでの雰囲気を消し去り「僕はずっとイルマといるんだよ」と微笑んだ。




 震える身体でカイルの部屋を出た。ふと前にもこんなことがあった、と気づいた。


 壁にもたれかかりずりずりと床に座り込む。


 呆然としていると、まるで当たり前のようにロビーが歩いてきた。


 ロビーはイルマを見つけると、ほとんど犬のようなスピードで側に寄った。

「イルマ様、状況を執事より伺いました。もしかすると、お役に立てるかと思います」


 ぼんやりと見上げるイルマに気づいていないのか、ロビーは自分の考えに夢中になっていた。


 よく話はつかめなかったが、ロビーの親戚の貴族の力を借りる、とそういう話だった。

 

 ロビーは微笑み、急いでどこかへ行こうとする。イルマは弱々しい声で呼び止めた。


「ロビー、どうして私たちに協力してくれるのですか? 貴方たち騎士にとっての忠義はきっと、こんな形ではないのでは?」


 ロビーは振り返った。


「私たち? 私が、俺が協力しているのはイルマ様の為ですよ。誰のためでもなく、貴女のためだ。

 俺は貴女に救ってもらった。貴女が俺の主人です。貴女のためなら、何だってします」


 イルマの心臓は今にも止まりそうに、早く鼓動する。


 イルマはかつてロビーの切実さが怖かった。この切実さとケイトとカイルの空虚さが混じるのを恐れていた。


 でも違ったのだ。ロビーの切実な気持ちは今全てイルマに捧げられたのだ。


 そしてその気持ちは決して粗末にはできない。


 イルマはか細く「ありがとう。ロビー、貴方のその気持ちを受け取ります」


 ロビーの顔には愉悦と恍惚が浮かんでいた。

 ロビーはひざまずき、何か騎士の儀式のようなことをしようとした。


 イルマはただの村人で、淑女ではなかった。だからその儀式の受け方なんか知らなかった。ただ立ちすくむイルマに、ロビーは何かを察して、より深く頭を下げた。


 片手で身体を這いつくばらせ、「貴方に全てを」そうささやき、イルマの汚れた木靴に口づけた。


 脚にかさついた唇の感触が分かるようで、その感触は脚の指を辿り足首、腿を辿り、腹部までたどり震えた。


 イルマは足下の男の後頭部をじっと見つめた。男は何かを待っていた。


 それは言葉ではなく、行動であるとなぜか分かった。


 イルマも膝をつき、ロビーの後頭部に口づけ、そして少し迷ってロビーの無くなった腕の付け根に口づけた。


 二人とも儀式が完了したことが分かった。


 イルマはロビーから離れ、もう一度カイルの部屋まで戻った。


 カイルに声をかけた。カイルはイルマに言われる言葉に頷き、そっとよってきた。

 

 カイルと二人で部屋を出たときも、夢の中にいるようだった。今まで現実だった物が溶け出し、夢の世界と入れ替わる。

 二人はケイトの部屋に入った。


 ケイトは起きて、一人で化粧をしていた。


 ケイトは振り返り、イルマの顔に何かいつもと違うものを見いだしたのか。方眉を器用に上げた。


 イルマは自分の役割をもう知った。目の前の二人の顔を見てゆっくりと覚悟を決めた。


 そしてイルマは口を開いた。



「ケイト、そしてカイル。私は二人に私の全てを捧げる。二人を暗闇の中から、苦しみから、あらゆる不幸から救うと誓うわ。ケイトの虚無を、カイルの孤独を全て癒やします。


 だから、カイル、ケイト、二人も私に誓って。私のようなちっぽけで誰にも顧みられないようなそんな人を救うと。私の“意思”を大切にし叶えて」


 心配はあった。二人が怪訝な顔をしたり、冗談だと捉える可能性もあった。


 二人はその言葉を聞いた瞬間、目に薄い膜がはり、顔がゆがんだ。信じられない“祝福”を受けたような顔をした。

 イルマの目の前で二人は泣き、そして誓った。


 3ヶ月後、カイルは正式に次期領主だと認められた。ケイトはロビーの親戚と再婚し、その親戚が代理の領主としてカイルが成人するまで後継人になることになった。


 そしてイルマは侍女長ではなくなった。


 イルマは領地の指導者になった。






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