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 ケイトに頼んで、帰りの馬車ではロビーと二人になった。

 イルマは何かロビーに声をかけたりするべきなのだろうと考えたが、言うべき言葉を思いつかなかった。

 なぜなら、ロビーの人生というものが想像できなかったからだった。

 イルマは膝に手を置き、背筋を頑張って伸ばしながら、自分と正反対な男について考えた。


 先に口を開いたのはロビーだった。

「両親は俺によく言った。奉仕と献身、それこそが騎士の誉れだと。俺は剣を振るうのが好きだったわけじゃなかった。ただ、信じていただけだ。俺の献身の形が、剣を捧げることなんだと」

 ロビーは不思議と、落ち着いて見えた。


「剣を失った俺は何なんだろうな? 役立たずのガラクタなのかもしれない」

 イルマはロビーの耳心地のいい声に胸が引き絞られるような気がしたが、一方で少しだけ興奮もしていた。

 馬車の揺れ、夜の冷たさの中で、自分の身体だけ温かかった。

 内にこもったイルマの魂が少しだけひび割れ、露出するように、言葉があふれた。


「ロビー、私も、私もガラクタだった」

 ケイトとカイルとの対話は、自分との対話のように茫洋としていて、自己を覗く行為だった。しかしロビーとの会話は違う。


 ただ自分を人前で露わにする行為だった。


「私には自我なんて無かった。他人がすべてだった。私のことは、私以外の誰かが所有権をもっていて、それに何か思ったこともなかった。だから私は、自分がどれほど苦しかったのか知らなかった。むしろ自分なんてないと、否定していたのかもしれない」


「だから、ケイトやカイルと出会って、私は初めて他者と対話して、そして自分と対話することができたの。自分を見つけたの」


 少し開いた窓から夜風が吹いた。冷たい風が熱い頬に気持ちよかった。

 小さなイルマが背を丸めて蹲っている。それを発見したのは自分だった。


 イルマの瞳にはロビーも見える気がした。手を失い呆然とする男がたよりなくうつむいている姿が。


 しかしそこに手を差し伸べるのは、イルマでもケイトやカイルでもなく、勿論神でもなく自分自身なのだ。


 もし、神が助けてくれたと思うなら、それは自分の内にいる神なのだと、イルマは思う。


 イルマの拙い言葉は延々と続いた。馬車がついた時、御者が二人に声をかけたが、イルマが首を振ると遠慮してくれた。


 会話が終わると、ロビーの瞳は艶やかに色づいていた。ロビーの唇が綻び、ひび割れた大地が潤うように「イルマ様」と言葉があふれた。


 ロビーは気高く奉仕の心に満ちた男だった。しかしかたわになったことで、自分の心をも失ったように感じていた。


「でも、ロビー、貴方はまだ自分の献身と心を信じることができる。誰も貴方にそれを見いだせなくても

貴方自身が」


 言葉は続かなかった。ロビーはイルマに縋り付き、延々と嗚咽を漏らし続けた。


 馬車からでて、二人は別れた。

 イルマはケイトに会いに行こうとしたが、廊下を歩いている途中に突然そんな気を失って自室に戻った。


 その日は不思議な夢を見た。カイルが大人になっていて、イルマが逆に子供になっていた。カイルがお姫様のようにイルマを世話していた。イルマの小さな頭を何故ながら「もう心配しないでいいよ。僕らの王国はもすぐだから」と、優しく言っていた。


 あまりにも実感を伴った夢に、不思議な心地で目覚めた。


 ぼんやりと身体の意識を取り戻そうとしていると、上階から慌ただしい足音とせわしない話し声が聞こえた。

 次の瞬間にはイルマの部屋の扉が開いていた。真っ青な顔をした侍女が血色の失った唇を震わせ「旦那様が亡くなられました」と告げた。


 ケイトの部屋に行くと、ケイトは他の侍女に髪を整えさせているところだった。

 顔には化粧が施されている。

 イルマと同じで領主の死をついさっき聞いたとは思えないほど、ひとり平静に見えた。侍女は先ほどから手の震えを収め切れておらず、なんどかケイトの髪を引っ張ってしまっていた。


「もういいわ」

 ケイトは手を振り、気を失いそうな侍女を下がらせ、ぼんやり立ちすくむイルマを見た。


「領主様が亡くなられたって」


 ええ、とケイトは頷いて立ちあがった。そのままクローゼットで服を見ている。

「ケイト平気なの、なにがあったの……?」

 イルマは声を出しながら、何を言っているのか自分でもよくわからなかった。

 ケイトは小さく舌打ちして、「なにがって、あの男が死んだのよ。まだ生きて貰わなくちゃいけなかったのに」

「とにかく、領地に帰らないといけないわ」

「とにかく! 今、領主の訃報を領地には知らせないように全員口止めしている。」

 状況を把握できず、ただ突っ立ていると、ケイトは深くため息をついた。よく見ると、平気そうに見えたその顔には、汗が浮いていた。

「イルマ、“私たち”は窮地よ。領主には子供も、兄弟もいない。領地は正妻のナナが引き継ぐはずよ。後見人にはナナの兄弟もいる。手を打たないと、“私たち”は全員領地から追い出されるわ。

 違うわね、殺されるかもしれないわ。だから手を考えないと」


 その通りだ、とその緊迫感のある言葉を聞いて思った。私たち、というのはおそらくケイト、カイル、イルマの三人のことだろう。


 とにかく、領主が死んだ今、ケイトはなんの立場でもないのだ。ナナが領主の死を知ったら、悲しみに暮れるより先にきっとイルマ達の居場所を奪うだろう。


「イルマ、私は館の騎士達に声をかける。何人か私に服従している人間はここに残して他の者を監視させる。

 お前はロビーに声をかけてきて。準備ができたら、すぐに出発しましょ」


 イルマはロビーの名前を聞いて、思わずハッとして身じろぎしてしまった。

 私がロビーに、戸惑いで瞳が揺れた。正直声はかけたくなかった。


「……分かった。

 声をかけてみる」


 返事をして部屋を出た。ロビーはどこにいるのだろうか、と考えた。赤い絨毯を踏む足が沈む心地がした。


 館は主人が死んだにもかかわらず、静かでいつも通りに見えた。

 ケイトは館の使用人たちに命令して、主人の死をしばらく口止めする気でいた。準備が整ったら、ケイトとイルマ、連れの騎士は出発する。


 ハイ・キークに戻った後、ケイトはどうするつもりなのだろう?

 ナナをどうするのだろう? 一瞬浮かんだ恐ろしい考えに、足が止まった。廊下の窓から外を見ると抜けるような晴天だった。

 まだ昼にもなっていない時間だろう。

 窓枠に近づき、青空と羊雲を見た。


 そこで考えたのは一時の夢想だった。貯めたお金をもち荷物をまとめ、この屋敷から、ケイトとカイルから逃げる。

 仕事を探し、毎日毎日人のためにコツコツと働く。少ない給金だろうけど、小さな楽しみをもち自由に生活する。


 今ならかなうかもしれない。目をつむると、木の香りがすっと胸まで届いた。


 しかし夢想は一瞬で終わった。

 現実性はなかったし、それに。


 自身の頭に浮かんだ考えに、イルマは微笑を浮かべた。

 瞳を開けた。


「イルマ様」

 気がつかなかったがイルマから数歩離れたところにはロビーがたっていた。探す必要がなかったことに、安堵の息がもれた。

 しかしすぐに、逡巡が生まれた。

 ハイ・キークまでの帰路を一緒に進んでくれというのは、ロビーが本来使えていた領主への忠誠より、ケイトを優先しろというようなものだ。

「ロビー」

 イルマは何度か瞬きした。

 ロビーは端麗な顔に柔らかな微笑を浮かべ、いつもはどす黒く倦んでいる瞳は新鮮な輝きに満ちている。そのまま大きな歩幅で近づいて、ほとんど無礼なほどイルマの近くに来て、顔を見下ろしてくる。

「領主様が亡くなられたのですか」

 ロビーはイルマに対し、敬意を示すこともあれば対等に接することもあったが、現在は奇妙なほどイルマへの関心と敬意が言動にあった。

 イルマは戸惑いつつ、「そうです。誰かに聞かれたんですか?」と探ると、ロビーはふっと微笑を深くした。

 それはいつもの冷笑ではない、心底からのものに見えた。

「皆、話していますよ。どっちにつくか、とかね」

 その視線でじっと。

 イルマは気圧されながら、どことなく機嫌が良さそうなロビーに勇気をえて本題を話した。

「貴方も知っていると思いますが、領主様が亡くなられたことで領地の後継者の問題が起こります。ケイト様はこのままだと、領地から追い出されるとご心配です。ですので、それを未然に防ぐためにも早急に領地に戻って、“対処”の必要があります。

 ケイト様は、ロビー貴方にも領地に着いてきてほしい、とご希望されてます」

 ですが、と言葉を句切って、続けた。

「ロビー、貴方が一緒について行くのが気が進まないなら、ここに残っても大丈夫」

 いつもは敬語で敬意を持って接するが、最後の台詞は昨日のように親身になって強く言った。


 ロビーの表情は陰になってよく見えなかった。


「イルマ様についていきますよ」

 口調は不思議なほど軽かったので、イルマはほっと頷いた。





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