Ⅲ
今回の舞踏会に侍女は出席できない。けれどケイトは当たり前のようにイルマを連れて行った。控え室にでもまっておいたらよいのだろうと考えていたが、ケイトは躊躇なくイルマを会場につれた。
イルマはそれほど目立たなかった。ほかにも使用人らしき人間は多く出入りしていたし、多くは酔っ払っていたり、浮かれた雰囲気に浸っていた。
イルマは一人でホールをうろついた。ときおり食事を運ぶのを手伝ったりした。だれも不審がらないので、すぐに緊張はとけた。
舞踏会は夢のようだった。その中でイルマは不思議と人生の開放感を感じていた。村にいたころはその生活がまるで永遠に続くようだったのに、今はまるで違う。
山と積まれた果実に、香辛料の香り。たっぷりと使われたレース、ブレードで飾り付けた貴婦人。色とりどりの房飾り。
周りを取り囲むものはそのとき夢に思いも描かなかったものだ。
その中でケイトはひときわ輝いているように見えた。
やや下品に見えた装いは不思議と飾らない美しさに見えた。また顔色の悪い領主の横にいるせいか、肌の中から発光しているようにすら見えた。
舞踏会は夜遅くまで続いた。イルマが驚いたのは、まるで自分とは違う人種だったと思っていた貴族達が夜がふけるにつれ、まるで正体を現すかのように、どこか俗に見えたことだった。
その中でケイトはとくにいつもと変わる様子もなく、会がお開きに近くなったときに「帰りましょうか」と言った。
イルマは特に何かしたわけではなかったけれど、くたくたに疲れていたので、口には苦笑のような笑みが浮かんだ。
屋敷へ帰った後、イルマはケイトの服を脱ぐのを手伝った。ケイトはとくに疲れてもいないのか「ちょっと話しましょうよ」と提案した。メイドにお茶を入れて貰い、二人でバルコニーに出た。
「今日は楽しかった?」
穏やかな質問に、少しの間考え頷いた。
「楽しかった。色々見る物が新鮮だったから」
イルマはぽつぽつと今日見た出来事など話してきかせた。
ケイトは静かに耳を傾けてくれていた。ふいに黄金の瞳が細まり、こちらを見た。
「ねえイルマ、貴方はきっと気づいていると思うけど、私はとても空虚。
昔貴方がカイルにうたっていた黒い森の歌のように、ただ深くて暗くて、たたただ暗い底。
カイルなんてもっとそうよ。あの子の心はただのがらんどうで、ぽっかり開いた黒い穴がただどこまでも底がなく沈んでいるだけなの」
イルマは否定しなかった。
「だから私にとって今も昔もそう変わらないの。確かに今は周りが昔よりも自由だから、すこしは快適だけど。カイルもそう。今の周りの状況なんて何一つ、なんとも思ってない。
前話したように私たちが“預言者”“使徒”と呼ばれたけど、ただ私は周囲とは違うだけ、なにも周りにあたえようなんて思わないの」
ケイトの唇は一瞬ぞっとするような冷ややかな笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「だから、今私やカイルの周りにいる人間はただ暗い黒い穴に沈んでいくだけなの」
イルマは目の前の“少女”を眺めながら、いままでどこかに合った思いがまるで明確になるような、やっと分かったようなそんな気がした。
ただそれを口に出す前に、自身のたった一人の友人に「それは違うと思う」とゆっくりと語った。
「ケイトは確かに怖くて、底なしに冷たいけど、私にとってはそうじゃないの」
イルマは伝わるか不安に思いながら拙く続けた。
「私が一番しんどかったときに、そう私なんていう自我を本当に疑ってたときにケイトは私個人として話してくれた。ケイトもカイルも手を伸ばしてくれた。
私はずっと自分を曲げて生きてた。そうすればこんな私でもきっと生きるのを見逃してくれると思ってた。だけど、そうじゃなくて・・・・・・」
イルマは続く言葉をうまく見つけられなかった。ケイトやカイルは決して優しかった訳でもなかったし、救おうとしてくれたわけもでもなかった。
だけど、イルマは二人に救われたのだ。
客観的にも主観的にも、村にいたときのイルマは母以外からは無価値で、用なしで、自分自身ですら生きている価値を見いだせなかった。
そんな最も弱い存在を二人はきちんと見てくれたのだ。
二人は知らないだろうし、考えたこともないけれど、二人との関係の中でイルマは初めて自我を見つけたのだ。
ケイトはイルマの瞳の中をしばらくじっと見ていた。
しばらくケイトは無表情だったが、イルマの瞳に涙が浮かんだ時、やっとかすれた声を出した。
「だから、私とカイルにとって、貴方はただ一人なのね」
イルマはその声を聞いて、恨みも憎しみも二人への感謝の前ではなんて儚いのだろう、と感じた。
舞踏会は翌日もあった。翌日の舞踏会は王族も出席するものだった。翌日もイルマは出席したが、ケイトは何やら用事があるとのことで、すぐに離れた。
イルマは会場の端にいるロビーに声をかけに行こうとした。しかしやっと探したロビーの周囲にはぽっかりと穴が開いたような空間が開いている。
昨日はどこにいたのかも分からなかった。
「ロビー」
イルマが声をかけると、窪んだような眦を向けてくる。ぎょっとするような目つきだった。
かける言葉を失って横に並んだ。
しばらく無言で二人で突っ立ていると、イルマは不思議な気分になった。
誰も彼も視線を向けてこないのだ。この場所でただ一人不具な騎士が目にはいらないかのようだった。
貴族達の酔いが回ってくると、王族の子飼いの道化師達が演技しだした。大男や、小男や、手が3本ある人達だ。
貴族達は面白げに芝居に見入っている。
芝居は恋愛喜劇だった。
拍手とともに、芝居が終わった瞬間、演者の一人がロビーに目をとめた。
イルマは一瞬、いやな予感がしたが、どうしよもなかった。
「 」
聞くに堪えないジョークというわけではなかった。けれど、ロビーにとっては耐えがたかったことだろう。
なぜならそのジョークに多くの貴族は笑ったからだ。今まで気にもとめていなかった、むしろ視界から避けていたロビーに目をとめ、大声で面白そうに笑った。
ロビーはこちらをみる貴族に静かに笑いかけた。それでロビーは終わりだった。精神の綱が切れてしまったのか、もうその場でただ静かに微笑み続けるだけだった。




