Ⅱ
ロビーは王都に行くことを拒否しなかった。黒曜石のような底光りする瞳でじっとイルマをみた後、
「護衛をすれば、いいということか」
と尋ねた。
頷いて、イルマは小さな声でそうですといった。不具になり、その姿を王都にいるものにみられるのはどのような気持ちか想像できるような気がして、気分は沈んだ。
イルマはイルマで、忙しかった。王都に侍女としてついて行くために、いろいろ勉強することがあった。教師はマリビス夫人で、カイルから頼んでくれた。
「イルマ、偉いね」
寝る前に、習ったことを復習していると、カイルはイルマの横にちょこんと座り、優しく言う。
「カイル、先に寝たらいいよ」
そういうものの、カイルはとくに邪魔するわけでもなく、ただ口元に微笑をうかばて楽しそうにずっとイルマをみている。
カイルはマリビス夫人から従者をつけられており、人に命令することになれてきていたが、まだイルマの前では10歳の無邪気な子供に見えた。
復習を終えると、カイルはどこからともなく衣装をとりだし、イルマに見せた。
「イルマも王都にいくっていうから、用意したんだ」
イルマは瞬きした。衣装は王宮勤めの女官が着るような品のいいものだった。
確かに、今のエプロンの服では周囲と浮くだろう。
「カイル、ありがとう」
感謝の気持ちを素直に告げる。
カイルは王都には行かない。しかし、王都へいく二人のことを人一倍気をつかってくれていた。
「イルマ、帰ってくるんだよ」
寝るときになると、最近は毎日つぶやくように、言い聞かせるようにそんなことを言う。カイルの幼い瞳の中には年相応の不安がみてとれた。
「帰ってくるよ」
イルマは演技ではなく、心からのおもいやりの気持ちで優しく答えた。イルマはカイルの異能を知らないが、心が異質なことを知っている。
けれど。
異質な心の中にはイルマへの愛情という嘘偽りのない、優しく柔らかな気持ちがあることもしっていた。イルマはどうしたって“それ”を無碍にできないのだった。
眠りにおちる前の微睡みの間、カイル、ケイトそしてロビーの心にある黒い森について考えた。その黒い森にいるのはどんな形をした神なのかイルマは考えた。
王都への舞踏会には領主とケイト、領主の従者と従僕、侍女であるイルマ、そして何人かのメイド、お供の騎士でいくことになった。
王都までは馬車で3~4日、そのたびの宿泊先は領主とケイト、側近の従者以外別だったが、移動の間のロビーへの腫れ物に触るような態度、軽んじる周囲の態度には気がついた。日に日に隈が目立つロビーをイルマは同情と得たいのしれない不安をもちながら眺めた。
王都の屋敷へ着いたのは舞踏会の一日前だった。
「バークリー伯爵は品位のある方だが、礼儀に厳しい方だ」
身繕いしていたケイトの部屋の扉にきっちり三回ノックして現れた領主は、そんなことをケイトにいった。イルマはケイトの側で控えていた。
鏡台の前で鏡を見ながらケイトは振り返る様子も見せない。まるで領主の声も姿もみえないように髪の毛を弄っていた。領主は姿勢がすばらしくよく、きっちりと手をそろえてたっており、さすがに貴族らしく見えた。
領主はしばらく反応をまつようにたっていたが、まるでかえってこないので、
「ケイト」
と半ば困惑した縋るような声で言った。
ケイトは正妻のナナとのもめ事があってから、領主を無視するか時折わがままをいって困らせたりする関係になっていた。わがままがかなえられたときだけ、笑顔を見せたり甘えて見せたりして、領主は完全に振り回されていた。
ケイトは気まずそうに下を向くイルマをちらっとみてから、やっと領主の方を振り向いた。
「それがどうかしたの?」
返答があったことのうれしさとその内容に、表情を複雑にゆがめながら、領主は低くいった。
「ケイト、君のことを心配している。私は、君がバークリー伯爵に気に入られてほしいと願っている」
「そうなの」
あっさりと返事をして、喉奥で笑う。
「私はとくに貴方の親戚に気に入られたいと思っていないわ、生憎ね」
凍り付くような侮蔑と無関心を領主にたたきつけ、ケイトは楽しげに宝石を首にかけた。そしてまるで挨拶にふさわしくない胸元と足を露わにした衣装を披露するように立ちあがり領主に笑いかけた。
「じゃあ、エスコートお願いね。私の旦那様?」
イルマはあまりにあまりな態度に、領主は怒り出すか、ケイトをひっぱたくのではないかと冷や汗をかいた。
けれど領主はなにもいわず娘以上に年下なケイトをまるで仰ぎ見るように一瞬みた。そして口をなにかいおうと開閉させたが、なにもいわず、ごくりと唾を飲んだ。
「ケイト……」
「さっ、面倒な老人の挨拶にいきましょう」
領主の腕にケイトは腕をまわした。すると領主はまるで魂が抜けたようにケイトを見つめ、髪にふれる。
ケイトはイルマを振り返りいたずらっぽく笑った。
「イルマ、お留守番よろしく」
イルマは低く頭を下げた。扉が閉まり二人が出て行く。
あんな、衣装、と思う。
誰がきたって娼婦にしか見えない。けれどどうしってケイトは似合ってしまう。似合うどころか、あんなものを着ているケイトの方がどうして、ああも領主“なんか”よりも……。
言葉にするのは難しい。威厳や権威なんか似つかわしくない。でも今のケイトはまるっきり領主以上の存在感と空気がある。
それは気品や高貴さえも飛び越えている。
帰ってきたケイトは上機嫌だった。
「ほらイルマ、これあげるわ」
そういいながら、しばらく前から王都で噂になっていた焼菓子を渡してくる。
「ありがとう」
イルマは食べたかったのでさっそく、焼菓子にかぶりつく。外側がサクサクって何か香ばしい香りがする。
「うわぁ、おいしい」
心底からの声が出た。
「ねっ、なかなかいけるでしょ」
ケイトは機嫌よさげに笑いながら衣装を手も借りず脱いでいく。
「ケイト、伯爵はどんな人だったの?」
「あら聞きたいの? 笑っちゃうわよ。貴族の創神教信者をこうね、型にはめ込んで、きっちり丹精に焼き上げましたって感じ。香ばしくておいそうなくせに中身が空っぽなのよ」
ふうん、とイルマが相づちをうつと、ケイトはくすくす笑いながら「ちっとも興味ないのにね」という。
「えっ?」
「イルマ、伯爵なんかちっとも興味ないものね。つまんないってわかってるから。
そりゃそうよね。だってあんなつまんない男の親戚なんだもの」
黙り込むと、ケイトはとくに気にせず続けた。
「でも、ロビーは面白い男だわ。私はそれが楽しみできてるの。イルマもそうよね」
ロビー、その名前にわずかにイルマは顔を伏せた。
舞踏会の夜、正装したロビーは無残なほど美しかった。騎士の正装をしたロビーの片腕はなにもないはずだが、何か綿でも詰めているのか一瞬あるように錯覚する。
腕に一瞬目が吸い寄せられるイルマに、ロビーは皮肉げに片頬をゆがめた。
「領主様に詰め物をするよういわれましてね」
肩をすくめてそんなことをいう。
イルマはうなずいた。そのまま視線をそらした。そらした先から館の階段からケイトが領主と連れだって下りてくる。
もちろん、ケイトの着替えはイルマが手伝ったのだが、改めてみて美しさに感嘆する。
ケイトは睫毛に金粉を塗していた。
ケイトはイルマに目をとめ、一瞬微笑んだがすぐに眉をよせた。
「ばか、せっかくきれいな服きてるんだから」
そう言って領主の耳に何事かささやき、イルマの手を引いて、ケイトの部屋に戻った。
ケイトは優しくイルマの髪を整えた。
「イルマ、あなたは美しいんだから」
「まるで、逆だね」
一時穏やかな気持ちでその白い手を受け入れた。白い手は優しい手つきで、髪を編み込んでいく。
「逆? 私たちは姉妹みたいなものよ。友であり、家族よ」
イルマは思わずふりかえった。きっと、ケイトが悪戯っぽい表情を浮かべている物だとおもった。けれど、そこにあったのは真摯な表情だった。
困惑するイルマに「だからうらぎらないで」とささやいて、ややきつく髪を縛った。




