じっとしていて
隠れているオレの前で、二人は黙って対峙したままだった。
だけど、若草さんが大和から視線を逸らせている間に、しだいに大和の様子が変わっていくのが見える。
はじめはほんのかすかな変化だった。
体の横にあった両こぶしがきつく握られたり、ゆっくりと開かれたり、それを何度も繰りかえし始めた。それはまるで、何かをつかもうとでもするかのようだった。なにかを掴む練習をしているかのようだ。
それから、大和の首の後ろに血の色が現れ始め、そして、激しく何度も瞬きしだす。
眼の色も、さっきまでは無感動とでもいえるような、とりたててなにをも感得しえないものだったのが、いまや、奥に炎が宿ったかのような光がチラチラとうごめいている。さらに、その輝きが増していく。
見ていると、大和の全身から激しい何かが吹き出してくるようだった。だが、それらの変化に、一番近くにいても、視線をそらせ川の流れの方ばかりを見つめている若草さんは、まだ気がついていない。
突然、大和が一歩前に出た。そして、ぎくしゃくとした動作で若草さんの両肩をつかんだ。熱っぽく激しい眼で若草さんを睨み据えている。
突然のことに、身をすくめて立ち尽くしている若草さんが、驚きに眼を見張りながら、そんな風に自分を狂おしく見つめてくる大和を見返している。
「じっとしていて」
大和が熱っぽく囁いた。
「な、なに、初瀬くん? どうしたの?」
かすかに問うてくる若草さんの声を無視して、大和が赤くなった顔をほんのすこし傾けて不器用に近づけていった。
こ、これは…… き、貴様、なにをするつもりだ、大和!
思わず、隠れ場所のコンクリートを強く掴んでしまう。
やはり、二人がこんな時間、こんな人気のない場所にきたのは……
「おとなしくしていて、そのまま眼を閉じて……」
「え? えっ?」
お、おい! や、止めろ、大和! 止めてくれ! お願いだ!
「ジッとしてて」
大和がそう囁くのと、若草さんの手が動くのが同時だった。
次の瞬間、シュッというかすかな風切り音をともなって、大和の頬で鋭い音が鳴った。
「や、止めて、お願い」
大和は自分の頬を手で押さえながら、呆然とした顔で若草さんを見つめている。
その視線の中には、すでに熱っぽさは消えていた。
「あっ、お、俺……」
「お願い、私に触らないで」
「どうして?」
「お願い……」
若草さんは両腕を激しく振り、大和の腕を解く。それから、一歩身を引いた。
「初瀬くん、ごめん、私、私……」
「……」
涙目になって、自分に謝る若草さんを大和は冴え冴えとした眼の色をして、見つめている。どこか戸惑っているかのような雰囲気だ。
そんなことより……
えっ? えっ? な、なんで、若草さんが大和を拒絶したんだ? なんで、大和を受け入れなかったんだ? 若草さんは、大和のことが好きなんじゃなかったのか? オレじゃなくて、大和を選んだんじゃなかったのか?
混乱しているオレの耳に、大和の冷え冷えとした声が届いた。
「やっぱり、君はあいつのことを……」
えっ? あ、あいつってだれだ? 若草さんには他にだれかいるのか? オレでもなく、大和でもなく。そいつは大和の知っているヤツなのか?
「ごめんなさい…… ごめんなさい……」
オレの疑問にはだれも答えをくれなかった。ただ、若草さんは、かすかな声で、何度もごめんなさいを繰り返すだけだった。
突然、大和と若草さんの口調が変わった。
今までのささやき交わすような声ではなく、どこか戸惑いを感じさせる声。大天使と天使の声。
「お主たち、さっきから一体なにをやっておるのだ? それは、この地球という星の儀式かなにかなのか?」
「佐保、君はさっきからなぜそんな風に謝ってばかりなんだ? この者の頬をなぐったとはいえ、それで、この者が大きな怪我をしたわけでもないではないか? なにをそんなに謝る必要がある?」
「ちっ、面倒くさいのがでてきた」
「なにを申しておる。我は今の状況が分からぬゆえ、お主たちに質問しておるのだぞ」
「私も、はっきり言って、大天使様と同じだ。これは一体どういうことなのだ、佐保?」
思わず、見交わしあい、視線を交換した大和と若草さん、そして、二人は、瞬間、心、重ねてシンクロした。
「「はぁ~」」