黙って、誰か来る
暗がりにたどり着き、荒い息を弾ませながら、昨日と同じように座り込む。
昨日は隣に若草さんがいた。今は、オレ一人。無性に寂しさが込みあげる。
だれかに何かを話したい。すべてをぶちまけたい。
――富雄はん、一体、どないしはったん? さっきからヘンでっせ。
ああ、こいつがいたのだっけ。こいつにでも話せば、すこしは気分がラクになるか? 今のモヤモヤした気分が、すこしはすっきりするのかな?
オレは、何も期待せず、口を開くことにした。他者を乞い求めることのないこいつには、おそらく理解不能なことをこれからオレは口にするだろう。もしかすると、バカにされるかもしれない。原始人と蔑まれることも。けれど、今のオレには話すことが必要だった。すべてを洗いざらいぶちまけなければいけなかった。
「オレは……」
そう、最初の言葉を発して、一旦、深呼吸を一つして、次につむぐ言葉を探す。だけど、その途端……
――しっ、富雄はん、ちょっと黙っといてんか。向こうからだれか来るさかい。あっちの物陰に、急いで。
吐き出しかかっていた息を慌てて飲み込む。本の精霊の言葉に従って慌てて左右を見回すと、国道の街灯の明かりに照らされて、オレが来たのとは反対側の土手を誰かが下ってきている。それも二人。
オレは、今まで座り込んでいた暗がりの近くにある物陰に隠れた。向こうからはオレの姿は見えないだろう。そこから眼だけをだして、土手を降りてきた人物たちを観察する。
どうやら、カップルのようだ。
はは、恋人たちなのかな。オレは孤独だというのに。今、目の前で二人っきりのラブラブな世界をオレは見せ付けられることになるのだろうか?
できれば、そのまま、オレの前を通り過ぎて行ってくれればいいのだが。もし、そんな他人の甘い場面を目撃させられると、オレはどうなることか。通り魔にでも化してあの二人を襲いたくなるか? それとも、徹底的にダークサイドに落ち込んで、死にたくなるか。
うう…… はやく、はやく、立ち去ってくれ! お願いだ!
だけど、そういう願いほど、かなえられないのが世の常というもの。
そのカップルは、大橋の下の暗がりまで移動してくると、そこで立ち止まった。
丁度、昨日、オレと若草さんが対峙していた場所のあたりに。
――って、あれは若草はんやおまへんか?
急に頭の中で本の精霊が大きな声を上げた。
その声で、カップルをよく観察しなおすと、本の精霊のいうとおりで、確かに女の方は若草さんだ。そして、男の方は……大和。
――なんで、二人がこんなところに? だれも通りかかる人がいない、こんな時間に?
再び、イヤな想像がオレの頭の中を駆け巡る。
もし、もし、今ここで、オレの目の前で、二人が唇を重ねるようなことがあったら……
体が勝手に震える。呼吸が荒くなる。
――大丈夫でっか? 急病でっか? 一旦、ここを離れた方がいいんちゃいまっか?
本の精霊の心配そうな声が聞こえてくる。
もちろん、大丈夫なんかじゃない。その場に立ってすらいられない。でも、ここから離れたいとも思えない。
ただオレは、目の前の二人の振る舞いをこれから目撃することで、自分の心がつぶれてしまうかもしれないことに怯え、立ちすくんでいるしかなかった。そして、そんな二人から眼を離すこともできなかった。
若草さんの決断ならなんでも受け入れるなんて格好いいことを考えていたはずなのに、いざとなると、オレはなんて意気地がないのだろうか?
そう絶望しながら……
耳を澄ませていると、二人が話している声がオレにも聞こえてきた。
「チタンダニエル、お主は、昨日、ここでその原住知性体に取り憑いたのだな?」
「ええ、そうです」
「そうか、ふむ」
大和は、そう言うと、あらためて周囲をぐるりと見回す。左右の河原の散歩道。黒い流れの川面。反射光でかすかに明るんで見えるコンクリートの橋桁。そして、オレが隠れている物陰がある基礎。
ぐるりと見回し、満足そうに一つうなずくと、
「さっきも説明したように、神の敵たる彼奴は、この近くに出現したと推定されておる。お主が一番近くにいた可能性が高いのじゃが、なにか見かけなかったか?」
若草さんは考え込むかのように一度首をひねってから答えた。
「……そのようなことは、とくになにも」
「そうか。ふむ。なら、あのあと、この近くでだれと出会ったか覚えておるか?」
「……」
「ん? どうした? なぜ、黙る?」
「あ、いえ、失礼しました。昨日のことを思い出そうとしていたものですから。ですが、特にだれとも出会ったような記憶はないのですが」
「ほう、そうなのか。ふむ。あい分かった」
大和の返事を聞いて、若草さんは露骨にホッとしたような表情を浮かべている。というか、若草さん、その顔、今、大和にじっと見られているよ。警戒を解くの早いよ。
一方、大和の方はというと、無表情にそんな若草さんの顔を見つめ続けていて、突然、大天使ではなく大和本人が、
「若草さん、本当にだれも見なかったの?」
「えっ?」
ビックリしている顔を上げた。激しく狼狽している。
「なにかを隠しているように俺には見えるんだけど?」
「えっ? わ、私、な、な、なにも隠してなんか……」
「本当?」
「うん。うん。なにも隠してなんかいない」
若草さんは、ウンウンと何度も上下に首を振り続ける。ふ、不自然すぎる~!
「これ、大和。なぜ、わが部下をそのような疑いの眼でみる? こやつが、そう申して居るのじゃから、そうであるに違いなかろう?」
「…… だが、すごく怪しい態度に俺には見えるのだが?」
「なにを申す。そやつは天使ぞ。上司たる我にウソをついて、なんの意味がある?」
「それは、そうだが……」
大和は、首をひねりながら、若草さんの方を見つめている。
見つめられている若草さんは、困ったような顔をして、視線を逸らせているし。
う~ん…… なんてウソが下手なんだ。バレバレじゃないか!
と、若草さんがなにかを決心したように顔を上げた。
「初瀬くんは、私のことを信じてくれないんだ……」
キラキラと瞳を光らせている。どこか悲しそうな表情を浮かべて、軽く胸の前で右手のこぶしを握って。
って、そんな眼で見つめられたら、オレは。オレなら……
けど、今、実際に若草さんの前に立っているのは、大和で。若草さんは、大和のことを。
ううう…… 胸が苦しい。だれかに心臓を鷲づかみにされているみたいだ。
なんで、大和をそんな眼で……
対する大和は、そんな眼を若草さんから向けられても、あまり動じた様子もなく、無表情を貫き通したまま。その上、ジッと若草さんを見つめ続けていて。
その視線に羞恥心を掻き立てられたのか、若草さんが、大和の顔から視線をそらせる。その仕草がさらに色っぽくて、なまめかしい首筋の白さが視界に焼きつく。
ぐっ…… 視界がにじむ。なんで、あんな姿を大和に…… オレじゃなく、大和に……