若草さんからのメール
夕飯を食べ終え、部屋にもどってくると、机の上のスマホにメールの着信が入っていた。夕食で近くにいなかったときに届いていたのだろう。
普段からメールのやり取りをしている友人といえば、大和ぐらいのもの。
『今日は様子がヘンだったな』などと思いながら、何気なくメールの差出人欄を確認する。そこに表示されている名前を眼にした途端、一気に緊張が高まった。若草さんだったからだ。
若草さんからのメール。
あの若草さんからだ。昨日、告白し、返事待ちの状態のあの若草さんから。
緊張するのは当然だよね?
そんな状況なら、だれだって緊張するよね?
もちろん、俺だってそう。たちまち体がガチガチになり、指先がブルブル震える。
――どないしたん? えらい震えて?
不思議そうな声が聞こえるが、今は返事する余裕なんてない。そんなのに構っている場合じゃない。
と、とにかく、落ち着け、オレ!
し、深呼吸だ。大きく深呼吸して、気分を落ち着かせろ! メールを確認するのは、それからだ。
自分自身に言い聞かせ、両手を大げさに広げて、空気を思いっきり吸う。吸う。吸う。それから、さらに吸う。まだまだ吸う。
って、あれ? それからどうするんだっけ?
えっと、深呼吸って、もっと吸えばいいのだっけ?
けど、もう吸えないよ。なんか苦しい。胸がいっぱいで気持ち悪い。
あっ、なんか頭の中がクラクラしてきた。
――って、富雄はん、なにしてまんねん! 空気吸いすぎや! 吐きや! そろそろ吐かんなあかんで!
あ、そうか、吐かなくちゃ!
そう思ったときには、めまいでオレはベッドに尻餅をついていた。
って、なにやってんだよ、オレ。情けねぇ~
ともあれ、そんなこんなで散々混乱し、躊躇した末に、ようやく若草さんからのメールにキチンと向かい合える心の準備が出来た。実に大変だった。それだけで、正直疲れた。特に精神的に。
とはいえ、このメールを見れば、すべてが分かるはずだ。俺の想いの結末が明らかになるだろう。
おそらくあの告白の正式な返事なのだろうから。
そう、オレは、今この瞬間、これからの人生を決める大事な一瞬を迎えるのだ。
自然とベッドの上で正座している。手のひらが汗でべっとり。
もう一度、深呼吸。スーハー。
よしっ、もう腹を決めた。これからどんな結末を迎えることになったとしても、オレは、そのすべてを受け入れるだろう。彼女の決めたことを尊重するだろう。
それこそが男というものだ。好きな人のために全身全霊を尽くす。好きな人の望みをかなえるためにその身を捧げる。
もし、彼女がオレを嫌いで、もう顔も見たくないというなら、オレは二度と彼女と顔を合わさないようにするだろう。学校も転校し、転居して、遠くの町へ……
もし、彼女が、オレに死ねというなら、いさぎよくこの世から……
もし、彼女が……
って、なんだよ、オレ。全部、悪いことばかりじゃねぇかよ! まだ、彼女にフられると決まったわけじゃねぇんだぞ! もっといい方向のことも考えろよ!
もっと、いい方向。たとえば、若草さんがオレのことを好きだといってくれて、愛し合うようになって、結婚して、子供ができて。その子供が若草さん似のかわいい子で、若草さんが溺愛しちゃって、オレのことをないがしろにするようになって。
「もう、パパ、あっち行ってよ! 顔も見たくない!」
「お給料だけはちゃんと家にいれてよね。パパは、家に帰ってこなくてもいいけど」
「えっ? 夕食? 食べるの? 私たち外で済ませちゃったから」
ううう…… あれ? 幸せな未来のはずなのに、涙が、涙が……
ともあれ、両目をきつく閉じて、涙がこぼれるのを抑える。
スーハー。
落ち着いたところで、祈るように額の前までスマホを持ち上げ、そして、メールを開くための操作をする。
それから、オレはゆっくりと片方のまぶたを持ち上げた。
すでに慣れた動作なので、眼を閉じていても、とくにミスすることもなく、その開いたメールが画面に表示されている。
若草さんからのメール。これからの人生がかかった返事のメール。
というか、オレは若草さんを呼び出して、直接、オレの口から告白した。なのに、返事はメールなのか……
……
……それって?
このメールって……
これからはじまるであろう不幸な気分を想像して、泣きそうになりながら、さっき決断したばかりのすべてを受け入れる決意を思い出し、しっかりと眼を開け、その文面に眼を通していく。
『こんばんは、片桐くん』から始まる文面。あの若草さんらしいとはいえるのだが、ほとんど絵文字などがあしらわれていないメール。それが、さらに、オレにとっての不吉な予感を強め、ついつい嗚咽がもれそうに。
やっぱり、若草さんは、オレのことなんか……
『私の中の天使さんがさっき教えてくれたのだけど、私たちのクラスの中に、天使さんの上役にあたる大天使さんがいるんだって』
そっか、オレなんかより、その大天使とかいうヤツのことを……
『だれだか分かる? うふふ。実はね、それはなんと! 初瀬くんなのだ』
そ、そうか、若草さんは大和のことを。
『でね。そしたら、さっき初瀬くんから電話があって会いたいって連絡くれたんだ。だから、これから初瀬くんに会ってくるね。けど、片桐くんと本の精霊さんのことは、内緒にしなくちゃね。バレないように気をつけて行ってきます』
そうか、若草さんは、もう大和とデートまで。
う、ううう……
そして、いくつもの改行を経て、締めの文面。
『これだけは覚えて置け! 貴様の命は私が、月に代わって成敗してくれるわ! ←あ、これ、天使さんから伝言。じゃ、私、行ってきます』
そ、そうか、オレ、若草さんに命まで狙われているのか……
よっぽど、嫌われたんだな。あ~あ。
あ、あれ? スマホの画面に水滴が。呆然と見ている間に、ポツポツと増えていく。
雨かな?
気になって、上を見上げると、見慣れた天井が。ああ、隅になにかの動物の形をしたシミがあるな。
って、ここオレの部屋だよな。屋内。雨なんか降るはずないじゃん。けど、スマホの画面には水滴…… なぜ?
もちろん、そんなことは考えるまでもなく。
「ううう…… オレの恋が……」