妹、登場
どっと安心したために、そのあとは、さほど周囲の眼を気にすることなく、家にたどり着く。
「ただいまー」
「おかえりー、お兄い」
息を弾ませながら玄関の戸を開けると、玄関脇にある階段を丁度下りてきた妹と顔を合わせる。
「ねぇ? 今日は遅かったね、ジョギング。なんかいつもより時間かかってたみたい。なんかあったの?」
「えっ? ああ、ちょっとな」
「ふ~ん……」
ちょっとどころの出来事じゃなかったけど、まさか正直に全部話すってわけには。この妹のことだ、絶対、気でも狂ったと騒ぐだろうし。
とはいえ、これまでの経験からすると、我が妹めは、かなり勘のするどいところを持っている。
前に、後で食べようと俺の机の引き出しに隠しておいたチョコレートを、オレがコンビニへ買い物に行ったすきにちゃっかり見つけ出して食べていたし。父さんが本の間に隠していたヘソクリをこっそり見つけ出していたなんてこともあった。
そういえば、以前、押入れの収納ボックスの底に隠していたわがままボディのお姉さんたちの写真集を見つけて、母さんに報告したのも妹だったな。
うう…… あのときの、母さんの哀れみの眼の色、父さんの爆笑寸前の口元、今でも忘れない…… しくしく。
って、そんなことより、妹め、興味ないような口調で流しはしたけど、絶対、今のオレのウソを見破っていたに違いない。一瞬、瞳がキラリと光っていた。
これは、やっかいなことになるかも……
不吉な予感が、オレの体内を走り抜ける。
き、気をつけねば。
ともあれ、台所で水分補給をして、部屋に用意していた着替えを掴んで風呂場へ直行。今日は途中で長時間の休憩があったので、汗はそれほどではないが、それでもやはりシャワーぐらいは浴びておきたい。全身、汗臭いし。
シャワーを浴び終え、部屋へ戻ると、オレはベッドに身を投げ出して横になる。
今日は、とんでもない一日だった。
放課後、ずっと心に秘めていた想いを告白し、その当の相手にジョギングの途中でばったり出会った。
しかも、その直後には、ヘンなヤツに取り憑かれ、若草さんと敵対する立場に。
なんとか、オレと若草さんの説得で、そいつらの休戦は約束させることができたが、オレの命を狙っているのは、その若草さんに取り憑いた天使だけでなく、他にも最大30人はいるという。
ホント、今日はいろいろなことがあった一日だった。
って、まだ夕方で、今日という一日が終わったわけではないのだけど……
なんか、すごく疲れた。全身をずっしりとした疲労感が覆っている。
シャワーを浴びて、スッキリとした気分でいるし、ベッドで横になってさえいる。なら、このまま夕飯の時間まで眠っていようか?
まだ、夕飯まで時間があるし、軽く昼寝ぐらいは大丈夫だろう。
そんなことをうっすら考えたことまでは覚えている。多分、そのままオレは眠ってしまったのだろう。その後の記憶がないのだから。
そういうわけで、その次につながる記憶は、妹に体を揺すられて起こされたときからだった。結局、夢さえも見なかった。
オレがベッドの上で眼を覚まし、体を起こすと、部屋の中は、まだ十分に明るかった。
いや、寝入ったころよりも、むしろ東に面した窓から差し込む太陽がまぶしいような。
……
「お兄ぃ、朝だよ。起きなよ」
「え……」
「ほら、お兄ぃ、朝。朝ごはんだよ」
「……」
「ほら、起きなよ。朝だよ。昨日、お兄ぃ、晩ご飯も食べないで寝ちゃってさ。このままだと朝ごはんも食べそこなっちゃうよ」
一瞬、妹がなにを言っているのか分からなかった。というより、ここはどこだ? オレはだれだ?
「ほら、お兄ぃ」
オレに呼びかけてくるこの少女は…… 見覚えがあるような。はっ! 妹! すぐに、自分をとりもどす。そんなことより、
「えっ? えっ? いま、何時?」
ベッド脇の時計を眺める。7時26分。夜の7時半か、夕飯の時間はとっくに過ぎているな……
「ほら、お兄ぃ、朝だよ。朝ごはんだよ」
妹がなにか言っている。まあ、いいか。そろそろ起きないと……
ゆっくりと上半身を起こし、のんびりと周囲を見回す。オレはベッドにもぐりこんだままの部屋着姿だった。
ぎゅるるぅ~~~~
直後、盛大に腹の虫が鳴く。胃が引っかかれるように痛い。すごく空腹だ!
「そうだ、夕飯! 夕飯は残っているか?」
「はぁ? なにいってるのよ。まだ寝ぼけてるの? もう朝だよ。朝ごはんの時間だよ」
なにを言っているのだ、妹は? 寝ぼけているのは、妹じゃないのか?
オレはさっきベッドに横になったばかりで、まだ朝のはずが……
けど、窓から差し込む光の強さ、家の外でさえずる小鳥の声。どこからどうみても、今が夕方であるはずはなくて。
なっ……!
驚愕したまま窓の方を見ていると、
「けど、ビックリしたよ。あの食いしん坊のお兄ぃが昨日の夕方から眠って、14時間以上寝たまま朝まで起きてこないなんてさ」
「そ、そんなバカな」
「ほら、早く起きないと、朝ごはん食べる時間もなくなるよ」
ぎゅるるぅ~~~~
ようやく、そこでオレはベッドから出たのだった。