あなたに決めた
この物語は、実は既に完結している長編=パワーの登場人物にスポットを当てた、番外エピソードです。本編では彼女はわき役なんですが、ここでは主人公として、想い、進み、悩み、それでも前を向いて生きて行きます。
「なんだ、あんた帰ってたの。ごはんは?」
「まだだけど、日替わり余ってるの?」
「ちゃんとよけてあるから、さっさと済ませちゃいなさい。もたもたしてると店こんじゃうからね。」
母にせかされて、私は制服のまま自宅1階の表側にある定食屋に急いだ。私だって、混雑してばたばたした中で食べるのは好きじゃなかった。それに、夕飯時の書き入れ時に備えて、両親が忙しく動き出したこのタイミングが1番好きだった。
「お姉ちゃん、おかえり。」小5の妹のルリカだ。
「又、友達連れて来たんだね。」
「こんにちは。」「お邪魔してます。」「どーも。」3人もか。又うるさいな。
「行こう、2階の部屋。」妹に先導されて、その子達も店から奥に入って行った。私はそれを横目で見送ってから、母が夕飯を用意してくれたテーブルに着いた。
「忙しいから、片づけは自分でやってね。」そう言い捨てると、母は妹たちが食べ終わった後片づけをして、厨房に戻って行った。私はもはや何も期待することなく、さっさと食べ終わると、母に言われていた後片付けを済ませて、自分の部屋に戻った。覚悟してたけど、それ以上に騒がしかった。
「はー、」っとため息をつくと、私はふてくされた様に、服を着替えないで制服のままベッドに寝転んだ。そして、携帯を取り出して友達にメールを打った。
私の名前は、飯岡優菜。身長165Cm体重59Kg、牡羊座でO型。さいたまの私立O高校1年生だ。中学では、3年間演劇部に所属してた。中学に入った頃の夢が女優だったから、単純に演劇がやりたかった。でも、高校では同じことをやりたいとは思わなかった。女優になるという夢を捨てたわけじゃなかったけど、以前程熱くなれなくなっていた。それに、中学や高校でやる演劇に、自分の描いていたものとはかなりのずれを感じたのも確かだった。高校に入って何をしたいのか、その先にある将来の夢もぶれていて、ちょっと覇気のない高校生活の始まりだった。そんな私に人生の転機がやって来たのは、高一になって少ししたある日のことだった。
「あ、悪りー、大丈夫か?」放課後、特に何することもなく下校しようとしていた私のカバンに誰かが勢いよくぶつかって来た。その次の瞬間、強烈な衝撃が走った。体が受けた衝撃は大したことなかったけど、ハートが受けたそれはビッグバンものだった。バスケ部の荻野君だ。彼は180センチ以上の長身の上、超が付く程のイケ面だ。初めて見た時から凄いカッコいい人だと思ったけど、それ故にいきなりからクラスの女子にいつも囲まれていた。私は決して消極的な方ではなかったけど、ちょっと出遅れた感は否めず、仕方なく少し離れたところから見ていた。そんな日々の中の、このハッピーアクシデントだったのだ。
「全然平気!あの、それより私こそ、ぼーっと歩いててごめんなさい!」
「悪いのは俺の方に決まってんじゃん。つい急いでて・・でも、何ともなくてよかったよ。ほんとごめんな。」そう言って爽やかに笑って、又走って行ってしまった。ハートを射抜かれた1シーンだった。
「優菜、何ぽーっと歩いてんだよう。」翌朝登校して歩いてると、後ろから聞き慣れた女子の声に呼び止められた。彼女の名前は葛城アリサ。中学の時からの友達で、たまたま同じ高校に進学していた。クラスは分かれたけど、気が合うので、廊下とかで会ってはよく喋っていた。私はさっそく昨日の出来事を話した。
「何だ、そのベタな恋愛ドラマみたいなの。」
「ベタでも何でもいいじゃん。荻野君だよ。あんなカッコいい人いないじゃん。アリサはそう思わない?」
「思うけど、競争率高過ぎって言うか、あれは無理過ぎ!バスケ部のマネージャーの私でも、手が出せないね。」
「アリサみたいに初めっから諦めてる様じゃダメだね。顔はそこそこイケてるくせに根性無さ過ぎ!」
「言ってくれるじゃん。私だってねえ、そりゃいろいろやってみて言ってんだからね。それに、荻野君はもうバレー部の戸倉と付き合ってるし。」
「そうなんだ。」
「なんだ、優菜知らなかったんだ。バスケ部内じゃ、有名な話だし。」
「戸倉ってさあ、よくは知らないけど、あの程度のツラの奴に持ってかれてんのって、なんかめっちゃ悔しい!」
「でもなあ、バスケ部の1年生エースとバレー部の1年生エースの組み合わせは、ちょっとゴールデンコンビって感じでさあ。それに、戸倉の親父ってテレビ局に勤めてて、業界の人らしいんだよね。」
「なにそれ?親父なんて関係ないじゃん。」冴えない定食屋を経営してる、血の繋がらないクソオヤジに心ならずも育てられた私には、不愉快でしかなかった。そんなテンションガタ下がりのまま教室に入って行くと、女子ばかりの人だかりのあるいつもの光景が目に入った。放課後は体育会系ラブで、クラスではハーレム状態。なんだろう?この妬け付く思いは。
「優菜も荻野に気があるんだな。」気安く下の名前で話しかけて来たのは、高校に入って同じクラスになって知り合ったばかりの、倉元春樹ってヤツだった。
「春樹には関係ないでしょ。」こいつは男子も女子も区別なく、初対面でも気安く声をかけては、すぐに人のことを下の名前で呼んでいたし、自分のことも「春樹って呼んでくれ。」と言う様なヤツだ。体はでかくて、90キロはあると思うけど、気さくな感じからか、みんなすぐにこいつと下の名前で呼び合っていた。私もその例外ではなく、こいつのペースに引き込まれていたわけだ。
「まあな、関係ないっちゃあ関係ねえけど、何か興味あるんだよ。」
「何それ?春樹私に気があんの?」
「ねえとも、あるとも言えねえな。まあ、人の恋愛に興味を持ってる第三者ってとこだな。」
「はー?わけ分んないし。」
「まあ、頑張れよ!応援してやっからさ。」
「いや、荻野君に気があるともないともまだ言ってないんだけど。」
「言わなくっても、よく分ってるからな。」
「何その知ったかぶり?第一荻野君は、バレー部の戸倉さんと付き合ってるし。」
「そんなのは、とっくに知ってるぜ。あいつら、入学式の翌日から付き合ってたんだ。」
「嘘!それ早過ぎ!ねえ、どういうこと?」
「どっちもバスケやバレーの特待生で入って、入学早々どっちも体育館で練習してて、すぐに戸倉の方から声かけて始まったんだ。」
「それで、今どこまで進んでるのかな?」
「心配すんなよ。何もないまま、昨日別れたらしいぜ。」
「それほんと?ねえ、ねえ、どうしてそんなこと知ってんのよ?」
「そりゃ、恋のアドバイザーの特権てとこかな。」
「その情報、まじで信じていいんだね?」
「あー、保障してやるよ。」そんな春樹の怪しい言葉にもかかわらず、私は単純に嬉しくて舞い上がってて、何の疑いもなくそのまま信じた。それは、持って生まれたポジティブな性格故のことだと思う。私がバスケ部のマネジャーとして入部したのは、その翌日だった。
「今度、マネージャーとして入った飯岡優菜です。全力でバスケ出来る様に、全力で何でもやります。
よろしくお願いします。」まるで、部員全員の世話を無償でやらせて頂きますみたいな顔して、心の中では荻野君だけに尽くす気満々だった。
「荻野君、よろしくね。何でも言いつけてくれたらいいからね。」
「あー、こちらこそよろしくな。」笑顔でそう言ってくれた汗まみれのユニフォーム姿の彼は、もう素敵以外の何物でもなかった。心の中で“やったー!”がこだましまくっていた。それからというもの、私はバスケのことを必死で勉強した。彼はバスケに人生を賭けてるみたいだったので、マネージャーとして彼の役に立って、彼に認めてもらいたかったからだ。ルールはもちろん、スコア表の書き方と見方、トレーニングやアイシングについて、又チームワークについても理解しようと、先輩部員の人たちとの人間関係にも気を配ったりした。彼は1年からレギュラーで、先輩たちと一緒に試合に出ていたのだ。
「ねえ、アリサ教えて欲しいんだけど、選手の人たちが度重なる試合で疲れて来た時、私たちが1番するべきことって何だろう?どうすれば、最高のコンディションで選手を試合に送り出せるんだろう?」練習が終わった後、部員や他の人たちが帰ってから、後片付けに体育館に二人だけ残った時のことだ。
「あのさ、優菜。もう優菜は充分過ぎるほどやってるから。いくらあの荻野君に尽くしたいからって、そこまでやられると、先にマネージャーになったこっちが立場ないし、もう引いてるし。」
「でもさあ、もう大会近いし、荻野君は自分の限界を超えようとしてあんな頑張ってるんだよ。少しでも力になりたいじゃん。」
「負けたわ。私だけじゃなく、みんな優菜の熱意にとっくに脱帽してるし、もうライバルだと思わないし。」
「そんなこともうどうだっていいし、とにかくアリサの持ってるマネージャーとしての知識教えて。」
「何、無視かよ。私だって、一応荻野君好きだったんだけどな。」
「え、そうだったっけ。アリサって初めっから諦めてるみたいだったし、全然そんな気なかったし。」
「ねえ、前から1度聞いてみたかったんだけど、優菜はこんな競争率の高い人にどうしてそんな一途になれるのさ?」
「それはまあいいじゃん。」
「え、隠されると余計気になるな。やっぱりそこまでこだわる訳あるんだ。」
「こだわるって、私はただ自分の気持ちに嘘つきたくないし、やるだけのことやらずに諦めるのはやなだけ。それじゃいけない?」
「そりゃ優菜の自由だし、いいんだけど、今は友達として見守って応援してやりたいしさ。」
「じゃあ、私が一途になる訳教えたら、いろいろ協力してくれる?」
「えー、何、じゃあ聞くのよそうかな。」
「おい、アリサ、逃げるな。協力はアリサの出来る範囲でいいから、訳言うからさ。」
「ほんとにあれしろ、これしろって強制しないね?私が進んで協力することで満足してくれるなら。」
「うん、それでいいから。それとさあ、これはアリサだから言うんだからね。」
「分った。誰にも言わないし。」その約束を信じて、私は話し出した。
「アリサとは中学からだから全然知らないだろうけど、私幼稚園の途中まで飯岡じゃなかったんだ。」
「改名したってこと?」
「親が離婚して、再婚してから飯岡になったんだ。」
「てことは、優菜のあのお父さんかお母さんのどちらかが血が繋がってないんだ。」
「アリサっておバカなのか?オヤジに決まってんだろ。母親がよそものなだけなら、名字変わらないじゃん。」
「あ、そっか。それもそうだ。で、オヤジとは折り合いが悪いわけ?」
「もろ、上辺だけの愛情でさ。後から出来た実の娘は露骨に可愛がってさ。」
「そうだったんだ。ルリカちゃんとは半分だけの姉妹なわけだ。へー、そんな隠された事情があったとはねえ。あ、でもお母さんは本当のお母さんなわけじゃないの?」
「あの人が1番むかつくんだ。」アリサに話しながら、私は幼い頃のことを思い出していた。
「ママ、パパはどこ行ったの?優菜ずっとパパの顔見てないよ。」
「パパはね、もう帰って来ないのよ。」
「えー、どうして?優菜、パパに会いたい!」そう、私はパパが大好きだった。
「パパはね、ママのことも優菜のことも捨てて出てったの。」それを聞かされて、ずっと泣きじゃくってたことを今でも憶えてる。その時は大人にどんな事情があったのか分るはずもなく、間もなくして生まれ育った家から引っ越して、今の店舗付き住宅で暮らし始めた。その直後からあの人のお腹がみるみる大きくなり、叱られることが多くなった。ルリカが生まれたのは雪が降る季節で、最後にパパにプールに連れてもらったのがその前の夏のことだったことを憶えている。幼かった私には当然その不自然は分らなかったけど、小学校の高学年の頃にはおかしいことが分かって、あの人を問いただした。
「ママは幼かった私に、パパが家庭を捨てたみたいに言ってたよね、確か。」家事をしてる母の横に寄って聞いてみた。
「そんなこと言ったかしら?それが今頃どうしたって言うの?」母は家事を続けながら答えた。
「ママはお父さんとどうやって出会ったの?」
「何?どうして今頃そんなことが聞きたいの?」
「私だって、男の子を意識する年頃になったから、興味あるんだ。」
「ふーん、別に教えてあげてもいいけど、人に言っちゃ駄目よ。」
「絶対言わないから、教えてよ。もう子供じゃないし。」
「まだまだ子供には変わりないと思うけど、まあいいわ、教えてあげる。」そう言うと母は、それまでしていた家事の手を止めて続けた。
「お父さんとはね、パパと知り合うよりずっと前、高校の生徒会で知りあったの。」
「そんな以前から知ってたんだ。」
「知ってただけじゃないよ。生徒会長のお父さんはね、優等生で女子の憧れの的だったの。もちろん、ママもそんなお父さんに惹かれた一人だった。」
「じゃなぜ、初めからお父さんと結婚しなかったの?」
「そりゃ、当時お父さんはもてもてで競争率高かったから、1年後輩のママじゃとても手が届かなくて諦めるしかなかった。」
「なんだ、ママ根性なしだったんだ。」
「そのおかげで、とりあえずあの人と結婚したからあんたが生まれたんでしょ。」
「私って、とりあえず婚の子だったんだ。」
「まあ、それはそれで幸せな家庭を夢見たんだよ。でも、あんたのパパときたら優しいだけの根性なしで、こんなささやかな幸せすら守れない甲斐性なしでさ。」
「じゃあ、お父さんはどうなの?優等生で、生徒会長が、何で今は冴えない定食屋のオヤジなの?」
「あんたさ、食べさせてもらっといてよくそういうこと言えるね。お父さんがどれだけ苦労して生きて来て、今の店を開店させて、経営してやって来たと思ってんの。」
「ママは随分お父さんのこと知ってるんだね。」
「当たり前でしょ。ずっと憧れの人だったし、尊敬してたからね。」
「ほんとはパパが出て行ったのは、ママが浮気したからじゃないの?」
「何言ってるの?パパが家族を捨てて出て言ったのは歴然たる事実じゃない。あんたはママが悪いって言うの?」
「あんたあんたって、最近ママ、ルリカのことはちゃんと名前で呼ぶのに、私のことは”あんた”なんね?」
「そんなこといちいち気にしてたの?分ったわ。ちゃんと優菜って呼べばいいのね。」
「うん、ちゃんと名前で呼んで。ママは私がどれだけ寂しい思いしてたか知らないんだ。私だけが家族じゃないみたい。」
「それが優菜が抱く疑惑の根源ね?」
「それだけじゃないよ。優菜はちゃんと憶えてるんだよ。パパが出て行ってからルリカが生まれるまでの期間が半年くらいしかなかったよね。」
「で、ママの浮気が原因だと言いたいのね。」
「だって、そうとしか思えない。最後の夏プールに連れてってくれたパパは、本当に優しかった。そのパパが何の訳もなく、優菜を捨てたりしない。」
「じゃあはっきり言ってあげるわ。あなたのパパはね、とんだ甲斐性なしなの。会社クビになって、一杯残ってた家のローンを払うどころか、生活費すら稼げなくなって、上辺だけ優しく出来ても、本当に家族を守ることなんか出来やしない駄目な男なの。」
「だから、ママがパパを見捨てて浮気したの?」
「ママが悪いみたいに言うんだね。あんたを養う為に必死で頑張って来た母親に向かって、家族を放棄して逃げてった男より、悪者扱い?食べさせてもらっといて、言いたいことだけ言うのね。」
「あんたじゃなくて、優菜!結局ママからみて私って、お荷物でしかないから、名前で呼ぶことも出来ないんだ。」
「めんどくさいこと言うね。ごめんね。優菜ね。はいはい、優菜って呼べばいいんでしょ。」
「もういいよ。ママだけは優菜の味方だと思ってたのにさ。」
「味方じゃない。今の世の中誰が優菜みたいな子育ててくれると思ってんの?ママにとっては自分の子だけど、お父さんの前じゃもっと可愛くしなきゃ、罰当たるわよ。」
「でも、パパとは全然違う。」
「当り前でしょ。実の子じゃないんだから。あれでも、お父さんはお父さんで、一生懸命優菜の父親演じてるんだよ。」
「やっぱりそうなんだ。よく分った。やっぱり優菜のお父さんはパパだけなんだ。」
「そこまで言うなら、パパのとこでもどこでも行きなさい。」そう言うと母は、実の父の実家の電話番号を教えてくれた。私がその後自分の部屋に籠って号泣したことは言うまでもない。でも、泣いてばかりはいなかった。母が教えてくれたことを皮切りに、父の居場所を探したのだ。そこから、父が暮らしている千葉の家に辿り着くのにそれほどには時間はかからなかった。そこは私が暮らしているよりも立派な家だった。表札には「浜中」とだけ書かれていた。そう、私が生まれた時の名字だ。“浜中優菜”が元々の私の名前。命名については、幼稚園の頃父が話してくれたのを辛くも憶えていた。父と母が初めてキスをした時、その傍にハマユウの花が咲いていたそうで、名前を略したらハマユウになることから、優菜になったらしい。ハマユウの花ことばが、“あなたを信じる”ていうのも命名の決め手になったそうだ。それなのに、その両親は互いを信じることが出来なくなって別れてしまった皮肉な名前だ。しかも、ハマユウにはもう一つ花ことばがあって、それは“どこか遠くに”だった。どこか遠くに行ってしまった父を追いかけて来た私は、改めて自分の生い立ちを思い涙した。
「何か、うちに用かしら?」呼び鈴を鳴らすことをためらっていた私の後ろから、幼稚園くらいの男女一人づつの子供を連れた、お世辞にも綺麗とは言えないおばさんに声をかけられた。
「いえ、道に迷ってしまって・・・。」咄嗟にごまかした。すると、ちょうどそこへ玄関の中から、
「おかえり。ちゃんと言われた通り、掃除しておいたから、・・あれ、お客さんかい?」懐かしい父の声のはずだった。でも、その光景とわずかなことばの雰囲気から、私がその場に相応しくないことを悟って、慌ててその場を去ったんだ。父は、もうとうに私のパパではなくなっていた。何だ、私を本当に愛してくれてる人はいないんだ。でも、不思議と絶望はしなかった。さいたまに帰るまで涙が止まらなかったけど、それはありもしない愛にしがみつこうとしていた自分に決別するための涙だった。女優になりたいという夢を追いかけ出したのもその頃だ。何も分っていない子供だった私には、映画やテレビで活躍する女優という職業がただ華やかで、素敵に映っていたことは否めない。その夢を追いかけても、親を見返してやるくらいになることがどれだけ難しいことか分ってから、熱が冷めて行った。女優を目指して頑張っていた演劇よりも、周りの男子を意識する様になって行くにつれ、素敵な出会いに夢を馳せる様になったのも確かだった。
「なるほど、おふくろさんの二の舞はしたくない訳だ。」
「当然じゃん。あの母親と同じ血が流れてる私が、親と同じ過ちを繰り返さないには、諦めずに想いを貫くこと。それだけはしっかり学んだし、強く誓ったんだ。」
「じゃあ、荻野君を落とすまで、徹底的にやるんだね。」
「当然じゃん。私は絶対に、荻野君を落としてやるんだ。その為には出来ることは何でもやる。」
「よく分ったし。優菜の切なさも覚悟もさ。頑張んなよ。友達として目一杯応援してやるよ。」
「ありがとう、アリサ。」
それからというもの、アリサたちの協力もあって、荻野君の活躍は目を見張るようになった。もちろん荻野君自身の力が伸びたからだけど、それに私たちマネージャーのバックアップが、ばっちり役に立ってることが嬉しかった。荻野君の活躍で次々と強豪校に勝って、ウィンターカップ出場が確実になるまで後2勝というところまで来た時、天にも昇りそうな幸せが待っていた。
「飯岡、いつもほんとにありがとな。」彼の連続ダンクで劇的逆点勝ちした試合の後、会場から出て解散した直後に荻野君が声をかけてくれた。そんな風に言ってくれたの初めてだったし、もう嬉しいっていうレベルじゃなかった。
「凄いかっこよかったし、凄い感動したよ。もう後ちょっとだね。」
「正直な、ここまでやれるとは思ってなかったんだ。高校のレベルは中学とは比べもんにならないほど高いからさ。先輩たちの足引っ張らないで、ちょっとでもいいプレー出来たらって、思ってた。もちろん早くエースと言われるまで成長して、チームを引っ張って行ける様になりたいと思ってやってきたけど、だんだん体が付いて行かなくなってきてた。そんな時、飯岡がしてくれたマッサージが効いてな。」
「ほんとに?あんなやり方でほんとよかったのか、ずっと心配だったんだ。」
「すげー気持ちよかったし、ばっちり効いたぜ。おかげで、それから絶好調になった。」
「本当に!」やばいほど嬉しかった。
「あー、飯岡は何でも嫌がらずにやってくれるし、マッサージだって勉強したんだろ?」
「勉強ってほどじゃないけど、ちょっとでも荻野君にいいプレーして欲しくってさ。」
「ちゃんと気持ちこもってたぜ。ほんとにありがとな。」こんなに涙腺刺激されたらもう無理って感じで、ついに号泣してしまった。
「おい、おい、何泣いてんだよ。」
「だって、嬉しくって、・・・ありがとう!」
「そんなに感激されると、まいったな。まあ、じゃあ、これからもよろしくな!」そう言って帰って行く彼の後ろ姿を幸涙で見送った。
「やったじゃん、優菜。」アリサに頭を叩かれた。私はアリサに抱きついて、おいおい泣いた。その夜、荻野君に告られてキスをする夢を見た。そして、そんな押せ押せムードはまだまだ続いた。
「行けー!荻野!」相手のディフェンスを余裕でかわす荻野君の運動センスはもう鳥肌もんだ。
「ワンオンワンで今の荻野の勢いを止められるヤツは最早埼玉にはいないな。」とベンチの声。
「きゃー、荻野君!もうやば過ぎ!」と応援席からの声。そんな色んな声を受けながら、彼は今日も十本目のダンクを豪快に決めた。背が高くてかっこよくて、超イケ面で、優しくて、運動神経抜群の、そんな無敵の彼の心が今、私の方を見ているんだ。“もうあなたに決めたよ❤”そう心の中で思いっきり叫んでた。
「やったな、荻野。ウィンターカップまで後1勝だ。うちのエースは今やおまえだかんな。次も頼んだぜ!」キャプテンの屋江島さんの言葉に対して荻野君は、
「今の俺があるのは、部のみんなのおかげなんすよ。先生や先輩方の指導と、マネージャーの献身的なバックアップがあればこそなんす。」
「そうだな、よく言った。でもほんとは先生や俺たちより、マネージャーの力が大きいよな。」
「いや、そんなこと・・・」
「大アリだって顔に書いてあんぜ。特に飯岡の力は大きいよな。」
「あの、屋江島先輩、私のしてることなんて。」やっぱりここは謙遜せねばと思った。
「おっす、屋江島先輩には敵わないっす。確かに飯岡には凄く助けられてます。」あー、又泣かされちゃった。嬉し過ぎることを寄ってたかって言い過ぎだー!私って、なんて純情なんだろう。泣いて逃げちゃった。アリサたちからはパンチ攻めされて、プチ痛かったけど幸せ過ぎだった。でも、ウィンターカップへの道はそんなに甘くはなかった。
U高の荻野君へのマークが半端じゃなかった。1年生とはいえ、1番勢いがある彼の飛び抜けた得点力を相手チームが研究も対策もせずに挑んで来るはずないのだ。流石の荻野君も執拗なマークに普段の突破力を次第に封じられ、ゴールが決まらず、ボールを取られて焦っているのが分る様になった。私は、そんな彼を必死で応援し、励まし、サポートした。でも、健闘空しく、最後の猛攻及ばず逃げ切りを許した。
「ごめんね、私が至らなかったから。」廊下でたまたま二人になれた時に、私が話しかけた。
「何言ってんだよ。単純に俺の力不足に決まってんじゃん。それに、飯岡は最高のサポートをしてくれたし、そのおかげで今の俺の力はマックスに出せたし、悔いないし、感謝してるんだ。」
「でも、後ちょっとだったから、悔しくて。」
「そっか、俺こそごめんな。応援してくれたのに、期待に応えられなくて。」
「ううん、そんな、荻野君が納得してるならそれでいいんだ。」
「納得ならしてるさ。先輩たちの力にはなりきれなかったけど、俺たちには来年があるしな。」
「ねえ、荻野君・・・」彼の“俺たちには来年”の言葉に急にドキドキして、咄嗟に言いかけた。
「何だよ、言いかけて止めるなよ。気になるじゃん。」
「荻野君のこと、好きなの。付き合って欲しい。」あー、ついに言っちゃった。
「友達としてならいいぜ。」そんな言葉が即答で帰って来るとは思ってなかった。
「えっ?友達なんだ。誰か付き合ってるの?」
「いや、そんな奴いねえよ。好きな奴もいねえ。今はバスケに集中したいんだ。だから、友達って言っても、飯岡は俺にとって大事な仲間だよ。それじゃ、いけないかな?」ちょっと複雑だったけど、凄い希望の持てる返事だった。
「ねえ、それだったら、これからは下の名前で呼んじゃ駄目かな?私のことは“優菜”でいいし。」
「あー、別に全然いいぜ。それなら俺のことはいっそ“太平”って呼んでくれたらいいよ。」
「ほんとにそう呼んでいいの?」
「あー、ほんとにありがとな、優菜。」その瞬間、ぐっと来た。凄く近づけた気がした。
「うん、私こそありがとう、た、い、へい。」言っちゃった!
「あー。」最後に笑ってくれて、100パーセントじゃなかったけど、満足だー!まずは大切な友達だけど、ついに始まったんだ。少しづつ、階段を上って行けばいいんだ。いつか、太平のお嫁さんになる!
それからというもの、プチ幸せな日々が続いた。でも、それ以上の進展はなかった。
「優菜、最近可愛くなったな。荻野と付き合ってるのか?」教室で太平のこと想いながら少しニタついていると、春樹が話しかけて来た。
「まあね、って言うか、春樹のことだから、知ってるんでしょ?」何故か、こいつは人の恋を全てお見通しみたいな、きもいヤツ。なのに、不思議とそんなこいつの悪趣味にも慣れっこになっていた。嫌味がないって言うか?なんか、優しかったから。
「まあな、優菜一途だから、分りやすいし、興味あるしな。想いが実を結べばいいな。」
「ねえ、どうして春樹はそうやって応援してくれるの?春樹には好きな人いないの?」
「特にいないな。俺にもし彼女でも出来たら、母ちゃんがうるさいからな。」
「母ちゃんて、そんなのいちいち言わなきゃいいじゃん。って、春樹ってもしかしてマザコン?」
「まあな、母ちゃんは俺より鋭いんだぜ。それに、すげーおっかねえんだ。“女の子泣かす様なことしたらぶっ殺すぞ!”なんて言うんだぜ。」
「へー、いいお母さんだね。」
「どこが?」
「いや、それって愛の鞭って言うか、愛する息子にはちゃんとした恋愛をさせようとしてるんじゃないのかな?実は大事な一人息子にはちゃんとして欲しいって言うかさ。」
「優菜も意外と鋭いな。母ちゃんの気持ちもドンピシャで言い当ててるし、俺一人っ子だけど、そんなこと言ったっけ?」
「えー、そうなんだ。どんなお母さんかな?1度会ってみたいな。」
「会ったらびっくりするぜ。」
「春樹みたいに大きいとか?」
「おー、それもあるけど、母ちゃんな元女子プロレスラーなんだ。」
「女子プロレスラー!通りで春樹でかい訳だ。ねえ、リングネームなんて言うの?」
「メデューサ鈴木だけど、知ってるだろ?」
「嘘ー!睨みつけるだけで、相手を硬直させるっていう、あのメデューサだよね。」
「そう、そのメデューサから睨みの教育受けたからな。」
「じゃあ、趣味の恋愛アドバイザーもお母さんの影響?」
「ピンポン!母ちゃんなあんなののくせして、父ちゃんの前では女なんだぜ。それを、ガキの時から見てて、男と女って面白いなとつくづく思って育ったからな。」
「へー、そうなんだ。1度会ってみたいな。」
「よかったら、うちに来いよ。」
「ほんとに行ってもいいの?」
「いいぜ。きっと母ちゃんも大歓迎するはずだし。」
「あ、でもな、それって春樹の彼女みたいじゃん。」
「嫌なら、よせよ。」
「行きたいけど、太平って人がありながら、他の男子のうちに行くのはな、ちょっとね。」結局その時は携帯の番号とメアドを交換しただけで、パスした。でも、本当は少し未練があった。もちろん春樹にじゃなくて、例え厳しくても自分の子供としっかり向き合ってるお母さんに、未練があったんだ。このこと、太平に相談したらどう言うかな?やきもち妬いてくれるかな?もし、妬いてくれなかったらどうしよう?行きたいくせに複雑だった。付き合いだして、もう3カ月にもなろうとしてたのに、キスどころか手も握ってくれない。本当に友達のままって感じで寂しかった。
「ねえ、どうして太平は、何も誘ってくれないの?」部室でたまたま二人きりになれた時のことだ。
「何もって、何を誘うんだ?」期待はずれの反応だ。
「そのさ、デートとか、俺のうちに来いとかさ。」
「俺んち来てどうするんだ?岩槻の方だから、遠いぞ。」
「太平の家族の人に会ってみたいというか、その・・・」
「俺んち工務店やってて、親父だけじゃなくお袋も店のことで忙しいから来てもしょうがないと思うけどな。」
「じゃあ、将来は工務店継ぐの?」
「いや、兄貴がいるからな。俺はいずれ家を出て、プロバスケット選手になるんだ。」
「あーやっぱり、それなら納得。うんうん、太平ならきっと成れるよ。」
「それにはもっともっと力つけないとな。頼りにしてるぜ、マネージャー。」
「えー、私ってただのマネージャー?これでも一緒に同じ夢追っかけてるつもりなんだけどな。」
「悪りい悪りい、優菜の応援はほんといつも感謝してるんだ。」
「じゃあ、その何て言うかさあ、私太平だったら、いいって言うか。」すると、太平は私の顔をまじまじ見て来た。あー、ついに来るぞ、来るぞって感じだ。しかし、
「じゃあ、尚更のこと大切にしたいんだ。優菜のことは軽く扱えないからな。」どうして?大切にしてくれるのは超嬉しいんだけど、ここはぎゅっと抱きしめて、そのさー!
「あー、ごめん、いいとこだったのに邪魔したみたいで、あの、ごゆっくり。」部室に入って来てしまったアリサだった。
「よう、葛城、今度優菜と、梶木と4人でどっか行かねえか?」梶木というのは、アリサと付き合ってるバスケの同じ1年生部員だ。
「あ、いいねそれ、行こ行こ。いいよね優菜も。」二人きりじゃなくて、ダブルデートか。まあ、きっと途中から二人きりになれるんだろうし、それでもいいや。
「じゃあ、いつにする?」私が言った。
「来週の土曜ってのはどうだ?」
「うん、それでいいけど、アリサは?」
「オッケー、オッケーよ。じゃあ・・」
「梶木には俺から聞いといてやるよ。じゃあな。」そう言って太平は部屋から出て行ってしまった。
「ねえねえ、チューしたの?」
「してねーよ!」
「めんごめんご、まさか二人きりだと思わなかったんだ。」アリサは何でも話せる友達だったから、本気で怒ってはいなかった。そう、私はポジティブに行くんだ!
ダブルデートはカラオケになった。季節は冬で、寒さを口実に太平にくっ付くチャンスだと思っていたのに、太平と梶木君は”風邪ひくといけないから”と、カラオケになった。まあ、みんなカラオケが好きだったこともあった。もちろん、カラオケは大いに盛り上がった。みんな、上手い上にノリもいい!私も歌はそこそこ自信あったし、太平も上手かった。勉強こそ今一だけど、太平は一体どれだけ何でも出来るヤツなんだと改めて感動した。もうカッコよ過ぎだ。よーし、今日こそ落とすぞ!
「ねえ、この後どこ行く?」カラオケの残り時間がわずかになったところで、私が切り出した。
「悪りい、この後中学の時のつれと約束あるんだ。ここ出たらもう行かないと間に合わねえ。」耳を疑う様な太平の言葉だった。店を出て太平が帰った後、私はしばらく泣いてしまい、しばらくアリサと梶木君に慰められた。
「ありがとう!もういいよ。もう一人で帰れるから、行って。」アリサたちは本当に優しくて、“3人でどこか食べに行こう。”と誘ってくれたけど、二人のデートの邪魔はしたくなかったので、遠慮して別れた。それからおもむろに携帯を取り出し、春樹にメールした。
「ちょっと相談に乗って欲しいことがあるんだけど、いい?」そう送信して間もなく春樹からの着信があった。
「どうしたんだよ?荻野となんかあったのか?」春樹の声が何故か凄く優しかった。
「今日ダブルデートだったんだ。」私は経緯を話した。
「そっか、よかったら、今からうちに来ないか?」
「どう行けばいいの?」
「今どこにいる?駅から近いか?」
「うん、大宮駅から歩いて7,8分てとこかな。」
「じゃあ、電車乗って桶川で下りて、西口に出て来いよ。待っててやっから。」言われるままに行ってみると、ジャージ姿でちゃんと待っていてくれた。見ると、彼は少し汗をかいていた。
「寒くないの?そんな格好でさ。」
「トレーニングしてたからな。」そう言いながら、さっそく歩きだした。
「でも、ウィンドブレーカーくらい着てくればいいのに。」
「いいんだよ、優菜を待たせる訳にはいかねえからな。」
「家じゃなかったの?」
「ウォーキング中だったんだ。ここと、家とちょうど三角形に位置する場所だったからな。」
「電車の着く時間とか分ってたの?」
「高崎線は本数多いからな。適当でもいいんだ。でも、一応母ちゃんに電話して時刻表見て貰って見当はつけたけどな。」
「じゃあ、お母さん、私が来るの知ってくれてんだね。」
「おう、大歓迎だって言ってたぜ。どうせ、今日は荻野と夕飯食べるつもりだったんだろうから、母ちゃん、腕に寄りかけて待ってるはずだ。帰りも送ってくから、心配するな。」
「何か、至れり尽せりなんだけど、いいのかな?」
「気にすんなよ。優菜は大事な友達だし、母ちゃんも前々から、優菜に興味持ってるみたいだから。」
「私に興味って?」
「優菜のことはよく話してんだ。そしたら、母ちゃん食いついてくんだぜ。他の奴の話はあまり興味示さないのに。」
「春樹、お母さんに学校のこととか話してるの?」
「あー、よく話してるぜ。母ちゃんよく聞いて来るからな。」
「いいな、春樹のことちゃんと愛してるんだ。」
「鬼の様に厳しい愛だけどな。」
「それでも羨ましいよ。私のママなんて、私のことは面倒なことさえ起こさなければいいくらいにしか思ってないしさ。」
「俺でよかったら、何でも話せよな。俺こんなだけど、秘密厳守て言われたら絶対誰にも言わない口の固さも併せ持ってるからな。」
「じゃあ、太平から何か聞いてる?」
「それは言えねえな。男と男の約束あるからな。」
「そうなんだ。気になるな。ねえ、私が太平に夢中なのどう思う?」
「優菜の思い通りにするしかねえんじゃないか?優菜の気持ちの強さと行動力は、俺の予測しきれないものがあるから、俺には見守ることしか出来ねえんだ。」
「それって、太平の心はまだ定まってないってことだよね。誰か他にいるのかな?」
「それはないな。少なくとも今は、優菜が一番近いはずだぜ。」
「じゃあ、どうして今日は帰っちゃったのかな?」
「荻野は、優菜のことを軽く扱えないって言ったんだろ?」
「うん、でもそれって、ちょっと寂しいんだ。」
「軽く扱えないっていうのは本当だぜ。荻野は、いい加減な気持ちで女子とは付き合えないんだ。」
「どういうこと?」
「それは、約束があるから言えねんだって。」
「そうか、まあいいや。つまりは、これからの私次第ってことだし。それを春樹が見守ってくれてるっていうのも、何か嬉しいしさ。」
「まあ、頑張れよな。辛くなったら、何でも聞いてやるから。」
「ねえ、どうして春樹は私にそんなに優しいの?」
「恋に悩む友達を見捨てておけないって言うか、優菜は放っておけないんだ。」
「ふーん?よく分らないな。まあ、それもいいや。話してて気が楽になるから。」
「じゃあ、それはそういうことでいいんじゃないか。」
「あ、それとさ、春樹は誰でも下の名前で呼ぶのに、どうして太平のことは”荻野”なの?」
「意味ねえよ。“荻野”の方が短くて呼びやすいからかな。」
「なんだ、それだけか。何か、春樹って、嘘がないって言うか、いいね。」
「嘘がないって点では、優菜も同じだろ。」
「言えてる。私って単純なんだ。」その後少しだけ沈黙があった。それを破ったのは私だった。
「ねえ、ところで春樹はトレーニングって言ってたけど、クラブ何だっけ?」
「パワーリフティング部に入ってる。」
「それって、世界大会とかにも行くって聞いたことあるんだけど、何するんだっけ?重量挙げとは違うとも聞いたことあるんだ。」
「あー、バーベル使うのは同じだけどな。スクワットとベンチとデッドの3種目あるんだ。」
「春樹はどれ?」
「全部だよ。3種目の合計で争うんだ。」
「それぞれ、どうするの?」
「ここじゃなんだし、家に着いたらやって見せてやるよ。」
「へー、何か楽しみ。で、春樹はそれで世界大会目指してるんだ。」
「いいや。他の奴らは目指してるみたいだけど、俺は世界大会には興味ねえんだ。」
「どうして?」
「俺がパワー部に入ったのはトレーニング目的で、目指してるのはプロレスラーなんだ。」
「お母さんと同じ道に行くんだ。」
「そういうこと。」
「尊敬してるんだね。」
「まあな。」
「いいなあ、ほんとにまじ憧れちゃうな。そんな親子関係。ねえ、どんなお母さんかな。」
「もう間もなく会えるぜ。」それから、もう少し雑談してるうちに家に着いた。“おー”と思うほど、3階立ての立派な家だ。
「よく来てくれたねえ。」うわー、生メデューサだー!迫力はテレビで見た通りだったけど、大きく違ったのは、テレビとは全く違って優しそう!
「春樹君のクラスメートで、飯岡優菜と言います。」
「さーさ、上がって。今夕飯用意してるから、春樹とちょっと待っててね。」
「なんだ、母ちゃんまだ出来てないのか?」
「そんなに早く出来る訳ないだろうが、そんな馬鹿言ってるとラりアートぶちかますぞ!」と笑っていたお母さんは、お茶目な感じだった。
「汗かいたから、シャワー浴びてくるし、その間先にリビングで待っててくれ。」
「今日寒いから、風邪ひかない様に風呂沸かしてあるから入ってきな。」
「あ、その前にスクワットとベンチの実践するから、来いよ。」私はまずトレーニングルームに通された。そこで見せてくれた春樹のパフォーマンスは凄く力強かった。その後一人リビングに通された。チャンピオンベルトとかガウンとか飾ってある派手なリビングで、50型くらいの巨大画面テレビを見ながら春樹を待っていた。男子の家に来て、風呂上がりの彼を待っているのに、特にドキドキしなかった。本当にそういう意識はなかった。私の心が太平に首ったけなのは何ら変わらなかった。ただ、親身になって話を聞いてくれる春樹を単純に信じた。そして、春樹はそんな信頼を決して裏切ることはしなかった。
「優菜ちゃんにもし手出したらサソリ固めで締め上げるからな。」と言うお母さんの言葉に守られていた?のもあるのか、二人きりでも何の不安もなく友達でいられた。それでいて、人の恋の悩みにちゃんと耳を傾けてくれた。それも、ちゃんと私の目を見て向き合ってくれた。更に夕飯時は、お母さんが料理と会話で飛びきりの優しさを持って私をもてなしてくれた。私のことを凄く気にいってくれて、、
「春樹の彼女じゃないのは残念だけど、荻野君との恋頑張んなさいよ。」とエールをくれた。親子揃って目一杯励ましてくれて、帰りは約束通り車で自宅まで送ってくれた。好きなのは太平なのに、春樹の家庭に強い憧れを抱いてしまった。それからというもの、そんな関係が続いた。私はひたすら太平に尽くして、それでもなかなか進展しないで俯きかけると、必ず春樹が励ましてくれた。そして、そんなまま月日は流れ、東日本大震災やクラス替えを経て、私の恋に大きな変化が訪れた。それは到底受け入れ難い変化だった。
2年になり、私は春樹やアリサと同じC組になったが、太平は隣のB組でクラスが分れた。ちょっと寂しかったけど、部活では顔を合わせられたので、まだ平静でいられた。でも、運命は残酷だった。2年になって間もなく、太平が急によそよそしくなったのだ。私は初め何故か分らず戸惑ったけど、その訳を同じC組になったバレー部の戸倉弥生(とくらやよい)が教えてくれた。
「大平っちのヤツ、琴美にいかれたんだ。」大人しくて影が薄く目立たないけど、B組には高田琴美という学年一の美少女らしい女子がいた。
「どういうことよ?」
「この前カラオケで会ったじゃん。あん時私近所のよしみで琴美とカラオケ来てたんだ。そん時さあ、あいつ人の歌ってる部屋覗いてやんの。」
「弥生を見てたんじゃないの?」
「私も初めはそう思ったんだけど、あの後会った時に聞いたんだ。”元カノが気になるのか?”って。そしたらあいつ、“誰が今更おまえなんか見るかよ。”って憎たらしいんだ。“じゃあ琴美に惚れたのかよ?”って言ってやったら、あっさり認めてやんの。」凄いショックだった。でも、落ち込まなかった。落ち込んでる場合じゃないと思った。顔がいいだけで、大切な太平が取られてたまるかって思った。
「高田ってどんな女なの?」
「あいつさ、いつも放課後速攻で下校してるみたいなんだ。クラスでは浮いてたし、面がいいくせに彼氏いないみたいだし、近所のよしみってこともあってちょっと構ってやってたんだ。」
「そのことだけどさあ、噂で聞いたんだけど、夜は東京の某お店でやばいバイトをしてるらしいよ。」アリサが聞きつけて急に会話に加わって来た。
「家近いのに、滅多に会わないと思ったら、そんなことをしてんか、あいつ。」
「しかも、援交とかもやってるって噂だし。」アリサは、1年の時、弥生や琴美と同じクラスだったんだ。
「まじかよ。そんな女に騙されてるんだ、太平を惑わすなんて許せない。そんな奴に取られて黙ってられないよ。」
「そうだよ、優菜頑張れよ!優菜なら許せるけど、顔がいいだけであんな訳分らない奴には荻野君持ってかれたくないし。」
「うん、絶対太平は渡さないよ。」それからというもの、私の恋愛バトルはどんどん激化していった。少々劣勢になったくらいで諦めたくなかった。もちろん春樹にもよく相談した。春樹は決まって私のことを気遣ってはくれたけど、恋の情勢についてはあまりいいことを言ってくれなくなった。その度私は少し荒れる様になって、やがて春樹を避けることが多くなった。そんな私の愚痴を聞いてくれるのは専らアリサたち同性の友達になって行き、私の恋の暴走は止まらなくなった。時に太平は露骨に私を避ける様になった。でも、私は決して諦めなかった。何故なら、大平が私を避ける以上に琴美は太平を避けている様だったから。琴美に幻惑されてるせいか、太平のバスケが伸び悩み始めて彼らしさが影を潜めかけた為、私の愛で本来の太平を取り戻して欲しかったから。何よりも、本当に太平のことを愛してるのは、私だったからだ。後から思えば私のしていたことは、はたから見ればストーカーぽかったと思う。でも、その時は本当に、太平に振り向いて欲しい、しっかり向かい合って欲しい、本来の彼に戻って欲しい気持ちで一杯だった。そんな中でいろんなことがあった。除染作業の為学校が早く終わった日に、B組のカラオケ好きが集まった時、太平のことが気になって彼らの教室を覗いていて聞き付けて、私も割り込んで太平や琴美と一緒にカラオケに行くことになった。もちろん、太平が私のものだというのをアピールする為だ。ただ、そこは少し異様な雰囲気だった。1年の時クラスメートだった山野茜が、2年なってからクラスメートになった野球部員に入れ込んでるみたいで、随分気を遣っていた。
「あんた、今度は国島君命なん?」こいつは確か、1年前いち早く太平の周りを囲んでいた奴だ。それが、ライバルが増えて行くうちにいつの間にか冷めてたみたいだけど、バスケ部のエースの次は、4番打者とは、自分をどんだけ分ってるんだか?
「そういうこと。お互い頑張ろうねえ。」って、太平の為に尽してる私が、吹奏楽部で笛吹いてるだけの奴に自分と一緒にされたくねえよ。ま、それは兎も角として、こいつ自分の恋に夢中で、一緒に参加していたクラスメートを平気で虐めてるんだ。それは佐伯美野里って大人しい奴で、鼻炎とかで鼻垂らしてることで、汚らしいからって虐められていた。そいつが何故か琴美と仲がいいみたいで、琴美にくっ付いて来ていたから、カラオケルームの空気は悪かったんだ。それが、国島君の提案で、参加者8人をチーム分けして紅白戦になった。もちろん私は太平と一緒で、琴美と佐伯ちゃんも同じチームだった。ま、私にとってはそれが好都合で、
「はい、そっちの2人、私のダーリンから離れてね。」と言うと、
「おまえが仕切るな。」と太平に怒られたものの、琴美は百合みたく佐伯ちゃんとべったりで、素直に太平とは距離を置いていた。それは、それまで抱いていた琴美の印象とは違い意外なものでもあった。ルーム内でずっとしっかり手を繋ぎ合ってる2人を見ていると、琴美が男子に興味なくて、同性趣味なんだと思えた。だから、それを根気よく太平に分らせば、そのうち諦めて、又私だけを見てくれると思ったんだ。けどそれとは裏腹に、カラオケで唄っているうちに、何とも言えない嫉妬心が湧き上がっていくのを覚えたのも確かだった。太平に続いて私も高得点出して、相手チームを突き離して「やったー!」って感じでいい気分だったのも束の間、意外と鼻声の佐伯ちゃんも上手かったし、あろうことか最後に登場した琴美が嘘みたいに上手かったんだ。それを太平が“見出したのは、俺だぜ。”みたいにどや顔してたのも、超むかついた。カラオケは結局同じ順序のまま3周して、紅白戦は私らのチームの圧勝で終わったけど、太平はすっかり琴美を主役に持ち上げていい気になっていた。あいつがオオトリで唄った時なんか、完全にMVPを持って行かれた感で、太平のプロデューサー気分のどや顔が頂点になっていて、超不愉快な終わり方だった。しかも、店を出てからも、私をほとんど構ってくれることなく、琴美らに“気を付けて帰って。”とか気を遣って見送った挙句、さっさと先に行ってしまったのには、いくら何でも酷いなと思った。私は悔し涙を抑えながら、リベンジを固く胸に誓いながら帰宅した。
「あんた、遅くなるなら電話くらいしなさい。片付かないじゃないの。」母が定食の残りを出してはくれたけど、いつもより少し遅くなった程度なのに、
「冷めてるじゃない。温めてくれないの。」
「置いといてあげただけでも感謝しなさい。」ああ、もうむかつくう!私は好きなもんだけよって食べて、さっさと片付けた。
「もう、せっかく残しといたげたのに、こんなに残して。」
「っさいなあ。」速攻で自分の部屋に戻って、ふて寝した。
「え、昨日確かカラオケ行くって言ってたんじゃなかったっけ?」翌日は土曜日で学校もなかったし、除染作業の都合で部活も日曜まで休みだったから、午後になってからアリサの携帯にかけて、早速カラオケに誘ったんだ。
「琴美の奴、やばいほど上手いんだ。」
「あ、そういうこと。」流石もはや親友とも言えるアリサだ。これだけで、私の性格とかからして、どういうことか察してくれた。
「アリサ、梶木君と会うんだっけ?」
「あ、いいのいいの。あいつとは明日会うし、今日は空いてるから。」
「ありがとう。やっぱアリサだけだわ。話し直なのは。」て訳で、近所のカラオケ店で待ち合わせた。
「で、十八番を伸ばす?それとも基本から叩き直す?」
「琴美の上手さは半端なかったから、基本からやらないと太刀打ち出来ないな。」
「よし、じゃあ優菜の歌特訓始めようか。」
「けどアリサ、カラオケの指導なんて出来るんだっけ?」
「へへえ、実は1年ん時のクラスに音楽の先生目指してるのがいて、そいつの指導を受けたことあるから、ちょっと任せといてくれ。」妙に得意気だ。
「アリサが頼んで教えてもらったの?」
「まさか!今日の優菜と同じでさ、琴美とカラオケ行ってむきになった弥生がさ、そいつに頼んでカラオケ指導してもらうってんで、面白そうだったから付合ったんだわ。おかげでボイトレとか、音程外さないコツとか教えてもらったんだ。」
「へえ、そんなこと教えてくれる奴いたんだ。誰それ?」
「音楽の横井先生の姪で前島て奴で、特に親しくしてなかったけど、そいつ誰にでも気のいい奴で、頼んだら二つ返事でOKしてたんよ。」
「あ、何か聞いたことある。音楽得意なのに、全然関係ない部活やってるって。」
「パワーリフティング部だってさ。変わってるよね。」
「え、パワー部!」春樹と一緒じゃん!太平のことで一杯のはずの私なのに、何故かその時頭の中に春樹が飛び込んで来た。そう言えば、最近全然春樹と話してない。太平のことを相談しても、あまりポジティブになれることを言ってくれないことを不満に思って、私から避けてたんだ。そのくせして、何か気にはなっていた。
「おい、どうした優菜。何ぼうっとしてんの?」
「あ、ごめん。じゃ始めようか。」
「“初めて下さい。”だってば。今日は先生なんだし、上からはよせ。」
「あ、はいはいアリサ先生。」さっと頭切り替えて、瞬間生徒になってみた。
「よーし、じゃあレッスン開始な。」って訳で、そこからはまじで歌のレッスンに励んだ。それを、アリサもまじでちゃんと付き合ってくれた。もちろん、自分も“発声の見本だからね。”ということで唄ってはいたけど、3時間もよく付き合ってくれたもんだ。それも、前島さんの教えがよかったのか、確かにいい発声してた。まあ私だって中学で3年間演劇やってたこともあって、半分復習みたいなとこあったけど、ちょっとしたコツとかも会得してて、アリサもかなり上手かったし、おかげで私もレベルアップ出来た。当然1回の練習だけじゃ、琴美に敵うとは思ってなかったので、それからはちょくちょく歌の練習をする様になった。時に自宅で、“優菜、うるさいから、もっと小さい声で唄いなさい。”と言われながらも、“それじゃ発声の練習にならないじゃん。”と反抗もした。それでもよく文句言われるから、ヒトカラ行ったり、他の友達とも行ってみたけど、やっぱりアリサが歌も教え方も上手かったし、何より親身になってよく付き合ってくれていた。そんな訳で、私はすっかりカラオケに意地になって、バスケのマネージャーはほどほどにする様になっていた。それがいけなかったのか、部の活気が今一になり、ウィンターカップの予選ですらあまり盛り上がらず、1次予選も何とか突破出来る程度だった。肝心要のエースである太平の動きが冴えないのも気になった。格下の相手に全力を出す必要がないのもあっただろうけど、
「ねえ、こんなんでいいのかな?」2学期始まって間もない2次予選を控えていたある日、何を考えてるのか練習に熱の入らない太平に見兼ねて、休憩に入った彼に久し振りにバスケのことで口を出した。
「何がだよ。」
「何がって、こんなんで2次予選勝ち抜けるの?」
「今はこれが精一杯なんだ。やることはやってるぜ。」
「じゃあ昨日は何で練習休んだの?又高田追っかけてたの?」
「高田さんは関係ねえよ。昨日は、入間と2人で国島んとこ行ってたんだ。」野球部の国島君は、県大会の準決勝で酷いブレーキになり、エラーを重ねて、そのせいでチームが逆転サヨナラ負けしていた。それ以来すっかり自信を無くして自暴自棄になっていた彼を、太平はよく気に懸けていた。入間君は共通の友達で、3人は大の仲良しみたいだ。
「人のことより、今はウィンターカップじゃないの?」
「友達だしな。放って置けねえんだ。そんなことより、今はバスケだろ。選手が休憩入るのに、マネージャーが嫌み言って、タオルもねえのか。」そう確かに本来の私なら、用意していた冷やしたタオルをさっと渡していたんだ。でも、そんな私の献身を太平が当たり前だと言わんばかりに言って来たのには、かちんと来た。
「はいはい。」数メートル離れたところに用意していた、洗っただけのタオルをさっと取りに行って、急いで太平に投げつけた。
「何だよ、機嫌悪いな。生理かよ。」
「まだ来てないよ。てか、そんなんじゃないから。」そんな感じで、後はろくろく口を利く気にもなれなかった。何となく情けなくなったんだ。けども、もうすぐ始まるウィンターカップに向けて、今私が投げ出したら全てが台無しになると思い直し、縁の下の力持ちになり切った。しかし、その甲斐もなく、2次予選は早々に敗退した。
「負けちゃったね。」試合会場の体育館を出る時に言った。
「しゃーねえよ。」さっぱりしてて、悔しそうに見えなかった。
「どうして途中で諦めたの?」
「諦めてねえだろ。みんな、最後まで粘ったじゃんか。」
「他のみんなはね。けど、太平は第4入ってすぐに逆転されてからぎくしゃくして、それから手抜いてたじゃん。」
「変なこと言うなよ。ちぐはぐになったことは認めるけど、それを何とか立て直そうと必死だったんだぜ。」
「じゃあ聞くけど、最後の場面どうしてスリーポイント狙わなかったの?撃とうと思えば撃てたじゃん。」残り2秒で3点差、一か八かでも決まっていれば延長に持ち込めた場面だった。
「あのな、ベンチに座ってるおまえらが残り何秒か分ってるか知らねえけど、こっちはゴール目指して時計なんか見てられねえっつうの。」
「もういいよ。」
「なら、もううざいこと言うなよな。」“うざい”って、こっちは太平の最善を願って必死でサポートして、必死で祈って応援してたのに、・・・本来の元の太平ならもっと凄い気迫で、少々の劣勢も圧倒的な力で押し返せたはず。・・・でも、もう済んだことだ。ならば、
「次は頑張ってね。」
「おう、任せとけ。」
「じゃあ帰ってすぐ反省会する?次に繋げる為に。」
「俺パスするわ。負けたら、国島達とカラオケ行くって約束してんだ。」
丁度そこへ、
「惜しかったな。」応援に来てた入間君が来た。
「まあな。でも負けは負け。ってことで、約束通り行くか。」
「じゃあ、国島呼ぶぞ。何時にする?」そこまで聞いてたけど、友達が大事っていう太平に気を遣って、その場は引いた。その日はさすがに、“一緒に連いて行く。”とは言う気もしなかった。そんな友達想いの太平に、大きく貢献出来ることが1カ月後に起こるとは、知る由もなかった。
それは、10月の連休中の夜のことだった。少しづつではあるけど、太平のバスケへの情熱が元に戻りかけていて、マネージャーとして手応えを感じる様になれた。そんな練習が終わって、帰宅後夕飯食べてお風呂入って、頭乾かしながら携帯の留守電に気付いた。入間君が交通事故にあって瀕死の重傷!“緊急手術に血が必要なんだ。優菜がもしO型なら、赤十字病院まで来て欲しい。”迷わず用意して飛び出した。
「大平、遅くなってごめん。私もO型です。」
「ありがとな、優菜。」
「大平の親友だもん。放っておける訳ないじゃん。」そう、今は入間君を助けなきゃ。太平の気持ちは、私の気持ちなんだ。この時はそう思えた。輸血に協力して、太平と一緒に入間君の快復を祈った。その甲斐あってか、入間君は数日後、死の淵から蘇った。太平の大切な友達が助かって、ほっとした。太平の役に立てて凄く嬉しかった。太平も凄く感謝してくれて、久しぶりに彼との距離が縮まった気がした。
そしてクラスでも、
「よかったな、優菜。」
「うん、ありがとう。」教室で声をかけてくれた春樹に対して、久し振りに素直に応えられた気がした。
「明るい優菜が帰って来たんで、俺もほっとしたぜ。」
「ねえ、春樹の方は、ちゃんとお母さんと仲良くしてる?」どうしてそんなこと聞いちゃったのか自分でもよく分らないけど、ふとそんなこと思った気がする。
「母ちゃんか。優菜と母ちゃんは両想いだな。もちろん、俺も母ちゃんがっかりさせたくねえからな。」
「ふふ。」
「何だよ。」
「やっぱり春樹んとこはいいなと思ってさ。」
「そっか、よかったら久し振りに遊びに来ないか?母ちゃんも優菜のこと気にしてるしな。」
「いいの、本当に。」まじ嬉しかった。まるでこっちの要望を見抜かれてるみたいで、あっさり誘い込まれてしまった。そして実際行ってみれば、心の中に秘めていた期待を決して裏切らないおもてなしをしてくれた。それは以前と変わることのない温かさに満ちていた。だから、春樹との関係も1年の時の様に、安心して何でも言える友達に戻れた気がした。そんなこんなで全て順風満帆になって、肝心の太平の気持ちも、以前以上に私に向けられる気もしていた。しかしだ、それを又しても、あの琴美に邪魔をされた。
それは、太平との関係が進展も後退もしない感じで、それでも希望を失わずに根気よく尽してる最中の、11月の初めのことだった。学園祭が終わって、1カ月余り先に迫ったハワイへの修学旅行にみんなの話題が集中し始めた、ある日の休憩時間だ。
「まじかよ。今度こそ荻野君に近付けるチャンスだと思ってたのに。」廊下を歩いていて、ふと耳にした聞き覚えのある声に足を止めた。声の主は、渡瀬芽繰という女で、1年の時の同級生だ。
「顔がイケてんのは認めるけど、百合追っかけてどうすんだろ?」その一緒に話してたのは、田嶋果菜。こいつも1年D組の同級生だった奴だ。2人共今は2年B組、つまり太平と同じクラスで、どうやら修学旅行の班分けで、太平との同班を狙ってたみたいだ。
「あ、鉄の女だあ。」渡瀬は私のことをそう呼ぶ。隣で田嶋がげらげら笑ってやがる。こいつらは大宮学園一の放送局で、人の噂話し、陰口、失敗談を何でもネタにして盛り上がる、質の悪い人種だ。
「何だよ、ゴシップ姉妹。」私も負けじと、こいつらをこう呼ぶ。
「あんたももっと頑張んないと、大事な荻野君がレズっ子に持ってかれんじゃねえ?」笑いながら言う田嶋はいつも通りで、うざい。
「まあ、どうせ少々のことじゃめげないんだろうけどさあ。」渡瀬は輪をかけてうざい。
「まじで、その鉄の精神羨ましいわ。」こいつらに好き放題言われていると、まじむかついて来るけど、それよりも太平のことが気になった。
「ねえ、修学旅行の班どうなったん?まさか、太平、高田と同じ班とかじゃないよな?」
「ご愁傷様、荻野太平はもうレズっ子カップルの仲間入りしたぜ。」
「“俺のストライクは高田1人”なんだって。まじ妬けると思わねえ?」もちろん凄いショックだった。
「他は?後のメンバーは?」修学旅行の班は基本男女3人づつということになっていた。B組は確か36人クラスで男女半々だったと思う。
「パワー部の坂下と、入間君と貝沢だって。」貝沢っていうのは、入間君の彼女で、クラスも同じB組のラブラブカップルだ。
「入間君て、まだ入院中じゃあ?修学旅行行けるん?」
「訳ないじゃん。4人の変人グループ決定!」そこまで聞いたところで、次の授業の開始のベルが鳴って、教室に戻った。
「ねえ春樹、坂下君てどんな人?」次の休憩時間にさっそく聞いてみた。
「やっぱ、修学旅行の班のこと気になるか。」
「何だ、お見通しか。さすが春樹だね。」
「はっきり言って、くそが付く真面目人間てとこかな。パワーの練習はよくやってて、見る見る力付けてるし、それでいて優しい。それも女子には特に優しいんだ。まあ、気は優しくて力持ちってとこだな。」入間君が手術を受けている時、その彼女の貝沢さんを必死で励ましていた姿が印象的だったけど、そのまんまの奴なんだと思った。
「へえ、凄いいい奴じゃん。」
「荻野も、そこが気に入って誘ったんだ。」
「太平が誘ったんだ。」
「そんなとこから、荻野の人柄も何となく分るだろ?」
「ねえ、太平は高田のどこが気に入ったんだろう?初めはただの面食いだと思ってたんだ。なら化けの皮剥いだら、すぐに太平の気持ち取り戻せると思ってた。でも今はもう分らないんだ。歌だって、あいつに負けたくないと思ったし、必死で練習した。・・・それも何か違う気がする。」
「優菜が本当は何を言いたいんだか分るぜ。荻野のことをまじ思って、誰よりも尽してるのは、自分自身だって、それは俺もちゃんと分ってるよ。」
「じゃあ、何なん?教えてよ。」
「俺にも高田はよく分らねえ。ただ、重い過去を持ってる気がするな。」
「太平は、高田の陰に惹かれてるって言うの?」
「まあ、そんなとこだな。」
「そんな訳分らないことだけで、太平の心を持ってくの?」重い過去とか辛い現実は私だってあるんだ。それを乗り越える想いで太平と歩いて行こうとする私が、暗いだけの奴に負けたくない。
「辛い気持ちは痛いほどよく解るけど、今は少し様子を見た方がいいと思うな。」
「少しって、どれくらいなんよ?」
「それは分らねえよ。荻野と高田がどうなるか、今は俺にも全然読めねえからな。」悔しかったけど、もうそれ以上何も言えなかった。とりあえず、春樹の言う通りにすることにした。
修学旅行の班分けは、太平達の動向を見てから決めたくなって、アリサ達と同じ班にするか否か、私の我儘で保留にした。ハワイの初日は班単位で、ワイキキでのサーフィン体験と、マウイ島観光と、ハワイ島観光の3択だった。アリサ達は、サーフィン体験に決めていたんだ。高田達がサーフィン体験したがるとは思わなかったし、太平もそれに合わせるのは見え見えだったからだ。間もなく、渡瀬達から、太平達の班がマウイ島観光を選んだと聞いた。マウイ島かハワイ島かで揺れていた春樹の班に、1人サーフィンも捨てがたいと言ってる奴がいたので、そいつに頼み込んで替わってもらい、春樹の班に入れてもらった。春樹が保留にしてる他は2対2だった選択も、私の希望で3対2でマウイ島に決まった。春樹も、“見守るから”と言う私の言葉を信じてくれて、何とか賛成してくれたんだ。なのに、私は班行動を守れなかった。マウイ島に着いて、目に入った太平の姿を遠目で見ることだけなんて、我慢出来なかったんだ。
「おい、優菜、おまえの班はあっちだろ。自分の班に帰れよ。」
「嫌よ。せっかくハワイ来たんだから、ちょっとでも太平の傍にいたいよ。」
「じゃあ写真撮ってくれよ。俺達並ぶからさ。」
「どうして私がシャッターなのよ。太平と2人で撮ってもらおうよ。」
「じゃあ、シャッター押しましょうか?」
「いや、高田さんはそんなことしなくていいんだよ。おい、優菜、おまえ厚かましいんだよ。いい加減にしろよ。」
「そんなこと言ったげたら可哀そうじゃないですか。私押しますから、一緒に写ってあげればいいじゃないですか。」おまえに言われなくても、それが当然じゃんと思ったけども、まあ問題は太平の分からず屋だから、
「そうだよ。せっかく言ってくれてるんだから、撮ってもらおうよ。」
「いちいち人の恋路の邪魔すんなよ。」その言葉に突然涙が込み上げて来た。悔しさで一杯になったんだ。
「何でよ?太平の恋人は私でしょ。」
「俺がいつ優菜の彼氏になったんだよ?」
「入間君の事故の時、こんな時頼れるのはおまえだけだって言ったのは誰よ?」
「又それかよ。親友助けたいのは当たり前だろ。」
「大切な人の役に立ちたいと思うのも当たり前でしょ。」
「あ、それはありがとな。けど、おまえが俺のことどう思っても、俺が本当に好きなのは彼女なんだよ。」その時、悔しさが頂点に達して、デジカメを持った手ががたがた震えて、次の瞬間怒りをそれにぶつけてしまった。
「大平の馬鹿!」彼の胸元めがけて投げつけちゃったんだ。至近距離だったにもかかわらず、反射神経のいい太平は素早く身をかわして、その脇腹をかすめたくらいで、デジカメは地面に音を立てた。
「何てことすんだよ!」その瞬間、私は左の頬をひっぱたかれた。凄く痛かった。頬はもちろん、心の痛みも酷かった。すぐにその場を離れて、泣きながら自分の班に戻って、春樹の胸に飛び込んで、泣き喚いた。アリサたちはワイキキなので、その場での私の味方は春樹だけだった。間もなくして、太平が謝りに来た。
「優菜、本当にごめんな。頬大丈夫か?」
「頬なんて、もういいよ。」それだけ言って泣き続けた。
「よくないよ。女子に暴力振るうなんて、俺最低だよな。もう絶対にどんなことあっても手を上げたりしない。誓うよ。ほんとにごめんなさい。」ただ、ひたすら暴力の謝罪だけで、自分の班に帰って行ってしまった。その後、散々同じ班の奴らに責められた。私が班行動を無視したことと、太平への同情からか悪いのは私だと決めつけられていた。アリサたちがいたらこんな思いしなかったはずだけど、兎に角その班では私は浮いていた。私はもう荒れ狂って、春樹に八つ当たりした。その後、散々春樹にさとされて、旅行中は泣く泣く班行動を守った。その間、春樹は機嫌の悪い私の世話をしてくれていた。でも、友達に徹してくれていて、春樹とは何もなかった。ひたすら太平の様子が気になり、最悪の修学旅行だった。そんな状況が意外な好転を見せたのは、それから更に1カ月してからだった。
正直言って、修学旅行でめげた私はすねた様に少し大人しくなった。元気を出したくて、春樹の家に再び遊びに行ったりした。もちろん、春樹もお母さんも以前同様私を優しく迎えてくれた。でも、心の中には、やっぱり太平がいた。本当に甘えてそんなことに使ってよかったのか?春樹の優しさを、私は太平へのラブアタックのエネルギー補給の為に、ありがたく受けた。その甲斐あってか、私は少し元気を取り戻し、マネージャーに成り立ての頃の様に又ひたすらに献身的に太平に尽くした。そんな初心に帰ったことが良かったのか、太平も依然の様にバスケに打ち込む様になり、活気のある日々が戻った。渡瀬達から聞いたところでは、高田は太平を避ける様になっていたみたいで、やっと太平も諦めて、元通り私を見てくれる様になった風だ。一体何があったのか知らないけど、兎に角ポジティブに受け止めた。いろいろあったけど、ここに至る為の試練だったんだと。
そして、バレンタインデーがやって来た。私はせっせと手作りチョコを作った。思えば、1年前のバレンタインデーにも手作りチョコを太平に渡したんだ。それが目覚ましい成果を上げた訳でもなかったけど、それでも今年こそはと意気込んでいた。
「健闘を祈るぞ。」と、前日に私の手作りチョコの為に自宅を開放してくれたアリサに後押しもされて、私は隣の教室に向かうべく、廊下に出た。部活の時間まで待っていられなかったんだ。高田が太平を避けてるとはいえ、思わぬ伏兵が現れるかもしれないし、いち早く太平の1番近くにいることをアピールしたかった。それなのに、何か今更どきどきして、少し躊躇した。丁度そこへ、トイレにでも行っていたのか、田嶋と渡瀬がやって来た。太平に渡す前に、ちょっとこいつらにB組の状勢を聞こうと近付いた。
「ねえ、太平はチョコもらってた?」
「うちの知る限りじゃあ、誰も渡してなかったねえ。」
「修学旅行以来、荻野の周辺は異様なんで、急にみんな敬遠し出したって感じかな。」よーし、追い風だあ!
「じゃ、高田は相変わらず太平を避けてるんだね?」
「じゃないの?それよりさ、さっきから腰痛くてさ。」そう言えば、田嶋は変な格好して歩いて来たな。
「それがさ、うちも変なんだ、さっきから。」渡瀬も腰押さえて、急に変な格好し出した。
「え、芽繰も?」そんなんで、急に話題が腰痛のことになって、それ以上聞けないまま、2人は保健室に行くと言って、変な格好で立ち去った。まあ迷いを吹き飛ばすだけの情報を得たので、私はB組の教室に入って、一気に彼の元へ行った。
「大平、お待たせ!優菜の手作りチョコだよ。」
「うわおー、とどめじゃー!」いきなり、不愉快なリアクション。でも、めげてる場合じゃない!
「もう、いい加減素直になってよ。」
「おまえこそ、俺にその気がないことにいい加減気付けよ。」と、超ショックなこと言われても、今度こそしっかり振り向かせてやるという決意に変わりはなかった。
「そんなの、気付いたら負けじゃん。私は太平が振り向いてくれるまで、絶対諦めないんだから。」そう言ったところで、誰かの机の上にある、一杯チョコが入っていそうな大きな紙袋が目に入った。
「って、何この大きなラブチョコ袋、誰?」その問いに、太平が答えてくれたのには、坂下君の為に佐伯ちゃんが作って渡したらしい。佐伯ちゃんてかつては虐められっ子で、大人しい意気地なしだと思っていたから、意外とやるのに強く感心して、私も負けていられないという勇気をもらった気がする。ただ、当の佐伯ちゃんは腰痛で保健室に行ってるらしいと聞き、又話しが腰痛へと脱線して行った。まあそれは兎も角として、最後に太平が私のチョコをまじまじと見て、何か考えてた風に次に私の方を見て、
「ありがとう。」と一応言ってくれたのに満足して、私は自分の教室に帰った。
そして、バレンタインデーの翌日のことだ。
「ねえ、チョコ食べてくれた?」練習の後、部室に最後まで残っていた太平に私から近づきながら話しかけた。完全に二人きりだった。
「あ、あー美味かったよ。」彼は横向きで、少し俯いていた。
「本当!嬉しいな、太平にそう言って貰えたらめっちゃ嬉しい。けど、太平なんか元気ないね?練習でも今一太平らしくないし、どうしたの?」その日の太平は何故か精彩がなかったんだ。さては、高田に完全にふられたか?まあそれはそれでチャンスと受け取ろう。
「なあ、優菜。」彼がこっちを向いてきた。
「何?」彼の目を見た。
「いや、やっぱりいいよ。」その目を逸らされた。
「何?言いかけて止めるの反則じゃん。ちゃんと言って。」
「今更かもしれないけど、優菜の気持ちに応えたいんだ。」でも、目は逸らしたままだ。
「えっ?」私は一瞬首を傾げた。一時の慰めを求めてるのかも?そんな引っ掛かる要素は確かにあったけど、それでも私はそんなチャンスを押すことにした。すると、
「優菜、こんなに尽くしてくれてるのに、俺・・・」横を向いたままで、今更?それでも、私の方を見てくれる気になったんだ。でも、
「どうして、顔見て言ってくれないの?」シャイな訳でもないのに、違和感があった。それでも期待して、彼を見詰めた。それが通じたのか、
「ごめんな。」こっちを向いて言ってくれたと思ったら、突然抱きしめられた。謝罪の意味が分らなかったけど、素直に嬉しかった。
「太平、好きだよ。」
「待たせたんだな。」
「ちゃんと付き合ってくれる?」次の瞬間、唇を奪われた。目を閉じる間もない速攻だった。頬に二筋の涙が伝った。
2012年2月15日水曜日PM6:25 優菜のファーストキスの味は・・・・・・?
番外編ですが、お付き合い頂き、ありがとうございました。3年前に頂いたある人のアドバイスを、今更ですが、それを活かして改編しました。一旦これで閉じますが、実はこれで完結した訳ではありません。近々、続編を連載したいと考えております。