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第五話・理由

 やっと辿り着いたホテルの部屋で、青年はスティーブンと名乗った。

 放心し、脱力している私を彼らはホテルまで送ってくれた。あれほど苦労して探したホテルは、やはり私の記憶通りの場所に、記憶通りの名前で建っていた。

「百物語に誘って、かえって悪い事しちゃったな。無理にでも、お祓いしてから別れりゃ良かったんだが」

 説明をせがむ私に、エディーはそう言って日本人と同じように、拝む仕草をした。どこか取って付けたように見えるのは、やはり彼がアメリカ人だからだろう。

「あなたは、別の世界に行って帰って来たんですよ」

 シャワーを使って着替えたスティーブンが、澄ました顔で口を挟む。

 魔物や悪霊に魅入られる、ということはハワイでもままある。ごくごく稀に異界へ引き込まれる者もいる。ハワイの民俗学で、ミルと呼ばれる冥界は非常に知名度が高いが、それとはまた違った世界だと考えられるそうだ。

「それに、今夜はハロウィンだ」

 スティーブンは続ける。元々はヨーロッパのケルトの行事だけれど、「ハロウィン」と称したイベントを催行すれば、起源と同様の意味が出てくる。死者がこの世を訪問するという、日本の盆にも似た一日であることを、私は知らなかった。

 私はあの会で何か良くないものを拾い、それに追われて異界へ迷い込んでいたというのがスティーブンの見解だ。しかし、どうして彼らが私の戻る場所を知っていたのか。

「ヴァンペルトのおっさんが、あんたが歩いて行く後ろを、影みたいなもんが付いて行ったって言ってたからさ」

 最後の蝋燭を吹き消した際の出来事もあって、彼らは何かが部屋にいたことを察していたらしい。私が売春婦の幽霊を演出しただろうと尋ねると、エディーは真顔で首を振った。

「俺はそういう真似はしない。だからなおさら、あんたがどうしたかと思ったのさ」

 心配していた所に、スティーブンがクライドを呼ぶ誰かがいることを感じた。

「霊感は弱い方じゃないんで」と、スティーブンがにやりと笑う。

 近いけれども重ならない場所を、誰かが彷徨していると感じたスティーブンは、見当を付けて適当な四つ角で待ち伏せたそうだ。

 四つ角というのは、色々な意味で世界が交錯する場所らしい。そこで怪物に追われて走って来た私を上手に誘導してくれたというわけだ。

「四つ角で引っ張り出せると思ったんだけど、海まで走られるとは思わなかった」

 言ってスティーブンは、笑いながら肩を竦める。

「こんなことが起きるんだ、本当に」

 笑みを返すことも出来ずに呟くと、エディーが膝を乗り出した。

「起きるさ。ましてあんたみたいに荒んだ状態だったら、霊でも魔物でも付け入りたい放題だ。俺は霊感はあんまりないんだが、一つ当ててやろう。あんたが話した大蛇の話は、自分のことだろう、な?」

 こんな目に遭う前だったら、笑い飛ばせたかもしれない。しかし、今の私にそれは出来なかった。堰が切れたように、私は自分の抱えた問題を話し出した。

 彼女は私の勤める会社に派遣としてやって来ていた。白人と日本人のハーフで、ハワイ生まれのバイリンガル。外資系の常として英語を主に使う部署で、私たちは一緒に働き始め、あっという間に恋に落ちた。

 一年ほど交際を続け、将来の話も出始めた頃、彼女は突然派遣会社を辞めてハワイに帰ってしまった。別れ話どころか喧嘩もしていない。至極円満だと思っていただけに、私は呆然とした。

 実家の連絡先も聞いていないし、メールアカウントも閉じてしまったらしい。何か理由があるに違いない。きっと連絡があるだろうと思えたのは、最初の一週間ばかりだ。

 連絡を待って待って、待ち続けているうちに、これほど自分を待たせて苦しめる彼女が憎くなった。憎いのは恋しいからだと同時に気付く。

 夜は眠れず、食は進まず、仕事は手に付かない。酒量ばかりが増えた。

 彼女が付けていた香水を、満員電車でふと嗅いだときに、髪の匂いや汗ばんだ肌を思い出して、胸が締め付けられた。涙がこぼれ落ちないようにするのに、必死になった。

 自分が恋愛くらいでこれほど駄目になる人間だと、判らせた彼女がまた憎たらしくなる。さらに生活が荒れる。

 悪循環が一ヶ月以上続いたのを見かねて、上司が休みを取ることを勧めた。来る場所は一箇所しかなかった。

 ハワイに来る事を決めてすぐ、インターネットで興信所を探し、彼女の調査を頼んである。その事務所から連絡が来るまでは、待つしかなかった。

 話しながら、私は自分の胸が少しも痛まないことに気が付いた。ほんの数時間前までは、四六時中出血が止まらない傷口を抱えていたはずだ。

 異界に彼女への想いを置いて来たと言えば恰好は良いが、先ほど死に物狂いで走っていた時は、自分の命しか頭になかった。その体験が私を変えたのだろうか。

「まだ彼女に未練があるかい? それとも、あんたの話じゃないが、捨てられた恨みを晴らしたい?」

 一通りの話を聞いた後、エディーが淡々と尋ねてきた。いや、と短く答えると肩が軽くなった気がした。

 ついでに力が抜けて、長い息をしながら椅子の背凭れに、どっと体を預けてしまった。

「異界で俺を追いかけて来たのが何だったか知らないけど、彼女からすればハワイくんだりまで追いかけてくる男は、同じような悪霊だろうよ。俺はそんなものになる気はないし、何だか……もう気分がすっきりしちゃったし」

 我ながら上手い説明ではなかったけれども、エディーは目尻を下げて頷いてくれた。

 三日後の帰国の前に、一度飯でも食おうと笑って二人は帰って行き、私はベッドに倒れこんだ。本当に久し振りの、深くて温かい眠りだった。だから電話が鳴っても、すぐには反応出来なかった。


 備え付けのコーヒーを淹れて飲み干す間逡巡して、私は彼女の家へ電話した。興信所の男性は住所も教えてくれたが、まさかレンタカーやタクシーで尋ねる気も起きない。

 眠る前にエディーに告げた通り、目が覚めても彼女への未練や恨み言は頭を擡げなかった。それでも電話をしたのは、きちんとさよならを言いたかったからだ。

 両親と同居しているようだと聞いていたが、電話にはいきなり本人が出た。私からの電話だと知って絶句する彼女に、切られまいととりあえず畳み掛けた。

「俺と別れたかった事はしょうがないよ、そりゃ理由を聞かせてもらいたかったけどさ。いきなり帰っちゃったことも、もう怒ってない。今、元気ならそれでいいんだ」

 僅かの沈黙の後に、彼女は少し笑って「あなた、違う人みたい」と穏やかな声で言った。

 それから二時間後、私は彼女とアラモアナ・ビーチパークを散歩していた。

 ワイキキから近い広大な公園は、海水浴場もあるし、テニスコートなどもある。大型ショッピングセンターも隣接している。 

 十一月に入ったというのに痛いほどの陽射しの中、私たちはぶらぶらと歩き、適当に汗が噴き出したころに木陰に椅子とテーブルを見付けた。

 日本で付き合っている間、こんな風に公園を散策したことなどなかった。会うのはいつも仕事帰りで、適当に食事をして、ホテルか彼女の部屋で抱き合った。

「一人で来てるの? 仕事は休暇?」

 化粧気もなく、タンクトップとショートパンツ姿の彼女は、日本にいた時よりずっと若々しく見える。こちらに戻ってから海に行ったのか、随分日焼けしていた。

「うん、君が急にいなくなってからミスばっかりだったからね、課長が休暇でも取れって。あ、責めているわけじゃないよ」

「そういう所、やっぱり変わったみたい。何も言わずに消えちゃってごめんね。理由があったんだけど、きっと分かってもらえないと思ったの」

 私たちが座っている場所から舗装された道路を挟んで、向こうは海水浴場だ。彼女は光る海に目をやってから、視線を戻してどこかが痛いような笑顔を浮かべた。

「私が付き合っていたのは、あなただけじゃなかったの。もちろん、好きだったのはあなただけど、どうしようもなく寂しくなる時があったから……」

 相手の男は、彼女が私の勤務先に来る前に派遣されていた会社の人間で、真面目で優しいだけが取り柄だったそうだ。彼女が「寂しい」ときに、いつでも懸命に時間を作って、大切に扱ってくれたらしい。

 外の男の存在は気付いていたけれど、待つつもりなのを匂わせていたと、彼女は少し俯いて言った。


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