第一話・宵
これは一体どういう集まりだろう。
アロハシャツを着た浅黒い肌の青年が「飲み物は何にします?」と、愛想良く声をかけて来た。周囲に十五、六人ほどいる人々は、キッチンの彼に、それぞれビールやワインを注文している。
三十畳は優にある室内には、ソファーや椅子がいくつも置かれ、飲み物を受け取った人々が思い思いに腰掛けていた。テーブルの上や、棚の上などにいくつも蝋燭が置かれて、小さな炎が揺れている。
何だって俺はこんな場所にいるんだ。
いささか自分に呆れながら、私は自問自答した。ハワイに来たのは観光や商用ではない。ホテルで調査結果の電話を待つのに疲れて、ワイキキの街を歩き、偶々入ったバーであの男に声を掛けられたのだ。
「今日が何の日だか知ってるかい?」
答えはもちろんイエスだった。宵の口だとはいえ、仮装した人々が大勢そぞろ歩いている。十月の最終日、ハロウィンだ。
そんな事は関係ない、と撥ね付けられなかったのは、マシンガンのように話す男に気圧されたのと、顔の筋肉を総動員するような彼の笑い方のせいだろう。
日系三世だと自己紹介したエディー・オダは、五十絡みの恰幅の良い男だった。飲み物を一杯終えるか終えないかの内に、私は彼の主催するイベントに同行することになっていた。
「あんたみたいな様子のいい男が一人でいたら、今夜あたり、タチの悪いお姉ちゃんに引っ掛かっちまうよ、な?」
エディーは豪快に笑ったが、私は胸の辺りを風が吹き抜けて行く気がした。独特のアクセントを伴った彼の英語に、ある種の懐かしさを感じたことも、今の自分が「タチの悪いお姉ちゃん」に引っかかるような状態でないことも、面白くなかった。
愛想を良くしたつもりはなかったのだが、意にも介さずにエディーは私を車に押し込み、この建物に連れて来た。
車に乗せられた時には遠くへ行くのかと思ったが、混雑した道路をほんの僅か移動しただけで、ワイキキの中からも出ていない。バーはワイキキの西端だったのが、どうも中心部へ移ったようだ。
かつてのハワイ王朝は、イギリスと交流があった。その名残を観光化させた、小振りのショッピングセンターの後ろに、このビルはひっそりと建っていた。
大きいけれど錆びたゲートを潜り、薄闇の中でも、手入れされていないと分かる植物の間を通って、私達は薄汚れたピンク色のビルに入った。ビルと言っても小さな三階建てで、周囲の高層ビルに比べて同じ単語を使うのが憚られるほどだ。
以前はアパートでもあったようだけれど、住人の気配はない。
ビル自体の入り口から一番近いユニットに招じられたのだが、細い廊下を通り抜けたリビングルームは驚くほど広かった。
そしてキッチンではバーのカウンターのように、様々な飲み物を青年が作っていたというわけだ。
異様に感じたのは彼らの様子だ。アジア系、ポリネシア系、白人と人種も年齢も性別も混ざった人々の集まりなのだけれど、彼らは一様に興奮したような、緊張したような様子を隠さない。一人の白人が瓶に入った液体を示して、何か自慢げに話している。
どういうイベントなのか見当も付かず、呆けたように立っている私に、青年がもう一度飲み物は何にするかと尋ねた。顔立ちこそ全く違うが、彼もまた「No」と言いにくい笑顔の持ち主だ。一瞬躊躇してから私はビールを頼み、受け取るとほぼ同時に、エディーの声がした。室内に入ってからエディーは、他の誰かと話し込んでいたはずだった。
「皆さん、お集まりのようですね」
先ほどまでとは全く違う、気取った話し方だ。
彼の一声が合図だったと見えて、ふいに室内の電灯が消され、蝋燭の淡い光だけが残った。
「ご存知のように、私の祖先は日本からやって来ました。現在では廃れてしまったようですが、日本にはワンハンドレッド・ストーリーズという催しがあります」
ワンハンドレッド・ストーリーズとは、直訳で分かる通りの百物語らしかった。
百の怪談をして最後には本物のオバケが現れると、彼は得々と解説をした。彼は「オバケ」という日本語をそのまま使用していて、驚いたことに誰もそれに質問を挟まなかった。
一しきり百物語について語ったエディーは、百には及ばないだろうけれども、今晩はハロウィンだし、怪談好きのハワイの人間らしく、物語りをして大いに怖がろうと述べた。
その後の挨拶からすると、彼は不動産関係の仕事をしているらしく、参加者は彼の顧客か友人のようだ。
出会ったバーで、最初にエディーはバーテンを「あんたの話は面白いから」と、誘っていたのだが断られたので、隣に座っていた私に話しかけたのだった。
こんな会を催すのも、見ず知らずの他人をそこへ呼ぶのも酔狂としか言いようがない。そして、そんな場合ではないのに付いて来た私も、どうかしているのかもしれなかった。
「ご存知かもしれませんが、このアパートは現在誰も住んでおりません。かつての住人は皆、様々な理由があって立ち退きました。変死、怪死があって警察の手を煩わせたことも一度ならずあります。現在のオーナーは、ま、私なんですが、この建物に関する話は後でお聞かせすることにして……、どうですヴァンペルトさん、最近何かありましたか?」
窓の近くに座っている白人が片手を上げた。背後のどっしりとしたカーテンは閉められている。
皆が彼を注視している間に、私は手近なソファーに腰を下ろした。三人掛けのそれには、間の一人分をおいてポリネシア系の大きな男が座っている。
「こりゃ、ご指名かい」
おどけてみせた白人はしわがれた声からすると、相当高齢のようだ。蝋燭の灯りだけでは、よく分からない。「ああ、ちょうど先月ねぇ」と口の中で低く何か言ってから、彼ははっきり話し始めた。
私は小さい旅行会社をやってましてね。
主に本土から来る観光客に、アクティビティーを紹介してますわ。うちの人気商品は隣島のパッケージツアー。ちょっと気の利いた小さいホテルと契約したりしてね。
中でも人気はハワイ島です。国立公園の火山は見応えがありますから。
いや、私はね、いくら白人だからってったって、生粋の地元人ですからね。ちゃあんとお客には注意しますよ。火山にはペレって女神様がいらっしゃるから、失礼な真似をしちゃいけない、石一つだって持ち出しちゃいけないってね。
そりゃ、地元の皆さんには言うまでもないことですよ。火山の石を持ち出すのは大変な不運を呼ぶってね。
でも本土から来る連中にはね、通じないこともあります。
ボストン辺りのお金持ち、だった人が先月うちの会社へ来ましてね。半年ばかり前にうちのパックでハワイ島へ行ったって言うんですよ。こういう商売してますから、お客の顔はめったに忘れないんですが、思い出せなくてねぇ。
でもコンピューターで照会したら、彼の名前はちゃんとある。年ですかね、すみませんって謝ったら、思い出せなくても無理はない、と言うんです。半年前とは顔がすっかり変わっちまったからって。
やったんですよその人は、ねぇ。
私がした忠告を逆手にとって、面白いから石を持って帰ったんですよ。だけど、半年経って面変わりして又やって来たのは、何かあった証拠でしょ。右手の手首から肘に掛けて、こう包帯を巻いててね、右足をひどく引きずってましたよ。
何があったなんて、聞く気も起きませんでしたよ。半年前の記録じゃあ、彼は四十前だし奥さんの名前も一緒に入ってた。
なのに私の目の前でしおたれてる男は、一人で、しかも六十近いような老け方なんです。「いいレイを買って、ジンも一緒にお供えして、よくお祈りをするしかない」と言ってやりました。
そしたらね、「あなたの言ったのは本当だった」って、いきなり包帯を解き始めるじゃないですか。見たくはありませんでしたけどね。
皆さん、火山の石を見たことはありますか? 欠けた断片なんかから金色の繊維が出てますでしょ。あれ、「ペレの髪」と呼びますが。
彼の右腕にはね、誰かが掴んだような形に黒い痣が出来ていて、そこからその「ペレの髪」がびっしりと生えていたんですよ。え? ええ、その男は濃い茶色の髪でね。とてもブロンドなんかじゃない。
私はもう鳥肌が立っちまってね。だけど彼が包帯を巻きなおしながら、「この右腕で石を掴みました。石を入れたズボンの右ポケットの辺りはもっとひどい」って半べそでね。
彼がハワイ島からホノルルまで無事に戻って来たのだけは知ってます。でもあの痣が消えたかどうかまでは、ちょっと。
老人の声が途切れるのを待って、先ほど飲み物を用意していた青年が、窓の近くの蝋燭を吹き消した。その辺りが暗くなって、老人の影が闇に沈んだ。