第1節
第1章 第1節です。
第1節
「なんであんなところに一人で行ったのよ!!」
一際どでかい声が店内に響き渡る。
ここはオルディル大陸、首都のカルベルスタットより西に位置するルーンゲイズという街で、今では減少の一歩を辿る魔導師を目指す者や、魔術の扱いに長けた一流の魔導師達が、その魔術を更なる高みへと伸ばす為に作られた都市で、他の都市に比べると少し独特な雰囲気を持っている。
街のそこら中に、魔術・呪術などの研究に必要だと思われる何とも怪しげなアイテム(コウモリの羽、とかげの尻尾、魔物の目玉など)が売られている。
もちろんこういった場所でも商業は盛んで、魔術師以外にもこの街で暮らす人々、商人やら冒険者ギルドで生活を担っている者も大勢いる。
その商業施設が沢山並んでいる場所の一角にある、この町では割と大きめな飲食店にとある二人が女性はいた。
「あそこは一人前の聖職者や退魔師ですら一人でいくのは躊躇する様なとこなの!ましてやあんたみたいな駆け出しのぺーぺーなら、はい殺して下さい。なんて言ってるようなもんよ!」
さっきから店内の端から端まで響き渡る様な声で叫んでいるのはクリスだ。
黄色の髪が映えるショートヘアにキリリとしたブラウンの瞳。細身の体ではあるが腕や足などは女性特有の華奢な体つきとは違い、研ぎ澄まされた筋肉で覆われたアスリートを連想させる。
黙って澄まし顔でいればかなりの美人の部類に入るであろう。
悪魔で黙っていればなのだが・・・。
「ねぇちょっと~。聞いてんのエリィ?」
肉と野菜の炒め物や魚介の煮込みなど、たくさんの料理が並んでいるテーブルを挟んで会い向かいに座りながら話をしている。
すでに食べ終わった魚の骨をかじりながらしゃべっているクリスの向かい側に、ちょこんと申し訳無さそうに座っている女性が一人。
銀色に桃色を足したような、ちょっとクセの入ったロングヘア、そのウェーブはパーマが掛かったようなおしゃれなくせっ毛だ。身なりはよく聖職者が着ている濃い紫色の修道服だが、彼女が着るとおしゃれでいて清楚な感じがする。
きっと彼女が優しく微笑んだら誰もが暖かくなるような、そんな笑顔が似合う女性だ。
が、今はその顔が塞ぎこんでいて落ち込んでいるように見える。
「す、すいません・・。そんな所だと思わなくて・・・。」
少しおどおどした口調でエリィが呟く。
両方の人差し指をツンツンとさせながら、半場泣きべそをかく。
「私もある程度ならいけるかなぁなんて思って・・・。」
「だーかーらー!そーいう過信がああいうことを招くの!もうちょっとで死ぬとこだったのよ!?」
クリスがさらに大声で怒鳴る。
「うぅぅ・・。」
それに気おされ情けない声を出すと、エリィの顔は今にも崩れ落ちそうに塞ぎこんでしまった。
「まぁこうやって生きてたんだから儲けもんよ。次からは気をつけなさいよね。」
ちょっと言い過ぎたのかと思ったのか、声のトーンを少し落とし穏やかな口調に戻す。
今更な話だが、何で二人がこんな所にいるのかとうと、クリスが「ケガした時は食って直す!エリィもお腹すいたでしょ?すいたわよね?あたしのおごりでいいからご飯にしよ、ご飯!」と、何とも適当な言い訳で半ば強引に連れて来たのだ。本当は自分が食べたかっただけなのだが。
「まぁとりあえず・・。」
それまでかじっていた魚の骨をペッと空っぽの大皿へと吐き出すと
「何であそこに行こうだなんて思ったのよ?普通に修行するならもっと別の場所があるじゃない。」
それまで疑問に思っていた事を怪訝そうな顔をして聞くクリス。
「そ!それは・・・!」
触れてはいけないところに触れられてしまったのだろうか、急に顔を上げて大声を出すエリィ。
そしてすぐにまた項垂れ、少しバツが悪そうに話し出す。
「ちゃんと話を聞いてなかった私が悪いんですけど・・・。この街で親切に教えてくれた商人さんがいて・・・。」
と話だしたところで
「あーーーーーーー!!」
という大声が店の出入り口の方から聞こえてきた。
「見つけたー!見つけましたよ!!」
などと、これまた他のお客に迷惑になりそうな大声で叫びながら、一人の少女がこちらへと駆け寄ってきた。
身長は130~140cmぐらいだろうか。緑色の長い髪に両端を小さいリボンで結び、頭のてっ辺にはこれまた大きなリボンが飾ってある。
傍から見ると活発な少女の様に思えるのだが、どこかで見覚えがある。
エリィはほんの少し考え込み、すぐさまピンと思いついた。
「あーーー!あの時の商人さんじゃないですか!」
思い出したと同時にちょっとした憤りを感じ
「何であんな場所教えてくれたんですか!おかげで死に掛けそうでしたよ!」
と、勢いでしゃべったのか若干変なイントネーションで叫ぶエリィ。
「それはあなたが人の話をちゃんと最後まで聞かないからです!!」
緑色のちっさい商人が反論する。
「私はあのあとちゃんと言いましたよ!危険だから一人で言ってはいけませんって!!」
それを聞いて、一気に意気消沈とするエリィ。
(やっぱり言ってたかぁ・・。何でちゃんと聞かなかったんだろう私は・・。)
などと自己嫌悪に苛まれながら右手を額に当て、へなへなと地べたに崩れ落ちた。
対面のクリスは「あ、終わった?」とでも言いたげな表情でそれを見送ると
「そんなことより楓。あんたにもちょっとは責任あんのよ?」
と言いながら小さい商人の方へと視線を向ける。
楓と呼ばれた商人は、声を掛けられ今そこでやっと彼女の存在に気づいたのか
「あれぇ!?クリスさんじゃないですか!何でこんなところに!!」
と、びっくりした様な表情で話す。
その行動に軽くため息をつきつつ
「何でこんなところに!!じゃないわよ。あんたが変な場所薦めるからあたしがこーいう羽目になったの。わ・か・る?」
楓の額を人差し指でズビズビ刺しながら話をするクリス。
「あうぅ~。痛いです~~。」
情けない声をあげつつ額をさする楓。
「でも私ちゃんと言ったんですよ~。そのお姉さんが話を聞かないで行っちゃうからいけないんですぅ~。」
よほど痛かったのか半分涙声だ。
床に崩れ落ちた一名と今にも泣き出しそうな一名を見て、はぁ~と深いため息を一回つくと
「まぁとにかく!二人とも悪いところあったんだからお互いごめんなさいしなさい。結果何も無かったんだからそれで終わり!」
と、二人の首根っこを掴みながらお互いを向き合わせつつクリスが言う。
そうするとそれまで放心状態だったエリィが立ち直り
「そ、そのちゃんとお話を聞かないで行っちゃって・・・。すいませんでした!!」
と深々と頭を下げると
「わ、私もつい聞かれてうれしくなっちゃって!本当に何も無くてよかったです!」
楓も同じように、その小さい体がさらに小さくなるくらいまでに頭を下げる。
そして、ハッと何かを思い出したように
「あ、私はエルクレスティアっていいます!先ほどクリスさんにエリィってあだ名をつけてもらいました!」
と、自己紹介をするエリィ。
「よろしくです!私は水無川 楓といいます!気軽に楓と呼んで下さいね!それと変わった名前なのは違う国から来たからなのです!」
楓もそれを返すように頭を下げながら自分の名前を教える。
「よろしくお願いします、楓さん!」
と言ったところでふと思い出す。
「あれ、そういえば・・。」
記憶を探るようにうーんと唸りながら
「さっき言ってた知り合いの人って・・・。もしかしてクリスさんです?」
少し自信無さそうに聞いてみるエリィ。
すると楓が嬉しそうな満面の笑みを浮かべながら
「そうです!この人です!」
と、クリスの方を指して言った。
「んあ?」
突如自分を指され間の抜けた声を出すクリス。
先ほど無理やり話を纏めた事に満足だったのか、すでに意識の方は残った料理の方へと行っていてまったく人の話など聞いていなかったのだ。
二人の、何か尊敬にも似た眼差しに気おされ少し身を引きつつも
「ゴ、ゴホンッ」
と一つ咳払いをしつつ、今の状況を何となく推測しながら
「あたしは楓のお得意様なのよ。ほら、今のこのご時勢マナの石って貴重でしょ?それをこの子は安価で提供してくれるのよ。」
と当たり前のように話すクリスだったが、背中はびっしりと脂汗を掻いていた。
「あー!私もそれにびっくりしました!」
今の話に同感するように叫ぶエリィ。
共感できる物ができたのか嬉しそうだ。
一方の楓はというと、「それは企業秘密なのです!」とでも言わんばかりに得意げな表情をしていた。
「他にもあたしが普段使ってる銃の弾とか仕入れてくれるんだけどね。注文しといてなんだけど、あやしいわよねぇ。」
まるで天狗の鼻を折るようにクリスが言うと
「たしかにあの安さは何か裏がありそうですよねぇ~・・・。」
それに同意するように言うエリィ。
二人の怪訝そうな視線を受け少したじろぎながらも、今度は「そんなこと言うともう仕入れませんよ!」とでも言わんばかりのふくれっ面な表情を見せる楓。
「冗談よ~じょうだ~ん」
少しやりすぎたと思ったのか軽くクリスがなだめていると、今度はエリィが不思議そうに
「クリスさんって銃を使うんです?あんなに強いのに?ってか聖職者なのに?」
そう尋ねて来た。
ここでクリスを聖職者と言ったのは、洞窟内で彼女が回復スキルを使ったところから推測される。
今のところ治癒系統のスキルを扱えるのは、法術と言われる聖職者独自のスキルしか無いのだ。
例外を除いては。
もちろんそれは間違ってはいない。
それ故クリスが聖職者ということは、信仰上、人を傷つけるようなもの(刃物など)は携帯してはならないという決まりがあるはずだ。
無論、銃もその部類に入る。
「ん?あぁ、それはね。」
そう聞かれ、徐に腰に付けているベルトの右側面にある皮製のホルダーから一丁の銃を引き抜く。
このホルダーは普段上着の影に隠れて見えないようになっている。
これがわざとなのかたまたまなのかはよくわからないが。
「あたしが所属している場所がちょっと異例なのよね。自分でも変だとは思うんだけど、武器の携帯が許されているのよ。」
そう言いつつテーブルの上に銃を置いて二人に見せる。
「これはそれのカスタマイズなんだけど。」
一見すると、そこらにあるのと変わらない黒々として重厚な感じを思わせる銃なのだが、よく見ると細部に芸術品を思わせるような装飾・デザインが施されていて、普通の部屋にインテリアとして飾って置かれていても不思議ではない魅力的な物のようにも見える。
「これね、普通の銃弾は入ってないのよ。マナの石を加工した特殊な銃弾じゃないとね。」
そう言いつつ、「まぁ撃つ事なんて滅多にないけどねぇ~。」とため息まじりに付け加えるクリス。
「この弾を仕入れるのも大変なんですよ!」
それまで黙って聞いていた楓が、今だ!とばかりに口を挟んでくる。
「まぁ元々銃のカスタマイズもこの子のツテでお願いしたようなもんだからねぇ。」
楓の頭をポンポンと叩きながら言う。
「なんでカスタマイズしてあるんです?」
ふと思った疑問をそのまま聞くエリィ。
「んー、これは元々対悪魔、魔物なんかを想定して造られた物でね。ほら、エリィも言ったとおりあたしは聖職者だからね。人には撃っちゃいけないのよ。まぁ聖職者じゃなくても撃っちゃダメだけど・・・。」
説明をしている途中で面倒臭くなってきたのか、少し考えたあと
「まぁ支給された物じゃ高レベルの魔物にはぜんぜん効かないわけよ。増してや悪魔なんてなれば実体の無い奴だって腐るほどいるでしょ。」
「だから改造したんですね?」
エリィも何となく察したのか、同意を求めるように聞き返す。
「そそ。銃弾そのものが精神力を吸うマナの石でできてるからね、実体が無い奴でも効果有りってわけよ。もちろん普通の人がこれを使っても何の意味も無いわよ。」
つまり彼女が何を言いたいのかと言うと、普通の弾丸では当たり前である火薬が使われていない為、その変わりである精神力を扱えないと発砲すらできないのだ。
結局のところ、精神力を使うという辺りこれもスキルの一種の様な物であろう。
「なのです!」
今の説明は楓だったようだ。
「へぇ~。聖職者さんにもそういう所があるんですねぇ~。」
とエリィが感嘆とすると
「あれ?最近じゃもう結構有名だと思ったんだけど、知らない?」
と、今度はクリスが不思議そうに聞いてくる。
「え!?あ、あぁ!そうでしたっけ!?す、すいません・・私あまり知らなくて・・・。」
何か触れてはいけないところに触れてしまったのか急に取り乱すエリィ。
が、
「あ~そういうの疎そうだもんねぇ。世間とかぜんっぜん知らなそうだし。」
と、結構失礼な事をさらっと言うクリス。
「そ、そんなことないです!歴代エンティルバニア国王全部言えますよ!!」
「いや別にそれはどうでも。」
よく意味のわからない意地を見せるエリィに対し、それをさらっと流すクリス。
「まぁとにかく。」
そう言いつつ銃を腰のホルダーにしまいながら
「今のままじゃさっきの洞窟どころかもっと低レベルな場所でも難しいわねぇ。もっと自分の力量を見定めなきゃダメよ。まぁ今日のを良い教訓だと思って。次からはもっとマシな所へ行きなさい。」
などと半場強引に話をまとめるクリス。
「は、はい~。わかりました~~・・。」
先ほどの事を思い出したのか、少し落胆しながら返事をするエリィ。
「んじゃま、そーいうことで。また何か縁があったら会いましょう。」
と言いつつ席を立って帰ろうとする彼女の上着の裾を、俯いたままのエリィの手が掴んだ。
「ん?どったの?」
不思議そうに尋ねる彼女に
「・・・お勘定・・・・」
顔を伏せたままボソッと呟くエリィ。
「あれー?ここってエリィのおごりじゃ・・」
「そんなことはひ・と・こ・と・も!言ってません!!!!」
俯いた顔を思いっきり振り上げつつ大声で怒鳴る。
今までの彼女のからは考えられないような怒りの形相だ。
「クリスさん自分でおごるって言ったじゃないですか!ほとんど強引に!!」
あまりの変貌ぶりにさすがに気おされたのか
「ま、まぁまぁ落ちついてエリィ。やーねぇ、冗談よ冗談。」
などと言い、もう一度席につくと、呼び鈴を鳴らし店員を呼ぶ。
少ししてやってきた店員に「いくら?」と聞き金額を聞くと、上着のポケットからサイフを出そうとした時だった。
その直後からまったく動かなくなったのである。
むしろ硬直していた。なんか脂汗も掻いている。
そしてギシギシと軋んだ音が聞こえてきそうなくらに、ぎこちなくエリィの方へと視線を向けると
「サ、サイフ忘れちゃった・・・。」
などと、額にびっしりと脂汗を掻きながら何とも衝撃的な発言をした。
「なっ・・・!」
あまりにも衝撃的すぎてエリィも口をあけたまま硬直する。
実は彼女もお金を持っていないのだ。
「エ、エリィお金ある?」
と、ものすごく申し訳無さそうにクリスが伺うが
口を開けたまま首を横にブンブンと振り、お金もってませんをアピールするエリィ。
(やばい・・・)
お互いの視線がそう告げる。
そしてその二人を冷ややかに見つめる店員。その視線、すごく痛いです。
(やばいやばい、まじやばい!)
と、ちょうどその時お互いの視線が緑髪の存在に気づく。
「か、かえでちゃーん」
「カエデさん!」
などと二人してその名前を呼ぶと
「「すいません!お金貸して下さい!!」」
と地面に這い蹲り懇願した。その動きの早さは二人して息ピッタリだったと言う。
そのキレの良い動きに驚きと同時に何とも言えない情けなさをかみ締めながら
はぁ・・・と一つため息をつきつつ
「しょうがないですねぇ、今回は貸しですよクリスさん。ちゃんとあとで返して下さいね。」
店員と同じような冷ややかな視線を向けながらそう言った。
「さっすが楓!やっぱ持つべき物は友達よね!」
そんな視線など気づいてないかのように、手のひらを返して満面の笑みで抱きつくクリス。
「やれやれ・・・」とまた深いため息をつく楓を見て
子供にため息をつかれてる大人って惨めだなーと思ってしまったエリィであった。
自分もつかれた事など気づかずに・・・。
そんなこんなで楓にこのお店のお勘定を立て替えてもらい、ようやく外に出てこられた。
辺りはもう日が沈み、暗闇が街を覆っていた。
「じゃあエリィ、気をつけて帰るのよ!」
クリスにそう言われ、ハッと気がつく。
(そっか・・・もうお別れかー・・・ほんのちょっと間だったけれど色々楽しかったなぁ・・・)
そう思うと、一瞬、本当微かにだが残念そうな顔をしたあと
「はい!色々ありがとうございました!」
と元気な顔を見せ、そそくさとその場から去ることにした。
もちろんこれは空元気である。
だが、これ以上ここに居座るともっと離れづらくなってしまう。
悟られるわけにはいかないのだ。
その場から離れても居場所などあるはずもないのに・・・。
エリィの去っていく後ろ姿を見送り、おもむろに上着からタバコを取り出し火をつけるクリス。
ふぅーっと大きく吸って小さく煙を吐く。
「これでよかったのかしらね・・・。」
一言、誰にも聞こえないぐらい小さな声でそう呟く。
「いいんですか?追いかけないで。」
楓には聞こえていたらしい。
「エリィさん、なんかとても思いつめていたような顔してましたよ。あきらかに自然な笑顔じゃなかったです。」
楓は商売柄か、人間の細かい表情を読み取るのが上手い。
もちろんクリスもそれを感じ取っていた。
「触れてほしくない過去もあるもんよ。まぁ生きていればまたひょっこり会えるでしょ。」
楓の頭をポンポンと叩き、(一種のクセのようだ)エリィが走り去っていった方とは逆の方へ歩いていく。
が、そうは言ったもののやはり気にはなる。
自分ではそこまでおせっかいな方では無いと思っている。
もちろん助けを求められれば、黙ってなどはいられない性格なのだが。
だが今回の場合、まだ何か起こりそうな気がすると自分の勘が告げているのもたしかだ。
深くは考えないようにしようと頭をブンブンと振るが、心の片隅にはまだそれが根強く残っていた。
自分はどうするべきなのか・・。
もうどれくらい走っただろうか。
先ほど別れた二人がもう見えなくなったところまで走り続けると途端に歩くのを止め、息を弾ませながら歩き始める。
「って、言っては見たものの、どこにいこうかなぁ・・・」
と、誰に聞いてもらうでもなく一人呟くエリィ。
ここはさきほどの飲食店があるメインストリートから一本外れた裏通りとも言うべきところか。
先ほどの活気ある雰囲気とは違い、辺り一面を静寂が包み込んでいる。耳をすましても野良猫泣き声や、酔っ払いのおじさんが寝息を立てて倒れていたりと、
一本道が違うだけでまるで別世界に来たような場所だ。
けれど本人はまるで辺りの様子など目に入らないようで、
「どうしようかな・・。今日はどこで寝ようかな・・・。」
などと今日の寝床の心配をしている。
彼女に帰る家は無い。
いや、正確に言うと思い出せないのだ。
クリスには黙っていたが、実は数日前から幼い頃の記憶、自分が何者なのかがさっぱり思い出せない。
ただ憶えているのは、『エルクレスティア=マクレガー』という名前と、自分が聖職者なのであろう(自分の身なりが聖職者の格好だったというだけの
推測)ということだけだった。
記憶喪失といっても、普段の動作・反射的行動・精神力の使い方などはもちろんできる。字の読み書きもだ。
思い出といわれる抽象的な部分だけぽっかりと穴が開いたような、そういった類のものがまったく思い出せないのである。
気がついた時にはルーンゲイズと言われる街の外、街を囲む外壁に横たわるように寝ていたのだ。
「もう橋の下はいやだなぁ・・・。」
ルーンゲイズという街は、外界との間に大きく水路が街を囲うように引いてありさらに街の周囲を外壁が張り巡られている。
街の入り口には街と下界とを繋ぐ大きなつり橋が架かっており、何かあったときにはそのつり橋を畳むことにより外界からの攻撃に備えられる城砦都市なのだ。
普段はつり橋は畳んでいないため、その橋の下と水路の間が兆度雨風などをしのげる場所となる。
彼女はずっとその橋の下を寝床としていたのだ。
いくらしのげると言ってもやはり建物の中とは違い完璧に防げるわけではない為、夜など気温が下がっている頃には肌寒いし少し風の音がするだけでビクッと体を震わせ、見えない恐怖に耐え忍いでいる。
一応水路はある為、人目がつかない夜に髪などは洗うことはできるが・・・。
もちろんそんな生活である。ここ数日ろくな物も食べていなかった。
そんな彼女がなぜあんな洞窟に行ったのかというとだ。
お金もほとんど持っていないので生活する為にはそれをどうにかしないとならないとなのだが、こんな素性も分からない人間を雇ってくれる人間はいるまでもなく、仕事をする事もできない。
唯一、旅人らしき人が何やら外界(街の外の事を言う)から取って来たと思われる「収集品」と言われる物を売ってお金にしていたところを見かけ、自分でもそれを実行しようと思い立ったのだ。
それは限界すれすれの精神を振り絞り思いついた彼女の苦肉の策だった。
しかし大きな誤算が一つ。
どうやら自分は攻撃魔法などが得意ようなタイプではなかったらしいということだ。
聖職者だという事は、記憶を無くしてからも憶えているスキルの種類で把握する事ができた。
もちろんその中に攻撃スキルがあった事も確認済みだ。
ただ、威力までは計算に入れていなかったのだ。
おかげで今日は本当に死に掛けた。
もしあそこで助けがなかったら本当にそこで終わっていたかもしれない。
自分が何者なのかもわからないまま。
久しぶりであるまともな食事を奢って貰ったことも本当は涙が出るほど嬉しかった。
だが不思議な点もある。
「何でクリスさんはあんなところにいたんだろ・・・。」
などと疑問に思う。
まぁ考えたところでよくわからないが。
そう思いながらどこか寝れそうな所を探そうとするが、特に橋の下以外に一晩過ごせる所も思いつかなかったので、自然と足はそちらの方へと向かう。
そこでふと気がつく。
「あれ?ここどこだろ・・?」
考えながら歩いていた為か、自分の知ってる道とは違うところに来てしまったらしい。
先ほどの裏路地をさらに奥に行った場所。
ちょうど家と家の間にある狭い通路で、その奥はどうやら袋小路になっている。
この辺りは電燈も無く、夜のせいもあってか暗くてよくわからない。
「やばい・・。戻らなくちゃ・・・。」
そう呟いた時だった。
「よーねーちゃん!こんなところに一人で歩いてくるとは家出か何かかい?」
突然背後から男の声がした。
ビックリして後ろを振り向くと、暗くてよく見えないが、恐らく自分の身長の2倍近くあるんじゃないだろうかと思うくらい大柄の男がにやつきながら立っているではないか。
お酒を飲んでいるのだろうか、その男の周囲からはアルコールのツンとした匂いがする。
「い、いえ!考え込んでいたら迷い込んでしまって!す、すぐ出て行きます!!」
(こんなところでやばい・・!)
瞬時でそう判断し、当たり障りの無い様に言い訳をしてやり過ごそうとすると
「まぁそんな急がないでさ。俺達も兆度暇してたんだよ。ちょっと遊んでいこうぜ?」
今度は路地の奥の方から声が聞こえる。
そちらを振り返ると今度は、細身で身長の高い男と、丸々と太った大男がこちらに歩みよってくる。
こちらの二人も酔っているらしく、嫌な匂いがする。
「そんなこと言って、実はこういうのに興味があるんでしょ?見た感じ結構若そうだし。そーいうお年頃なのかな?」
太った大男がゲラゲラ笑いながらエリィの腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっとやめてください!私はそんなものに興味はありません!」
掴まれた腕を必死で振りほどこうとするが、男の力は強くなかなか振りほどけない。
「そんなこと言わないでさ~、おじさん達を楽しませてくれよ~。聖職者は慈愛の精神なんでしょ~。迷えるおじさん達を救ってくれよ~」
自分の格好を見てそう思ったのか、大柄の男がそう言い必死に腕を振りほどこうとする彼女に迫ってくる。
「やめて下さい!離して下さい!大きな声だしますよ!」
必死に抵抗するエリィ。
「残念、こんな裏路地をうろうろするほど間の抜けた奴はねーちゃんぐらいしかいねぇよ。へっへっへ」
苦し紛れの脅しなどお見通しなのか、まったく動じない。
今日は厄日か何かなのだろうか。自分の間抜けさにため息がでる。
こう大男3人に囲まれては精神を集中させる暇もない。
「や、やめて下さい・・・。」
抵抗する体力も無くなり、すがる様な声で呟く。
「おやおや、もう抵抗はおしまいかい?じゃあ遠慮なく救ってもらおうぜお前ら!」
卑劣な笑い声が聞こえる。
もう自分の運命を呪おう。
そう覚悟した時だった。
突如自分の腕を掴んでいた男の顔が真後ろにはじけ飛ぶ。
その反動で掴まれていた腕が振り解かれた。
「えっ!?」
飛ばされた男の顔をよく見ると大きな石が顔にめりこんでいる。
よほどの衝撃だったのだろう、その一発で地面へ仰向けに大の字で倒れた。
一瞬の出来事で何が起きたのかわからないまま、その石が投げ込まれたであろう方向へ視線を向けると
そこに彼女はいた。
手元にはさっき投げたであろうサイズの石を右手でひょいひょいと上に放り投げ、それをまた掴んでいる。
さっきまでは知らなかったが、口には火のついたタバコを加えている。
「あんたはほんっとに危なっかしいんだから。心配で見てらんないわよ。」
この裏路地にすごく通った声が響き渡る。さっきまでずっと聞いていた力強くも優しい声だ。
「クリスさん!!」
嬉しくなってつい叫んでしまった。
まだ二人の大男が傍にいるのに。
「てめぇこのアマ!!何しやがる!!」
長身の男が叫んだ。
「何って、こんな夜道に迷って困ってる女の子も助けてあげられないような、哀れな子羊達に救いをあげただけだけど?」
ぇ?何言ってんの?とでも言うかのような、あたり前のような口調で彼女は言った。
「調子に乗るんじゃねぇ!ブッコロ・・グガァァッ!」
長身の男が話終わる前に石が顔面へ飛んでくる。
一撃で意識を刈り取られその場へ倒れこむ。
「なかなかやるなねーちゃん。だが俺様はこうはいかないぜ!!」
二人やられて闘争心に火がついたのか、エリィを突き飛ばし先制攻撃とばかりにクリスに殴りかかろうと走りこんでくる。
その勢いは普通の人とは違う、武術に覚えがあるような、そんな鋭い突進だ。
あと1、2歩でコブシがぶつかろうかという距離まで差し掛かった時に
「あ、そこ危ないわよ?」
と、一言。
クリスがやった視線の先を見ると、彼女の二歩手前ぐらいにおびただしい量の油らしき物体が地面に撒き散らされている。
よく見るとその隅に油が入っていたであろう缶が転がっている。
「うおっ!!??」
クリスが注意した時にはもう遅く、大量の油で滑りやすくなっていた地面に男の足が盗られ、クリスの目の前で前のめりに盛大にこけた。
その勢いで顔面が地面にぶつかる瞬間、
男の後頭部にもの凄い衝撃がぶつかり、その勢いも重なって見事に顔面を地面にめり込ませる。
クリスがおもいっきりカカトを落としたのである。
それっきりピクリとも動かなくなる男。
「あれは痛い・・・。」などと呟きながら思わず顔を伏せてしまったのはエリィ。
意識が飛んで伸びている男の頭を踏んづけながら
「あんたらも男なら女の子の一人ぐらい助けてあげなさい!ったく、ろくな事考えないわねぇ!・・・って聞こえてないか?」
などと、一応聖職者なので正しき道を説いてるらしいが、きっと誰も聞こえてません。
男から視線を逸らし、エリィの方へ向き直ると、
「エリィ?大丈夫?」
顔を伏せていたのが泣いてるように見えたのか、優しい声が聞こえる。
ハッと気がつき目の前に見えるクリスを見ると
「ク、クリスさぁ~~ん!!」
顔を見て安心したのか、それとも緊張の糸が切れたのか、泣き崩れながら抱きついてくるエリィ。
「あ~はいはい、泣かない泣かない。もう大丈夫だから。」
エリィの頭を抱きしめながらポンポンと叩く。
「とりあえずこの場所から移動するわよ。目が覚めたらめんどくさいからね。」
そうエリィをなだめると、彼女の手を取りいそいそと裏路地から掛けていった。
その途中でクリスが一言「あそこにタバコ投げてやればよかったかしら・・・。」とボソッと言っているのが聞こえたのだが。
それはやり過ぎです。大火事です・・・。と思ったエリィであった。
しばらくしてルーンゲイズのメインストリートに帰ってきた二人。
ぜぇはぁぜぇはぁ言ってるエリィに対し、飄々としているクリス。
「よし、とりあえずここまで来れば大丈夫ね。」
と、上着からタバコのケースを取り出し、そこから一本取り出して口に加え火をつける。
非常に慣れた手つきだ。
「はぁはぁ・・ク、クリスさん・・タバコ吸うんですね?」
息を切らしながら聞いてみる。
「あら、これでもちゃんと成人よ。イメージじゃない?」
「何ていうか、以外というか。でも似合うかもしれないですね。」
素直な感想を言う。
「大体の奴はやめろーだとかイメージに合わない!とか言われちゃうんだけどね~。」
煙を吐きながらつまらそうにクリスは言った。
「あ!でもちゃんとポイ捨てはしないわよ!ほら、携帯灰皿あるし!」
「いや、そこは察して重要じゃないんですけど・・・。」
あ、そこじゃない?とでも言いながら頭をポリポリかく。
「まぁ、そんなことより。」
はやいとこ本題に入りたかったのか、話の流れを遮るように話し出すクリス。
「なんであんなとこ行ってたのよー。ここらの人はみんな危険だから近づかないって有名なとこよー。」
若干項垂れながらエリィに聞く。
「い、いえ・・。すいません・・・。ほんとボーッとしてたらあんなとこまで歩いてたらしくて・・・。」
「ほんと危なっかしいわねぇ・・・。」
そう言いながらクリスはある事を思い返していた。
それは今から遡る事1時間くらい前だろうか。
飲食店から出て、エリィと別れた時の事だ。
「待ってくださいクリスさん!」
突如呼び止めたのは楓である。
「ん?お金ならちゃんとあとで払うって。」
「そのことじゃないです!!」
軽く冗談を返したつもりだったが、楓があまりにも思いつめた表情をしていたので何事かと思い
「どしたの?あんたまでそんな顔して。」
彼女の方へキチンと向き直り聞き返す。
「あの・・・エリィさんの事なんですけど・・・。」
楓は少しもじもじしつつ、上目遣いにしている。
何か言いづらそうだ。
「大丈夫だから言ってみて。彼女がどうしたの?」
少しでも言いやすくしてもらうよう、なるべく穏やかな口調にする。
「実は・・・。ここ数日エリィさんを見かけたんですけど。エリィさん、おうちに帰ってないみたいなんです。」
神妙な面持ちで話し出す楓。
「帰ってないって、どういうこと?」
余り想像していた事ではなかったので内心はちょっと驚いていたが、それでも冷静を装って聞き返す。
「はい、普通ならみなさん家路につくで在ろう夕方に、エリィさんは街の外の方へ歩いていくので。最初は別に何とも思わなかったんですけど・・・。
毎日毎日同じ時間に街の外へ行くので。ある日気になってこっそり後をつけたんです。」
タバコの煙を吐きながら、楓の言うことを一字一句聞き取る。
「そうしたら、橋の下の方へ降りていって。こんなところで何をしてるんだろう?って覗いて見たら。そこで寝ていたんです。」
「寝てた!?ぇ、それって!?」
あまりにも以外すぎてつい叫んでしまった。その拍子で火のついたままのタバコを地面へ落とした。
「朝早くにもう一度確認したので間違いないです。エリィさんは橋の下を寝床にしてるみたいです。」
あまりにも突然の事で頭の回転が追いついてこなかった。
家に帰らない?家出?でもそういう風には見えなかったし・・。そもそもそう何日も橋の下で寝れる?
色々なことが一気に頭を駆け巡る。
「じゃーエリィは・・・。」
「はい・・・。恐らく・・帰る家はないと思います。今日も恐らくは橋の下に・・って!!」
楓の話を聞き終わる前にクリスは駆け出していた。
そう、さっきエリィが走っていった方角へ。
「ク、クリスさん!?どこへ!」
楓の声がもう遠くの方から聞こえる。
「決まってるじゃない!エリィのとこよ!!」
走りながら答えを返す。
やっと頭が回ってきた。
いつもならまだ明るい夕方には橋の下に行ってるというが、今はもう辺りは真っ暗だ。
それに彼女はあまり世間やこの街のことを知っていそうに無い。
そんな状態でちゃんと戻れたとしても、こんなこと何回も繰り返していたら身が持たない。
で、今日の出来事だ。
どうにも嫌な予感がする。
急いで街の外へ出て、まずは寝床にしてると言われていた橋の下を確認する。
・・・いない。
彼女と別れてから普通に歩いてここへ来ても、もう十分到着していい時間だ。
「やっぱり迷った!?」
そう言いながらまた街の中へと駆け出して行く。
メインストリートへ戻ってくると、なるべく彼女が行きそうな方角を探そうとする。
・・・分からない。
まだ会って数時間しか経っていないのに、彼女の思考などわかるわけがない。
軽く舌打ちを打つ。
だが思いつかない以上、とにかくしらみつぶしに探すしかない。
そうやって走り出そうとした時
メインストリートより奥につづく裏路地のような道を見つけた。
「まさか・・・。」
その裏路地はこの街でもならず者、ゴロツキなどやっかいな連中が住みかにしている場所だ。
普通の人はまず寄り付かないだろう。
嫌な予感はさらに高まる。
クリスはためらいもせずにその裏路地へと掛けていく。
いつもそうなのだが、良い予感は全く当たらないが悪い予感は大体当たる。
女の勘ってやつだろうか。ぜんぜん嬉しくないが・・・。
しばらく走っていると、その道から200mぐらい先だろうか。建物と建物の間にある袋小路のような場所に3人の男と1人の女の姿が見える。
「やっぱり・・・!」
やはり当たってしまった。あの女性は見覚えがある。
エリィだ。
見つけた瞬間、走るスピードがさらに上がる。
その途中で道端に落ちていた手ごろな石二つと、路上に放置(恐らくはしまってあったもの?)されていたオイル缶を頂戴しておく。
「間に合え・・・!」
心で言ったのか声に出したのかは覚えていない。
が、そんな事はどうでもいい。
彼女に何か合ってからでは遅いのだ。
何とか辿り着いた時には、今にもエリィがやられてしまいそうな時だった。
走った助走の勢いで、思いっきりエリィの腕を掴んでいる丸い男に石を投げつけてやる。
クリーンヒット!
見事に男の顔面を捕らえ、その場に倒れ伏させた。
後は先ほどの出来事へと続くのである。
今思い返すと、よくもまぁあんな都合よく見つかったものだ、と少しあきれ気味になる。
「クリスさん?クリスさ~ん?」
ちょっと考えすぎていたのだろう。エリィに名前を呼ばれてハッとする。
「あ、あぁごめんごめん。」
不思議そうに顔を覗かれ、慌てて意識を元に戻す。
「?大丈夫ですか?」
エリィが不安そうな顔をして尋ねる。
「だいじょうぶだいじょーぶ。ちょっと考え事してただけよ。」
と言って笑って見せた。
エリィの顔から不安さが取れ、普通の表情に戻る。
頭をもう一度整理する。
彼女には聞かなければならないことがある。
と、言っても立ち話も何なのでどっか手ごろに座れそうなとこは無いか辺りを見渡す。
そうすると、クリス達が歩いているメインストリートのすぐ傍に公園があるのが見えた。建物と建物の間に作られた小さな公園だ。
遊具も何もない、ただそこで生活する人たちが交流しやすい様にベンチがいくつか不規則に並べてあるだけ。
まぁあの辺でいいかと妥協し
「エリィ、ちょっとあっちで座って話さない?」
そう言い、公園の方を指差して尋ねる。
「は、はい!大丈夫です!」
少し驚いた様子だったが、すぐに了解してくれた。
公園の中に入り、ちょっと奥へ行ったところに、調度二人並んで座っても余裕なぐらいのベンチを見つけ。その中の一つにエリィはちょこんと、クリスは奥深くどかっと座りベンチの背もたれに両手を掛ける。
少しの沈黙。
「それで、お話って何でしょう?」
その沈黙に耐えれなくなったのか不安そうにエリィが尋ねる。
「あぁ、そうだったわね。」
ふと思い出したかのように話を切り出す。
「エリィ、あなた橋の下で寝てるの?」
息を吐くように自然と直球を繰り出すクリス。あまりまどろっこしいのは嫌いらしい。
「えぇ!!!」
大きな声で驚いたのはエリィ。
「し、知ってたんですか!?」
何でバレたんだ!とでも言わんばかりの表情で聞き返してくる。
「あんた結構正直ねぇ・・・。」
少しはごまかしたりするだろうかと思ったが、そうでもなかった。
それに少し落胆しつつ
「何でそんなとこで寝てんのよ。家出してるって感じでも無さそうだし。何か帰れない事情でもあるの?」
少し探りをいれつつ尋ねる。
それを聞いたエリィは、さっきまでの驚いた表情から一遍、寂しそうな、それでいてちょっと残念そうな表情で
「事情ってわけでも無いんですけど・・・。」
重苦しそうに口を動かす。
「もし言いづらいことだったら言わなくてもいいのよ。まぁここまで聞いておいてなんだけどね。」
別に彼女を助けたいとか、救いたいとかそういうわけではない。
ただちょっとした興味本位で聞いてみただけなのだが。
「これを言っても信じてもらえるかどうかわからないんですけど・・・。」
一度俯き、何かを決心したようにクリスの方を見据えて言った。
「私、自分の記憶が無いんです。」
一瞬、ほんの一瞬だが時が止まったような気がした。
思考も同じく停止する。
彼女が一瞬何を言ったのかわからなかった。
短い沈黙。
それはほんと刹那だっただろうか。
そんな中、二人の間を冷たい風が通り抜ける。
その冷たさで思考が一気に駆け巡る。
興味本位で聞くには・・・ちょっと話が重たすぎた。
「記憶が・・・ない?」
何かしゃべらなくてはと思って発してはみたが、ただ事実を聞き返すだけだった。
それぐらい唐突だったのだ。
「はい・・・。自分の名前は覚えているんですけど・・・。自分が何者なのか、家はどこなのか、両親はいるのか・・全く思い出せないんです。」
寂しげな表情で話始めるエリィ。
「数日前にこの町の外壁近くで倒れてて・・・、自分の服装から、聖職者関係なんだろうってことはわかったんですけど。」
よく見ると彼女の服はところどころがボロボロだ。ずっと橋の下にいたせいか全体的に薄汚れている。
多分ずっと着っぱなしだったのだろう。
「最初は何か思い出せないかと色々回ってみたんですが・・・。誰も話を聞いてくれなくて。」
もしかしたら家出か何かと勘違いしたのかもしれない。会って突然記憶が無いんです、と言われてもそうは信じられないだろう。
事実クリスもそうだ。
もし会って初っ端「記憶が無いんです、助けてください。」と言われても信じるに信じれない。
軽く流してしまう事だろう。
でも今は違う。
彼女の話す事のほとんどは楓が教えてくれたことと一致しているし、何よりこんな身なりで、こんな寂しい表情で・・・嘘など付けるわけがない。
「はは、嘘みたいですよね。大丈夫です、慣れちゃいましたから。」
クリスが黙って聞いていると、その寂しそうな表情をさらに曇らせながら言う。
その声は少し涙声になっていた。
「心配しなくても大丈夫です!クリスさんには色々ご迷惑かけちゃいましたし。これ以上の迷惑は掛けられません!それにそろそろ暖かくなってきましたし!あそこ、以外と居心地いいんですよ?」
あきらかに空元気なのはわかっていた。彼女の心配させまいという心がそう言わせたのだろう。
「あっ、今日のご飯奢ってもらってありがとうございました!よく思い出せないですが、久々にああいう食事をした気がします!」
自分は大丈夫だ、だから心配しないでと元気をアピールする姿が、クリスにはとても寂しい表情に見えた。
そんなエリィを見て、やれやれと一つ大きなため息を吐き、
「嘘をつくならもっと上手くやりなさいよ・・・。」
そう言った。
あぁ・・・またか・・。と言うような少し落胆した顔になるエリィに
「あなたの元気はぜんぜん元気に見えないって言ってんの!本当に元気ならこのベンチ担いで街内一周回って見せなさい!」
なんとも無茶苦茶な事を言った。
しかしその無茶苦茶さがどこか優しげな、暖かいような感じに思える。
「ぇ・・・。信じてくれるんですか・・?」
恐る恐る聞いてくるエリィに言ってやる。
「どこの世界にそんな今にも泣きつきそうな顔して嘘言う奴がいるのよ!そんなにボロボロで!それが演技だって言うなら大した女優になれるわよ!」
確信を持っていえる。彼女の言っている事は本当だ。
別に何か根拠があるわけではないが。
そもそも、今にも崩れそうな彼女に唾を吐き捨てるような行為はできない。おせっかい焼きではないがそこまで非情でもない。
「あなた見たいな危なっかしい子一人を橋の下になんて寝かせられないわよ。」
「ぇ・・・でも・・・。」
とても申し訳無さそうに、しかし一筋の光を得たかのような安堵の表情を見せると
「でももへったくれも無いわよ!」
うれしい時はうれしいと言え!とでも言わんばかりの声でエリィを一喝。
「今日調度あたしもこっちに用事があってね、宿を取ってあるんだけど。本当はもう一人いたんだけど急用で来れなくなっちゃってね。一つ宿の枠が余ってるのよ。このままにしとくのももったいないからよかったら来ない?お風呂だってしばらく入ってないんでしょ?」
彼女の言葉に、やっと救いの手が差し伸べられたのかと思い我慢しきれなくなって泣き出したエリィ。
「そんな大した事じゃないわよ。たまたまよ、たまたま。ほら、もう夜も更けてきたから行くわよ。」
ぜんぜん泣き止まない彼女の背中を押すように、夜空を見上げながら優しく促す。
その照れ隠しが少しおかしかったのか
「グスン・・は、はい。クリスさんは、素直じゃないですね?」
少し笑みをこぼしながらそう言った。
「なにをー!」
ちょー素直だっつの!あたし以上に素直な奴いないっつの!とかわけのわからない事を言いながら反撃するクリス。
その行動もやっぱりおかしかったのか突如お腹を抱えて笑い出すエリィ。
「もういい!先いくわよ!」
と言って、怒って歩き出すクリスに置いて行かれまいと
「あー、ま、待ってくださーい!!」
と、嬉しそうに大声で叫びながらついていくエリィであった。
第1節 完
よかったね、エリィ