第4章 第16話 火の魔物
山へ向けて進む悠里達は、探索者ギルドの初心者講習で習った有毒植物のことを思い出してそれっぽい植物が群生している場所を意識して避けて通っていた。
「初心者講習ってやっぱり大事なんだな。知らなきゃ訳が分からないうちにやられそうだ」
「講習で習った【虫除け】の付与効果も、あるとないとでは大違いだよね。都会育ちとしては、【虫除け】のあるアウトドアは地球より快適じゃないかなって思うよ」
悠里の呟きに湊が頷きつつ、初心者講習を思い出して言葉を交わす。初心者講習を受けていない現地人組は、二人の会話に出て来る異世界(地球)の話を興味深く聞き、こちらの世界での知識や常識、覚え間違い等を指摘してくれている。
こっちの世界ではお手頃な価格で手に入る【虫除け】のかかった装備で固めていれば、蟻や蚊も近付いてこないし、【生活魔法】として一般的に広まっている【清浄】や【消臭】も地球より便利だ。更に回復系の魔法などは地球の医療技術を凌駕する。細かい外科手術が必要な病状はともかく、少なくとも四肢欠損などの外傷なら元に戻せる。このように、現代日本と比べても利便性が高いと感じる物は結構ある。
探索者ギルドや貴族などの身分確認プレートの認証機能など謎の通信・認証機能が普及しているのだから、封建制度の世界観だと馬鹿にはできない。
また、飲食類を代表して≪迷い人≫由来で変に進んだ文化や文明もあるので、最近ではこちらの世界での生活の特殊な利便性が地球に帰れるとしても手放せそうにないな、と思えるようになっていた。
「う~ん、講習で習った毒性植物は分かるけど、それ以外の植生は分からんね」
「鑑定しながら歩いているから、ヤバそうなところは近寄らないよ」
悠里がきょろきょろと周囲を警戒しつつそう言うと、祥悟がそのあたりはフォローしている事を伝える。
「お、そうか。やっぱり【鑑定】って便利だな。正直羨ましい。覚えたいな……」
ことあるごとに図鑑で調べたり職人から解説を聞いたりしていて、鑑定眼を磨いているつもりだが、武器や防具は勘と経験で何となくふわっと分かるようになってきた。しかしそれでも数打ちの凡作か大業物か、主素材は何を使ってそうか、くらいしか分からない。
祥悟の【鑑定】はそういうのを丸ごと纏めてもっと深く、ゲームのアイテム説明欄くらいに情報が得られるというので、悠里のはやはりただの目利き止まりだろう。これも続けていれば習得できるのだろうか。
山へと向かう道中に、魔物は巨躯の狼型や光学迷彩のように風景に溶け込む虎(豹?)らしき魔物、巨躯の猪のようだが犀のような顔と角をした魔物などに遭遇した。
入り口側からアイギスの家までの間に出てきた手応えのないものと比べ、なかなか斬り甲斐がある魔物がでるようになっている。
「このあたりまで来ると八五層らしい強さになってきましたね」
「そうだな。姿は見えないのに魔力と氣が駄々洩れで場所が丸わかりなネコ科とか片手落ちも良いところだったけど」
アマリエがミルクティー色の髪を掻き上げながら悠里の顔を見上げ話し掛けると、悠里も道中で出てきた魔物についてあれこれと感想を返す。
しばらくそうやって偶に見つかる魔物を倒しつつ山へ向かっていると、祥悟やエフィ、メノアにユーフェミアが小さな気配に違和感をもった。
「何かくるな。気配が薄い?いや違うな。気配が濃いけど小さい?敢えて抑えてる?」
四人の反応に遅れて悠里もその小さな気配に気付く。小さいのだが、魔力と活性された氣が混じり合う、馴染みのある感覚。
「うちらが言うところの【彼岸花】流の力の熾し方だね。アイギスからは他に人間や亜人に相当しそうな相手が居るって話はなかったよな……?」
悠里の感じた感覚は他メンバー達も感じ取れたようで、皆が戦闘準備をはじめる。
「アイギスさん?の話には出てこなかったよね。特殊な魔物がいるなら教えてくれそうなのに」
湊は右手を打刀の柄に置き、左手は鞘に添えて抜刀術の構えだ。
「完全に捕捉されてるな、これ。真っ直ぐこっちに来てる。結構速い」
祥悟も悠里と湊と共に前衛に出ていき、後衛陣を守るのにクローディアとレティシア、カルラが位置取りをする。
「そろそろ見えるんじゃないか?」
「……?」
反応は近付いてきているが姿が見えない。
「また光学迷彩みたいなやつか?」
祥悟が眉根を寄せて気配探知に意識を集中しだす。
「かも……?気配は感じるから何とかなるとは思うけど……」
湊も首を傾げつつ、肯定とも否定とも判断できない違和感を感じている。
ガサガサガサッ
気配のする方向、低木の茂みが揺れ。勢いよく、白っぽい何かが飛び出してきた。
白いものからは殺意や食欲、あるいは憎悪など、魔物が人間に向ける負の感情が一切感じ取れず、気配頼りで身構えていた悠里はまんまとその白い何かの飛びつきをくらい、思わず両手で受け止めていた。
「え?は?」
白い何か……。それは犬だった。大きさは中型犬。短頭種で短い鼻面に、大きく立ちあがった蝙蝠のような耳。口角の両端が上向きに開いて長い舌で悠里の顔を舐め回す。
毒気を抜かれたように張り詰めた緊張が解け、皆で闖入者を眺めてみる。
「……例の犬っころ?」
「あぁ、メイドさんの言ってた?」
「火を使うという?」
「確かに狼というよりただの犬だけど……ボストンテリア?」
湊が悠里の顔を舐め回し続けている犬をみて地球で該当する犬種を思い出して声にする。
「いや、斑の付き方がボストンテリアと違うし、胴体も足も太いくてムチっとした体型だし……。これはフレンチブルドッグだわ」
悠里はフレンチブルドッグ(仮)を顔から引き離して顔面を舐められるのを避けつつ、自分の顔に【清浄】を掛けて唾液まみれにされた顔をすっきりさせた。
前脚の両脇を持たれて無抵抗にぶら下がったフレンチブルドッグ(仮)は口角があがった満面の笑顔のような顔に長い舌がだらんと垂れており、ハッハッハッと細かい息遣いが聞こえてくる。あと牝犬であることが分かった。
「火を使うらしいし魔物……なんだよな?どうしようこれ」
悠里が満面の笑顔のような犬っころに困った顔を向けて見つめ合う。
「ん……。人間に牙を剥かないなら倒さなくても良い」
エフィも不思議そうな顔でフレンチブルドッグ(?)を見上げている。
「こういう種類の犬ははじめてみた。犬……?犬型の魔物?」
エフィが呟きながら首を捻る。
「【バーゲスト】の類、【ヘル・ハウンド】や【ガルム】ならもっと鼻面が長くて狼っぽさのある顔の犬。【オルトロス】や【ケルベロス】は顔つきもそうだけど、もっとずっと大きいはず……」
エフィが考え込みながらじっとフレンチブルドッグ(仮)をみていると、フレンチブルドッグ(仮)はエフィに目線を移して魔力と氣を放出しはじめた。
「ッ?!」
突然の臨戦態勢を思わせる力の噴出に、弛緩した場の空気が一変する。
「え?」
フレンチブルドッグ(仮)は力の噴出とともに首元から頭が二つ生えてきて、三つ首の姿に変わった。
なお、増えた顔も元の顔もフレンチブルドッグそのまんまの顔で、頭が三つあるフレンチブルドッグ(仮)だ。真ん中の元の顔が得意そうな顔して自分の鼻先をぺろりと舐め、ハッハッハッと細かい息遣いが聞こえてくる。
「……ケルベロス?」
エフィが首を傾げて誰とはなしに言った。
「えぇ……これケルベロスなの?本当に?イメージ的にケルベロス無理なんだけど」
エフィの推測に場の皆がなんともいえない顔と空気を醸し出す。
「ヒソヒソ(頭三つの犬ってことで良いんじゃない?)」
「ヒソヒソ(ぶさかわいいってやつです)」
クローディアのヒソヒソ声にメノアが頷きながらヒソヒソしている。
「……とりあえず地面に下ろすか」
悠里は三つ首になったフレンチブルドッグ(仮)なのかケルベロス(推定)なのか良くわからない生き物を地面に下ろすと、元から頭でっかちのバランスの悪い体型なのに、それが三つ首に増えたことで重心が更に悪くなって勝手によろけ、慌てて両前脚を突っ張ってバランスを取り直していた。
なんというか……。体型から分かっていたがどんくさい。
「確かにこれは犬っころですね。狼系とは全然顔が違います」
ミヤビも三つ首になったフレンチブルドッグを興味深げに覗き込んでいる。
悠里がしゃがんで背中をわしゃわしゃと掻いてやると、ケルベロス(仮定)が悠里の手をぺろっと舐めて、顔面を擦りつけだした。
弛んだ顔の皺や耳の裏を両手でわしゃわしゃしてやると喜んでいるのかその場でくるくる回ったりしている。
フレンチブルドッグの尻尾はウサギの尻尾のような、ちょっと出っ張った瘤のような姿である。故に尻尾を振れる犬ならきっとぶんぶん振っているのだろうが、振れる長さのない尻尾は動いているのかさえ分からない。
その代わりとでもいうように、笑顔で悠里の手にじゃれつきまくり、隙をみては悠里の顔に向かってジャンプで飛び掛かる。それをすかさず掌で受け止めて飛びつきを宥めていると、魔物とはいえ愛嬌に負けてどうすれば良いのか分からない。首筋の余り皮を両手でむんずと掴んで引っ張ってみる。うん、満面の笑顔だ。
「……なぁ、これさ」
悠里が湊に顔を向けて口を開くと、すかさず湊がインターセプトする。
「またペット増やすの?ちゃんと最後まで面倒みれるの?散歩とかご飯だけじゃないんだよ?トイレの世話もするんだよ?」
「……」
昔、犬を拾って帰って母親に戻してこいと叱られた記憶が甦る。
「尿は【飲料水】でもかけて【清浄】かければ何とか。糞は……異空間収納に回収してこういう森の中とかに行った時に纏めて捨てれば……」
湊の言葉に弱々しく抵抗を重ねる悠里。
「旦那様が従魔契約できれば飼っても良いのでは?」
アリスレーゼが悠里に助け舟を出した。
「ん。魔馬を買った時と同じ。魔力の経路を開いて繋げて、その犬が納得して下ってきたら成功。やり方はフォローする」
エフィも犬(推定ケルベロス)に興味があるのか、悠里に味方した。
「う~ん……。まぁ従魔契約できて無暗に人間を襲わないなら……」
あまり真剣に反対していた訳ではないのか、湊もあっさりと条件付きで許可をだした。
「ありがとう、ちょっとやってみる」
エフィに従魔契約の手伝いをしてもらいつつ行う。契約術式はエフィが代わりにおこなってくれて、悠里は短剣で付けた指の傷と血を犬に舐めさせる。すると魔力の経路が開いてつながった感触がした。悠里は犬と従魔契約を結ぶことに成功し、顎周りの余り皮をわしわしと撫でてやると犬から楽し気な意思が流れてくるのが分かる。
「よし、犬。これからはお前も仲間だ。俺達人間が主人で、お前は一番下だからな?仲間を下にみて噛んだりするなよ?」
首の余り皮を両手でぎゅむぎゅむしながら悠里が犬に命令すると、犬はぺろっと鼻の頭を舐めて三つ首から一つ首に戻った。
「頭一つに戻るとフレンチブルドッグにしかみえないな、お前。ん?尻尾の周囲がハート形の斑なのか。なかなかイケてんじゃん。左耳の裏も黒いし毛色はパイドだな」
思わぬところでペットを増やせた悠里は満足そうに犬を撫でたり掻き回したりしている。
「よかったな、悠里。実家じゃ犬飼う許可下りなかったもんな?」
祥悟は悠里が犬好きなことも、実家ではペットを飼うのが禁止にされていたのも覚えており、今の嬉しそうな悠里に祝福の声をかけた。
「あぁ、ありがとう祥悟。ここで生き残ってきたんだから、こんな犬でも強いはずだよな?多分。しっかり戦力として働いてくれよ。お前の名前は今からパイドだ」
「それ、毛色の呼び方だよな?普通、名前に使うか?相変わらず適当だな悠里」
「良いんだよ。三毛猫だってミケって名前ついてたりするじゃん?」
祥悟のツッコミを躱して悠里はパイドから手を離すと立ち上がった。
「ごめん皆。だいぶ時間とらせた。本題は山の方の四つ足の竜だったね。移動を再開しよう」
祥悟の嫁達もパイドに触りたそうな目をしていたが、とりあえず今日の狙いは竜である。目的の物が揃ったら、帰り道にでも順番に触れ合える時間をとってやりたいと悠里は思った。
山に向かってあるきはじめると、パイドは小走りに悠里の横に寄り添うように位置取りして時折悠里の顔を見上げている。
「街に帰ったら首輪買ってギルドに従魔登録しないとな。あとみんなの匂いとか覚えさせるのに皆で撫でまわしたり匂いかがせたりしようぜ」
パイドの愛嬌のある姿をみていると自然と頬が緩む悠里だった。




