第2章 第15話 氣《プラーナ》と伏せ札
「……まじかー……」
目の前の現実を否定したい、けれど直視しなければ命がない。そんな特大の溜息と共に漏れた呟きに、悠里と湊にはどっと疲れが押し寄せてきた。
この討伐隊で上位戦力であった≪上級≫チームの二名が死亡を確認済みで、テセウスとアレイユが既に倒されている。アレイユは気絶中だと思われるが、テセウスの方は派手に斬り飛ばされたため、生死不明。
左翼側の≪旅行者達≫についても状況不明。ただし見える範囲には≪旅行者達≫もいないが左翼とぶつかっていたはずの豚頭族達もいない。
右翼・中央の残りの戦力は、
≪上級≫チームの前衛は女剣士が二人、後衛に攻撃魔法系が二人、治癒魔法使いが二人、魔法系の斥候役が一人。
≪下級≫チームの前衛が悠里と祥悟、湊の三人。
計 前衛五人、後衛五人。
鎧の破損はそのままだが、敵につけた傷は完全回復した状態で、その膂力は一撃必殺級。
脚も復活したため、また前衛を無理矢理突破して後衛に直接攻撃が可能な敵戦力。
前向きに捉えられる情報としては、【復元】で大量の魔力を消費していた事から、おそらく二度目はない事。
もう一つ、治癒魔法使い達がアレイユを復活させられれば、≪上級≫の前衛が一人増える可能性が残っている事。
「(……状況整理しただけでも詰みかけてるな)」
悠里の脳裏に“逃げ”の一手が浮かぶが、ナガトの女への執着を考えると、選択肢から無くなる。もう一度脚を殺せば或いは……とも思うが、前回はナガトの油断があったから出来た事だ。身体強化された状態の硬度では、深い傷を与えること自体が難しい。
『(このまま再戦がはじまっても勝ちの目がない。何か≪上級≫チームが持っていなかった、俺達だけの手札はないか?)』
悠里の念話で湊と祥悟も考える。そして考えている最中にも事態は動く。ナガトが悠里狙いで攻撃を再開し、悠里は【念話】のチャンネルを開いたままで只管回避に専念する。悠里から見てナガトに隙ができても自分からは攻勢に出ない。避けるのが難しい時だけ長剣で受け流すが、武器のぶつけ合いは悠里の方が先に握力がなくなるのが目に見えている。悠里が連続で受けないように、他メンバー達が攻撃の具合や狙いを変えて注意を引き付けてくれている。
ナガトはまた後衛陣に襲い掛かるのかと思っていたが、後衛陣は五人女で男は一人だけ。乱戦では後衛からの攻撃支援が難しくなる事を見越して、前衛陣の男二人を先に殺そうと狙っていた。
『(私の【遅滞世界】は?発動すれば弱点狙いの成功率も上がるよ。ナガトが私狙いになった時に使えば、神回避で時間稼ぎとかもできると思う)』
『(効果があるか分からんが、俺の隠形からの奇襲とか……?)』
湊と祥悟がそれぞれ手札から検討した結果を共有する。
湊の【遅滞世界】は確かに切り札になりえる。しかしナガトの硬度が高すぎるため、ダメージが期待できそうな場所は眼窩か咥内くらいだろう。“相手を詰ませる”にはまだ手札が足りない。
『(何か無いか?この三人だからこそ打てる手は……)』
『(……【異空間収納】?)』
祥悟がぽつりと投下した。
『(確かに私達の手札だけど……。それをどう使うの?)』
【異空間収納】に入れてある物を出す。或いは入れる。できることはこれだけだ。
そして今自分達の【異空間収納】に入っている物は、食料品や消耗品、着替え、野営道具、予備武器、大身槍、そして大量の豚頭族の死体とその装備である。
『(収納内の大身槍を出してカウンターにしたり、大斧とか上から落として頭狙ったり?豚頭族の死体を出して肉壁にするのも出来るな。熱いスープの鍋を顔面に浴びせて怯ませたりとか……他にも何か出来そうだけど。分かり易い質量兵器に、大岩でも入れとくべきだったか)』
『(大岩が収納できるなら確かに良い手だけど、持ってない物は仕方ないでしょう?他にないかしら?)』
『(う~ん……。生活魔法系?)』
『(生活魔法……?水で口と鼻を塞いだり、それを氷にしたり?油撒いて着火もすぐ出来そうだけど、他何かある?せいぜい足元を弄ってバランスを崩すくらい?)』
『(水責めが出来たら倒せるかも?近くに毒煙を出す植物があれば、油と着火で毒煙責めもいけるんじゃないか?)』
『(それは……ちょっと植物を探す余裕が無いわね)』
パッと思いつく案は出尽くしたか、少し間が空く。
その間に悠里自身の手札を思い起こす。といっても【念話】と【仙氣功】、【空間魔法】だけなので、出来ることはあまり増えない。
【念話】と【仙氣功】は今でもフルに活用しているし、空間魔法も【異空間収納】と大差ない能力と馬車や担架なら役に立つ空間の安定化、認識阻害の空間作りくらいしか現状は役に立っていない。自分で気付いていない空間魔法の使い方が無いだろうか。【念話】は?【仙氣功】は?
『(治癒魔法使いさん達は、アレイユさんを回復して起こしてください)』
「ッ?!りょ、了解です!!」
悠里からの初念話に、思わず声に出して返事をしてくれた。彼女に任せておけば、アレイユの復帰が見込めるはず。
【念話】の次、【仙氣功】を今より強化する手は……在った。
『(≪送らせ狼≫の斥候さん、テセウスさんの天銀合金の剣、回収してこっちに貸してください)』
「ッ?!わ、分かったわ!!」
こちらも声に出して返事をしてくれた。
最後、空間魔法の気付いていない使い方。何かないだろうか?
認識阻害の空間を自分一人にかければ?隠形状態からの不意打ちができないだろうか?
【空間魔法】の異空間収納の機能を【異空間収納】の下位互換だと思っているが、実は剣身や表皮に纏わせるように異空間を展開して、空間切断やバリアのような使い方が出来ないだろうか?
やれることは全部やる。成功するかはとりあえず試してから確認する。
『(攻撃魔法役の皆さん、ナガトの顔に水玉を張り付けて溺れさせたりできませんか?)』
「え?ど、どうだろう?やってみるよ」
攻撃魔法役の二人と魔法型斥候の一人の計三人分の水責めは直ぐに効果が現れた。ナガトは顔面に張り付いた水を手で払い除けようとするが、水は動かず安定したまま顔に張り付いていた。水を飲んだのか多少容積が減った気がしたが、すぐに補充されているようで効果がない。
流石にヤバいと感じたのか、大鉈を手放して両手で顔面に張り付く水を除けようと暴れ始めた。
「ッ!回収!」
ナガトが手放した大鉈を悠里が即座に【異空間収納】で回収した。【異空間収納】も色々と検証してみたのだが、「生物は入れられない」、「生物が体や手に身に着けているものは入れられない」、「【異空間収納】のレベル次第で射程が伸びる」など。ナガトが武器を手放したのなら、それは【異空間収納】での回収対象になったという事だ。ナガトは武器を奪われたことよりも今は呼吸の方が大事で、今度はその場から離れようと祥悟を突き飛ばして走った。
「テセウスの剣、どうぞ!」
魔法タイプな斥候役さんが地面を滑らせるように投げてくれた天銀合金製の長剣を、【異空間収納】で回収して手に構えていた魔鋼合金の剣も【異空間収納】に収納する。両手が空いたところに天銀合金製の長剣《テセウスの剣》を取り出して構える。剣に氣を流すと、魔鋼合金の方とは段違いに綺麗に氣が浸透し、行き渡っていくのを感じた。剣そのものの強度が上がっていくのもそうだが、刃先に纏う氣が剣身の鋭さ以上の薄く鋭い氣の刃を纏い、斬れ味すら大幅に強化されていくのが、目に見えるかの様に肌に感じた。
「(これは……天銀合金ってこんなに凄いのか……)」
天銀合金の青みがかった銀色の刃が一層光を纏ったようで、その剣身の美しさに目が奪われそうになった。悠里は慌てて視線を剣から引きはがしてナガトを探す。走り去ったナガトを探す。場所の移動で水玉から逃げ切れたようで、小屋の入り口の柱をへし折って握り、即席の棍棒にして構えていた。
「(陸で溺死は流石にしないか……。残念)」
悠里を除いた前衛全員がナガトの方へと走り寄り、先程までと同じように囲んで斬り付け、あるいは突き刺しを繰り返す。その様子をみてから悠里は小屋の陰に移動し、そこで認識阻害の空間を自分を中心に設定して発動させ、半径一メートル程の認識阻害の空間を纏いながらの移動を試みた。
「(出来ている?多分成功だ)」
狙い通り自分中心の移動する認識阻害として機能してくれた。
「(よし……これで仕込みは完了かな)」
悠里が小屋の裏手からナガトの死角に移動する最中、治癒魔法使いの手で復活したアレイユが、天銀合金の長剣を腰溜めにしてナガトに突っ込んでいく。
「吶喊する!道を空けて!」
アレイユの掛け声に気付いた女剣士二人がそれぞれ左右に移動してアレイユの通り道を空けた。アレイユはナガトまで一直線に駆け、全身の勢いを利用した刺突を仕掛けた。ナガトは左右に背後と取り囲まれているため咄嗟にアレイユの迎撃を選び、長剣より長い柱を突き出してカウンターを狙った。アレイユはそのカウンターも織り込み済みだったようで、身を捩じり柱沿いに駆け抜け、身体全体でぶつかっていくような突貫の如き刺突を放ち、ナガトの胴鎧を貫いて腹部に天銀合金の長剣を突き立てた。
「グアッ……!?」
アレイユの天銀合金の長剣はナガトの丹田のあたりに剣身の半ばまで突き刺さっており、アレイユはその剣身でグリグリと体内を掻き回したり捩じったりと、執念深く追撃を行う。ナガトの腕が伸びてアレイユを捕えようとするまでそれが続き、手を伸ばしてきた時点で前蹴りで勢いをつけて一気に引き抜くと、今度はあっさり離れて距離を取った。
ずっと前線に参加している女剣士二人も天銀合金の長剣を使っていそうだが、アレイユやテセウスとは氣の練度が違うのか、明らかにナガトに与えるダメージが違う。これは女剣士二人が練度不足なのか、アレイユとテセウスの練度が高いのか、湊達には判断がつかないが、ナガトを圧倒したアレイユの全力が凄いのだろうと何となくそう感じた。
戦線に復帰したアレイユを中心に前衛陣が波状攻撃を仕掛けていく。アレイユの一刺しが響いているのか、他メンバーの攻撃もこれまでより深く刃が通るようになっている。
ここにきてやっとナガトは女狩りよりも生存を優先するように思考が切り替わり、女相手にも致命の一撃を入れるべく全力で抗う。ナガトは自分の死の予感に冷静さを欠き、死に物狂いで激しい抵抗をしてみせている。ナガトを囲んだ前衛陣は、その大暴れに巻き込まれないように回避重視の冷静な立ち回りに終止し、余計な怪我を追わないように上手く立ち回っている。
「グゾォォォ!!死ンデタマルガァァア゛!!」
ナガトが絶叫した直後。スルッとナガトの首ズレ、地に落ちた。
ナガトの背後には、天銀合金の長剣を右薙ぎに振り切った姿勢の悠里が立っている。
転がった首に遅れて、ナガトの身体もその場に崩れ落ち、切断面から噴水のごとき血飛沫が噴き出した。
「転生があるかは知らんが、今度は真面な人格に生まれ変われよ……」
未確認個体こと「豚頭族の勇者」の討伐が成された事を、その場の全員が理解した。




