第1章 第12話 いのちのやりとり
豚頭族の集団を撃破して死体ごと戦利品を回収すると、一行は再び索敵と移動に戻る。
「歩き回るのは良いんだけどさ。ルート取りをどう考える?陥没穴の周辺をグルッと回るとか、陥没穴の北側か西東に進んでみるとか」
祥悟の確認に悠里は顎先に指を当てて考える。
「陥没穴の北側だと、森の深い方に向かうよな。食人鬼族の割合が増えるはずだ」
「でも陥没穴周辺だって上級豚鬼の上位種が居るかも知れないんだよね?」
検討する悠里に、湊も新たに考慮するべき点を挙げる。
「それは確かに……。とりあえず東側に行ってみようか」
「「了解」」
祥悟が斥候として先行しつつ、悠里と湊も【気配察知】や【隠形】を常時発動しながらその後へと続いていく。
魔物や肉食の猛獣などが遠目に見えているが、遠巻きにこちらを警戒しているだけで寄ってこない。通常、人間を見つけたら真っ先に襲い掛かってくる野狼の群れや、野熊のような好戦的な肉食獣ですら、悠里達から距離を取っている。
「近付くと離れていくな?さっきちゃんと【洗浄】と【消臭】したよね?」
悠里が返り血を浴びていた自分の腕の臭いを嗅いでみるが、特に血液の臭いは感じられなかった。
「人間の嗅覚じゃ分からないけど、嗅覚の鋭い獣だと分かるくらいに臭いが残ってるのかも?」
湊の考察に信憑性を感じて、悠里も納得した。
「獣の嗅覚基準か。それはあるかもね。所詮、人間が自分達用に編んだ魔法式だろうし」
遠巻きにこちらを窺うだけの魔物とは接敵することもなく、東方面に歩いていくと、祥悟が≪敵発見、止まれ≫のハンドサインを出した。
悠里と湊はそのハンドサインを受けて身を屈めると、祥悟が手招きをするのでそちらへと歩いて行く。祥悟の隠れている木陰に辿り着くと、祥悟が人差し指で≪あっちみろ≫というジェスチャーを出していた。祥悟の指示通り木陰からそっと覗いてみると、再び豚頭族の集団を発見した。
木陰から遠目に見る限り、通常種の大きさが四体に上級豚頭族と思われる大きさが四体、更にその中に二体は杖持ちであることがみてとれた。
「計八体?さっきと同じ数だけど、上級豚頭族が多いな……。杖持ちの護衛に楯持ちの上級豚頭族がつくとなると、厳しいんじゃないか?」
悠里の感覚としては正直厳しいと感じた。
「俺達、魔法とか遠距離攻撃の対策が甘いしな」
悠里の考えに祥悟もチーム構成上の問題点として同意した。
「でも逆にいうと、杖持ち二体さえ不意討ちで殺れれば、後は何とかなるよね?」
湊の意見もまた正しい。しかし、言うが易し行うは難しである。
「それはそうなんだけど、どう不意討ちする?杖持ち二体を囲むように、前と後ろに弓兵の豚頭族が二体ずついる。杖持ちの横には大楯持ちの上級豚頭族が護衛する隊列を組んでいるし」
悠里が湊に何か案があるのかと問い掛けた。
「隊列を崩したところを狙えば良いんじゃないかしら?あの豚頭族達だって何か目的があって動いているのだろうし。食料調達とか」
湊の言葉にふむと顎先に指を添えて考え、もう一度豚頭族の集団を見てみる。
「通常種は弓持ちが四体、上級豚頭族が大楯と片手斧持ちが二体に、杖持ちが二体……。獲物を狩るのは弓と魔法で、大楯持ち二体は杖持ちの護衛ってところか」
悠里は獲物を見つけた豚頭族達がどう動くかを読み取ろうと考える。
まず弓兵の通常種達が散開して獲物を狙い、それを補助するかトドメを刺すかで、杖持ちが魔法攻撃を仕掛ける。その間、護衛の大楯持ちの二体はどう動くか。いや、むしろ護衛として動かないんじゃないだろうか。
だとすれば、上級豚頭族達の意識が狩りの獲物に向いている間に背後から接近し、杖持ちを不意討ちで仕留められそうな気がしてきた。
「通常種が持ち場を離れて狩りに動き、上級豚頭族達の意識が狩りの獲物に向いている状態になれば、杖持ちに不意討ちが出来そうな気はする」
悠里は湊をみて自分の考えを述べる。
「そのタイミングが何時訪れるか、狙い通り散開するのか、場合によっては時間の無駄になるかもしれないし、もしかしたら付かず離れずの尾行が失敗して気付かれるかもしれない。これだけの不確定要素に賭けるか?」
そこまで言って悠里は言葉を切り、湊と祥悟を順にみる。
「一匹だけなら、俺の【隠形】で近付いて先制の不意討ちが出来るかもよ?」
祥悟が追加の検討要素を述べた。
「あぁ、そうか。祥悟ならそれが出来るかも知れないのか」
「じゃあ、こんなのはどう?」
湊が考えた作戦を説明しだした。
◆◆◆◆
結局湊の作戦案に乗った一行は、祥悟だけ先行して潜伏待機し、悠里と湊は【隠形】を維持しながら豚頭族の集団を追跡していた。付かず離れず、木陰から木陰へと身を隠しながらの追跡である。
豚頭族の集団が獲物の狩りを始めたらプランAの作戦決行のタイミングなのだが、野猪や野熊も、豚頭族の集団を遠巻きにしていて近付いて来ようとはしなかった。
食料調達の狩りに来ているという推測が誤りで、実は縄張り一帯の見回りをしている可能性が頭を過る。
それならそれで、プランBの作戦に変更する。悠里が湊にハンドサインでプランBに切り替えを合図して頷き合うと、二人は大身槍を【異空間収納】に収納して、代わりに豚頭族から奪った戦利品の槍を右手に、大楯を左手に装備した。
『(祥悟、プランBで動く。そっちの配置は大丈夫か?)』
『(了解。こっちの配置も問題なしだ。どうぞ)』
悠里と湊がそれぞれプランB用の装備を完了すると再び頷き合い、それぞれ【消臭】でもう一度体臭を消した上で、【隠形】を維持したままオーク集団の背後へと近付いていく。もう一踏み込みの距離にまで迫ったところで、後続の豚頭族弓兵が一匹後ろを振り向いた。
『(気付かれた!突貫!!)』
振り向いた豚頭族が仲間に警告を出す前に、悠里はダッシュに切り替えて突貫し、手にした槍で一体目の豚頭族弓兵の首を貫いた。
その隣を歩いていたもう一体の弓兵が、一体目が倒れ込むのに気付いて慌てて後ろを振り向く。
「グヒッ?!」
その時には眼前に迫っていた湊の槍が二体目の弓兵の首を貫いていた。
どさり、と音を立てて最後尾の二体が倒れ込んだのを上級豚頭族と前衛の弓兵二体が気付いて振り向き、前衛に居た豚頭族弓兵二体が上級豚頭族の杖持ち二体と立ち位置を交代した。
前に出てきた弓兵二体が素早く矢を番えて射ったが、それは悠里と湊が構えた大楯に刺さって止まった。
片手斧と大楯を持った上級豚頭族二匹が、豚頭族の弓兵の壁になるべく大楯による殴打の構えで悠里と湊に迫る。二人は大楯で往なすように上級豚頭族の楯による殴打を受け流そうとするが、膂力と体重の差で押し負け、後方へと自ら跳んで転倒を免れた。
悠里と湊の目前に大楯持ちの上級豚頭族が二体、その背後に再び矢を番えつつある通常種の弓兵が二体、その更に後ろに、杖持ちの魔法使いタイプの上級豚頭族二体という陣形である。魔法使いタイプがそれぞれ頭上に【岩槍】と【氷槍】を浮かべていた。
大楯持ちの上級豚頭族二体は、後衛陣の弓兵と魔法使いを守るため悠里と湊を深追いせず、大楯を前に突き出して待ちの姿勢になっている。
弓兵の矢は豚頭族から奪った大楯で止められたが、魔法使いが放つ魔法は大楯では防ぎきれず粉砕されると予測する。対策は射線からの回避か、大楯持ちの上級豚頭族を射線に挟んで射出させないか、である。
悠里と湊は大楯持ちの上級豚頭族に近接戦闘を挑み、魔法使いが完成させた【氷槍】と【岩槍】を撃たせない位置取りを選んだ。
「片倉、武器変更!!」
悠里の声掛けで湊と悠里が同時に行動を起こす。二体は大楯を上級豚頭族の上体に投げつけるように手放し、上級豚頭族の大楯のガードを上げさせると、手にしていた豚頭族の槍を下肢に向かって投擲する。
悠里の投げた槍は上級豚頭族の足の甲を貫き、湊の槍はもう一方の上級豚頭族の大腿部に突き刺さった。投げつけた楯と槍に代わって、【異空間収納】
からギルド貸し出し品の大身槍を取り出し、上級豚頭族の大楯で隠し切れていない下肢を狙って追撃を仕掛ける。
上級豚頭族の魔法使い二体は、前線の上級豚頭族達の立ち回りから射出タイミングを見計らうのに集中していた。魔法使いの前に立つ通常種の弓兵二体もまた同様で、隙あらば援護射撃をする構えだが射線に上級豚頭族が入るように立ち回られ、魔法使いタイプの護衛と前線への援護とで判断に迷いが出ていた。
六体の豚頭族達の意識が、完全に悠里と湊の二人にいっていた。
そこに【隠形】を使って潜伏していた祥悟が飛び出し、大身槍を構えて背後から魔法使いタイプの無防備な背中に強襲をかけ、一突きで一体の背中から胸へと貫いた。思いのほか深く貫通させすぎたため貫いた上級豚頭族を蹴り飛ばして穂先の自由を取り戻し、ま横薙ぎに払う軌道でもう一匹の魔法使いタイプの首を深く斬り裂いた。
「ブグィッ?!」
二体の魔法使いタイプが悲鳴を上げて転がり、術者の制御が崩れた【岩槍】と【氷槍】が落下して、グチャリと重たい質量体が二体の上級豚頭族を圧し潰す音がした。
背後の異変に気付いた上級豚頭族が、背後を振り向いた。振り向いてしまった。
その隙を逃す程、湊は温くない。
湊は上級豚頭族の大楯に左手を掛け無理矢理に間隙を作ると、その空いた隙間から右手の大身槍を突き立て、捻じ込んだ穂先が上級豚頭族の頸部を穿った。
そこから横薙ぎに首を引き裂くように振るうことで穂先の自由を取り戻すと、薙いだ勢いのままにもう一体の上級豚頭族の首にも迫る。悠里が相手をしていた上級豚頭族は咄嗟に左手の大楯を槍の横薙ぎの軌跡上に捻じ込んで防ぐが、がら空きになった右半身、その胸部に悠里の大身槍が深く突き刺さった。ゴボリと血を吐き倒れ込む上級豚頭族の無防備になった首に切っ先を捻じ込み、トドメを刺した。
祥悟の不意討ちによる参戦で戦況は一変し、残りは通常種の弓兵が二体のみである。前後からの挟撃となった事で弓兵二体は番えていた矢を射たが湊と祥悟は体捌きで矢を躱すと、反撃に大身槍を突き出す。射程の有利を潰された弓兵二体は弓を放り出し、腰から大鉈を引き抜いて槍のリーチの内側に潜り込もうと接近してきた。
祥悟に向かった一体が石突を下から上へとかち上げ顎先を痛打し、脳震盪を起こして倒れたところにトドメを刺した。
悠里に向かった二体は挙動を先読みされており、バックステップしながら短く持った槍先で間合いの内側に入ってきた豚頭族にカウンターを放つ。悠里の大身槍の穂先が、鎖骨裏から体内へと刺し込まれ、盛大に血を吐いてうつ伏せに倒れ、絶命した。
通常種四匹と上級豚頭族四体の編成を倒し切り、三人は控え目に拳合わせして互いを労った。
「片倉の作戦と祥悟の奇襲の成果だな」
「そうか?奇襲かけたタイミング、遅くなかったかな……?」
祥悟はイマイチ自信なさげに自省の言葉を口にする。
「今回はたまたま作戦がハマったけれど、敵が陣形に拘らずに包囲戦を仕掛けてきていたら実はヤバかったかも……」
湊も勝利に浮かれるより、どう戦いをコントロールするべきだったかと自問自答している。
「……ま、良いんじゃん?俺達は新人な訳だし。自分達で改善点を見出せるうちは、天井がまだまだ先だってことだよ」
悠里自身も、湊の洗練された動きをトレースするべく日々吸収している。自身に改善点を求めるなら、「ほぼ全て」と答えてしまうであろう、圧倒的格なかを感じ。逆に、満足のいく部分を考えろと言われても思いつかない。
「もう少しスマートにやれそうな気はするのだけれど……今後の努力と経験かしらね」
湊がボヤキながらも倒した豚頭族達を【異空間収納】に回収しはじめたのをみて、悠里と祥悟も残りの豚頭族達の死体と戦利品とを回収していった。
戦利品をしまい込むと、今度は戦闘現場の地面や樹木に染み込んだ血の跡を、【洗浄】で大雑把に洗い流して【消臭】しておく。使用した武器の血糊や浴びた返り血は【清浄】で落として【消臭】を重ね、身綺麗に整えた。
戦いの度に返り血を落とすのは手間ではあるのだが、返り血に塗れたまま行動する不快さと比べればマシである。初心者講習で学んだ≪生活魔法≫の中でも、【清浄】や【消臭】は必須級に重宝している。
【飲料水】の魔法に関しては、文字通り生命線である。何しろ、川や泉の水を飲むと≪迷い人≫連中は大抵腹を壊す。井戸水でも怪しい。現地人ですら、生水を嫌い水代わりに果実酒を飲む習慣がある。
その点、ギルドの初心者講習で【飲料水】を使えるようになったのは本当に大きかった。探索者以外の進路を選んだ連中の現在は分からないが、行った先で≪生活魔法≫を習えていると良いなと思う。
文化や文明のレベルで圧倒的に不便な世界の筈なのに、こういう日本の便利さを超えてくる魔法や魔道具があるあたり、この世界も馬鹿に出来ないどころか、逆に利便性に感謝するまであった。
一通りの後始末がついたところで、再び東へと進んで行く。
一キロメートル程歩いた辺りで、祥悟からハンドサインで≪停止≫の合図がだされた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああァッ」
「う゛ッあっあ゛ッァァァッ」
獣染みた悲鳴と嗚咽が聞こえてきた。
祥悟が身を屈めて藪から向こう側を覗き込み、振り返ると悠里達に≪近づけ≫の合図を出した。悠里と湊は身を屈めて祥悟の元に寄っていく。すると祥悟が小声で話しだす。
「食人鬼族が一匹いる。絶賛食事中だ。足が折れてて逃げられない奴や、気絶してるのか死んだのか分からないようなのが何人か居る」
祥悟の言葉に、悠里と湊が絶句した。
「見るなら、藪の隙間からそっと覗けよ」
祥悟に言われるがまま、悠里と湊はそれぞれ藪に身を屈めたままでそっと葉をずらし、視界を確保した見た。
研修中に何度か戦ったことのある食人鬼族で間違いなさそうだった。
食人鬼族はこちらに背を向けて胡坐をかいて座り込んでいる。両手に餌をもって背を丸めて餌《死体》に齧り付いている。今は、捥いだ女性の二の腕と思われる部位に齧り付いている様
市か各子が窺えた。
「(ッ!!)」
食人鬼族は人間を喰う。
それは研修で習っていたし、なんなら小鬼族や犬頭族、豚頭族だって人間を喰う。
そして、人間だって豚頭族を喰っている。
それは知っていた。知っていたが、知っているだけだった。
散りゆく人間の命を目の当たりにして悠里の呼吸が乱れ、脂汗が噴き出し、指先まで震えるのを感じた。頭痛がする。眩暈を感じる。震える指先が痺れていくようだ。
「(過呼吸かこれ?呼吸、整えろ)」
悠里は意図的に呼吸を遅くして息を一〇秒掛けて吐き、合間に軽く息を止める時間を挟んだ。
自分の呼吸が落ち着き出すと、視界が広がる。隣に屈みこんだ湊の様子が、ついさっきまでの自分と重なる。
「片倉、過呼吸だ。呼吸の吐き出しをゆっくり。一〇秒かけて息を吐け。吸ったら軽く息を止めて、また一〇秒かけて吐く。とにかく呼吸を整えろ。背筋を伸ばして気管を開け」
悠里が湊の背中をさすってやり、呼吸の安定化を図る。
「……祥悟は意外と平気そうだな?」
「いや、どうかな?指先まで震えが止まらなくて逃げ出したくて堪らないのに、殺意だけが湧いてくる……」
祥悟は拳を握りしめては開いたりを繰り返し、その掌を見つめて自分を押さえつけている。
「……ごめん、相原君ありがとう。呼吸、落ち着いてきたわ」
湊が胸に手を当てて礼を言うと、深く深呼吸を繰り返した。
「なぁ……。三人とも怯えて震えてるのに悪いんだけどさ……」
悠里が祥悟と湊の顔を見渡して右手の親指で食人鬼族を指すと、引き攣った歪んだ笑みで言った。
「あれ、殺さない?」




