第3話『最後に思い出作りがしたいな』
激怒というほどではないが、私は怒っていた。
何に対してか、なんて言うまでもない。
天野と長瀬が何かを隠している件についてだ。
うっすらとだが、ボクはその隠している何かが、ボクに関わる事なのだと気づいていた。
僕だってもう十一歳だ。本だって沢山読んでいるし、知ってる事だって沢山ある。
「だから、子供扱いして、ボクに隠し事とかしないで」
「いや、扱いも何も。子供だろ」
「長瀬は黙ってて! ボクは天野に言ってるんだから!」
「へいへい」
「天野」
「……知らなくて良い事もある。それでも知りたいか?」
「うん」
「傷つくことになるかもしれない。それでも」
「聞きたい。ボクは知りたいよ。それが自分の事ならなおさらだ」
「分かった」
「いや、駄目だろ。何言ってんだ。天野。それ以上口を開くなら、お前を無理やりにでも止めるぞ」
ボクの目の前で長瀬が勢いよく立ち上がり、天野の胸元の服を掴み、睨みつけた。
すぐにでも喧嘩が始まりそうな雰囲気に、ボクは息を飲んだ。
しかし、動揺し動きを止めたボクをよそに、二人は睨み合いながら言い争いを始める。
「何でもかんでもペラペラ話す必要がどこにある。知らなくて良い事なら知らなくて良いだろ」
「自分自身の事だ。聞く権利は誰にでもある」
「コイツはまだガキだ!! その権利の意味も分かってねぇ! ただ無邪気に知りたがってるだけだ!」
「子供も大人も関係ない。外見の年齢など精神の年齢に比べれば大した話じゃない」
「その精神がガキだって言ってるんだ。守るべき子供だ。そうだろ!?」
「それを決めるのはお前じゃない。翼だ。長瀬」
「そういう判断が出来ねぇ子供だから、止めてんだろうが!」
「入れ込み過ぎだ。長瀬。それとも臆したか? 進むべき道は」
「天野ォ!!!」
瞬間、長瀬は拳を握り締めて、天野の頬を殴りつけた。
ボクはその、目の前で行われる本物の暴力に怯え、動くことも出来なくなってしまった。
映画とかドラマとか漫画とかで見るような物とはまるで違う。
長瀬は本気で怒っていた。
本気で天野を傷つけようとしていた。
その怒りに、ボクは動く事が出来ず、ただ見ている事しか出来なかった。
「臆してるだと? この俺が! 誰に言ってんだ天野! 運命を変えられないかもしれないと、俺がビビってるとでも言いてぇのか!」
「あぁ、そう言ってるんだよっ!」
「っ! 確かに、お前からはそう見えるのかもしれねぇな! これは俺の責任だ。俺が責任を取る必要がある。だが、そのために子供を傷つけていい理由にはならねぇんだよ!」
「傷つくか。確かにな。だが、先の見えない道を進むのならば、傷つく事もあるだろう」
「子供が、そういう道を進むのならば、道を照らしてやるのが大人の役割だ」
「確かにな。だが、子供だって自分の道を進みたい事もある」
「なぁ、天野。テメェはカスだが、クズじゃねぇ。だから俺たちはずっとダチをやってきた。だがな。テメェが子供を意味も無く傷つけてまで進もうってんなら、話は別だぞ!」
「なら、どうするって言うんだ。長瀬」
天野が口元から流れる血を指で拭って、立ち上がり、長瀬を睨みつける。
しかし、手は出さない様だった。
止めるべきだろう。止めなくてはいけない。
でも、ボクは睨み合う二人に圧倒され、動く事すら出来なかった。
「なら、俺は。俺は!」
「……長瀬」
「……なんだ」
「運命は、走り出してしまった」
「……っ」
「もはや止まらない。翼の運命は定められた。俺では変えられなかった」
「いつだ」
「来月の九日だ」
「あぁ、そうかい。クソっ!」
ボクは、自分の運命と聞き、ドクンと心臓が鳴るのを感じた。
それは、おそらく恐怖という感情だ。
聞く事が怖い。でも、聞かない事も怖い。
進んでも、立ち止まってもボクに纏わりつく様な恐怖は消えなかった。
おそらくは、あの頃。
ボクがベッドから起き上がる事の出来なかったあの頃に、ずっと感じていた想いだ。
でも、それならば。
「ねぇ。聞かせて。ボクの運命を」
「それは」
「長瀬がボクの為に言ってくれてるのは分かるけど、何も知らないで一歩を踏み出すよりは、先に何があるか分かってから踏み出したいよ」
「翼……例えばだ。これから先何が起きるとしても、俺が助けてやる。そう言ったとしても、知りたいか?」
「うん。それでも。ボクは、知りたいよ。ボクの運命を」
長瀬は迷っている様だった。
だから、ボクは傷ついてもなお、ボクに真実を教えようとしてくれている天野を見た。
天野は目を細めてボクを見る。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「東雲翼。お前は、来月八月九日に死ぬ。これは避けられない運命だ」
「……っ」
何となく予想はしていた。
しかし実際に言葉にされてしまえば、その衝撃は強く、ボクの中に広がってゆく。
思わずふら付いて倒れてしまいそうだった。
でも、そんな体を天野が支えてくれた。
「ねぇ、なんで、ボクは死んじゃうの? 病気?」
「いや、原因はその時まで分からない。ただ、運命がそう決まっているんだ」
「運命、か。誰が決めたの?」
「……神様だよ」
「神様が、決めた運命か……そっか」
口に出しても意味が分からない言葉だ。
ただ分かったのは神様がボクの死を勝手に決めて、そのせいでボクは死ぬという事だけ。
理不尽だ。
神様だというのなら、人の生き死にを勝手に決めても良いのだろうか。
まぁ良いんだろうな。
でも、それはきっと天野や長瀬でも、どうしようもない事なんだろうな。
だって、ボクの病気を簡単に治してしまった天野が眉間に深く皺を寄せながら怒りを堪える様な表情でいるんだから。
他人事なのに、長瀬も苦しそうにしながら手を強く握りしめている。
「死にたくないなぁ」
ボクの事を大切に想ってくれている人がいる。
天野や長瀬だけじゃない。
家族だってボクはようやく大切だって思えたんだ。
友達だって出来た。
でも、そんな大切なものも、神様の都合で消えてしまう。消されてしまうのだろう。
この手の中から消えてしまう。
そんなどうしようもない現実に、バラバラになってしまいそうな悲しみに、ボクはただ静かに涙を流した。
悲しいとか悔しいとかどうしてとか、気持ちが沢山溢れてはそれが涙となって流れてゆく。
でも、どれだけ流しても、溢れる気持ちは消える事が無かった。
「翼」
天野はボクの前で膝を付くと、ボクを強く抱きしめた。
でも不思議と苦しさは無くて、その絶妙な力加減に、よく泣いている子供を抱きしめてるのかな。なんて見当違いな事も考える。
「ねぇ、天野。ボク、何か悪い事したのかな」
「そんな訳がない」
「なら、神様は、ボクの事が嫌いなのかな」
「違う! そうじゃない。そうじゃないんだ」
「なら、どうしてボクは死ななきゃいけないの? 教えてよ。天野……ねぇ、教えてよ」
天野はもはや何も言わず、ただボクを抱きしめるばかりだった。
それだけで、何となく察してしまう。
ボクは本当に神様の都合だけで命を奪われるのだろうと。
ボクを助ける為とか、家族の為とかでもなくて、もっとボクに関係のない事情で、こうなっているのだろうと。
震える天野の体から、ボクはそう理解した。
「ごめんね。天野。意地悪な事言っちゃった。天野は悪くないのにね」
「違う! 俺は、俺は、ただ弱いだけだ」
天野も泣いているのだろうか。
長瀬も空を見上げている。
ボクも涙は止まらなかった。
どうして神様はこんな悲しみしかない様な事をしようと思ったのだろうか。
理不尽に命を奪われる事はよしとしなくても、ボクは何となくそれを知りたいと思った。
「ねぇ、天野。聞かせて。ボクが死ぬと何か神様にとっていい事が起きるの?」
「……っ」
「大丈夫。何を聞いても、天野に怒ったりしないよ」
きっとそんな事を天野は恐れてなんて居ないだろうけど、ボクはそう天野に告げた。
そして天野はボクを抱きしめるのを止めて、弱弱しく笑う。
「世界がな。平和になるんだよ」
「ボクが死んだら、世界が平和? もしかして、ボクは将来とんでもない悪党になるのかな」
「そんな訳ないさ。翼は多くの人を幸せにする事が出来る。そういう星の下に生まれている」
「なら、どうして……?」
「多くの人を幸せに出来る人を悲劇によって失う事で、世界中の人たちの願いを平和に向けるんだ。こんな争いや悲しみが広がる世界は嫌だと、平和になって欲しいと。そういう願いを集めて、願いの力で世界を平和にするんだよ」
「うーん。なんだかよく分からないや。分からないけどさ。でも良いよ。ボクは、それなら良い。ボクが死ぬ事で世界が平和になるのなら、良いよ。だって、ボクは天野に会えなかったら、きっとずっとあのベッドの上で世界を呪いながら死んでいったと思うから、今なら別に良いやって思えるよ」
「翼」
「最近さ。お姉ちゃんともよく話すんだ。なんかボクより年下の光佑君って男の子が好きみたい。光佑君も多分満更じゃ無いんじゃないかなー。だからさ。二人が結ばれて、生きていく未来が幸せなら、ボクはそれが一番嬉しいや。うん!」
ボクは止まらない涙を無視して強がった。
だって、どうしようもない運命なら、ボクの為に戦ってくれた人たちの前で格好悪い所は見せたくないんだ。
「……なぁ、翼。何か願いは無いか?」
「願い?」
「あぁ。これでも俺は天の使いって奴でな。どんな願いでも叶えられるんだ」
天野の優しい言葉に、ボクは少し考える。
どんな願いと言っても、多分来月以降も生きていたいという願いは叶わないだろう。
いや、もしかしたら叶えてくれるのかもしれない。
天野なら、きっと叶えてくれる。
でも、その代償はきっと、天野自身になるかもしれない。
そういう予感があった。
だから、ボクは本心を握りつぶして、笑う。
「なら、最後に思い出作りがしたいな」
「分かった。最後の瞬間まで、付き合うよ」
そして、ボクにとって忘れられない最後の夏が始まった。




