あの日のお約束をきっと果たします
――セレスティア、私はこの国を良い国にしたい。
――手伝ってくれますか。
――はい、殿下。
幼い日。
セレスティアは、エリアス王子にそう約束した。
そのころのセレスティアとエリアス王子の間には信頼の絆があり、お互いに愛しみ合っていた。
それが、どうしてこうなってしまったのか。
「セレスティア、そなたとの婚約を破棄する」
◆
「そなたは未来の王妃にふさわしくない。よって公爵令嬢セレスティア・オルストン、私はそなたとの婚約を破棄する!」
王立学院の卒業祝賀会。
華やかなパーティー会場で、エリアス王子は居丈高にそう言った。
エリアス王子のその声に、周囲の雑談の波はピタリと止んだ。
人々の視線は金髪碧眼の美貌のエリアス王子に集まった。
エリアス王子の後ろには側近の二人、宰相の息子ウォレスと騎士団長の息子ラッセルが控えている。
そして、エリアス王子のお気に入りのストロベリーブロンドの男爵令嬢メルベルも。
側近の二人も男爵令嬢メルベルも、エリアス王子の後ろで、どこか勝ち誇るような得意気な表情を浮かべてセレスティアを見下していた。
相対するセレスティアは一人。
多勢に無勢だ。
「私は、ここにいるメルベル・ボナーと結婚する」
エリアス王子はそう言うと、後ろに控えていた男爵令嬢メルベルをエスコートするようにして、自分の隣に並ばせた。
ボナー男爵令嬢メルベル・ボナーは、ふわふわのストロベリー・ブロンドの愛らしい少女だ。
女性の目から見れば異性に馴れ馴れしく接する無作法ではしたない少女だったが、男性にはそれが天真爛漫で可愛らしく見えるらしい。
学院でメルベルに出会って以来、エリアス王子はメルベルを可愛がり、学院内で人目もはばからず側に置いていた。
庇護欲をそそる小動物のような可愛らしいメルベルは、冷たい印象の銀髪碧眼で常に毅然としているセレスティアとは正反対のタイプだ。
「心優しいメルベルこそ未来の王妃にふさわしい」
エリアス王子はそう言い、メルベルを愛しむように見つめた。
「エリアス様……」
エリアス王子とメルベルは想い合う恋人同士のように見つめ合った。
(今日が終わりの日かしら……)
セレスティアはそんなことを思いながらも、エリアス王子に質問をした。
「恐れながら、エリアス殿下、質問をお許しください」
「ふん。まあ、これが最後だ。許そう。言ってみろ」
「殿下の婚約者として、私に至らぬ点がございましたことは謝罪いたします。ですが、私のどこが至りませんでしたか。ぜひ理由をお聞かせください」
「そなたの、そういうところだ」
エリアス王子は不愉快そうに答えた。
「メルベルを無視して、いないかのように扱う。そういう嫌味で冷たい振舞いが未来の王妃としてふさわしくないのだ。それにそなたは、ずっとメルベルを虐めていた!」
エリアス王子はメルベルを庇うかのようにその腰を抱き寄せた。
「エリアス様ぁ……」
メルベルは瞳をうるうる潤ませて、まるで止めようとしているかのように、エリアス王子の腕を軽く引っ張った。
「メルベル、セレスティアを恐れる必要はない。私がついている」
エリアス王子は傍らのメルベルに優しい眼差しを向けてそう言うと、正面のセレスティアをキッと睨んだ。
「そなたは醜い嫉妬からメルベルを私から遠ざけようとした。私がそなたの言うことを聞かぬとみて、そなたはメルベルを脅した!」
「身に覚えのないことにございます」
「私に近付くなと、メルベルを脅しただろう」
「近付かないようにと忠告はいたしました。婚約者ではない未婚の令嬢が、殿下と親密にしていては風聞に差し障りがあります。メルベル嬢の将来に良くない影響があると忠告をしたのです」
「将来に良くないなどと、従わねば何かするという脅しではないか」
「誤解です。未婚の令嬢が婚約者ではない異性と親しくしていては、今後の縁談に支障があることは明白でございます。私はそれを申し上げたのです」
セレスティアは弁明したが、エリアス王子は美貌を険しくして再度宣言した。
「権力を振りかざし、か弱き者を脅すような冷酷な女は未来の王妃にふさわしくない。セレスティア・オルストン、私はそなたとの婚約を破棄する!」
エリアス王子はまるで罪人を裁くかのように言った。
「しかし、そなたが私の妃となるために、長年、研鑽を積んできたことは事実。そなたの今までの努力に免じて、挽回の機会を与えよう」
エリアス王子は悪びれずに言った。
「そなたは私の愛妾として召し上げてやる。今後は私の愛妾として、私とメルベルを支えよ」
「……は?」
あまりにも斜め下の、遥か予想外の、あまりにも無礼なことを言われ、セレスティアは思わず変な声を出して固まってしまった。
「……」
(ああ、もう、これは駄目ね……)
驚きに静止しながらも、セレスティアの頭は淡々と思考を続けていた。
セレスティアとエリアス王子との結婚は、王家とオルストン公爵家の双方の利益を見込んだ政略結婚だ。
しかしセレスティアをないがしろにするエリアス王子は、結婚したとしても、セレスティアの実家オルストン公爵家を優遇することはないだろう。
セレスティア・オルストンを妃の座から愛妾に落とし、メルベル・ボナーを妃として召し上げるということは、オルストン公爵家をないがしろにしてボナー男爵家を優遇するという意味だ。
そして愛妾の子には王位継承権がない。
ボナー男爵家の血筋が王位に即くことになる。
さらにそれを、今、エリアス王子の後ろでニヤついてセレスティアを見下している側近の二人、宰相子息ウォレスと騎士団長子息ラッセルは望んでいる。
(もう最後ならば、少しくらい言い返しても良いわよね?)
「ご冗談を」
セレスティアは優雅に微笑んだ。
「殿下の愛妾になるくらいなら、私は修道院へまいります」
「なんだと?!」
セレスティアの反論に、エリアス王子は驚きに目を見張った。
その様子にセレスティアは内心で苦笑した。
(今までこんなふうに、殿下に口答えしたことなど無かったものね)
「殿下は、愛妾に召し上げる理由を、挽回の機会を与えるためとおっしゃいましたが、愛妾が一体何を挽回するのでございましょう。愛妾となってはますますの不名誉ですのに」
「そなたが、私とメルベルに償いをする機会を与えてやると言っているのだ」
「私に非はございませんので、償いの機会は不要です」
セレスティアが反論している間エリアス王子は意外そうな顔をしていたが、やがて、何かが腑に落ちたかのようにニヤリと笑った。
「解ったぞ。セレスティア、私の気を引こうとしているのだな?」
「滅相もございません」
「ああ、解っている、解っている。そなたが私を好いていることは知っている。そなたは昔から私を愛していた」
「はい。幼い日々の私は殿下をお慕い申し上げておりました。ですが人の心は変わるものです」
セレスティアは淡々と語った。
「殿下とて、昔は私を好いてくださっていたのに、今では私を邪魔に思っていらっしゃる。すっかり心変わりなされておられます。同じことです。人の心は変わるのです」
「ふん、当てつけのつもりか?」
「本心でございます」
「強がりを申すな。そういうところが可愛げがないのだ」
エリアス王子はセレスティアに愛されている自信があるのか、余裕の笑みを浮かべた。
「もっと素直になれば良いものを」
(はあ……)
内心で脱力しながらも、セレスティアは毅然とした態度を崩さずに続けた。
「ところで、僭越ながら、殿下、メルベル嬢は殿下との結婚を望んでおられるのでしょうか」
「当たり前だ」
エリアス王子が答えたが、セレスティアはメルベルに向けて問いかけた。
「メルベル嬢、殿下はこうおっしゃっておられますが、貴女はどうですか?」
「私はエリアス様を愛しています!」
堂々と愛を告白したメルベルに、エリアス王子は蕩けた眼差しを向けた。
エリアス王子の後ろにいる二人の側近も、メルベルの答えに満足そうに微笑を浮かべている。
セレスティアはさらにメルベルに問いかけた。
「メルベル嬢はエリアス王子殿下との結婚を望んでいるのですか?」
「はい!」
「では私と殿下との婚約解消を望んでいるのですか?」
「ご、ごめんなさい。セレスティアさんには悪いと思っています。でも愛しているの!」
自分の言葉に陶酔するかのようにメルベルは言った。
「この気持ちは止められない!」
「男爵家の娘が王太子妃になるには非常に困難がありますが、それでも?」
「どんなに大変でも、私、頑張ります!」
メルベルはきっぱりと言った。
「だって愛しているんですもの!」
「メルベル!」
エリアス王子は感動したようにメルベルを抱き寄せ、メルベルも熱を帯びた視線でエリアス王子を見つめた。
後ろの側近たちは勝者の笑みを浮かべてセレスティアを見下している。
セレスティアはエリアス王子の後ろにいる二人、宰相子息ウォレスと騎士団長子息ラッセルに視線を向けて問いかけた。
「ウォレス様とラッセル様も、私とエリアス王子殿下の婚約解消を望んでおられるのですか?」
「意地の悪い言い方ですね。別に貴女を貶めたいわけではありません。愛し合う者同士が結ばれるべきと思っているだけです」
「愛し合う者同士が結婚すべきだ」
ウォレスとラッセルの答えに、セレスティアは念を押した。
「つまりエリアス王子殿下はメルベル嬢と結婚すべきであるということですか?」
「無論」
「そうだ」
(私が消えたらどうなるかも知らずに。目先しか見えないお馬鹿さん)
側近二人の答えを確認すると、セレスティアは内心で嘲笑いながらも、殊勝そうな表情を作った。
「困難を厭わず愛をつらこうとするエリアス王子殿下とメルベル嬢のご決意、素晴らしいです。ウォレス様とラッセル様が応援なさるのも当然のこと。私、感動いたしました。愛し合うお二人のため、私は身を引きます」
「最初からそういうふうに素直になっていれば良いのだ」
エリアス王子は尊大な態度で言った。
「素直にしていれば愛妾として私の側においてやる」
「それは遠慮申し上げます。だって……」
セレスティアはコテンと首を傾げてみせた。
「お二人の愛を邪魔してはなりませんもの。お邪魔にならぬよう私は去ります」
「い、いや、別に邪魔ではない」
「愛し合うお二人の間に割って入ることなどできません。邪魔者は潔く去ります」
「セ、セレスティアはそれで良いのか?!」
エリアス王子は戸惑いを浮かべた。
「私はお二人のお邪魔にならぬよう、遠くからお二人を応援いたします」
(私を愛妾にして道具として良いように使うつもりなのですよね? オルストン公爵家の援助も手放したくないのですよね?)
セレスティアは内心では侮蔑しながらも、表向きはしおらしい態度を装った。
「殿下が私との婚約を破棄なさりたいというご要望、しかと承りました。殿下とメルベル嬢が少しでも早くご結婚できるように、早急に婚約解消に向けて動きたく存じます。ゆえに、私はこれにて御前を失礼させていただきます」
セレスティアは冷たい美貌に艶やかな微笑みをにじませた。
「では、ごきげんよう」
◆
「……と、言うわけですの」
王立学院の卒業祝賀会を途中で抜けたセレスティアは、早急に帰宅し、父であるオルストン公爵に事の顛末を語った。
「あの恩知らずの小僧めが、調子に乗りおって……」
オルストン公爵は憎々し気にそう呟くと、セレスティアに向き直って言った。
「解った。セレスティア、お前とエリアス王子殿下の婚約は解消する方向で進める。それで良いか?」
「はい」
「宰相と騎士団長が一枚噛んでいるなら、婚約解消はすんなり進むだろう」
エリアス王子の側近の二人、宰相子息ウォレスと騎士団長子息ラッセルが、ボナー男爵令嬢メルベルに組していた点を、オルストン公爵は政治的な視点で見て言った。
「セレスティアを追い落として、モルド宰相はエリアス王子殿下の妃に自分の娘をねじ込むつもりだろう」
「そうでしょうね。ウォレス様はそこまでは考えていないでしょうが……」
◆
「セレスティア、お前とエリアス王子との婚約は解消された」
数日後、オルストン公爵はセレスティアに告げた。
「殿下が私を愛妾にすると言っていた件はどうなりましたか?」
「当然却下だ。だがお前はしばらく修道院に行っておれ」
未婚の女性が修道院に行くことは珍しいことではない。
身綺麗であることの証明や、箔をつけるために、結婚前に一時的に修道院へ行く令嬢は少なからず居る。
「はい。父上、承りました」
◆
(終わったんだわ……)
修道院に向かう馬車の窓から、セレスティアはぼんやりと王都の風景を眺めていた。
どんどん王都から離れて行くにつれて、エリアス王子と過ごした日々がどんどん遠くなって行く気がした。
――セレスティア、私はこの国を良い国にしたい。
――手伝ってくれますか。
婚約が決まり、初めて顔を合わせたとき、エリアス王子ははにかむようにしてそう言った。
ふわふわの金髪に青空のような碧眼の、美しい少年だった。
お互いにまだ十歳だった。
――はい、殿下。
セレスティアは素直に心からの気持ちで返事をした。
それはセレスティアの初恋だった。
それからのセレスティアは猛勉強の日々。
いずれ国王となるエリアス王子を、王妃として支えたいと思っていたセレスティアは、語学も歴史も地理も作法も必死に学んだ。
エリアス王子も王太子として勉学に励んでいたので、手紙のやりとりをしてお互いに励まし合った。
それが、いつからすれ違うようになったのか。
王立学院に入学してボナー男爵令嬢メルベルに出会い、彼女と親密になるにつれて、エリアス王子はセレスティアを邪険に扱うようになっていた。
もちろん政略結婚なのだから、お互いの気持ちなど関係ない。
気持ちが離れていようがいまいが、結婚するだけだ。
オルストン公爵家が後ろ盾となることは、エリアス王子にとって利益だった。
だがエリアス王子は感情を優先した。
(なんて愚かで、可哀想な人)
◆
――セレスティア、私はこの国を良い国にしたい。
――手伝ってくれますか。
思い出の中の少年は、ふわふわの金髪で、碧い瞳にキラキラとした希望を宿していた。
そしてセレスティアに優しく微笑んでいた。
セレスティアは幼い日々の美しい思い出を、一つ一つ眺めた。
そして慎重に、大切に、一つ一つを丁寧に心の中の箱に収めていった。
そしてその箱に、鍵を掛けた。
――カチリ。
◆
修道院で、セレスティアは風の噂を聞いた。
セレスティアと婚約解消をした後、エリアス王子はモルド宰相の娘レリアーナ、つまり側近ウォレスの妹レリアーナと婚約した。
セレスティアがいなくなったところで、メルベルはエリアス王子の妃にはなれなかったのだ。
それはそうだろう。
身分の低い男爵家の娘では、伯爵以上の家の養女にでもならない限り王子の妃にはなれない。
そしてエリアス王子が妃にと望むメルベルを養女にするということは、娘レリアーナをエリアス王子の妃にねじこみたいモルド宰相と張り合うことになる。
宰相と政争ができる勇者はそうそう居ない。
エリアス王子はメルベルとの結婚を諦め、愛妾にした。
だが愛妾メルベルのことをエリアス王子の新しい婚約者、モルド宰相の娘レリアーナは快く思っていないらしい。
それはそうだろう。
宰相子息ウォレスは妹レリアーナをないがしろにされ、エリアス王子との関係は悪化しているという。
騎士団長子息ラッセルは、宰相の娘でありウォレスの妹であるレリアーナに想いを寄せていたが、エリアス王子がメルベルを愛妾にしてレリアーナと婚約したことで失恋。
エリアス王子と仲違いして側近を辞した。
(あの人たちが夢物語で盛り上がっていられたのは、私が防波堤になっていたからなのよね。私というピースが欠けたら、そりゃあそうなるわよ)
セレスティアは修道院の窓から、空を見上げた。
(我がオルストン公爵家は、エリアス王子との婚約解消を視野に入れていたから、メルベル嬢をどうこうすることはなかったけれど。モルド宰相はどうかしら?)
◆
「セレスティア、お前に縁談がある」
一年後、セレスティアは修道院から呼び戻された。
オルストン公爵家の政治の駒として、婚姻を結ぶためだ。
「相手は王弟殿下だ」
「王弟殿下の派閥に入るのですか」
「そうだ。不服か?」
現在の王太子はエリアス王子だが、その地位を脅かすことができるのは王弟だ。
そして王弟は、国王にもエリアス王子にも反感を持っている。
王弟の派閥に入るということは、エリアス王子と敵対することだった。
エリアス王子は宰相の後ろ盾を得て、かろうじてまだ王太子として立っている。
「いいえ、望むところです。父上……」
セレスティアは冷たく微笑んだ。
「きっとお役に立ってみせますわ」
――セレスティア、私はこの国を良い国にしたい。
――手伝ってくれますか。
――はい、殿下。
セレスティアは十歳のエリアス王子に、国を良くする手伝いをすると約束した。
だから現在のエリアス王子の敵対派閥に入れることに、心からの喜びを感じた。
だって国を良くするためには、国を腐らせる膿を排除しなければならない。
公爵家の娘であるセレスティアは政治の駒として、国を良くする仕事に携われる機会を得られた。
これは僥倖だ。
(殿下、あの日のお約束をきっと果たします)
お読みいただきありがとうございました。
【追記】
2000字ほど加筆しました。
恋愛主眼で書いたのですが。
読み返してみたら、ヘイト役が落ちぶれる様が全く書かれていないと「俺たちの戦いはこれからだ」みたいな印象になっていることに気付きました。
それで付け足しました。
ヘイト役たちのざまあ展開は元々あって、無駄をそぎ落として5000字以内に収めたものでした。
やっぱりあったほうが良いですね。