噂学入門 -僕の大学で起きた不思議事件-
夜に、一人で読むのはやめたほうが…………
人が最も不安を感じ、恐怖するのは、「知らない・わからない」ことがあるときだ。
人が死んだらどうなるのか?それがわからないから死が怖い。
『チベット死者の書』も、死んだらどうなるか、そして死後にはどうふるまえばよいのかが書かれた、いわゆる死後のマニュアルなのだ。それで死の不安が軽減される。
幽霊とライオン、どちらが怖いかと聞かれると、やはり幽霊だろう。もちろんライオンも怖いけど、食べるために襲ってくるということはわかる。逃げると追いかけてくる。それもわかる。でも幽霊は、何をするのかわからない。逃げるとどうなるかもわからない。それが怖さを増幅させる。
「知らない・わからない」ことが不安で怖いから、僕たちは無理にでも知ろうとして、わかろうとする。そこに誤った解釈が生まれる。
それが「うわさ」の種になる。
有名な「口裂け女」は、1979年ころに全国に広まった。
これも広まる過程で「知らない・わからない」を解決しようと、無理な解釈が織り込まれていく。
「なぜ口裂け女は普段は見つからない?」→「いつもマスクをしているから」
「なぜ、私ってきれい、と聞くの?」→「女優に似た美人だから」
こんなふうに、実際に誰もみていないのに、伝播の過程で「わからない」を解消するために、解釈をつくられてしまって具体的な姿で伝えられるのだ。
「うわさ」の研究では、エドガール・モランによる「オルレアンのうわさ」が、世界的にも有名である(『オルレアンのうわさ―女性誘拐のうわさとその神話作用』)。
フランスのオルレアンで、洋服店の試着室に入った若い女性が次々と行方不明という「うわさ」が流れた。実際には、そんな事件は起きていない。それにもかかわらず、中近東や南米へ売春婦として売られたなどと具体的に語られ、暴動寸前にまでもなった。
「うわさ」が、大きな事件の引き金となった事例だ。
日本では、「豊川信用金庫事件」という事例がある。「口裂け女」も有名な「うわさ」事件だが、誰が言い始めたか、どう伝わったかはわかっていない。「豊川信用金庫事件」は、唯一、発生から「うわさ」の伝播が克明に明らかにされた事例である。
元々は、電車の中で豊川信用金庫に就職が内定した女子高生の会話からであった。「信用金庫は危ないよ」と友達から言われた女子高生が、「わからない」から家族に相談したのだった。「危ない」は「強盗に遭う」という意味で、冗談だったのだが、経営の問題だと思い、親戚に相談する。それから数日で、豊川信用金庫に預金していた客が殺到して倒産の危機にまで陥った。
「うわさ」は、時として大事件を引き起こす。暴動の引き金となり、会社を倒産の危機に陥れる。
個人の行動を変え、個人の人生を変えてしまうことさえもある。
そして、理由のわからない、何かを生み出すことも……。
そうしたことを、十分に理解した上で、以下の文を読んでいただきたい。これは、僕の大学で起きたことである。
* * * * *
僕は、某私立大学で社会学を専攻している。ゼミの教授は社会心理学が専門で、コミュニケーション論、特にデマや噂を研究している。
卒論のテーマには、「うわさは楽しい」を考えている。
その昔、某猫型ロボットのアニメが「植物人間だった主人公の夢だった」という最終回の「うわさ」や、家族を舞台とした某アニメの最終回が、「家族で旅行に行ったときに、飛行機が海に墜落して海に帰っていった」という「うわさ」が流れたという。
主に小学生が、塾で広めたようだが、僕は、これは「楽しい」から広まったと解釈した。
教授の考えとは、完全に一致はしないが、同じ考えをまとめても評価されない。ここで一発教授を驚かせたい、そう考えたのだ。
そして、今日も大学内で、「うわさ」を収集していた。
「そうだなあ、昔に叔父さんから聞いた話だけど」
そう話してくれたのは、岡野富之。サークルの友人だ。一番の親友といってもいい。
「昔、今のようにCDじゃなくてレコードだったよな。そのアイドルのレコードの歌の中に、関係ない人の声が入っていたっていう話だ。それが霊のしわざという『うわさ』だ」
「人の声?コーラスじゃなくて?」
「ああ、一番盛り上がるサビで、『君が好きだ』と歌った直後に、若い女の声で『それって私?』と入っていたんだって。いろいろな説があるけど、そのアイドルが好きだった亡くなった女の子の声とも言われているって」
それを聞いたとき、ゾクッと鳥肌が立ってしまった。
「俺、苦手なんだよ。そういう話……」
横で聞いていた松山進はガチガチと震えながら、そう言う。
「じゃあ、聞くなよ」
「だって、おもしろいじゃない。こういう話」
おお、僕の説にピッタリのリアクションだ。
「なるほど、おもしろいな。きっと違うパターンもあるかもしれない。また叔父さんに聞いといて」
* * * * *
それからも、友人たちやその後輩に声をかけて「うわさ」を集めたが、どれもパッとしない。「法学の教授はカツラ」だとか、「○○ちゃんはデリヘルで働いている」とか、ほとんど悪口だ。まあ、「楽しんでる」という僕の説に近いものではあるが……。
「おお、いたいた」
岡野が、僕を見つけて声をかけてきた。横には松山もいる。
「例のレコードの音源を手に入れたよ」
「えっ、マジ?」
「ああ、これだ」
そう言ってUSBメモリを僕に見せた。
「夜に聞いてみないか?酒でも飲みながら」
「夜に?今じゃダメ?」
「こういうのは夜だろう」
それもそうかと思って、夜に松山のアパートに集まることにした。
松山は、音楽サークルに所属して音楽用のパソコンとか機材もそろっている。
素面では、ちょっと怖い気もしたので、できるだけ酔おうと酒をあおった。
頃合いがよくなってきたとき、
「そろそろ聞こうか」
松山がUSBをパソコンに刺した。アプリが立ち上がり、音楽が流れる。
「お前は、もう聞いたのか?」
「いや、まだだ。さすがに俺でも一人で聞くのはちょっと……」
「サビだったよな」
「ああ、そろそろかも」
3人は、黙って耳を澄ました。ハイテンポな、いかにも昭和な歌謡曲だ。
歌がサビにかかる。
「君が!君が!君が!君が好きだ!…………『それって私?』…… 」
!!! 確かに聞こえた! 歌っているアイドルとは全く違う女の子の声。僕は、背中に冷たいものが走り、腰が抜けて後ろに転がってしまった。
でも、2人は僕を見て笑っている。ハメられた! そう気づいたときは遅かった。
「ヒッ……、まさか……、こんなに驚くとは。ヒッ」
岡野は、笑いが止まらない。
「この間の話を聞いて、僕が合成したんだ」
松山が得意そうに言った。
「どうせ、元のも合成だよ。誰かがつくった……」
「でも、レコードだぞ。今みたいにパソコンがない時代だし」
「そうか……。じゃあ、本当にあったのかな」
「こういうイタズラをすると、本当の声の主に祟られるぞ」
僕は、仕返しがてらにそう言ってやった。
「それじゃあ、すぐに消すよ」
こういうのが苦手な松山がすぐに反応する。消しながらお経を唱えている。松山らしいリアクションだ。
それから、3人で、いつものように酒盛りを続けた。「うわさ」のことはすっかり忘れて……。
* * * * *
そんなことがあってから数週間が経ったころ、大学で事件が起こった。原因はあのUSBだった。
岡野が説明してくれた。
「俺と同じゼミの4年生だが、3人で酒を飲んでいておかしくなったんだ」
「おかしくなった?」
「一人が、外に飛び出そうとしてドアに頭をぶつけて意識不明。もう一人がアパートの3階の窓から飛び出し、彼も意識不明。そしてもう一人は、部屋に座ったまま精神が錯乱していて話もできない」
「どうして?」
「どうやら原因は俺らしい」
「どういうこと?」
「前に松山に合成してもらった音楽あったよな。女の子の声が入っているというやつ。あれが、俺のパソコンに残っていたんだ。彼等に、お前にドッキリを仕掛けた話をしたら、やりたいと言うから、USBに入れて渡したんだ」
「それで?」
「警察の見解では、それがよほど怖かったから逃げだそうとしたからじゃないかと……。だから俺も責任を感じちゃって……、どうすればいいんだろう」
「でも、一人は、それが合成だと知っていたんだよね」
「ああ、そうだけど、そいつが精神錯乱なんで、何もわからないんだ」
「あれじゃない。聞いてたのとは違う声が入っていてビックリしたとか……」
「いや、無理に理由を見つけるのはダメだ。そうした誤った解釈が『うわさ』として流れていくんだ」
僕は、そう言って松山をたしなめた。一応は「うわさ」の専門家だ。
そういえば、近い事例があったな。
僕の大学にはいくつも山荘がある。その一つで起きた事件だ。附属女子校の生徒が宿泊学習でそこに泊まったときに起きた。
夜に、怪談話で盛り上がった。よくあることだ。
その中に、トイレに閉じ込められるという話があったそうだ。その後、トイレに行った女子生徒が帰ってこない。心配になった他の生徒がそろって見に行ったら、トイレで女子生徒が倒れていた。両手の指から血を流して。
トイレのドアも血だらけだ。
この事件は、トイレの内開き、外開きを間違えて、ドアが開かなくなったと思い込んだ女子生徒が、ドアを爪で掻きむしって、そのまま力尽きた。そう警察が発表して事件は決着した。
しかし、女子生徒は何も覚えてはいない。
警察の言ったとおりなのか、それともトイレの中で何かが起きたのか……、何かに出会ったのか……。
真相は「わからない」のだ。
今回のこともそれに近いようだが、実際はどうだろうか。
* * * * *
それからしばらく岡野は落ち込んで、塞ぎ込んでいた。
大学にも出てこない。内定した会社の説明会にも来なかったと、一緒に内定をもらった友人が心配して言ってきた。
さすがに心配になって岡野のアパートへ松山と行ってみた。
呼び鈴を押し、ドアを叩くが、反応は無い。電気のメーターはゆっくりと動いている。
騒いでいる僕らを気にして、隣人の主婦が声をかけてきた。事情を説明すると、すぐに大家さんに連絡をとってくれた。
大家さんは、鍵をジャラジャラさせながらやってきて、ドアの鍵を開けてくれた。
「岡野!大丈夫か!」
僕と松山は叫んで中に入った。大家さん、心配した隣の主婦も。
そこには、開いたノートパソコンの画面を、座ってボーッと見ている岡野がいた。目はうつろで、口からはよだれを流している。
「救急車を!」
僕が言うと、松山はすぐにスマホを出して連絡した。
僕は、岡野が見ていたパソコンの画面を見た。そこには、こう書いてあった。
ਕਿਰਪਾ ਕਰਕੇ ਸਾਡੇ ਨਾਲ ਖੇਡਣਾ ਜਾਰੀ ਰੱਖੋ। ਅਵਾਜ਼ ਦੇ ਮਾਲਕ ਤੋਂ
最後の言葉は、ブラウザで翻訳してみてください。
ご紹介した「うわさ」は、一部を変えているものもありますが、実際に流れた「うわさ」を元にしています。
「口裂け女」
「豊川信用金庫事件」
「オルレアンのうわさ」
「某猫型ロボットのアニメの最終回」
「某家族アニメの最終回」
「レコードに声が」※いくつものバージョンあり
「山荘での女子高生」※僕の大学で、うわさとしてありましたが、実際にその事件があったかは不明です。