6.計画の終焉
その目の下にできたクマから察するに、デイヴィッド局長がかなりの疲労を感じていることを想像するのは難くなかった。
「長官、報告書の概要をお持ちしました」
「そうか」
局長の目には、マービン長官はいつものように、泰然としているようにもみえた。局長は、自分よりも忙しいであろう長官が、いったい何時に休息をとっているのか不思議でならなかった。長官はこの後にも、作戦参謀の臨時報告会に参加することになっていた。
「正式な報告書はいつになりそうだね?」
「はい。あとは、分析データのチェックと映像、写真の添付……まあ、さほど時間はかからないと思います」
「まあ、仕上げには時間をかけるといいさ。それより、少し休息をとった方がよさそうだぞ、デイヴ」
長官は概要を受け取ると、ざっと目を通した。
「ウイルス、バクテリアの痕跡なし。惑星の地表サンプルは、ごく単純な有機物は含まれているものの、生物や生命活動の兆候なし……つまりは害のある微生物や物質は無かったとうことか?」
「そのように推測されます」
「それで、二人の死因は?」
「心不全でした」
「なるほど、」長官は眉をひそめた。「若く、はつらつとした宇宙飛行士が二人、まるで人生の終盤を迎えた老人のような姿になって戻ってきた。しかも、その遺体は半ばミイラ化していた。そして、二人の死因が、ただの心不全?」
「医療スタッフと研究員を総動員して、何時間もかけて検視、各種検査と分析をおこないましたが、死因に関しては異常な点を発見できませんでした。ただ……」
「他になにかあったのか?」
「ええ、その細胞の老化度合いは、表面がもっとも高く、身体の深部にかけて低くなっている傾向が見られました。そして、異常な点が、ミイラ化していたのは表面だけで、二人の内臓の細胞は、まるで新生児のような状態だったと」
「そうか……」
「私にも、いったい、この事態は理解に困ります」
局長はあからさまに困惑の表情を浮かべていたが、いっぽうの長官は対照的だった。淡々と進めた。
「それはともかくとしてだ、探査の前線司令部の防疫についてはどうだ?」
「それはもちろん、徹底した検査が行なわれました。ですが、ウイルスや細菌の類は出されませんでした。除染作業も手順どおりに完了しました。この詳細な資料は、これも公式の報告書へ添付します」
そして束の間、部屋に沈黙が漂った。
先に口を開いたのは、局長のほうだった。
「私も、検視には少しばかり立ち合いましたが、二人の見た目は、まるで、あの惑星にいる間に、人生を早送りでもさせられたのではないか? という印象をうけました。」
「君も、なかなか鋭いことを考える」
「はい?」
「記録映像は見たか? 二人が発見した探査機の残骸。そとから口述記録も。この惑星では、時間粒子の異常運動によって時流場が乱され、まるでもみくちゃにされたみたいじゃないか? そんなふうに思わないか?」
「その、時間粒子は……その理論は近年に否定されたはずではないですか?」
「物理の理論というものには、常に穴があるものだよ、デイヴ。論理物理学の分野は特に」
「はあ」
「二〇世紀の、流体力学での逸話。クマバチがどうして飛べるのか、納得できる説明ができない時期があった。挙句の果てには、ハチ自身が飛べると思い込んでいるから飛べるのだ、と。飛躍にもほどがある話を、大真面目に言う学者まで現れた」
「その逸話でしたら、私も聞き覚えがあります」
「だが、ほんとうに必要だったのは、事実を詳細に確かめることだった。方程式に必要な項が欠けていたわけだ。さらに言えば、相対性理論や量子論でさえ、修正が加えられたわけだ。つい最近の話だ。仮にも明日、時間粒子論が復権したところで、私はなんの不思議も思わないね」
「長官、不本意な質問ですが」
「なんだね?」
「もしかすると、こうした事態が起きることを、分かっていらっしゃったのではないですか?」
その問いに対する答えには、少しばかりの間があった。
「いいや、分からなかったよ。確かに、私は探査隊のトップだが、なにもかもすべてを、完全に把握しているわけではない。いずれにせよ、前途有望な宇宙飛行士二名の命が失われた。これは紛れもない事実だ。とても残念でならない」
局長は、その答えになんとなく納得がいかないようにも感じたが、長官の表情からするに、これ以上の詮索はしないほうがいいかもしれないとも思った。
黙って軽くうなずく局長に、長官はため息をもらした。
「それはそうとして、この私も、今の役職から退かなければならなくなった」
「ほんとうですか? ですが、長官の任期満了は、もう少し先ではありませんか?」
「政府中枢や宇宙軍参謀やらでは、いろいろと意見があるようでね。まあ、私は甘んじて受け入れるほかないだろう。誰かかが責任を取らなければならない、というだけの話だ」
長官の言葉に、局長はかける言葉がすぐに見つからなかった。
「まあデイヴ、君が気にする必要はないさ。引退するには少し早いが、最近は自分の仕事に、少々自信がなくなりかけていたところだ。これが潮時というやつかもしれないな」
その後しばらくして、マービン・ミラー長官はひっそりと職を辞し、宇宙軍の有人探査部門は大規模な人事整理が行われて、その規模を縮小することとなった。