4.困惑
翌日、目を覚ましたアリスとボブは、お互いのことを呆然と見合った。
二人は、なにが起きているのか理解するのに、少しばかり時間がかかった。アリスの目には、目の前のボブは初老の男性のように見えた。いっぽうのボブの目には、目の前のアリスが初老の女性のように見えた。
「どうなってんだ?」「どうなっているの?」
その二人の声も、かすれているように聞こえた。
どうみても異常な事態だった。だが二人は、これまでにも探査において危機的状況に遭遇してきた経験があった。すぐに取り乱すことはしなかった。
アリスはすぐにボイスメモに状況を口述記録し、ボスは周囲の状況を観察した。
だが、基地の中の、色あせてよどんだ空気に、二人の思考はいつものように働いてくれなかった。窓の外の景色は、前日のように青い空と白い大地が広がっていた。
「まるで時間が、一晩でとんでもなく早く過ぎたみたい……」
アリスがつぶやくように言ったその言葉に、ボブはハッとなった。
「そのまさかだ! アリス、もしかすると、そのまさかだ。この惑星はどういう理屈か分からないが、時間が猛烈に早く進んでいるんだ」
「でも、ボブ。わ、分からないわよ。早合点は禁物よ。もしかしたら……未知のウイルスか、細菌がいて、そのせいかもしれないわ」
「だったら、昨日見たボロボロになった探査機はどうなる? それに、ここもだ。よく見るんだ! ほら、これも、これも」ボブは部屋の中に置いてある機器類を指さしてまわった。「この机も椅子も、他の道具も、明らかに経年で劣化しているようにみえるぞ! それとも、有機物も無機物も関係なしに食らいつくバクテリアでもいるってか?」
ボブは少しばかり感情任せに机を叩いた。すると天板が割れて脚は折れ、その場に崩れて荷物が散らかった。
「なんてこった!」
「ボブ! 落ち着きなさいよ。そんなことより、早く、早くこの惑星から撤退しましょう。もし仮に、時間が急速に進むとしたら、このままじゃ私達どんどん老化して、最悪な事態、死んでしまうかもしれないわ」
「ああ、それもそうかもしれん」
二人は急いで帰還用ロケットに向かった。
しかし、操縦席に乗り込んで電源を入れると、アリスが珍しく悪態をついた。
「まったく! なんてこと!」
「どうした?」
「計器をみてちょうだい。エラー表示だらけよ」
ボブはその端末表示を睨んだまま言った。「これは、ロケットの自己チェックシステムはエラーのお祭りだな! ああ、なにもかも劣化してる。センサー類から各所の機構、配線まで。ああ? 固形燃料の状態は大丈夫なのか? なに? 飛ばせないだと?」
ボブは自分を落ち着かせようと、天を仰ぐようにして一度深呼吸をした。
「ああ、勘弁してくれ」
「飛べないって、システムの自己判断?」
「ああ……」
「手動制御で飛ばせないかしら?」
「さあ、いいや、それで飛ばしたところで、異常警報が鳴って緊急着陸の状態になるのがオチだろうさ」
「なんとかならないの?」
「まあ、方法が、あるにはある。エラーの原因となっている部品を、全部交換するとか」
「こんなときに冗談なんてやめてよ! そんなの無理でしょ。そもそも、肝心の部品が無いじゃない」
「分かってるさ。だが、まだ手はある」
「なんなの?」
「数値を変えるんだ。制御プログラムの数字をいじって、誤差許容範囲をできるだけ大きくして、システムをだまして飛ばす」
「それって、大丈夫なの?」
「分からん」ボブは投げやり気味に答えた。「俺はプログラムの変更作業を始める。頭の中までは、まだ老けてないみたいだからな」
「じゃあ、それなら私は、持ち帰るサンプルの積み込み作業を」
「任せるよ」
二人はすぐに作業に取りかかった。
アリスはサンプルと探査の作業記録を専用コンテナに詰めてロケットに載せ、ボブは飛行プログラムコード内の数値を手作業で変更した。
作業にどれだけの時間がかかったかのか、じっさいには分からなかったが、二人にとっては何日もの時間がかかったように思えた。
そして、あとはロケットの始動スイッチを入れるだけだった。
そうすればロケットは自動で飛び立ち、人が操作せずともあらかじめ設定された軌道上の現地指令部のドッキングポートへ向かうだけだった。
「言っとくが、上手くいかなければ、俺たちは死ぬ」
「今さら何言うのよ。仮に救助を待ったとしても、どうせ同じでしょうし」
「じゃあ、覚悟はいいな? 俺は恐怖心にちびりそうだ」
「私は覚悟しているわ。早くしてちょうだい!」
二人は深呼吸して、ロケットモーターの始動スイッチに触れた。