3.出発
二人は軽量タイプの宇宙服を身に着け、探査ロケットの操縦席についていた。
「いよいよ、出発の時間よ」
「アイアイサー、少尉殿」ボブはアリスの言葉に応え、計器の表示を確認する。「システムはオールグリーン。さてと、指揮官? どうぞ」
「指令部、こちらの表示もオールグリーン」
「探査ロケット、出発準備が完了」
「司令部、了解した。それでは、オペレーションの開始を許可する」
五八一号惑星の軌道上に展開する現地指令部から、ロケット三基がゆっくりと発進した。それから惑星に向かって降下を開始した。
一基目は探査用の各種機材、居住用モジュールや生活物資などを搭載した補給用ロケット。二基目はアリスとボブが乗る着陸用ロケット。三基目は探査終了後に帰還するための往復ロケットであった。
三基のロケットは、すべてが自律制御され、基本的に着陸するそのときまで制御に人間が介在する必要はなかった。とはいっても、アリスとボブの二人が気を抜く理由はなかった。操縦席の前面に並ぶモニターに表示されている計器の数値を見つめ、不測の事態に備えていた。
いよいよ惑星の大気圏に突入し、順調に降下を続けているさなか、ボブはふと、小窓へ視線を向けた。その外にみえる空に、奇妙なものを見た。
遠くの空に、小さな黒い点が、一筋の白い線をひきながら上空へ昇っていくようなものだった。ボブは思わずアリスにたいして訊いた。
「おい、アリス。貨物便と帰還用のロケットも、一緒に順調に降下してるよな?」
「当然よ。あなたの目の前のモニターに表示が出ているでしょ。どこ見ているのよ!」
「いやね、小窓からな、ロケットが上昇していくのが見えた」
「冗談もたいがいにしてちょうだい」
そのとき、降下速度の異常を知らせる警報が出た。
「いったい、なにごとだ?」
「チェックリスト!」
「はい、了解」
「降下速度が急減少? ボブ、予備の表示を見てちょうだい」
「こっちは異常なしだ。表示エラーか?」
すると今度は、計器のあちこちで数値の異常を知らせる警報が出た。
「おっと、こりゃ勘弁してくれよ」
「ボブ、地上までの到達予想時間は?」
「七分、いや六分三〇秒だ」
アリスは冷静にひとつずつ、表示を確認していく。どの数値も、異常な乱高下をしていた。
「ボブ、予備計器の表示は?」
「こっちは、予備のほうはどれも異常なし。順調に高度を下げていて、降下速度も許容値内」
「なら主計器の異常? だとしても解せないわね」
「アリス、俺の体感から言わせてもらうだな、機体に異常な振動は感じられないし、順調な降下を続けているように思うが」
「分かったわ」
するとアリスは、主計器表示の再起動手順を始めた。
「おいおい、再起動? 本気か?」
「表示の再起動よ。システムの再起動じゃないから、十五秒で終わるわ」
「やれやれだな。いざとなったら、ためらうことなく緊急着陸用パラシュートを展開させてもらうぜ」
「そうはならないように、お祈りでもしていたら?」
再起動に入ると警報がすべて止まり、真っ暗になった主計器の表示はしばし沈黙した。そのあいだにも予備計器は、問題のない数値を示し続けていた。
主計器の再起動が完了すると、なにごともなかったように現状の数値が表示された。そして、あっけないくらいに問題なく、ロケットは自律飛行で惑星の地表に着陸したのだった。
「まったく」
ボブは着陸完了と同時に大きなため息をついた。「幸先の悪いスタートだ。先が思いやられるぜ」
「もう思いやられているわよ」
「なにがだい?」
「何度やってもダメ、指令部との通信よ。メイン、予備、緊急バックアップ用……全部ダメね」
「君の技術が落ちたんじゃなくて?」
「そんなわけないでしょ! そっちこそ、勝手に手動で設定を変更とかしていないわよね?」
「そんなことするもんか。最近はいろいろと複雑面倒だからな」
「まあ……いいわ。これ自体は予想されたことだから」
「それもそうだ」
「現地指令部は軌道からの観測で、こちらの様子を見てるはずだし」
「ちゃんと見えていれば、の話だがな。まあ、仕事をさぼってるとバレちまうかもしれんぞ。とにかく予定の行動へ移るとしよう」
どのみち二人にしてみれば、通信に問題が発生するという事態は、想定範囲内だった。
それから二人は、お互いに宇宙服をチェックして外へと出た。今回の活動は、充分な大気圧があるもとで行われるゆえ、大気圏外などでの活動に比べて与圧の必要がなく、身につける宇宙服は身軽なものだった。
外の景色は事前の資料映像とまったく同じだった。青い空、真っ平らで真っ白な地面が地平線まで続いていた。
「こいつはすごい景色だ。眩しく感じる以外には何もないな」
そして、二人を乗せていたロケットから少し離れた場所に、物資を載せている補給ロケットと帰還のための往復ロケットも、自律飛行により無事に着陸していた。
二人は補給ロケットに近づき、ボブが操作パネルと軽く叩いてやると、ロケットからひとりでに貨物が吐き出され、滞在用のベースキャンプは自動で展開した。
「さて、基地は完成だ」それからボブは往復ロケットに視線を向けた。「一応、帰りの便にも異常がないかチェックを済ましておく」
「じゃあ、私は貨物の内容をチェックリストで確認するわ」
「ああ、頼むよ」
「ボブ、帰還するのにロケットは問題がないか、きちんと確かめておいてよ。万が一トラブルが起きて、あなたと二人でこの惑星に取り残されるなんて、ごめんだからね」
「ハハハ、そりゃ、こっちも願い下げさ」
それから二人は、基地で食事と作業ミーティングを済ませると、仕事に取りかかった。
アリスは着陸した周辺の土壌サンプルを丁寧に採集して分析機にかけ、ボブは遠隔地探査ドローンをひとつひとつ丹念にチェックして離陸させていった。
ボブが最後のドローンを離陸させるころには、分析機のほうで早くも成果が出しはじめていた。
「このあたりの地表は、塩化物やカルシウム主体の化合物、それから石灰……そういったものの混合物。まあ、予想されていた結果ね」
「海があれば、ビーチパラソルも持ってきてリゾート気分だったのになぁ」
「私は遠慮するわ」アリスは簡易スペクトル分析計の結果を手にして言った。「この惑星は紫外線量がかなり多いみたいだから、日焼けどころか黒焦げになりそうよ」
「そいつは残念。日焼け止めもいっぱい持ってくるべきだったかもな」
その後、僅かな休憩を終えると、二人は次の工程に移った。
必要なだけの装備を移動探査車に積み込むと、ナビゲーションを頼りにして、もっとも近い場所にいるはずの無人探査機のもとへと向かった。
そしてボブは運転中、ずっと無駄口を叩いていた。
「やれやれ、こんなところでドライブすることになるとはねえ。ネバダの五〇号高速道路で見る景色よりも退屈な景色だ。ここじゃハイウェイラジオはやってないのか? それにしても、ほんとになにもない。その反面、案外に植民するには絶好の場所かもしれん。ほんとになにもないからな。見てみろよ! 山を削る必要もなければ、海や湖を埋め立てる必要もない。トンネルを作る必要もいらんだろうな」
「だけど、ボブ。この星には酸素と水がほとんどないわ」
「そりゃ確かに! それは困った。ラスベガスだって酸素はあるもんな。あるいは地下を深く掘れば、もしかすると水が湧いて出るかもだぜ。そうすりゃ、」
アリスはボブが続けようとするのをさえぎった。
「ボブ、いい加減、自分の手持ちの酸素を節約しなさいよ。それにあまり面白くない駄弁りは飽き飽きよ」
「そんなこといわれてもね。この景色じゃ、軽口でも叩いてないことには、退屈だぜ。眠くなっちまう」
「だったらカフェイン錠でも飲みなさいよ」
そのとき、進む先の遠くの景色に一瞬、きらめくものがみえた。
「ちょっと、なにか見えたわ」
「お、いよいよ目的地かな?」
近づくにつれて、その物体の姿が見えはじめた。人の背丈ほどの高さで、羽のついた巨大な蜘蛛を連想させる、ごく一般的な惑星地表探査機だった。
ただし、それは無残な姿だった。
二人が移動探索車から降りてみると、その状態がよりはっきりとわかった。
「これって……ずいぶんと」
「いやはや、酷い有様だな」
目の前にあったは、ひどく傷んだ探査機だった。
全体の表面は小さくひび割れていて、うっすらと塩の結晶に覆われたような状態だった。タイヤも主脚も朽ち果てているような状態で、電力を得るための太陽電池もひび割れて微細な砂ぼこりをかぶっていた。
「こいつはまるで、何十年も雨ざらしになっていたみたいだな」
「でも、それはおかしいわよ」
「分かってるさ。こいつはここに来てから、太陽系地球時間に換算すれば、せいぜい三か月くらいしか経ってないだろうよ。それに雨も降らない環境だしな」
アリスが近づいて、探査機の太陽光パネルの縁に触れた途端、その箇所からボロボロと崩れ出した。
「なんてこと!」
「アリス! 危ない!」
ボブは彼女の腕をつかんで慌てて飛びのいた。
探査機のほうは、かろうじて保っていたバランスを崩すかのようにして倒れた。あっという間のことだった。探査機はまるで、砂で作った彫像であったかのように、崩れて粉々になってしまった。
「あーあ、とんでもない有様だぜ、こいつは」
「わ、私のせいじゃないわ!」
「分かってるさ。別に、君を責めるわけじゃない。現状を嘆いただけだ」
束の間、二人は呆然と残骸を見つめた。
「さて、」ボブはため息交じりに呟いた。「とにかく、仕事の続きに戻るとしよう。記録データは無事かな?」
「制御系のハードは、相当に頑丈なはずでしょ? 検分してみないと」
「そうだな。宝探しの時間というだ」
そのとき、ボブは不可解なことに気が付いた。
「おい……空に、太陽が見えないぜ」
「そんなわけないでしょ。また冗談ばっかり」
「冗談じゃない。空をよく見ろ」
その深刻な口調に、彼女も作業の手を止め、空を仰いだ。
雲のない青空が広がっていた。その白い地面は、夏のハワイの砂浜よりも、晴天のアルプスの雪原よりも、まぶしく感じるような景色だった。
そして、明るい空に輝いているはずの恒星は、どこにも見当たらなった。
「どう思う?」
「そうね……実は、夜なんじゃないかしら? この真っ白な地面と大気のせいで、光が乱反射して」
「いいや、夜なら暗くなるはずだ。宇宙からの姿は見ただろう? 影の部分は暗かった」
「それも、そうね」
またしても二人は、束の間、呆然とした状態になった。
「でもどうして、この自明なことに気づかなかったのかしら?」アリスはつぶやいた。
「さあな」それからボブは、気を取り直そうとでも言うように腕を大きく振った。「とにかく、さっさとやることを済ませて、ベースキャンプに戻って休憩にしよう。俺たちは疲れてるかもな」
しかし、探査機は完全なスクラップも同然だった。周辺と作業の記録映像を撮った以外、有用な収穫は無かった。
基地に戻る道中、ボブは言った。
「この計画には、俺たちに知らされてない、“なにか”があるんじゃなかろうか?」
「そうかしら? 全容を知らされていない探査なんて、今に始まったことじゃないでしょ」
「かもしれんが、それにしても、この惑星はなんかおかしな点があるように思う」
「それは認めるわ。でもね、太陽系の常識は他所の恒星系ではほとんど通用しない、というのも事実よ」
「ああ、それもそうだな。ご教示をどうも」
「とにかく、できるだけの記録を持ち帰って、詳細な検討は他の理論物理学者たちにでもさせればいいのよ。私だって、範囲の狭い化学が専門なんだから」
「それを言い出したら、俺はただの技術屋だぜ」
不可思議な現象はこれだけにとどまらなかった。
基地へ戻った直後、調光式の照明器具を暗くしていくときのように、急速に空が暗くなった。だが完全に暗闇になるわけではなかった。大地は艶の無い濃い灰色に染まり、地平線上は濃紺と紫と白んだグラデーションを描いた。薄暮のような独特の色合いに空が染まった。
二人は空を眺めていたが、体感にして数分が過ぎると、今度は先ほどの経過を逆回しにするかのように明るくなりはじめ、また途端に暗くなっては明るくなりと、黄昏と夜明けを繰り返すかのようだった。
「こりゃ、なんだ?」
ボブは、わけがわからないといった表情をみせた。「アリス、どう思う?」
「そんなこと言われても……空が脈打っているというか、突然に呼吸でもはじめたみたいね」
「詩的に言ってくれるな。俺には、侵入者に対する警告でもしているみたいに思えるぜ。薄気味悪い!」
だが、二人には周囲の状況をどうすることもできなかった。初日を工程を終えて、休息のための睡眠をとる以外にできることはなかった。