30.意味ありげな反応
『ハグ、びっくりしただけで全然嫌じゃなかったから。またしていいよ』
紫苑から届いたLINEのメッセージに、意識が銀河に飛んだ私は何も考えず『好き』と送信した。
情緒のかけらもない告白かましてどうすんだよ。即座に取り消し、新しい文面を打ち込む。
『いつでもウェルカムよ(/ω・\)チラッ』
これでよし。……やっぱよくねえよ。
われJKだろ。気遣いにセクハラ構文で返すとか最悪でしょ。
いくら急激な燃料投下に指が滑ったとはいえ。
布団をごろごろ転がりながら画面を開き、まだ既読がついていなかったことに心底安堵する。LINEの既読・未読システムを考えた人は偉大だと思う。
ばふんばふんと枕に額を打ち付け、本日の反省会を始める。
試合の後から、明らかに私は歯止めが効かなくなっている。
人前で紫苑に抱きつき、自分の膝に乗せようとする尾花に口を出した。下心ありなのがばればれだ。
……でも、絶対乗らないと思っていた紫苑が座ってきたり、こういうLINEをよこしてくるって。
友人同士でする範囲だと思ってはいるってことだよね。そう都合よく解釈する。
親密になっていくということは、今日みたいに羽目も外しやすくなってしまう。
調子に乗るのは悪いことじゃないと前に紫苑に言ったけど、恋愛においては調子に乗ってはならない。
そう、思っていたのに。
「よっす」
「おはよ」
日曜日。今日はシフトに入る時間が同じなため、一緒にバイト先に向かうことにした。
そして前にも増して紫苑がかわいい。
ひらひらの袖フリルが特徴的の、ダブルガーゼワンピース。
レースの付いたガーリーなレギンスが合わさることで、子供っぽくなりすぎず華やかな印象を引き立てている。
「服が甘めだから髪巻いてみたけど、どう?」
「ちょおかわいい」
両手の親指を立てて褒めちぎる。
『わぁい』とフランクな口調ではにかむ紫苑は不意打ちの尊さで、心が浄化されていく。
「子供服も、化粧や髪型やアレンジコーデ次第で年相応に魅せられるんだ」
「そりゃねー。垢抜けすぎてるJSってJKと変わんないじゃん」
紫苑もその影響でケバくならないか心配だったけど、童顔の顔立ちを生かしたブルベメイクでほっとした。
「高評価みたいでよかった。藤原さんにメイク教わった甲斐があったよ」
「……あのひとそういうの上手そうだもんね。ってか、仲良かったんだね」
「うん。ちょっと前から話すようになって」
白々しい台詞を乗せて、さりげなく探ってみてもさらりとかわされてしまった。
藤原さん。
私が未だ聞き出せずにいる、紫苑の恋愛事情を知っているかもしれない人。
コーデやメイクで頼るくらい、信頼されている人。おしゃれなら私だって負けていないのにと対抗心を抱いてしまう。
「バイトだと私服で行く日もあるから。ずっと使い古した部屋着しか持っていなかったから、ちゃんと身だしなみを気にしたほうがいいかなって」
「とか言って、見せたい人でもいるんじゃないの~」
「…………」
軽く流せるようなトーンで返したのに、紫苑は一瞬だけ息を詰まらせた。
ないない、と手を振って否定の動作を取る。
……その、意味ありげな反応は、なんですか?
口の中に、じわじわと苦い味が広がっていく。
この話を掘り下げても、私にとっていい返事は返ってきそうにないだろう。
さっさと切り上げることにした。
「って、なんでも恋愛に結びつけるのもよくないか。私だって自分のためにメイクやってるわけだし。学校やバイト先が頭髪自由でよかったわ」
「せっちゃん、イエベ春だっけ。ほんと似合うね」
「ありがと。就活まではこの髪色でいくつもりー」
他愛ない話を交わしながら、雑念を心の隅に追いやる。
べつに、どうってことない。昨日のことなんか。
紫苑がバイト仲間の男子と仲良さげに話していた、くらいで。
スギムラくんは調理担当だから下げ台のフォローに回ることも多くて、その過程で紫苑と話すようになったのだと思うし。
私以外に打ち解けられる人がいなくて仕事が嫌にならないか心配なところがあったから、むしろ喜ばしい変化なのだと思わなければならない。
仕事はチームワークなんだから、話を振れるくらいには信頼関係が構築されていて損なことはない。
ないのに。
開いた傷口みたいに仄暗い感情が浮上して、胸に鈍痛が広がっていく。
紫苑がここのところ身だしなみを気にするようになったのは、彼の影響かもって。勝手に不安を抱いてしまう。
紫苑の人間関係が広がっていくことに、いちいちささくれ立っている己の狭量さに嫌気が差す。
もやもやを蹴飛ばすように足元の砂利へと爪先を払って、『いたっ』と鋭い声が隣から響いて肩が跳ねる。
意識が内から外へと戻ってきて、やっと左手の中に人の指の感触を覚えた。
握りしめていた、思いっきり。紫苑の手を。
調子乗るなと誓った段階から何をやってるんだ私は。
「ご、ごめん」
ほどこうとすると、紫苑に片方の手で静止された。『何かあった?』と尋ねてくる。
「無理にとは言わないけれど、吐き出したいなら聞くわよ」
機嫌が悪いと察している状態で手を強く握られたら、ストレスを自分にぶつけていると解釈されてもおかしくないのに。
柔らかく、心配そうな声色に罪悪感が胸へ淀み始める。
「ちょっとね。誰かとの不仲が原因とかじゃなくて、私が勝手に悩んでるだけで」
「そのことでなにか、私にできることはある?」
「んー、じゃあ、胸かして」
なははーと笑い飛ばしながら冗談を放ったつもりが、『いいけど』とあっさり許可が下りて変な空気の吸い方をしてしまう。むせた。
……あれ? いいのかよ?
「LINEでそう言ったじゃない。……ああでも身長と体格的に貸す胸がないな」
「じゃあ身体かして〜」
「誤解しか生まない言い方ね……」
ツッコミ待ちでボケたのが真面目に受け取られて、こんな都合よく事が進むって夢じゃないよなと認識を疑い始める。もちろん引っ張った頬は痛い。
カンナといるときも距離が近かったし、友人同士の範囲が広い子なのだろうか。
ここじゃ人目があるからと、道を逸れていく紫苑の後ろに続く。連れて行かれた先は、公営住宅の敷地内にある広場にそびえ立つ植え込み。
鮮やかな緑の枝葉を広げる桜木の下で、紫苑の足が止まった。
「はい、ぎゅー」
生真面目な紫苑にしては珍しい、おどけた声とともに腕が背中へと回された。
強く握った仕打ちに力込めていいとは言ったんだけど、締め付けは生易しい。
「もうちょっと強くてもいいよ」
「やせ我慢してない?」
「芹香さん嘘つかなーい」
さっきよりも力がこめられたけど、罰には程遠いご褒美だ。
でも紫苑の顔は赤くて腕がぷるぷるしてるから、これが本当に精一杯なのかもしれないけど。
あー、いい眺め。
めっちゃ可愛がりたい。眼下に見えるつむじをわしゃわしゃしたくなる。
でもこれ以上の下心はぐっと堪えて、許されているスキンシップを満喫しよう。
「……これで本当に気が済むの?」
「もっちろん」
独占欲と優越感が満たされて、私の機嫌は上へ向いていく。
世界が自分と彼女だけだったら、いちいち心を乱されなくて済むのに。壮大でくだらない願望へと思考が飛躍する。
……今からこんな調子で、無事にGW終えられるのかねえ。
さて2日後にようやく訪れたGWは、波乱の幕開けだった。
前日にグループLINEに回ってきた衝撃の内容に、動揺した従業員のメッセージが次々と流れてくる。
まさか、店長が入院するなんて。




