16.【紫苑視点】あの頃ほどの仲には戻れるわけがないのに
4日めにもなれば痛みは引いてきたものの、まだ特有の倦怠感はある。
父は体調を気遣ってか、今日まで弁当はいいと申し出てくれた。
とはいっても、大半の家事を任せっきりだから申し訳ない気持ちはある。向こうも繁忙期で私以上に疲れているだろうに。
「いいんだよ。これくらいはさせてほしい」
父の手付きを見ていると分かるのは、家事は不慣れだったのだろうということ。
フライパンから剥がされた目玉焼きは、一度に2つフライ返しで取ろうとしたのか片方の黄身が潰れている。焼かずともレンチンで出来るのだけど。
ご飯は水分が多いのか粒に元気がなく、味噌汁も具はカットわかめのみという簡素なもの。
だしパックを入れていないのか、味も単調だ。
水気の多い一汁一菜が、食卓を飾る。
「……もっと美味しいものを作れるようにならないとな」
「味の基本はできてるから、ここからよ」
2人でもそもそ食べ進めながら、私は味を調えるためのアドバイスを送る。
父は携帯電話のメモ帳に必死に文字を打ち込んでいた。
私だって最初はこれより酷かったのだから、挑戦する姿勢を見せる人にはできる限り伸ばしてあげたい。
夫の手際の悪さに妻がしびれを切らして『もういい私がやる』と取り上げてしまうのはタブーのひとつだから。
まだ母がいた頃の父の姿は、あまり思い出すことができない。
激務の職場にいたのもあるが家にいること自体、そもそも少なかった気がする。
この歳にもなれば今に至った過程はなんとなく見えてくるし、よくある話だ。
核家族はとっくに限界を迎えているのではと、私は思う。
いつものように父を見送って、少し早い時間だが家を出た。
芹香からLINEが入っていたからだ。『弁当箱 洗ったから渡しておくね』と。
「はいこれ」
「お預かりいたします」
巾着袋に包まれた弁当箱を受け取る。
事の発端は昨日、LINEのやりとりでまたそのうち弁当作ろうかという流れになったから。
「食材って、あのバイト先の隣にあるスーパーで買ってる?」
「だいたいそこ。週1か2で買い溜めしてる」
「となると……バイトがない学校帰りか、ディナータイムじゃないシフトの土日がベストなのかな」
「そうなるわね」
「ん、じゃあそのときにまた誘ってくれ」
楽しみにしてる、と芹香が歯を見せて笑う。
白く綺麗な歯並びに、あの日から何かと意識するようになってしまった、上向きのカーブを描く唇に。視線が吸い寄せられて、目の前が白む。
胸に湧き上がってくる高揚の正体は、一種の優越感だ。
もう一度食べたいって、手料理を褒めてくれたから。
友人の中で、私だけが。
つくづく、強い感情というのは人を理屈に合わないことをさせる。
弁当箱を一旦家に置いて、そのまま一緒に登校することになった。
4月も最終週ということもあり、もう上着を羽織ることはなくなっていた。
先週あたりから『熱中症注意』のニュースが流れているように。ここ最近の日中は、春と呼ぶには暑いほどの気温に上がっていた。
「いま、副作用はある?」
「大丈夫。胃薬飲んだのもあるけど、ちょっと頭痛がするって程度」
「よかったー。身体には合ってるみたいだね」
とはいえ、油断は禁物。芹香と並んでいるものの、話しているときも私は目を合わせられていない。
これだけ身長差があるとどうしても芹香を見上げる形になってしまうため、頭痛の悪化を恐れての体勢を取っている。
昨日の婦人科での診断結果は、子宮後屈。
通常であればお腹側に向かって子宮が傾いているというが、私の場合は背中側に反っているらしい。この形だと経血が外に出づらく、痛みも前屈の人より強いのだそう。
治療法は低用量ピルの服用。
何シートかくれたので、これから先は定期検診を受けて薬をもらう形になる。
「ほれ」
よかったら掴まりなよ、と芹香が腕をかざした。
ああ、日曜のときに急にしがみついてしまったからか。
「平気よ、またこけそうになったら危ないし」
「しーちゃん担げるくらい軽いんだから、そんな簡単に転んだりしないって」
かつ、え、私担がれたの? 芹香に?
さらっとすごい発言をした芹香に足がもつれ、とっさに芹香が私の腕を引いた。
なんとか踏みとどまり、頭を下げる。
「ほらー、早速役に立っただろ」
「……言った傍からで恥ずかしい」
「怪我しなくて何よりだよ。恥ずかしいなら、どっかつまむだけでもいいからさ」
これから学校に近づくに連れて、どんどん周囲の目は増えていく。
その中で腕を掴む度胸はあるはずがなく、私は芹香の言葉通り袖口をそっとつまんだ。
……これはこれで恥ずかしかった。
上履きに履き替えて、私たちは3階にある1年生の教室に向かう。
すっと、指が離れる。
足も自然と、芹香の隣ではなく後ろを歩くようになっていた。
歩みも遅くなり、少しずつ彼女との距離は開いていく。
「清白おはよー」
「課題やったー?」
登校してくるたくさんの生徒の中にはもちろんクラスメイトもいて、私たちを追い抜く際に挨拶を飛ばしたり短い雑談を交わしていく。
すべて、芹香へと向けられている声だ。
学校の中では、芹香は私だけの友人ではない。
友達の友達は友達とみなされていない私は、和を乱してはならない。
だから、物理的に距離を置く。
「どしたの?」
学校についてから無言になった私を不自然に思ったのか、芹香が突然振り返った。
アーモンド形の整った瞳にじっと捉えられる。
「ううん、平気」
痛みが落ち着いたことをアピールするように、お腹に手を当てる。
芹香はお大事にと声を掛けてくれた。隣にいた女子は、接点がないであろう私たちに意外そうな目を向けている。
談笑を再開した二人の後ろを歩き、教室へと入った。
HRまでに写しておこうと、芹香から借りた授業ノートを開いた。
派手めな女子のノートとなると、蛍光マーカーや付箋を駆使してカラフルに仕上げているイメージがある。
が、芹香のノートは……はっきり言ってしまえばなぐり書きのメモであった。
罫線にすら沿わないミミズが這ったような文字で、書いた本人が読み返しても解読できないんじゃないかと思う。
昨日の授業分だけは丁寧な筆致で書かれているあたり、分かりやすくまとめてくれたんだなと彼女なりの優しさを感じた。
疎外感を覚えていないのは、学校外で芹香との接点があると分かっているからか。
これから時間が合うときは一緒に登校して、バイト先まで一緒。
お弁当を作るときは、買い物まで。
それが日常に組み込まれるのかと思うと、不思議な感覚になる。
しかしその接点は、すべて私が自発的に作ったものだ。
あの頃ほどの仲には戻れるわけがないのに。
自分との時間を割り込ませてまで、私は友達であることに固執している。
業間休みに入り、インスタにDMが届いた。
開いてみると、珍しいことに芹香以外の人間からの昼食のお誘いだった。
一瞬芹香のことが頭によぎる。一緒にお昼も、友人同士のコミュニケーションに入るのではと。
でも、あのカースト最上位グループに私が混ざれば場違い感は半端ないだろう。
食事が喉を通る気がしない。
『いいよ』と送信して、次は移動教室のため私は席を立った。




