君の色に染まりたい
魔王を倒した褒賞に望みのものを、そう言われて王女を請うた。
物みたいに人をもらうなんて、元いた世界の常識を持つ僕には納得できない部分もあるけれど、この世界ではそれは普通のことだし、貴族でもない僕が彼女と一緒にいる方法はほかになかった。
それで今なんだけど、彼女とうまくいってない。
魔王討伐に出たときも心配してくれたし、凱旋したときも泣きそうな笑顔で出迎えてくれた。だから好意は持ってくれていると思ってたんだよな。
褒賞に願いでたときは……びっくりしてた? 目を見開いてこっちを見て顔を赤らめて。
その後、婚約者として会うようになって、そのときだって決して悪い反応じゃなかった。
でもさ、貴族って社交も教養のうちなんだよな。
人あたりよく会話してくれるのを好意を持ってくれているって勘違いしてただけなのかもしれない。
危険なところに行くのを知り合いとして心配してくれて、無事戻ってきたのを知り合いとして喜んでくれたのかもしれない。
褒賞として、でも「クリスティーナ王女も望んでくださるなら」と付け加えた僕に「喜んで」と答えてくれたのも英雄への王族の義務だったからかもしれない。
だって、フラッシュモブみたいなもんだよ? 大勢の人の前で大げさにプロポーズされたら、受けないとまずい、って気持ちになるんじゃないだろうか。
「あれ、レンと王女、両想いじゃなかった?」
魔導士のジョニーにどうでもよさそうに言われて頭を抱える。
「そうだと思ってたんだけど」
襟につけているピンブローチを見る。婚約の印としてクリスティーナからもらったものだ。彼女の瞳の色を思わせる紫の宝石が光っている。
魔王を討伐しても残っている魔族の討伐は続く。その打ち合わせで集まった酒場の一室で、他の二人はもう酔いつぶれている。残っているのは馬鹿みたいに酒に強いジョニーと、もともとあまり飲まない僕だけ。いつものことだ。僕はどうもあまり酒は受け付けない体質らしくて、浴びるように飲むみんなを横目にちびちび飲んでいる。
「でも、最近おかしいんだよ。こっちをじっと見てため息をついたり、パーティに一緒に行くと顔がこわばったり」
「なんだそりゃ」
「わかんないよ。僕が聞きたい」
「聞いてみればいいだろ、本人に」
頭を抱えた腕の隙間からジョニーを見る。
「なんだよ?」
「聞いてさ、嫌いだって言われたらどうする? 嫌いじゃないけど結婚したくない、とか」
「そんなの、そのときになってから考えろ。お前は英雄なんだからお前の意思が尊重される。向こうはあくまでも褒賞だ。お前が結婚したいって言えば結婚できるさ」
「でも、そんなの嫌だ」
「だったら、お前が結婚したくなくなったって言えばいいだろ」
「それも嫌だ」
ジョニーがあからさまに面倒くさそうになった。
「じゃあ、王女がお前を好きになるように努力しろ。魔王を討伐することに比べたら簡単だろ?」
僕は酒でよどんだ頭で考えた。簡単、かな? 魔王の討伐のほうが簡単な気がする。それはもちろん、肉体的に死にそうなのは討伐なんだけど、もともと体育会系の僕はそういう努力とか根性とかのほうが馴染み深い。計略はジョニーにまかせて、僕はただがんばるだけ、みたいな。
「ジョニー、どうやったらクリスティーナは僕を好きになってくれるかな」
ジョニーの眉間にシワがよる。ごめん、面倒くさくて。
「普通に女を口説く手順を踏んでいけばいいだろ」
「女の子を口説いたことない」
「お前、20歳だろ?」
「前の世界では野球部で彼女作るのは禁止だった。うち、結構強かったからさ」
甲子園、あと少しで甲子園。それを繰り返して、今度は受験。気になる子がいなかったわけじゃない。でもそれより大事なものが高校生の僕にはあった。
大学に行ったらと思ってたけど、こっちに来ちゃったし。こっちに来たら来たで魔王討伐してたし。
「やきゅうぶ、要はあれか、騎士団みたいに正騎士になるまでは婚約不可みたいなのか」
「まあ、そんなとこ」
死線をともにしたジョニーは僕の異世界話に慣れていて、ある程度自分で変換してくれる。
「なるほど、女を口説くのは初めてか。でも俺も貴族の女を口説いたことなんてないしな」
「ジョニーは庶民の女の子を口説くとき、いつもどうやってるの?」
ジョニーはグラスに残っていた酒を飲み干す。
「まず、飲ませる。酔っぱらったところでベッドに連れ込む」
「……」
「いや、ちゃんと合意でだからな」
「たしかにそれは大事だけど、そういう問題じゃない」
「王女だしな」
沈黙が続く。
「まあ、王女だって女だ。好意を伝えて、一緒の時間を作って、話を聞いてやって、まめに手紙を送って、花やプレゼントを渡せば、それなりの効果はあるはずだ」
「なるほど」
「あと、褒めろ。優しいとか気遣いができるとか。ドレスとか髪飾りとかを褒めるときは本人に似合ってるっていう方向で褒めるんだぞ。ドレスだけ褒めてもしょうがないからな」
ジョニーがもてるのがわかる気がしてきた。
この世界では手紙は恋愛において重要なアイテムだが、あいにく僕は手紙を書いたことがあまりない。年賀状くらいだ。手紙に何を書いたらいいのかわからない。
メールみたいな感じだろうか。メールもそんなに書かないんだよな。
面倒になって、結局、直接会いに行くことにした。
こういうとき英雄は便利だ。王宮へ王女に会いに行くのもスムーズに希望が通る。
いくつかある応接室のひとつに案内されると、クリスティーナが立って出迎えてくれた。
今日の彼女のドレスはピンクで、腰のサッシュをアクセントにしただけのすっきりしたデザインだ。18歳になって女性らしさの増したクリスティーナによく似合っている。
2年前、魔王討伐に向かうときの彼女はまだ子供っぽく、ドレスもフリルやリボンの多いものだったけど、帰ってきたときは大人の女性になっていて、そんな彼女との再会は気恥ずかしいけれどうれしかった。
「そのピンクのドレス似合ってるね。君の髪と目に映える色だ」
髪と目、肌の色に合う色を選ぶのはおしゃれの基本だとジョニーが言っていた。つまり、こう言えば、君ってセンスがいいね! と褒めていることになる。
クリスティーナが口元をほころばせたのを見て、間違っていなかったことを確信する。
「前に着ていた黄緑も似合ってたけど」
言いかけて気づく。一転してクリスティーナの顔がこわばった。指先がふるえている。
「どうしたの?」
「あ、あの、私。ごめんなさい。ちょっと体調が」
「大丈夫?」
手を差し出すと後ろに下がられた。
「大丈夫、です。でも、今日は、ごめんなさい」
部屋を出て行ってしまう彼女を茫然として見送る。何を間違えた?
立ちすくんでいると背中にきつい声が投げつけられた。
「ひどい! ひどいです。あなたが待っていてほしいって言ったくせに」
振り返ると侍女の一人が部屋に残っていた。
待っていてほしい。
魔王討伐に行ったときのことだろうか。
2年前、僕は突然この世界に連れてこられた。魔王討伐を可能とする勇者として。
この世界に来ることで到底考えられない力を持った僕はそれを扱いかねていたし、コントロールできない力を持った僕を周りも扱いかねていた。
常識も見た目もこの世界の人と違う僕は、周囲に受け入れられるまで時間がかかった。
今でこそ、剣や魔法の使い方を教えてくれた騎士や魔術師のみんな、一緒に魔王討伐に向かったメンバーには受け入れられていると感じているけど、来たばかりのころは訓練のとき以外、与えられた離宮の部屋から出ることもほとんどなくて。
そんなとき、声をかけてくれたのがクリスティーナだった。
「本当は陛下や王太子殿下がご一緒できたらと思うのですが、私で我慢してくださいませ」
そう言って王宮の中を案内してくれたり、お茶に招待してくれた。
王や王太子が忙しいのはわかっている。王女である彼女だって決して暇なわけではない。異世界から来た僕がここに馴染めるように心を配ってくれていたのだ。
僕の世界とこの世界との違いを二人で話し、彼女は僕の世界に興味を持ってくれた。
野球少年だった僕が甲子園を目指して、でも今一歩及ばなかったこと。
大学でも野球を続けたいと思っていたこと。
将来は野球に関係する仕事につきたくて、どんな仕事がいいか考えていたこと。
「……それなのに、私たちはレンをここに連れてきてしまったのですね」
うなだれる彼女にあわてて否定する。
「いや、大丈夫、大丈夫だから」
「でも」
「自分に野球の才能がないことも知ってた。それでも一生続けたかったのは野球が好きだからってことと、それしか知らなかったから」
この世界に来て、人生でほとんど初めて野球以外のことに力をそそいだ。剣に魔法、それに続く強敵との対決。負けたら国が亡びる。
そんな状況なのに高揚感があった。
自分の体をいじめぬいて目標に向かう。野球で果たせなかったことを今度は果たす。
野球以外でもそれができるということがわかったのだから。
「前の世界では使ったことなかったけど、剣も好きだな。最近は自分でも動きがよくなってきたのがわかるし」
「あれだけ訓練したのですもの」
クリスティーナは時間が許す限り、僕の訓練を見に来てくれていた。
見られてるといい格好したくなるから、よけい訓練に身が入ったりする。
「うん。よかったらまた見に来てよ。応援してくれたらがんばれるからさ」
「します!ずっと応援してます!」
「う、うん」
ちょっと照れた。
クリスティーナはそれからも見に来てくれて、気づいた僕が手を振ると振り返してくれた。
そして、あの日が来た。
魔王の力が強くなって魔族の被害が増えた。僕の訓練はまだ完璧とはいえなかったけれど、これ以上出発を遅らせることはできなかった。
ほんの少しの時間をもらい、彼女に会いに行く。
「応援しててよ」
異世界から来た勇者でも必ず魔王に勝てるとは限らない。それでも彼女が応援してくれているなら、彼女が平和に暮らせるなら僕は魔王を倒す。
「応援……」
「ん?」
「祈ります。お願いだから無事で帰ってきてください。レンが無事でいてほしい」
涙ぐんだ目で見上げられると愛しさが込みあげる。
「大丈夫、帰ってくるよ。だから待っていて」
「はい……待ってます、待ってますから」
彼女が無事を祈ってくれている、待っていてくれる。
それがあったから、あんなにきつい2年を耐えられた。もうほとんど死んだと思ったときも生き延びた。
でも、それと今回の僕の発言がまずかったらしいことが結びつかない。
いや、もしかしたら。
ものすごい目つきで僕をにらみつけている侍女に声をかける。
「えっと、たしかに僕は待っていてほしいと言った。だけど、本当はクリスティーナは待っていたくなかったってこと、かな。違うか、待ってなかったわけじゃないけど、まさか僕と結婚するはめになるとは思ってなかった?」
異世界から来た僕に同情して、勇者として魔王を倒してほしいと思っていて、友人として、無事を祈って待っていたのに、まさか結婚することになるとは思ってなかった、ってことかな。
「馬鹿にしてるんですか?」
「ええ……」
侍女の口からぎりぎりと音がする。すり減りそうなくらい歯を食いしばる人を初めて見た。
「ごめん、本当にわからない。なんで怒っているのか説明して?」
「それも嫌味ですか!? クリスティーナさまに嫌味を言うだけじゃまだ足りないんですか?」
「は? なんでクリスティーナに?」
もう一度クリスティーナに言った言葉を心のうちで反芻する。褒めただけのはずだ。
「言ったじゃないですか! 黄緑が似合うって!」
言った、言ったけど。
「それの何が悪いの?」
「まだ言うんですか! 前の婚約者の色が似合うってどれだけ嫌味なんですか! たしかにクリスティーナさまはずっとあなたの色を身につけていませんでした。でも、それはあなたのせいじゃないですか。クリスティーナさまはずっと悩んでいらしたのに、それを!」
「前の婚約? クリスティーナは前に婚約してたの?」
「また! あなたって人はどこまでも……え?」
侍女は固まった。ぎこちない動きで顔を上げる。
「知らなかったんですか」
「うん」
「あ……ああっ、どうしよう。きっとあえて言ってなかったんだわ。前にも婚約してたなんて今の婚約者にわざわざ言う必要もないし。それなのに私が言っちゃうなんて。すみません、今のはなかったことに。失礼します!」
素早い動きで身をひるがえし逃げようとする侍女の首根っこをつかむ。
「離してください! 私、クリスティーナさまのところに行かないと」
「大丈夫、クリスティーナにはほかの侍女たちがついてるから。とりあえず、全部話して」
「ひぃ」
侍女から聞き出したところによると、こうだ。
クリスティーナには小さいころに決められた婚約者がいた。5歳上の公爵の息子だ。
小さいころの5歳というのは結構な年の差で、お互いに恋愛感情もなく、たまにほかの大人を交えて会うくらいだったらしい。
それでも婚約者ではあるので、クリスティーナはそいつの目の色を意識してどこかに取り入れていた。ドレスとかアクセサリーとかに可能な限り。
この国では配偶者や婚約者の髪や目の色を身につけるのが愛の証なのだとか。
「でも、そこでレンさまが来たわけですよ。そりゃあ、見た目はこの国の人とは違いますけど、勇者だし、真面目だし、努力家だし、剣をふるうところとか私でもちょっとかっこいいと思いましたもん」
もみ手で語る侍女。さっきの失言をお世辞で拭おうとしてるとしか思えない。
「それで、まあ、クリスティーナさまもそういうことですよ。待っていてほしいって言われて待ってたくなっちゃったんです。だから陛下に、勇者を待っていたいと言って婚約を解消したわけです。ちなみに前の婚約者はもう別の方と結婚しています」
これが色っぽい美人で、と続けるのをさえぎって先をうながす。
「だからですね、レンさまと婚約できて、私らもよかったと思ったんです。婚約の印に指輪ってのはちょっと珍しいと思いましたけど、レンさまの国では婚約者に指輪を贈るって聞いてなるほどと思いましたし」
問題はその後です、と侍女は続ける。
「どうもレンさまはご存知なかったようですが、さっきも言ったように、この国では配偶者や婚約者の色を身につけます。たとえば、レンさまの襟のピンブローチ、クリスティーナさまはいつもつけていてほしい、と言って渡してましたよね」
「うん」
クリスティーナの瞳と同じ紫色の宝石のついたピンブローチ。
「レンさまがくださったのは、旅の途中で手に入れたという青い宝石を台座にはめた指輪でした。きれいですし、それが悪いというわけではないです。でも、ほかにレンさまの色を身につける、ということを考えたとき、クリスティーナさまは困ってしまった」
「ああ」
思わず髪に手をやる。侍女はうんうんとうなずいた。
「そうです、レンさまは髪も目も黒い。この国の人にはない色です。黒いドレスも黒い宝石も社交の場で見ることはありません」
「喪服みたいだしな」
「なんです、喪服って」
聞き返してきた侍女に説明すると、この国には喪服がないことがわかった。つまり、そういう慣習とは関係なく、社交の場で黒を身につけることがないっていうことのようだ。
今までに出席したパーティを思い出す。たしかに黒いドレスの人を見た覚えがない。
「別にいいのに、そんなの。似合う色を着れば」
思わず言うと侍女の猛攻撃をくらった。
「そういうわけにはいかないんです! まあ、レンさまにはわからないかもしれませんけどね! ちなみにさっきクリスティーナさまが着ていたドレスはただのピンクではなくてペールピンクで、昔着ていたのは黄緑じゃなくて若草色ですから!!」
ふんすふんすと鼻息荒く侍女は語るが、心底どうでもいいとしか思えない。ただ、この国の女の子には大事なことなんだろうな。
「とりあえず、わかった」ドアに手をかけ侍女のほうに振り返る。「クリスティーナは自分の部屋に向かったんだよな」
「おそらく」
王宮は広い。たぶんまだ部屋にはたどりついていないだろう。走れば追いつく。
えっと、まず、黒は着けなくてもいい、どうしても着けたいのなら一緒にどうしたらいいのか考える、そう伝えよう。
僕と腕を組んだクリスティーナが広間に入ったとき、その場がわずかにどよめいた。
カラフルなドレスが並ぶパーティの場で、クリスティーナだけ漆黒のドレス。胸元のレースも両袖のリボンとフリルも全部黒。茶色の髪に編み込まれたリボンも黒。
ゴスロリ、という言葉が頭に浮かんだが、この世界にはない言葉なので口には出さない。
あれからいろいろ話して、やっぱり黒を着たいとクリスティーナは言った。
「でも、あまり黒を着る女性はいないんだろ?」
「そうですけれど、でも、私とあなたの仲を疑われるのは嫌なんです」
「大丈夫、ほかの人のことなんて気にしなければいいんだから。それに僕はほかの色を着た君も見たいよ。ピンクも黄色もオレンジも青も赤も」
あえて緑は抜いておいた。
それでクリスティーナも譲歩し、大事な場でだけは黒、となった。
「私が着たのを見て、みんなが着たいと思うようにさせればいいんですよね」と笑う。
実際、今日の注目の集め方だとそうなるかもしれない。クリスティーナが堂々と歩いているせいか好意的に見られているようだ。
それがわかっているのだろう、クリスティーナが自慢そうにこちらを見上げた。
黒い髪と黒い目、この世界の人にない色。
君に受け入れられて、この世界に僕は居場所を作る。