【第05話】不便だらけな生活だけど……
「ノーム教の祠を建てたい?」
「うん。ロロさんの話だと、上の許可は取ってるみたいに言ってたけど。宗教的には大丈夫かなって?」
ドワーフとは喋ったことはあっても、聖教国外の宗教事情には詳しく無いから後のトラブル回避のため、隣りを歩くユリコに尋ねておく。
「ああ、そういうことか。べつに問題無いぞ。ホーリー教とノーム教は仲も悪く無いしな。うちの司祭がドワーフの祠を見つけても怒ったりはしないぞ。邪気避けにもなるし、むしろ良いことが多いからな」
「そっか。よかっ、ぶわっ!?」
俺の方を横目で見ていたユリコが、ヒョイと上半身をずらしたタイミングで、顔にひんやりとした液体がかかった。
……水?
水を飛ばして来た犯人を探すと、地下広間の中央で機能を回復した噴水が目に入った。
噴水の塀から溢れそうなくらい溜まった水の中から、人影が元気よく飛び跳ねた。
空中で半円を描き、噴水の中心にある彫像の上を高々と飛び越えたのは、上半身は幼い少女で下半身が魚の姿をした、人魚だ。
半透明で青色の人魚が、水飛沫を上げて反対側の水面へ頭から勢いよく沈んだ。
「ユキ達を一晩、ここで寝かせたかいがあったな」
聖属性に片寄ってる人間と同じで、青の召喚魔石から出て来たユキ達が居座るだけでも、多少は土地が良い状態に変化する。
聖女候補だったシオリには、さすがに負けちゃうけど……。
「うむ。元気が戻ったようでなによりだ。シオリも喜ぶだろう」
キャッキャッと嬉しそうな少女の声が聞こえそうなくらい、ご機嫌な水の幼精霊が魚の尾びれを左右に振り、噴水内に溜まった水の中をスイスイと軽快に泳ぐ。
噴水の中を覗き込む俺達の視線に気づくと、クルリと身体を捻って俺の方へ正面を向けた。
まるで祈りを捧げる少女のように、両手を胸元で重ねると……。
「ぶわっ!?」
そういうことかい。
水鉄砲かよ……。
悪戯好きな少女のように水の幼精霊がケラケラと笑い、また水の中を魚のように泳ぎ始める。
服の袖で顔を拭う俺を、隣りに立つユリコがクスクスと笑う。
「朝からバタバタして顔も洗ってなかったし。ついでに洗っとくか?」
「そうだな……」
悪戯をしたお詫びなのか、水の幼精霊が掌から注いでくれる綺麗な水で顔を洗う。
「ウォン、ウォン」
「ありがとう、ユキ。どうした、クロ」
手拭いを用意してくれた犬人のユキに礼を言いながら顔を拭いてると、黒い体毛に覆われた芝犬顔が俺を見上げていた。
『扉を見つけたワン!』
「え? 見つかったのか?」
「どうした、ユウト? ああ、悪いなユキ、助かるよ」
「埋めてた扉を見つけたってさ」
「そうか。上にいるロロ達も呼んで来よう」
「よろしく」
ユキから手渡された手拭いで顔を拭いた後、ユリコが噴水から離れた。
地下広間では、前の業者が残したであろう麻袋にいっぱい詰めた土砂をコボルト達が運んでは、部屋の隅に麻袋の中身を捨てて土砂の山を築いている。
忙しく往復を繰り返すコボルト達の横をすれ違い、ユリコが地下階段を登って行く背中を見送った。
* * *
「あ、ごめんね、ユウト。まだ作ってる途中だから」
朝食の催促に来たと思われたのか、料理用かまどに薪を追加してたシオリが、俺と目が遭ってすぐに慌てだす。
「大丈夫、忘れ物を取りに来ただけだから」
「忘れ物?」
「前任者が家に置いてた計画書。ロロさんに、見せてあげようと思って」
「さっきの可愛い親方さん?」
「そう。朝からバタバタしてたから、渡しそびれたのを思い出してね」
「あら、そうなの? カウ、水を汲んで来てちょうだい」
「バフ!」
シスター服で家事をするシオリにお願いされて、お手伝いをしていた犬人が水を汲むため、渡された水桶を握り締めて家の外へ駆け出す。
その背中を見送り、前任者が遺した計画書を手に取った。
豆が大量に入った鍋をスプーンでかき回した後、まな板の前に移動したシオリが包丁を持ち、パンに挟むための野菜を真剣な表情で切り始める。
老シスターのオメアラさんに、昨晩も料理を作りながら台所の使い方を一通り教わったはずだけど……。
今朝は異世界生活に順応した先生役のユリコもいないせいか、地球時代は家政婦に料理を作ってもらうのが当たり前だったシオリが、慣れない家事にワタワタしてるように見えた。
「ユリコ、呼んで来ようか?」
「むっ。野菜を切るくらいできますっ」
頬を膨らましたシオリに、少し怒ったような口調で言い返された。
ただし俺の方に顔を向ける余裕はないらしく、まな板を包丁でリズム良く叩いてたユリコとは違い、指を切らないように恐る恐ると慎重な動きだ。
無事に野菜を切り終わり、肩から力を抜いたシオリがフーッと一息つく。
俺が近くで覗き込んでることに気づいて、ビックリした顔をされた。
「まだいたの?」
「いたよ……」
「ジロジロ見られたら余計に緊張するから、早く行って」
火でグツグツと煮込む豆スープを、ちょっと機嫌を損ねたシオリがスプーンでかき混ぜる。
そろそろ邪魔だと本気で怒られそうなので、大人しく退散することにした。
「ユウト、忘れモノ」
「え?」
まだ何か忘れてたっけと考えながら、後ろに振り返った瞬間――。
すぐ目の前に、なぜかシオリがいた……。
俺の背中に、彼女の腕が回されたと脳が認識したタイミングで、俺の唇に柔らかいモノが触れる。
しばらく時が止まり、固まったままの俺からゆっくりとシオリが離れた後、ニコリと彼女が微笑んだ。
「いってらっしゃい、あなた……。お仕事頑張ってね」
「う、うん……」
怒らしたと思い込んでた俺を、上目遣いで見てたシオリがクスクスと笑う。
「フフッ。もし結婚したら、絶対にしようと思ってた夢が一つ叶ったわ……」
「そ、そうなんだ」
俺の肩に両手を置いたシオリが、青い瞳で俺の顔をじっと見つめる。
「ユウト。私は料理も作ったことがないし、花嫁修業もしてないんだから。ユリコみたいに美味しくなくても、しばらくは大目に見てちょうだい」
「うん。全部食べるよ……」
「不味かったら、マズイって言ってもいいのよ。頑張って作ったのにって、怒って皿を取り上げちゃうかもしれないけど……。もともと付き合って同棲もしてないんだし、旦那様の好みを知らないんだからね。きっとトンチンカンな料理も、いっぱい作ると思うわ……。でも、私すっごく負けず嫌いだから。いつかは絶対に、ユリコより美味しい料理を作ってやるんだからねっ」
「う、うん……」
「焦げるぞ鍋」
「ひゃあっ」
後ろから不意に声を掛けられ、飛び上がったシオリが俺に抱き着く。
「ビックリしたー。いつからいたのよ、ユリコ」
「私の名前が呼ばれたあたりからだ。ユウトの反対側にずっといたぞ。よっと……」
鍋つかみに手を通したユリコが、煮えたぎる鍋を掴んで移動させる。
「そうなの?」
「うん……」
本当に、気づいてなかったようだ。
見つめ合うシオリの肩越しに、腕を組んで遠目に鍋を覗くユリコに気づいてた俺が頷くと、ちょっと恥ずかしそうにシオリが頬を赤らめた。
「新婚生活に憧れてたのは分かるが、旦那に夢中で鍋を焦がしてばっかりの嫁はすぐ嫌われるぞ……。こっちの台所は、熱を感知して自動で切ってくれるような、便利な物は無いからな……」
「ユウト、嫁いびりの姑がいるわ」
「誰が姑だ」
俺の耳元で囁いたシオリの声を拾って、ユリコがすかさずツッコミを入れる。
「イチャついてないで、シオリも手伝え。ドアの前に積んでた大量の土が、もうすぐ無くなるだろうから。ユウトは先に行ってろ」
「はーい。お義母様」
「誰がお義母様だ」
シオリのボケにツッコミを入れつつ、パンにナイフで切れ目を入れたユリコが、手際よく野菜を詰めていく。
親友と仲良くお喋りをしながら用意したバスケットを開いたシオリが、鼻歌混じりにお弁当の準備をしている。
地球時代のオール電化なキッチンとは違って、不便だらけな台所でも楽しそうに作業をしてるシオリを見て、便利だった暮らしに慣れきった彼女でもやっていけそうかなと、ちょっとだけ安心した。
王都を出る時に、本当に何も無い場所だから覚悟しろよとユリコに言われてたから、我慢はしてくれてると思うけど。
旅慣れしたユリコは水洗便所や、お風呂が無くても余裕で生きていけるタイプだから大して心配してないが、地球生活に慣れた普通の女性だったら悲鳴を上げるレベルの場所だからな……麓の森から虫も飛んでくるだろうし。
「風呂か……」
昨晩も三人で川の字に寝ながら、ピロートークで田舎に住んだ時の不便話ネタで、盛り上がってた会話を思い出す。
家の外に出て、整地だけされて無駄に広い土地を見渡した。
女性のシオリが一番に喜びそうなモノといったら、やっぱり身体が温かい湯に浸かれるフロだよな?
例えば家の前に、小さな露天風呂みたいなのを作ったと仮定して……。
新妻シスターと愛人女騎士が、バスタオルのように布一枚だけを巻いて、俺が用意した風呂へ嬉しそうにやって来る姿を想像する……。
こらこら、バスタオルを巻いて湯につかるなんてマナーが悪いぞ。
ここには旦那しかいないんだから、早く脱ぎなさい。
その布切れ一枚をペロンと剥いで、中にある豊満な果実を……おほー。
夢にまで見そうな桃源郷が、湯船につかって目の前で……ぐふふふ。
よぉし旦那様が、嫁の桃尻、じゃなくて嫁の笑顔を見るために頑張っちゃうぞー。