【第02話】お尻からこんにちワン!
「あー、疲れたー」
数キロもある長い坂道を馬上で揺られながら登り続け、頂上に辿り着いたタイミングで疲労感が押し寄せる。
最寄りの村から山の麓に到着した時よりも、山登りの方が絶対に時間が掛かってるぞ……。
「ちょっと最期の村が、高過ぎないか?」
「ここが、今日一番の難所だからな……。馬も疲れてるみたいだし、少し休もうか」
俺の問い掛けにユリコがそう返答しながら、二頭の馬を木陰に寄せる。
馬の手綱を俺も引っ張りながら、適当な場所へ繋ぐ。
落下を防ぐためか柵で仕切られた展望台へ、駆け出したシオリの背を追い掛けた。
「見てみて、ユウト。村があんなに小っちゃーい!」
頂上から落下防止の柵越しに、眼下に広がる景色を怖々と眺めた。
正確な標高は分からないけど、数百メートルは余裕である高さから覗くと高所恐怖症ではないが、男性特有のアレで下半身がヒュンヒュンしてしまう。
シスター服を着たシオリが指差した先に目を凝らし、およそ十キロほど先にある小さくなった集落を探す。
「村、かな?」
「そうよ。さっき私達がいた村よ……。あっ、望遠鏡があるわよ」
屋根付きの回転望遠鏡が設置されてるのに、シオリが気づく。
新しい玩具を見つけたとばかりに青い目をキラキラと輝かせて、小走りにそちらへ駆け寄った。
回転望遠鏡を覗くシオリが、ハイテンションな観光客みたいにグルグルと回して遊んでいる。
「まるで子供だな」
「うん、ちょっと思った」
俺の横へ歩み寄ったユリコが、柵に手を置きながらボソリと呟く。
休日はモデルのバイトもしてると聞いてたが、クラスの中でも頭一つ抜けてシオリは大人びていた。
あの頃と今のシオリでは、随分と彼女の印象にギャップがある。
「極度のストレスを感じる環境に長くいると、自分を守る防衛本能の一つとして。大人が子供返りをして幼児退行することがあるらしい」
「……え?」
真剣な表情で語るユリコを、おもわず凝視した。
まさか、聖修道院時代のストレスで……。
「嘘だ」
「……は?」
「安心しろ、あっちがシオリの素だ。学生時代は、早く大人になりたいと背伸びしてただけだ……。ペットショップに行くと、だいたいあんな感じになるぞ」
ニヤリと悪い笑みを浮かべた幼馴染を、睨んでしまう。
「冗談でも性質が悪いぞ」
「そう怒るな。私達が頑張ったからこそ、あの笑顔が見えたんだ……。ユウトが助けてくれなければ、シオリは心も壊れて本当に笑うこともできなくなってたんだぞ……」
再び真剣な表情になったユリコが、柵に手を置きながら眼下を眺める。
俺も目を落とせば、傾斜角度が二十から三十度くらいありそうな、急勾配の長い坂道が蛇のようにうねっているのが見えた。
「攻めにくそうな場所だろ?」
「……え?」
横に立つユリコが、ボソリと呟く。
「このあたりの国境付近は高く険しい山の連なった山岳地帯が、帝国の侵略を防ぐ天然の要塞になっている……。こうやって周辺を一望できるなら、王国の内戦が始まってもすぐに気づけそうだな……。備蓄さえ貯めれば、籠城戦も難なくできそうだ……」
「内戦の話は初耳だな……。言っとくけど、もう俺は危ない橋は渡らないぞ」
不穏な発言を聞き逃さなかった俺は、身の危険を感じて先に牽制しておく。
「心配するな。シオリを巻き込むことはしない……。だが人手の欲しい時は、ちょっと手伝ってもらうぞ……」
「なあ、一つ聞いていいか? ……ここを住む場所に選んだのも、シオリをあそこから出す条件に入ってたからか?」
肌が合わないシオリを聖教国から出す為に、ユリコが組織の幹部連中と裏で何かしらの取引をしたことは知っている。
具体的な内容は、よく分からないけど……。
それでも見知らぬ異国の土地で、ユリコが最初から決めてたかのように動いてたのは、その取引に絡んでいるのではと思ってカマを掛けてみる。
「そうだ……。シオリには言うのなよ……」
「言うわけないだろ……。でも頼むから、もう命の危機を感じることに俺を巻き込まないでくれよ?」
「善処する……」
善処する、ね……。
「まあ、当分は村を開拓することに集中してくれたら良いさ……」
「ねえ、ユリコ。なんで、この場所って……こんな中途半端にやり掛けなの?」
一通り回転望遠鏡を楽しんで戻って来たシオリが、不思議そうな顔でユリコに尋ねる。
空中都市でも作るつもりだったのか、山の一部を切り取ったような整地済みの広々とした空間を、俺も改めて見渡した。
シオリが指摘したように、足場も含めて綺麗に整備された場所は展望台付近のみで、後は中央にポツポツと石造りの家が数軒だけ寂しく残っている。
屋根がなく雨ざらしになった家もあり、開拓途中で投げ出したようにすら見えた。
「詳しい話は、残っている人に聞けば良いだろう……。ほら、ユウト」
背負い袋の中に手を突っ込み、取り出した座標鍵をユリコから受け取る。
「下に置いて来た荷物、ユキ達に取ってきてもらった方が良いよな?」
「そうしてもらうとありがたいが、もう出て来れる時間なのか?」
ユリコが空を見上げて、俺も胸元に手を置きながら日の傾きを確認する。
「いや、微妙だけど……。土地の魔力を借りれば、なんとかなると思う」
歩いてるだけでも知覚できるレベルの濃厚な魔力を含んだ地面へ、レリーフ型の座標鍵を置いた。
首飾りを外しながら片膝を地に突き、紐に繋がった召喚魔石の一つを右手に握り締め、左手を座標鍵の上にのせて土地との繋がりを強くする。
召喚魔法を発動するための詠唱を呟くと、右手の先に青い魔法陣が出現した。
「あれあれー? ユキちゃん、そっちはお尻ですよー?」
ニヤニヤと笑うシオリを見て、俺も魔法陣の反対側に回って覗き込む。
白い体毛に覆われた獣の下半身だけを外に出して、『上半身が抜けないワン』と言いたげに、お尻をフリフリと左右に振ってユキがアピールしていた。
わざわざ頭から出てこない時点で、ユキが悪ふざけしてるのは丸わかりだが……。
「頭隠して尻隠さずね……。つーかま―えた!」
シオリが嬉しそうに飛びつくと、ユキの下半身に抱き着いて引っ張ってあげた。
「よいしょっと……。キャッ。ちょっ、ユキ。こらっ。あはははっ」
ケラケラと笑うシオリの顔を、無事に脱出できたらしい白い柴犬顔のユキがペロペロと舐め回している。
尻餅を突いたシオリに抱き着いて、嬉しそうに尻尾をブンブンと左右に振りながら、昨晩も寝ずの番人をしてくれたユキが約半日振りの再会を大喜びしていた。
広い場所を確保するために、少し皆から離れて座標鍵をまた地面に置く。
落ちないよう厳重に縛った腰袋を紐解いて、ユキのとは違う欠けた召喚魔石が大量に入った革袋を傾け、地面にバラ撒いた。
今度は数が多いので、簡易詠唱ではなく目を閉じて長い詠唱を呟く。
再び目を開いた視界に映ったのは、直径十メートルほどの大きな青い召喚魔法陣。
「おはよう、みんな……。新しい俺達の家だぞ……」
地面から次々と生えてくる大量の毛玉に、そう俺が声を掛けると。
一ヶ月ぶりの再会に、彼らもまた嬉しそうに犬尻尾を振りながら目を覚ました。
* * *
「ホッホッホッ。これはまた、団体様が来てくれましたな」
長い白ヒゲを撫でつつ、俺の隣に立つ老魔導士が楽し気に笑いながら、展望台から下を覗き込む。
俺達が登った山の麓では、馬のいない荷馬車が野ざらしになっており、その中から二足歩行の犬人達が忙しなく出たり入ったりしていた。
蛇のように曲がりくねった急勾配の長い坂道でも、小分けされた荷物を抱えた犬人達が、登ったり降りたりを繰り返している。
急カーブを描いた箇所にある休憩ポイントで待機する犬人に荷物を手渡すと、バケツリレーのように担当者が次の場所へ運び始めた。
山の麓に置いてきた食品や生活用品が、俺達がいる頂上まで近付いて来るのを眺めていたら、後ろから声が掛かる。
「何も無いところで、白湯くらいしか出せないがね。お嬢ちゃん方が、ハーブを淹れてくれたよ。爺さん達も飲まんかね?」
老シスターに声を掛けられて、長椅子とテーブルが置かれた屋根の下で、皆と雑談に興じる。
「娘んとこの旦那さんが、数日置きに顔を見せるくらいしか客人が来んでね。こんだけ沢山、若い子が来てくれたのは……。爺さん、何か月ぶりかいの?」
「ホッホッホッ。忘れたわい」
唯一の住人である老夫婦による、のんびりとした掛け合いに癒されつつ、ハーブの香りがする白湯を口にした。
「あんたさ。こない別嬪さん、どこで見つけてきたんね?」
「別嬪さんだなんて、そんな……。私なんて、普通ですよ」
満更でもなさそうな顔で、シオリが頬に手を当てながら微笑む。
外国人モデルだった母親の美貌を継いだハーフ系美女で、転生前と全く同じ容姿をしたシオリが普通なワケは無いんだが……。
自慢の嫁ですと思いながら、シオリの柔らかい桃尻を撫でていると、反対側から伸びた指が俺の手の甲を強くつねった。
グゥッ……今日も嫉妬深い監視役の目が厳しいですな……。
「ワシもあと十年若ければのう……」
「なにを言うとるのかいね、この爺さんは。アンタなんか、百年前でも相手してもらえんよ」
「……婆さんや。それだと、ワシは産まれとらんぞ?」
「一生相手にされんよって言うとんのに気づきんさいね、ボケ老人……」
「ホッホッホッ」
独特のテンポな老夫婦漫才につい堪えきれず、俺の隣に座るシオリが小さく噴き出した。
「フラングさん。ユウトに引継ぎを、お願いしたいのですが」
レリーフ型の座標鍵をユリコが取り出してテーブルの上に置くと、老魔導士と老シスターがそれを無言でじっと見つめる。
「引継ぎをする前に、お若いのに一つ頼みごとがあるんじゃが。構わんかね?」
「頼み事?」
「精霊様が、ご機嫌を損ねておってね。地下から水が湧き出んで、困っておるんよ」
老魔導士の後を継ぐように、老シスターが困りごとの内容を伝えてきた。
ここは高い山の上に、開拓村を建設しようとしてる。
井戸はあるようだが、水が枯れてるとなれば死活問題だ。
近くの川まで行くにしても、山を登り降りしたら数時間は掛かる。
俺達三人は顔を見合わせて、すぐ取り掛かることにした。