第二話 いざさいはての地へ。
読了前提:「さいはて荘」https://ncode.syosetu.com/n7200fn/
せめぐ、とすっかり枯れてしまった声でまた叫べば、そこはどこかの田舎だった。
第二話 いざさいはての地へ。
「え? ここ……」
「某県某市豹南町大字北」
舗装もされていないあぜ道で蹲っているぼくによっこらせと腰掛けて、館長が嗤う。
〝ド田舎を思い浮かべてください〟と言われて即座に連想する自然豊かな田園風景──それがここに広がっていた、ってか……あれ? 見たことある気が。
「あれ? 斑さん?」
「うわっ、あっ? どれみちゃん」
からからとベビーカーを押しながら小柄な、どことなく芯の強さを窺わせる黒真珠のような眼差しが可愛い女性がやってきて、ぼくは慌てて立ち上がる。その拍子に館長が転げ落ちてぶーぶー文句を言ってきたけれど、放置する。
「どうしたのこんなところで? 鬩さんは?」
「いや、ぼくにも何が何だか……えぇっと、そうかここさいはて荘の近くか」
「? 当たり前じゃない。大丈夫?」
「い、いやあ……はは。あっなごりちゃん。先月見たばっかりだってのにもうこんなおっきいんだねぇ~」
彼女は神宮寺どれみ。
黒錆どれみって言った方がわかるかもしれない。そう、かの世界的に有名な天才画家だ。鬩の友人らしくって、先々月娘の神宮寺なごりちゃんが生まれたのを機に、つい先月神社一家とともにここに来て、友人になったばかりなのだ。
ズボンに付いた砂を払いながら背後を振り返って、葛のつるに覆われた鉄筋コンクリート製のアパート──〝さいはて荘〟を見やる。ここにはどれみちゃんやなごりちゃんをはじめとする十二人の住人がいて、みなとてもいい人な温かいところだからぼくもいちずちゃんもすっかり気に入ってしまったものである。遠いからなかなか来れないだろうけど。
「タイトル──〝さいはて荘〟。著者、椿冬華。〝魔女〟と呼ばれる少女を主人公にした春夏秋冬の四編から成る日常系ホームドラマ風グルメ小説」
「は?」
地面を転げ回っていた館長がいきなり立ち上がった、かと思えばいきなり意味不明なことを言い出した。そこで、どれみちゃんが館長の存在に気付く。
「あれ? あなたって……常連さんよね? 〝さゐはて食堂〟の」
「やあ──〝ワタシ〟」
館長が嗤う。
そこで、気付く。
このふたり──そっくりだ。
館長の方が痩せぎすで不健康的ではあるけれど、何というか……すごく似ている。雰囲気もそうだし、見た目もすごく……似ている。
「ふぎゃあ」
「あっ早く帰らなきゃ。斑さん、とりあえずさいはて荘まで来て!」
「あ、うんなんかほんとごめん」
ベビーカーを押しながら足早にさいはて荘へ向かうどれみちゃんを追ってぼくらも歩き出す。
「〝春〟の章では十一歳の魔女が真の家族を得るまでの一年間が描かれている」
それはあまりにも唐突で、あまりにも突拍子なくて。
今よりもずっと幼く、小さく、痩せているどれみちゃんが今よりもずっと若いさいはて荘のみんなとともに平穏な日常を過ごし、今の彼女の両親がまさしく実の両親となるまでの一年間が脳裏を駆け巡った。
──だって、ワタシは呪ってないもの。ワタシは──呪っただけだもの。
──あれは両親なんかじゃない。両親だ。
──早く大家さんをお母さんって呼べるようにしてよっ、お父さんっ!!
──本当の親子に、なれるの?
「斑さん!?」
ぎょっとしたようなどれみちゃんの声ではたと我に返る。
泣いていた。それはもう、ぼろぼろと。
「ど……どれみ、ちゃん」
「え? 何? どうしたの? 何があったの?」
「がん……ばった、んだね」
戸惑っているどれみちゃんに構わず、ぐしゃぐしゃとその小さな頭を撫で繰り回す。撫で繰り回さずには、いられなかった。
あんなにも小さかった少女は今こうして、立派な母親になっている。
その事実を噛み締めてまた、形容しがたい感情をぼくにもたらしてきて涙が溢れる。
だというのに。
その余韻さえ許さないとばかりに、館長が嗤う。
「〝夏〟の章では中学生になった魔女が新たに得た友人たちとともに、将来への展望を展開していく」
また映像が流れ込んでくる。さっきよりも少しだけ大きくなったどれみちゃんが、中学校で新たに得た友だちと一緒にさいはて荘のみんなが働く職場で職業体験を行い、仕事を通して未来の切り開き方を学んでいく一年間。
──呪ってなんかいないよ。呪っただけ。
──めえめえ!!(怒)
──できるかできないか、じゃないんだよ。
──やるかやらないか、その二択しかないんだよ。
──巡。
──黒錆巡。
途中、羊姿のどれみちゃんが見えた気がしたけれど気のせいか?
ぼんやりと脳裏に流れ込んでくる〝さいはて荘〟の物語に想いを馳せていると、またもやどれみちゃんに怪訝な顔をされてしまった。
そして、それは容赦なく続く。続く。続く。
「〝秋〟の章──秋といえば恋愛。そう、ロマンス。恋する乙女の季節」
「えっ」
──魔女らしく生きてやるわ。
──さいはて荘は、〝家族〟だ。
──コレ!! 他意はないけどホラ! アンタには何だかんだ世話になってるから!! ただのお礼!! 他意はないわよ!! 欠片もないッ!!
──どうやって、切り捨てたの?
──何よその言い草ッ!! わた、ワタシだって好きでっ、好きでこんなっ!!
──……ずるい。
──ドラ猫言うな! 呪うぞ!
──あのねぇ! こちとら初恋なのよ!! わかってる!? 初恋よ! 経験ないの!!
──ワタシ、こんなんじゃなかったのに。もっと、ちゃんと、できるって思ってたのに。わかんないの。待つのが正解ってのはわかるのよ。ほんとに、わかるの。
──ワタシ、ワタシが思っているよりもずっと社長がすきだったみたい。
吐血した。いや血は吐いてないけど。
倒れた。文字通り地面に蹲った。
今度は中学生から高校生へとなりかけているどれみちゃんの、蓮さんとのめくるめく恋物語。どれみちゃんだけじゃない。レオンくんとおちばちゃん、ゆーちゃんにもろみちゃんまであまぁい展開を繰り広げちゃう一年間。
死んだ。
「えぇっ? 斑さん!?」
「ぼくはもうだめかもしれない」
「どういうこと」
地面に突っ伏しているぼくにどれみちゃんが思いっきり戸惑う。そりゃ当然だ──てか脳内に流れ込んできたこれ、館長の仕業……だよな?
「え~と……地球系列平行世界第十一種 №796でこの物語が掲載される時期は2022年1月……あ、じゃあ〝冬〟はまだか。ここまでだな」
館長が何やら意味の分からないことをぶつぶつ呟いている。
「斑さん、斑さん大丈夫? 何処か苦しい? 呪う?」
「何コワいこと言ってんのどれみちゃん。大丈夫……ちょっと甘酸っぱい風にぶん殴られただけだから。リア充爆発すればいいのにね」
「意味わかんないわよ」
それからぼくらは導かれるままさいはて荘に向かって、夫が不在だからと管理人室に通される。ここさいはて荘は葛のつるに覆われているせいでどう見ても廃墟だけれど、一階と二階に二部屋ずつ、三階に四部屋というつくりのアパートになっている。
鬩に紹介したいと言われて、ワゴン車で高速飛ばしてやってきたつい先月──滞在したのはたった三日だったけれど、その三日でぼくはすっかりさいはて荘のみんなが好きになってしまった。癖が強いけれど本当にいい人ばかりで、是非ともこれから仲良くしたいと数人と番号交換したほどだった。
その番号交換した数人のひとり、どれみちゃんのお父さん黒錆彰人さんが呆れた眼差しを館長に向けている。知り合いらしい。
「斑君を連れて何をしているんだ? 館長」
「真田羅斑のお嫁さん探し」
「えっ? あっそういえばそんな話だった──ってえ? ここでお嫁さん探し?」
いやちょっと待って。さいはて荘って確か。
と、リビングでどれみちゃんのお母さん、黒錆つゆりさんが淹れてくれたお茶片手に考えていたところにばたばたと忙しない音が響いてきて、小学低学年くらいの少年と幼稚園児と思しき少年がリビングに飛び込んできた。
「あれ、斑さんだけ? 鬩さんは?」
「おっちゃん! あそびにきたんだね!」
「やあ巡くん。徒然くん」
彰人さんやつゆりさんの息子であり、どれみちゃんの弟でもある黒錆巡くんと、ゆーちゃんともろみちゃんの息子である五条徒然くん。先月ここに来た時、一緒に泥だらけになって遊んだものだ。やっぱり子ども、いいよねぇ。
子ども……うん子ども……いや待って。
「ここ、人妻しかいないけれど!?」
「え、いいじゃないか人妻。萌えるだろ? 昼下がりのみだらな人妻」
「AVじゃないんだから萌えるわけないでしょっ!? ちょっ、彰人さんちがっそんな目で睨まないでっ」
お嫁さん探しで人妻のところに行く馬鹿がどこにいるの!? ああここにいた! ってか館長ほんと何なの!? 何のためにこんなことしてんの!?
「なに? 斑さんお嫁さん探しに来たの? まさか娘狙い? 呪うわよ」
「赤ん坊じゃないか!! やめてそういうこと言うの! 彰人さんが怖いから!!」
お茶請けを持ってきたどれみちゃんに睨まれ彰人さんに殺気を向けられ徒然くんに遊ぼうとせがまれの針の筵状態で、館長にどういうつもりなのか問う。お茶請けのぜんざいおいしそうに食べていた。ほっぺつねる。ってか腕拘束してるのにどうやって食べ……ああいやもういいや。お椀もお箸も浮いてた。何でどれみちゃんたち反応しないの?
「腕があるように見せかけてるからな~。この声もあやつらには聞こえていない」
「あ、そう……なんだ……? えぇっと……ねえ館長。何でぼくのお嫁さん探し? 何でここ? 一体何がしたいの?」
「暇潰しがてら、地球系列平行世界第十一種 №796の読者向けに過去の作品を振り返りつつその後を紹介してやろうと思ってなあ。真田羅斑のお嫁さん探しは単なる口実」
「ごめん何言っているのかわかんない」
地球系列平行世界……?
と、そこでつゆりさんに冷めないうちにどうぞと言われたので、遠慮なくぜんざいをいただく。とろとろに崩れたあずきの甘みがおもちによく合ってとてもおいしいし、体があたたまる。あぁほっとする。そんなぼくを眺めて、どれみちゃんが頬杖をつきながら問いかけてきた。
「お嫁さん欲しいの?」
「えっ。あ、いや……欲しいなあっていう話をしていただけで本気で欲しいとは……」
「少し前なら独身のかっわいいコがいたんだけどね~」
「引っ越したの?」
「なごりが生まれる前に亡くなっちゃってね」
だからここにはなごり以外人妻しかいないわよ、と言ってどれみちゃんが笑う。
少ししんみりとした空気になりかけたのを、なごりちゃんのぐずる声が蹴散らして彰人さんがドーナツ型のガラガラ片手にあやしに行く。
「でも五条もろみとか真田羅斑の好みドストライクだろ?」
「あっ、うんまあ……へへ」
明るいレモンイエロー色の髪に少し派手めなメイクの、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるナイスバディな美人さん。気が強く少々荒っぽい面があるながらも話していて気持ちのいい人で、彼女が作る料理は本当に美味しかった。今は旦那さんであるゆーちゃん──五条ユリウスさんと一緒に〝さゐはて食堂〟を営んでいる。
「なに? 斑くんぼくの奥さん寝取りに来たの? それなら容赦しないけれど」
「うわっゆーちゃん! ちがっ、好みってだけです!! ほんっとあんな美人さん捕まえたゆーちゃんがねたま、羨ましいです! 爆発すればいいのに」
いつの間にかぼくの背後に立って、にこにこと全然笑っていない笑顔を浮かべてぼくを見下ろしていたゆーちゃんにすみませんと首を縮める。
ゆーちゃんはさゐはて食堂でパン屋をやっていて、そこで買ったパンをそのままもろみちゃんが仕切る食堂に持ち込んで注文することもできる。パン職人のゆーちゃんと料理人のもろみちゃん夫婦は町中でも結構な知名度らしくて、常連さんがたくさんいた。ぼくも近ければ是非通いたかった。
「いきなり呼び出されたから何かと思えばMr.ホラーじゃないか」
「その呼び方やめてください!」
「何じゃ……酒の一本もないのか」
「あっすみません手土産もなく……」
神ヶ原レオンさんに、山本茂一郎さん。
──……男性しか集まってなくない?
「なんだ、やっぱり期待してたじゃないか人妻」
「してない! してないからみなさんそんな目で睨まないで!! 館長お口チャック!!」
ほんとぼく何でここにいるの!?
さっきまで事務所で和気藹々家族団欒してたはずだよね!? ほんと何者なの館長!?
「Ms.ミスターとMs.ラフレシアは一緒じゃないのだねっ」
「ええまあ……今日はお仕事お休みですか? おちばさんは……」
「フェアリーと買い物中、さ。何だい、フェアリーだけじゃなくてボクの伴侶も狙っているのかい? 葛をキミの事務所周辺に植えるよ」
「違います! 違うからやめてください!」
ゲームに登場する超美麗CGの金髪碧眼イケメンキャラがそのまま具現化した、ってくらいに顔が整いすぎてて怖いレオンさんは趣味の幅広さを活かしてフリーのクリエイターをしながら、奥さんであるおちばちゃんの神社も手伝っている。
ちなみにおちばちゃんが従事している九尾火神社は鬩の実家である九尾神社の分社だったりする。
お子さんがいないってのもあってふたりでよく旅行に出かけるみたいだ。ちくしょう。
「じゃあ誰を狙いに来たんだい?」
「誰も狙ってません!! 人妻に手を出すほど落ちぶれてませんよ!!」
「じゃあ何でここに来たんだい? 常連さんも……いつもの三人はいないのかい?」
「あいつらは食あたりで寝込んでてな~。しょうがないから真田羅斑で遊んでいるトコだ!」
「酷い!」
文句言いつつ、ぜんざいの残りを掻き込む。うん、うまい──いや馴染んでる場合じゃない!!
館長、と少し怒気を込めて叫んだその時だった。
【斑!!】
「──せめぐっ!!」
さいはて荘の大家であるつゆりさんの部屋、そこに突如として汗まみれの鬩が転移してきた。
憔悴しきった表情で、周囲に飛び散るほどの大粒の汗を流して──鬩がぼくらの頭上に現れた。ぼろりと涙が出る。
「ゲッ見つかった!! よっしゃ転移するぞ!!」
「えっ!? ちょっあっせめぐぅううぅぅうううぅぅ!!」
【斑!! おいこら館長!!】
心が浮足立ったのも束の間──ぼくはまたもや、白い手に体を拘束されて身動きが取れなくなってしまう。
ぼくに手を伸ばす鬩に、ぼくもまた手を伸ばす──伸ばせない。白い手が、ぼくを抑えつける。
「えぇええぇ? 鬩さんっ? ちょっなにっ?」
「OHファンタジー」
「徒然っ。あぶないから父ちゃんの後ろにいなさいっ。暴くんもっ」
こんな状況だというのにさいはて荘のみんなは多少びっくりしつつも割合落ち着いた反応で、中でもつゆりさんと彰人さんは呆れた顔で館長を見つめていた。
【おいこら!! 斑を離せ館長!! この世界には過干渉できないんじゃないのか!?】
「〝バグ〟が修正されて、ここの終わっている住人どもも落ち着いて、多少なりとも融通は利くようになっている──ま、今の住人どもがいなくなって次が出てくるまでの数十年程度だろうがな」
【上から目線で毎度毎度……!! 貴様にとっては無数にある中のひとつに過ぎなくとも、僕らにとってはこの世界だけが唯一だ!! 勝手な真似をするな!!】
「上から目線、じゃない──外から見てるんだよ」
館長が嗤う。ただ、嗤う。
楽しくて愉しくてたまらないとばかりに愉悦に満ちた、享楽でしかないという顔で──嗤う。
ぐっ、と白い手がぼくに込める力が強まる。ずぶずぶと足が埋まっていく感覚が、する。
「せめぐっ!!」
「まだら!!」【斑!!】
「よっしゃ頑張ろうなお嫁さん探し! ──じゃあな、神社鬩!!」
絶対お嫁さん探しする気ないだろ──そう叫びたいのに、その声ごと白い手に呑まれて意識を手放してしまった。
第二話 完