第0章~プロローグ~
様々な大きさのビルに高層マンション。
信号を待つバイクや自転車に乗用車やトラック。
暗い顔をし、よれよれのスーツをだらしなく身に纏った姿のサラリーマン。
数人で楽しそうに学校へ向かう制服姿の女子高生。
イヤホンを付け携帯端末に視線を落としたまま信号を渡る男子高校生。
それに向かって威嚇する小型犬を宥め散歩する年配者。
ラフな格好でキャップを深く被りサングラスを掛け、ランニングをする女性。
そこには、何もかもが白と黒だけで、まるで白黒の漫画の世界に自分が紛れ込んできたかの様な怪奇な世界があった。
それこそ漫画の世界に出てきそうな喧騒な都会のど真ん中にいるはずなのに、風になびき擦れる木の葉の音、車のエンジン音や犬の吠える声、周りを歩く足音や人々の声はおろか、息づかいすらも聞こえてこない。
聞こえてくるのは自分の足音のみだった。
それは例えるならば、長いトンネルを一人で歩いている様な感覚に似ていた。
だが、不思議と恐怖は感じず、何処か安心感に似た感覚すら思えるこの世界に男は思わず溜め息が出た。
「また、この夢か……」
それが彼の感想だった。
この夢を見始めたのは、自分の記憶している限りだと彼が高校に入学してから約一ヶ月前からだ。
夢なんて起きた時にはほとんど覚えていないが、流石に一ヶ月ほぼ毎日見ているとうろ覚え程度には覚え始めている。
しかもこの夢、タチの悪いことに彼の意思とは関係ない様で、どのタイミングで目が覚めるかがわからないのだ。
ここ最近気がついたのだが、この夢、少しずつだが歩ける距離が長くなっている。そう、どこか目的地があるかの様に。
最初は、只何も考えずに道なりに歩いているだけだった。だが三度四度と同じ道を歩いていることに気が付いた。
そしてこの夢、毎回同じ場所から夢が始まり、何処かへ向かっているのか毎回同じ道を通って行く……未だに目的地に着く前に目が覚めてしまうが。
どれくらい歩いただろうか、気がつくと見覚えのない筈なのにどこか懐かしく感じる一軒のお店の前に立っていた。
ドアの上にはボロボロなカマボコ板の様な板切に小さく文字が彫ってあった。
「leg……end……?レ、レジェンド……でいいのかな?」
自慢じゃないが英語はかなり苦手な教科で、この世で一番無くなって欲しい教科ランキング堂々のベスト二位だ。
因みに一位は数学。もはや因数分解の問題なんて、魔術に使う術式にしか見えない。
すると、突然お店のドアが開き、中から燕尾服に身を包んだ初老の男性が出てきた。
「ん?おやおや、これはまた随分ごゆるりと来られた。まさか一ヶ月も待たされるとは……ささ、早く中へとお入りなさいな」
「は、はぁ……お邪魔します……」
言われるがままに初老の男性について行く。
が、そこで違和感に気が付いた。
そう、初老の男性は俺に「話しかけた」のだ。
「ン〜何も言わなくていいよ。まずは……そうだねぇ、自己紹介からだ。私の名前はデイン、とでも呼んでくれ。君の名前は?」
とても優しく微笑みながら男性は、デインはどこからか椅子を一脚持ってきて、深々と座り、煙草を吸い始めた。
「こ、小金井輝です。えっと……一体ここはどこなんですか?っというかなんで話せるんですか?」
「かっかっかっ!なぜ話せるかだって?輝君は実に面白いことを聞くね!それは私が君に招かれたからで、ここは君の夢の中だからに決まっているからだろうに」
デインと名乗る男に膝を叩きながら大笑いされてしまった。
いや、まぁ確かに自分の夢の中って事は分かっているのだが、イマイチ納得できない。
「ここは夢の中だろう?何を納得しようとしているんだい。輝君」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
……って言うかこのじいさん俺の考えてることわかるのか?
「今、思考を読まれたーーとか思ったかい?いやいや、そんなわけないだろう。じじいにでもできる安っぽい手品さ。コールドリーディング……とかいうやつだよ」
そう言うとデインはまたかっかっと笑う。
完全におちょくられているが、自分の夢の中だ。腹を立てても仕方がない。
デインは「おほん」と咳払いをするとこう続けた。
「ここは私の経営するお店でね。何を売っていると思う?」
「え?えっと……古い小物とか……海外の雑貨品とか?」
「はぁ、夢の中なのになんて夢のない解答なんだい……私はここで『夢』を売っているんだ」
「帰ります」
「なぁぁ!ちょっと!?ちょっとは人の話を聞きたまえ!」
馬鹿馬鹿しい。夢を売っていいのは世界で一番有名な日本では千葉に在住のネズミさんだけと相場が決まってるんだよ。ハハッ。
「人は誰しもが願いや望みを持っているだろう?私は夢と呼んでいるが、人によっては欲望と呼んだりする。誰しもが何かに憧れ、願い、欲するものを私は夢と称しているのだよ」
「で?その夢って奴はどうやったら買えるんですか?」
「お?興味があるようだねぇ」
ぶっちゃけ全くと言っていいほど興味は無いんだが、ここは早く話を進めてこのくだらない夢を一刻も早く終わらせたい……と言うのが輝の本心だった。
「金欲、性欲、征服欲、物欲、食欲、睡眠欲は勿論のこと……友情、愛、名誉、将来、希望、安息、平和、闘争、とまあ言い出したらきりがないが、人が願い欲するうものには様々な形がある。そして、人はその様々な欲や夢を叶えさせることが出来る可能性を己が中に持ち合わせていながらも、無理だ不可能だのと無意識なのか……はたまた諦めているのか、制限してしまっている。つまり、己が限界と感じる『鍵』をかけてしまっているんだよ。そして、それは残念なことに人間の多くは生きているうちに己が持つその無限とも言える力を……可能性の鍵を開けれずに、いや、開けようとせずにその生涯を終えてしまう……勿体無いっ!実に勿体無いっ!そうは思わないかい?」
「ま、まぁ……確かにそうですね」
何を言っているのかわからないが、それとなく同調しておく。
デインは煙草の火を消すと、またもう一本煙草を取り出し、口に咥え先程と同じように馴れた手つきで火を付け、煙をフーっと吐いた。
「そこで私は考えた。その限界のリミッターをこじ開けれる万能鍵を造り、渡す。なければ自分でやればいい、というわけさ。実に夢があるだろう?」
「あー、そのー……マスターキー?ってやつを俺は買わないといけないんすかね?」
「あたり前田のクラッカー。何の為にこの場にいると思っとるんだねチィミィわぁ」
……堪えろ……堪えるんだ小金井輝。
なんかちょっとムカつくんですけどこのじいさん。しかもさっきからちょいちょいイラつくんですけど。え、なに?これ本当に俺の夢?自分の夢で自分を煽るとかドMかよ……まぁMだけどさ。
「で……いくらするんですか?そこまで高いものは買えませんよ」
「いいや、代金ならもう貰ったさ……いや、これから対価を貰う、の方が正しいかな?」
「いや代金って、お金どころか財布も出して無いんですけど……」
「はぁ……輝君……君は本当に夢のない奴だなぁ。ここは君の夢の中だろうに……なら、今回はお近づきの印ってことで納得しとけ」
デインは右手に持っていた煙草を口に咥え、「ほれ」と言って燕尾服の内側から何かを取り出し、こちらに向って投げてきた。
なんとかそれを両手でキャッチし、その物体を確認すると……手の中には何かを開ける鍵と言うよりかは、アクセサリーのようなデザインのどこか可愛らしい白銀の鍵で、大きさは五センチ程度で全くと言っていいほどに重さを感じなかった。
「おー、これが……で、この鍵はどうすればいいんですか?」
「そっから先は輝君、君が自分自身で考え、感じ取り、願い、信じるのだ」
「あ、えっ、いや、そんなマスターヨ○ダみたいな事言われても……」
「鍵を渡し、見届ける……それが私の趣味であり、義務であり、お仕事だ。さぁ帰った帰ったぁ!輝君、またのご利用をお待ちしとるよ〜」
ブツンーー
テレビのスイッチを消したように、夢は……終わった。